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神の盤上と彷徨者  作者: 咸深
小休止・静穏な時間
116/145

ex-5.

 随分と久しぶりによく寝た。そう思いながら座敷牢で静かに目を覚ましたドレークはぼんやりと過去の事を思い出していた。

 二十五年前、まだ若いドレークはまだ小さかったバティンポリスの領主補佐として現帝国の併合活動に参加していた。現在は地域と呼ばれているが、大小合わせて四十幾つの国があった。

まだ皇帝でなかったアンドレアスと、その脇を固める老若男女の側近たち。彼らの指示を受けながら、西部を巡って大領主候補であったシュフラットの勢力と鎬を削った過去。ドレークが優勢だったところに突如当時のマーレイア家当主が武力に訴え、その戦いでドレークの兄に側近、部下まで大勢が死んだ。いよいよもうだめかと諦めた時、逃げ伸びたアンドレアスの部下たちが援軍を引き連れて戻ったから返り討ちにできた。その後西部を抑えたパキラ家はバティンポリスとその周辺を治めることになった。

 そんなことがあったから、現党首であるシュフラットとは確執ができていた。帝国ができてからは都市が発展するごとにシュフラットは関わってきた。シラー帝国は闇の神を奉るのだから、パキラ家はマーレイア家を赦さねばならない。父が臥せ領主となってからしばらくは良好とまではいかないまでも、大きな対立は無く過ごした。

 マーレイア家に憎悪が無いと言えば噓になるが、いざ領主の立場となったとき、シュフラットが先代を牢へと叩き込んだことでマーレイア家の過去の事として認めることとなった。事実ドレークもその知らせを聞いた時に留飲を下したことも確かだ。ただし若かりしシュフラットとは何度も意見を交わしたが結局反りが合うことはなかった。

帝国が成立してからはバティンポリスに活気を与えるべく宣伝し、探索者を誘致した。その甲斐あってバティン迷宮の攻略が盛んになり始めた。外からの人は増えて、元々あった産業は活性化した。

 風向きが変わったのは努力が実を結びバティンポリスが発展し始め、そしてザンジバルが生まれた頃、神々に奉じるべく神殿へと入ったアゼルが修行を終えてバティンポリスの神殿に戻ってきた。同時にシュフラットは知らぬ間に自身の勢力を広げ、四割近い権力者から支持を集めていた。

 決して無碍にはできない勢力の形成に驚きつつも、あの手この手で力を付けさせすぎないように腐心した。結果として成功したが、一層彼らの結束が強くなったことは確かだ。

 やがて穏やかに時が過ぎてザンジバルが生まれ、そして更に時が経ってからランカが生まれた。妻だったミリーはランカを産んだ後、肥立ちが悪く命を落とした。

 そう、この頃は都市にも子供たちにも愛を注いでいたはずだ。煩わしいなど思わなかった。ランカが成長し、サーラ神の使徒とわかり、そしてクロムを護衛に任命とした海神祭が始まるまでは確かに愛していた。

 冷静になった今、狂ったのはその直後、金色の猿型の魔獣が現れたときのことだ。

 都市から追い出すべく先陣を切り、魔獣に簡単に吹っ飛ばされた。その後運良く意識があり、魔獣を優先するように指示を飛ばせたために何とか都市への被害を減らせたようだった。

そして男たちに囲まれた。

 助けが来たのだと最初は思った。だが一様に顔に見覚えが無く、目付きはどこかおかしい。動けないまま不審に思った時、覆面の男が前へと出てきた。


「…この男がこの都市の領主だ。治療しろ。」


 幸いにして治療は適切であったようだが、覆面の男が何か魔術を使ったことを最後にドレークの記憶は途切れた。それから急に家族や都市が悍ましいものに思えてしまった。冷静さを取り戻した今だからこそ言えるが、この覆面の男がドレークの気がおかしくなった原因だと断言できる。かつてマーレイア家に抱いた以上の憎悪を隠そうとしたが、ランカの勘が良いせいですぐに襤褸が出かけた。

