ex-6.
ドレークが退室してから、シュフラットがぼそりと呟いた。子供が大切にしていた宝物を何処かに置いてきてしまったような、寂しそうな眼をしていた。
「…あの荒くれが随分と丸くなったものだ。私にとっても奴にとっても、この一件は重大なものだったということか。
こちらでは引き続きあの連中を追っているが、今のところ都市内では見つかっておらん。手詰まりだ。」
「やはり冬の間に追い出してしまったのでは?」
「バッカラ殿、楽観的になられては困る。あの手の連中は一人いたら三十人はいるものだ。私は奴らを相当大きな集団と思っている。」
「シュフラット殿の仰る通りだ。〈盤割の鎚〉とかいうふざけた連中を野放しにしておけば、更に同じような事件が増えるだろう。現在バッカラ殿を通じて神殿の総本山にも通達してもらっているが…。」
「こちらには返事はまだ来ていません。過去に類似の団体は幾つも出ていましたが大したことはできずに自壊しています。この様子ですと総本山ではまだ問題と思われていないのでしょう。」
「そうか。実はディン殿の紹介で、帝都の情報屋と接触したのだが。」
「帝都の?」
「ああ、あそこの者たちは大変優秀だと。…しかし空振りだった。どうやら奴らは正体を巧妙に隠しているらしい。」
「厄介だな。これではいつどこで暴動が起こるかわからない。その行動が起こされるまではただの民衆だから、むしろ守るべき対象になってしまう。」
「難しいですね。ですが結局、彼らの狙いがわかない。使徒や神殿を襲えばすぐに敵対組織だと割れてしまい、各地で神殿兵や神殿騎士が血眼になって探されたとわかると思いますが。」
「ああ、それは。…完全に理解したわけではないから、俺から説明するのは少し難しい。ディン教授、お願いします。」
ザンジバルの紹介に前任の視線がディンに集まる。ディンは緊張しながらも意を決してなんとか口を開く。これは帝都からバティンポリスへと来る間に考え、ザンジバルにも話したことで、最悪の場合を考えると例え違っていたとしても今更引き下がれることでもない。
「おおお、恐らく今回の件はですね、その、予行演習です。
ゆ雪が降って情報が遮断される直前に、その、騒ぎを起こました。内容は〈召喚〉が成功して都市を混乱させ、その、強硬派だった領主を陥れてやめさせて、穏健派の傾向のあったザンジバル様に置き換えました。神殿もその、聞く限りアゼル氏を慕う人が多くて、まだ深山に当たるバッカラ神殿長では掌握が難しいようですし。他に有力な貴族であるマーレイア家もその、随分とお金を叩いています。傾くまでは行っていなくても、いまのまま続ければ来年には困窮してしまいます。そうすれば彼らはまた隙を狙って暴れるでしょう。
尤も彼らは騒ぎを起こして逃げて…山脈のほうに逃げて、魔獣?熊?に襲われたとはいえ、帝都に情報を三月近くも送らせた。逃げ伸びた人が居たら、その、ここでの実験結果は既に奴らに渡っているでしょう。そうでなくても時間がかかれば情報を手に入れて、一層慎重に動くでしょう。」
「言いにくいことを言ってくれるな。」
「ヒィっすみません!」
「気にしなくていいぞ、教授。
「質問を挟んで済まない。実験とは?」
「ひ、一つは〈疑心〉、それから〈召喚〉の魔術です。どのような魔術か判明しているとはいえ、まだまだどちらも使い手は稀少で、それに実験記録もありません。」
「成程。他にはあるのか?」
「ええと、その、シラー帝国がどこまで許すか、神殿がどこまで許すかという点も気にしていると思います。今回は領主、神殿の関係者が怒って都市を総ざらいしましたが、都市の外に出てからは追っていません。
どれだけ怒っても冬前は都市の外まで追わない、という知見を持ったかもしれません。」「心外な。地の果てまで追い詰めてやるというのに。」
