ex-4
ディンは新たに研究室へと入ったロイ、ダリオと何とかうまく研究を進めていた。ロイもダリオも気性が穏やかでディンとは適度な距離感を保って接してくれていた。ディンとしても非常にやりやすい相手が残ってくれたと胸をなでおろしていた。
そんなある日、タイデンから客が来ていると連絡があり学生たちを残して接客室へと向かった。そこには如何にも貴族というな衣服を着た厳つい表情の男がいた。少し髪や衣服を崩せば海賊のようである。一瞬怯んだものの、男はディンを見るとディンの態度には気にせずに一礼をし、意外にも丁寧に話を始めた。
「お初にお目にかかります。私は此度バティンポリスの領主として就任した、ザンジバル・パキラと申す者。ディン教授の事は探索者クロムと、その仲間であるリュドミラから話は聞いています。」
「ぱ、パキラ。ああ、その、ご、ご丁寧にどうも。と、ところで、クロムにリュドミラと言いましたか?彼らは会えたのですか?」
「詳しい話は存じないが、私がバティンポリスを出立するいくらか前には既に一緒に迷宮に潜っていたはずです。」
「ああ、そうでしたか、それは良かった。ありがとうございます。」
「いえ。
ときに、クロムから魔術の事であればセンドラー魔導学院のディン教授を頼るといいと聞いています。協力願えませんか。」
「ま、魔術?わ、態々、ここまで…ここまで来るほどとは、何かあったのですか?」
普段ディンは魔術の事になると活舌が急に良くなる。それを自覚こそしているが、相手が貴族というだけで幾らか言葉が喉に痞えてしまう。
「はい。二つほど知りたいのです。
一つは、〈召喚〉という魔術。
もう一つは、〈疑心〉という魔術です。」
「〈召喚〉に〈疑心〉?非常に珍しい魔術ですね。それが二つも。何か事件が?」
「…バティンポリス領主として詳細は伏せさせて頂く。ただ、協力いただけるなら話せる範囲はすべて開示しましょう。」
〈召喚〉も〈疑心〉も、どちらも極珍しい魔術であるから使い手は相当限られる。どちらも使える者など山野にごろごろしているはずがない。ディンはそれら魔術のごく小規模なものならば発動できたが、大規模なものは発動させたことが無い。危険すぎるし、何より未知であるために迂闊に使うことはできないのだ。この機を逃せば、もう詳しく知れる機会はないのではないかと思いもしたから、ほとんど二つ返事で協力を申し出た。
「まず、〈召喚〉については冬至の頃、バティンポリスに突如巨大な猿型の魔獣が召喚されました。
探索者や幣家の有識者が言うには、どうやら人間を生贄にして召喚したのではないかと言われました。」
「…どれほどの魔獣でしたか。特徴は。」
「金の体毛に大人の男二人分に届くような体高。巨大な拳は屈強な探索者も耐えられず、魔獣と正面で向かい合っていない者は魔獣に傷すらつけることができませんでした。また恐るべき回復力を持っていて、一人倒すと急速に傷が癒えました。」
「えっ。」
「後で話の整合を取ったところ、魔獣が標的にしていない者の攻撃は一切が通用しなかったようです。そのせいで探索者たちに随分と被害が出てしまった。」
「…それほどの魔獣が。いったいどうやって倒したのですか。」
「探索者クロムが自力で勝り打ち倒したのです。魔獣の最期はクロムに怯えるように逃げようとして、そこを両断されたと聞いています。
クロムは曖昧にしか覚えておらず、他の者たちもあまり見ていなかったようで、話に尾鰭が着いていまして。…巷では海神の使徒の祝福を与えられた探索者が倒したなどと言われていました。」
「ああ、バティンポリスは確かサーラ神の信仰が厚いところでしたね。」
「ええ。それだけで済んでいたのなら、ここまで来るような問題ではない。
問題はその魔術のために、我が領民が犠牲になったとされているからです。」
強く拳が握られる音がした。ザンジバルの顔は恐ろしいものに変わっており、息を飲んだ。怖いと思うと同時にこの男は領民を大切に思い、筋を通す貴族だとも思った。
「…魔獣の強さが想像つきませんが、それほどの被害を出したとなれば相当に強力な魔獣でしょう。
檻に入れた鼠を〈召喚〉で手元に呼び出す小規模な魔術で実験をした経験から言いますと、人一人分の持つ幾らかのマナだけでは足りません。ぼくでも随分と手こずりました。同時に贄を用意すると、急激に難易度は下がりました。贄の大きさや質で〈召喚〉の難易度は変わりました。」
「に、贄はどうなりましたか。」
「消えました。魔術の発動と同時に消え、鼠が召喚されました。」
ザンジバルはやはりと呟いて瞑目した。何か苦しみに耐えているような、そんな雰囲気を感じたディンはザンジバルが再び目を開けるまで待ってから続きを話す。
「バティンポリスに現れた魔獣が、ぼくの知っている結果と比例するとして、単純にそれほど大きな魔獣を召喚するとなると、少なくとも二人か、三人は必要でしょう。それから…人間に質というものがあるなら、使用された贄は…相当に上質でしょう。」
「そう、ですか。やはり。」
ディンとしては贄の正体が気になって仕方がなかったが、恐らく最初に言っていた開示されない情報だろうと当たりを付けた。恐らく人を使って少し調べてればすぐにわかるような者が犠牲になっているのかもしれない。
「……すみません、続きを。」
「え、あ、はい。ええと…〈召喚〉は術士が見た魔獣や物体しか転移させることはできません。また架空の存在や、神々、それから迷宮の魔獣も呼び寄せることはできません。
なので…そのバティンポリスに現れた魔獣は地上のどこかにいた魔獣ということになります。魔獣を見て、つまりは逃げ切ったということでしょうが…居場所を把握していたということは人を使い潰したか、もしかしたら使役していたのか。あとは…。」