 隠し通せるものではないと自覚してすぐ、ドレークは姿を晦ました。生憎雪に閉ざされた後で都市の外へと出ることは容易でない。凍死者を出さないように巡回する兵に加えて、〈盤割の鎚〉を警戒する探索者や兵が増えたのだ。だから彼らの目を誤魔化すべく食料を買い込んでバティン迷宮へと潜った。〈隠匿の耳飾り〉と魔獣除けの魔道具のおかげで、迷宮でも何事もなく過ごせた。憎悪を思い出したら、魔獣という発散相手がいることも幸いした。

 そろそろ春だという頃、突然探索者が増えた。まさか追ってきたのかと驚いた。探索者でもない人間は普通迷宮に入ることはない。迷宮を探すことを教えたのは探索者だと確信した。息子たちが上手くやっているようで満足するとともに、そこは自分の場所だったのにと憎悪を覚えてしまい、最早ここは自分の居場所では無いと悟った。

 バティン迷宮から出て去ろうとしたとき、運悪く警邏に捕まった。神殿兵だったようで、ドレークは神殿へと連れていかれた。後の事はどうにも覚えていないが、自分は最低なことをランカへと言ったことだけは記憶に残っていた。

 目が覚めてからは長い過去を思い出し、今へと戻って自己嫌悪する日々だ。何処で間違ったか。何処で失敗したか。職責を放棄し、都市だけでなく子らまで見捨てようとした責は今から償うにしてもあまりに重い。

 喉元に手を持っていき、強く締めてからすぐに放す。咳き込みながらなんとか息を吸う。自責の念に駆られて自害するのは簡単だが、償いがされていない。


(…俺は。償ってから人前で処刑されるべきだ。それまでは生きないといけない。)


 蝋燭が一つ点くだけの薄暗い牢の中でその時をじっと待っていた。正気を取り戻してからの時間は長かった。迷宮にいた時よりも時間の進みは遅く、果たして何日経ったのか、それともまだ一晩も経っていないのか。時間の感覚が薄れ、無心に嵐神キシニーへ祈り続けた。

 

 一日に一度、〈ヴィンター〉の魔術で換気がされ、ボスポラスの部下たちが最低限の食事と蝋燭、尿瓶を交換しに降りてくる。互いに話しかけることはなく、蝋燭を交換して去っていく姿を二十回ほど見送った。

 二十三回目のとき、ボスポラスが降りてきた。思わず目を見開いてボスポラスを見遣った。


「…父上。」

「……俺に父と呼ばれる資格はない。」

「貴方は〈疑心〉の魔術に掛かり、正気ではなかった。その間の罪はこの監禁生活で既に償われたのです。」

「新たな領主の裁きがまだだろう。」

「ええ。兄上は今センドラーから帰る途中だと遣いから聞いています。

 私が調書をまとめておきました。貴方は既に自由です。

 領主としての立場も、過去の柵も、そして罪もありません。立場は兄が、柵は私が引き受けますから、ランカに謝って…」

「まだだ。領主の決定を待つ。」


 ボスポラスの表情は良く見えなかったが、彼が優しい表情をしていることは声音からわかった。ただしドレーク自身はそれが許せない。ボスポラスの言葉を遮って、少し狭い煎餅布団に横たわった。


「…強情ですね。」

「それだけのことを俺はした。罪は償うべきで、償われたかはお前ひとりで決めることではない。」

「その通り。ですがこれは他の…ランカ、シュフラット様、バッカラ様をはじめとした有権者が言い出したことなのです。貴方は既に許されている。闇の神ニタスタージが微笑んでいるのです。」