「しゅ、シュフラット様、いいえ、物事には必ず、その、限りがあります。また、貴族には守るべき民や産業、経済、それに秩序といったものがある以上、それらをないがしろにはできないでしょう?」
「……そうだ。だがしかしディン教授。我々にも面子というものがある。規模は小さくとも別動隊を動かすのは可能だ。」
「頼もしいです。ですが、貴族とその兵たちだけではなく、もっと効率的に奴らを探すことができる方法があります。」
「聞こう。」
ディンは小さく息を吸うと、問いを投げたバッカラに向き直って今度ははっきりと言った。次の言葉は予想ではなく確信だから、言うには随分と気が楽に思えた。
「探索者です。彼らは、学者や貴族や商人、それに僧とは違った常識で生きていますが、何かを探すことにかけては彼ら以上に上手い者はいないでしょう。戦いになったとしても簡単に死なない強かさがあり、情報屋とも仲が良く情報の回りもまた貴族や学者にだって劣りません。
何より彼らは約束を違えません。探索者協会の協定もあって、命の危機などにならなければ裏切らないと言っていいし、何より自身の実力に誇りを持っています。彼らを有効に利用することで、きっと想定以上の結果を得られます。」
「饒舌ですね。教授は探索者を随分と買っているのですね。
しかし言い方を悪くすれば身元も知れぬ流浪人ですよ。」
「それでもです。信用に足る者は多くいます。」
「…いいだろう。商人と同行する形で探索者を雇い、各地で情報を集めさせよう。」
「シュフラット殿?」
「商人にも協力者はいる。だろう、領主。」
「ああ。別の都市に伝手のある商工会の連中も協力してくれるし、それから今回の件で熱を上げている者もいた。」
「あの新人の商人、ブラインと言ったか。」
「彼の父が〈盤割の鎚〉と関わっていた可能性があると知って、協力を申し出ている。
我々としても有難い話だ。
行商人に付き人を付けて、各地で連中についてを探らせよう。別の都市の長に親書を渡す必要があるが、そこは商人に言伝て手紙を届けさせればいい。」
「…これでは神殿だけ協力しないというわけにはいきませんね。私も噛みましょう。」
この話し合いで貴族、商人、神殿と三方が結託したことになる。そしてそこに探索者も巻き込み、大きなうねるとなるように思えた。
(…やっぱり大ごとだなあ。クロムさんもリュードくんも巻き込まれず無事でいるといいけど。)
その会談から数日後、バティンポリスからは幾組かの行商人が護衛を連れて各地へと旅立った。表向きは冬季に拵えた特産の干物の売買だが、実のところ〈盤割の鎚〉の動向を探る間者であり、バティンポリス伯爵の密使だ。
商人は志のある者を選び、探索者は探索者協会から斡旋された者達を選んだ。その中にはブラインの姿もあった。商人たちが都市を出ていく後姿を見送りながら、ザンジバルとディンはそれぞれに考えを巡らせた。
ザンジバルはこれからのバティンポリスと帝国の未来を憂慮し、ディンはやはり〈盤割の鎚〉に所属しているだろう魔術の使い手の正体を考えていた。どちらもすぐに答えを得られる問いではない。せめて旅人たちの無事をと、それぞれが崇める神に祈りを奉げた。
一方その頃南に旅立った一団があった。ドレークとその部下たちである。ドレーク直属の部下の一部は、ものの数日でザンジバルやボスポラスの部下へ仕事を引き継いで監視、世話役としてドレークへと着いていくことになった。これはドレークのために人を多く裂くわけにもいかなかったから、渡りに船の申し出だった。
脱走を手伝わないかと心配もあったが、全員が契約神の名のもとに契約を結ぶことで監視の役目を全うすることを誓った。神の力に関わる契約は非常に強力で、その制約を意図して破ることはできない。物理的、心理的にあらゆる事象が契約を遂行するために妨害する。意図して破れば冥神の下へと往けず、死後の安寧が得られないと信じられている。