「あれを、使役?」
「ええ。可能性の話ではありますが。魔獣の検分はできないでしょうから。」
ディンも使役していたという可能性は低いように思っていた。使い手が限られる難易度の高い魔術と、〈カシブルテロの鞭〉という特別な迷宮品が必要なのだ。獣と狩猟の神カシブルテロの名を冠したその鞭はセンドラー魔導学院に寄贈された一つしか確認されていないもので、現在は神殿の下で神具の一つとして管理されているはずだ。
「そう、ですか。わかりました。
次に〈疑心〉についてですが、これをご覧ください。」
そう言ってザンジバルが取り出したものは側面に紋様の彫られたやや大きめの指輪だった。材質は良くない物が使われているようで、かつ結構大きな傷がついているために工芸品としての価値は殆ど無いだろう。
「これは?」
「内密にしていただきたいのですが、これは昨年頃からバティンポリスで流通していた魔道具です。…〈疑心〉の効果があるようでした。」
「えっ?」
ディンは再び指輪を見る。ディンの記憶にはなかったが、欠けた部分を埋めるように線を創造してみれば、傷がつけられたあたりに魔法陣らしいものが確かに見られた。欠いたのは実際に魔術が発動しないようにだろう。
〈疑心〉に紋様があったなど知らなかったから、慌ててその魔法陣を書き取った。後で魔導協会に問い合わせようと思いながら、発覚の経緯を訪ねた。
「幣家の学者たちが実験を行い解き明かしました。幸か不幸か幾人もが暴れた大きな事件が起こりましたから、検体は幾人もいました。
仮説ができた時に学者の一人があたりを付けて、実際に指輪を装着して試しました。すると……恐ろしいことに領主や神殿、使徒に少しだけ不信感を覚えた、と言いまして。」
「…恐ろしい。もしそれが出回っていたら。」
「ええ。出回るほど体制が崩壊します。今回は致命的なところに行かないうちに止められましたが、これから他の都市にも注意を呼びかけなければなりません。
もし〈疑心〉にかかったとしても、それでも我々は彼らを守らなければなりませんから、嫌な板挟みですな。」
「成程。」
今自分は大変な話を聞かされていると思った。ディンは政治に興味が無いし、学院からの依頼を通してでも関わるつもりはなかった。しかし今、魔術によって秩序が壊れはじめていると実感し始めた。魔術の研究者としてこの暴挙を見過ごすことはできない。
だが何をすればいいのかと内心で首を傾げたところで、ザンジバルはいよいよ本題を切り出した。
「…〈疑心〉に解き方はありますか。」
「解き方…は、無いわけではないです。
まず、高位の迷宮品の効果で解ける場合があります。呪いとか魔術を打ち消すような効果ですね。」
「そうですか。ほかには。」
「弱い魔術であれば〈混濁〉などの認識を捻じ曲げるような魔術を掛けた後で〈勇気〉を使うことで強引に解除できます。強力なものだと…それでも難しいようですが、一部の迷宮品に魔術を解除するようなものがあります。それを使うといいでしょう。」
「おおっ。それは、誰にでもできますか?」
「〈勇気〉は練習すれば多くの人ができるでしょう。ただ、〈混濁〉は人の気質や素質によるところが大きいので、習得するには難しいです。人によっては生涯出来ない者もいるでしょう。」
「成程。その魔術を使える者を紹介いただけますか?」
「ぼくが使えます。
…その、だ、大事な人が〈疑心〉に罹っているということで、その。すぐに行ければと。そそ、その、ちょ、調査とかもしたいです。」
勇気を振り絞って言葉を発する。ザンジバルの不安そうな瞳が急に輝きだして、ザンジバルは立ち上がって頭を深く下げた。声は震えていて、泣いていたのかもしれない。
「あ、ありがとう。ありがとうございます。」
「そ、その、申し訳ないんですけど、そ、送迎とか、お願いできますか。行きと、帰りと。」
「勿論です。何と心強い。」
涙ぐみ充血した力の籠った眼でディンを見つめるザンジバルに少し怯えながらも、ディンは心の中では達成感でいっぱいだった。知見の少ない魔術が、それも強力そうなものがより詳しく研究できる。その上で人助けができる。論文には残せなくても知識欲は満たせる一挙両得の状況に、以前の自分なら思っても行動に移せなかっただろう。それができただけで大きな成長を感じていた。貴族特有のその気はないがとりあえず言っておくという七面倒な社交辞令ではないようだし、学徒たちにも経験を積ませる口実になる。ディンは自身の行動に確信を覚えていた。
「ディン教授、本当にありがとう。」
「い、いえ。いつ発ちますか?」
「正直、交渉にはもっと難儀するものと思っていましたから、余裕を持って交渉に十日割いていました。しかしここで協力を得られたならば、教授さえよければ明後日にでも発ちたいところです。」
「あ、明後日。わ、わかりました。その、研究室の学徒たちをですね、その、連れて行ってもいいですか?」
「え?ええ、勿論。守秘義務は守っていただきますが、守っていただけるならば構いませんよ。」
ロイもダリオも真面目で律儀な者たちだ。彼らを連れていくのに支障はないだろう。ザンジバルが帰った後に尋ねてみれば二人とも承諾し、その明後日にはバティンポリスへと旅立った。
(…クロムさん。貴方と肩を並べられるように、ぼくも少しは頑張っているんですよ。)
なおバティン迷宮最深層から手に入った〈サーラの護符〉の効果によって、被験体もといドレークに掛かっていた〈疑心〉が既に解けていたと知って安堵しながらも肩を落とすのはこの十二日後の事である。