「俺の事は俺が許していない。俺は誰に頼まれようと事件以前の生活はしない。」

「……。」


 ドレークの意思は固い。そのことを確認してから、ボスポラスは諦めたように首を振り地下を後にした。風が無いはずの地下で煌々と燃える蝋燭は座敷牢の奥まで照らし、壁に映る影は大きく揺れていた。やがて眼を閉じてボスポラスの言葉を反芻した。しかしどうしても自信を赦すことができない。


(…これでいい。これでいいんだ。)

 

 更に二日が経ったとき、ついに地下牢からドレークは出された。湯浴みをさせられ、髭と髪を整えられて応接間へと連れられた。連れ出された理由はザンジバルが戻ってきたからだろうが、なぜ応接間かはわからなかった。


「失礼します。…先代領主様を連れてまいりました。」

「入れ。」


 久しぶりに聞くザンジバルの声はいつの間にか命令するものとしての声音に変わっていた。息子が成長したと喜ぶべきなのか、慣れぬうちに立場を押し付けたことを悔いるべきなのかわからなかった。

 応接間へ入ると、七人の人間がいた。

 ザンジバル、ボスポラス。シュフラット、ラッツ、バッカラとその付き人の騎士。そして見覚えのない男だ。ランカがいないことに少しだけ安堵した。

線が細く気弱な印象を受けるが、その男を見た時ぞわりと背筋に寒気が走った。体外魔力が大きく違う者同士が近付くと、時折そういった悪寒が走ることがある。ドレークは今随分と体力を落としているから、余計にそう感じたのかもしれない。


(…得体のしれない男だ。誰だ?)


「…親父。久しぶりだな。」

「バティンポリス伯爵におかれましては壮健そうでなによりです。」

「……そうかしこまられる必要はない。

 帰ってから顛末を聞いた。ある探索者の尽力のおかげで、〈疑心〉による狂気は祓われた。それ以来、自省の様子が見えると報告を聞いている。

 しかしボスポラスの報告では貴方は死を望んでいると聞く。違いないか?」

「はい私は海神の使徒ランカに対して決して許されぬことを言いました。

 何も告げず責を放棄したことも、アンドレアス王に背くことになります。」

「アンドレアス王は貴方のことを心配していた。若かりし頃の借りも十分返せぬまま病床に臥したドレーク・パキラにと、マルバス迷宮四層から手に入れた〈マルバス万能薬〉を預かっている。最期をせめて穏やかに過ごしていることを祈るとも。」

「……王が、そのようなことを。」


 部屋の誰もが静かに成り行きを見守っていた。シュフラットはいつも通りの無表情ではあったが眉間に皺が寄っていて、ドレークと目が合うと視線を外された。


「では、ザンジバル・パキラが此度の沙汰を言い渡す。

 ドレーク・パキラ元バティンポリス伯爵。貴方は反神殿勢力の悪意により心無いことを行ったものの、本心でないことはこれまでの働きと正気に戻ってからの自省によりわかっている。

よって付き人を付けるので都市ミンレイでよく養生し、余生を穏やかに過ごされるよう。」


 甘い判断だとドレークは思った。せめてバティンポリスから遠ざけることは正しい判断だが、しかし一昔前ならば首を斬られて終わる話であったのに、この判断を誰もが肯定した。

 思うことはある。ランカやボスポラス、アンドレアス等方々に謝罪する機会は失われた。

 否定して死を乞おうとしたが、これはアンドレアス王の言葉であると言われてしまい言葉をひっこめた。どう答えようと弱った頭を回そうとしたが、うまく思考ができなかった。


「明日にでもミンレイへの護送を行う。住居については既に用意してある。領主館よりも随分と狭いが…我慢してくれ。

 ドレーク・パキラ、この判決を受け入れよ。」

「……はい。」


 他に何か言おうとしたが言葉が出なかった。同意の言葉を告げてからはすぐに兵らが左右からドレークを立たせた。部屋を出る直前、ザンジバルが最後に言葉を発した。


「…親父。元気で。」

「ああ。」

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