馬車の中でドレークはその人物にぼそりと話しかけた。あまりに暇だったこと、そして自分に着いて来ることを決めた者の心の内を少しだけ知りたかった。
「お前まで来る必要はなかっただろう。ラキオ。」
「ええ、まあ。」
「お前は確か、マグで良い地位を持っていた家の次男坊だったろう。何で俺についてきたんだ。」
「ええ、まあ。」
「わからんな。何でお前は俺についてきたんだ。まだ若いのに、あと十年か、二十年か、あるいはもっと、何もない町で罪人の世話なんて。」
「ええ、まあ。」
ラキオの表情は何も変わらず、ドレークもまたこの男の心の内を解らなかった。ラキオは非常に勤勉で、パキラ家に奉公してから十年近くもかけて今のバティンポリスにおける絶対の情報網を築いた男だ。ザンジバル達やその部下とも関係は良好だったから、人間関係が嫌で出たというわけでもないだろう。給金も相当な額になっていたはずだ。そのような状況で築いたものを僅か数日で捨てることはどうにも愚かに思えた。
ラキオは静かに座り、特別何かをすることはない。不気味なほど静かで薄い笑みが不気味に思えた。
「なあ。今ここには俺らだけだ。御者はこっちは聞いてねえだろ。」
「…ええ、まあ。」
「そればっかりか、お前は。」
「ええ。他にありませんから。ドレーク様、俺はやりたいことがあるんですよ。」
「やりたいこと?いいじゃねえか、聞かせろよ。」
ラキオは表情は変わらなかったが、ぽつりぽつりと語り始めた。
「まあ…実は、今クロムという探索者を知りたいんですよ。
彼の姿はまるでお伽話の黒鉄の一族みたいじゃないですか。しかも神殿につながりがあるみたいで、彼本人も物凄く腕が立つ。ぶっきらぼうなのに素直で正直に物を言うから、すぐ信用できると思えました。容姿も実力も、境遇……人格や思想はともかくとして、外見について彼は人を惹き付ける神秘性、というべきでしょうか、それを持っている。なのに、彼の情報は殆ど入ってこなかったんですよ。」
「…まあ、そうかもしれん。俺も実力を知ってこいつだと思ったくらいだ。」
「どんな貴族でも、根気よく調べればある程度の情報が入ってくる。探索者なんて人目を気にせず活動するから、もっと簡単です。手札は見れなくても、何か隠しているかどうかくらいはわかります。」
「…まあ、そうだな。」
「全くわからなかったんですよ。
聞こえたことはオセ迷宮で活躍したこと、それに強力な魔獣を討伐したこと。それだけなんです。それ以前の事も、クロムという男の人物像も、過去も、経歴も。まったくわからなかったんです。」
「…お、おう。」
「先日、やっとシャデアの探索者協会から情報が入ってきたんですよ。
彼は元三級探索者で前衛を務めていた試験管をさらりと倒していたんです。その後はすぐにオセ迷宮三十層を超えて、二級探索者パーティ〈深淵の愚者〉を教導役にしていました。
無名だった男がたった一人でそこまでできるなど、信じられないじゃないですか。」
「…あいつならそれくらいできそうだが。」
「それなら、それ以前は何をしていたのか?彼がどこで生まれたのか、神殿騎士グラムと彼はどのようなつながりがあったのか。気になりませんか。」
「俺はそこまでは。」
「ハァ。まあ、そうでしょうね。でも私は気になって気になって夜も半分くらいしか眠れません。」
「寝れてるじゃねえか…いや、寝れてないのか?」
「まあ。でも昼は仕事で忙しかったですから、個人的な興味を封印していたんです。でもミンレイに行けば、貴方を屋敷に閉じ込めてさえおけば、給金は貰えるし何よりも何やってもいいんですよね?」
「…理屈の上ではそうだが。」
「ドレーク様、屋敷でおとなしくしておいてくださいね。
ふふ、私はバティンポリス情報網以上の情報網を作ってクロムの事を知るんです。」
「偏執者だ…。」
ドレークたちを乗せた馬車は轍を進む。こんな奴に目を付けられたクロムは災難だなと思いながら、これからの未来をどう償いながら生きるかを考え始めた。