神々の困惑
森林神デトロダシキは東大陸南部をひたすら歩き回り、酒場で人に話を聞き、時に乞食のふりをして神殿に潜り込んだりしているうちにようやく情報を集めきった。
「そ、う、いう、ことかァ!クソ、古きものどもめ!」
人間の暦で一冬かけて集めた情報に、デトロダシキは怒りで頭がどうにかなりそうだった。信仰を集めているのは自分ではない。それはまだいい。問題は自分たちでないことだった。つまりは、自分たちがこの世界に来た時に討伐した魔獣もとい人間の呼び方で古神が信仰対象だったのである。
曰く夜叉は深い森の奥に住まう白く輝く蜈蚣だとか。星宿は物陰に住まう梟で、大黒は天を突くほどの巨大な猿、日天はバエル火山の噴火によって生まれた焔の蝶だという。
他の神々の呼び名も調べてみたが、どれもイリアオース、ニタスタージをはじめ神々の名前が広まる前からいた古きものども、本来この世の支配者と位置付けられていたものどもを奉る際に宛てられた呼び名である。
(…クソッ!イリアに早いところ報告して…報告してどうなる?
古きものどもは俺たちが殺した。もういないかのだから、脅威ではない。
マニアの集計では、その名すら同一視される者の信仰として集められている。ゲームにも支障はない。
だがそのまま信仰がないまぜになり続けたら…?)
神々は膨大なマナを蓄えたために力と長命を持つから、信仰は本来不要である。現に生命神ズイや腐敗の神コルプサーノは信仰を得ることなど放り捨てて自身の研究に没頭している。
では何のために信仰が必要かと言えば、この長い年月を使ったゲームだけではない。神の力をより強く振るうには信仰が要る。それは本当に極わずかに強まる程度ではあるが、無視はできないものだ。力を振るう先は人間でも、ただの魔獣でもない。神々に対して力を振るうために信仰が要るのだ。自己を顕示し続け、おそれられ、脅かされぬようにするには。
(もし、どこかで魔獣が復活したらやばいなあ。そっちに信仰が戻るかもしれねえ。
今優位なのは…拮抗はしているが、イリアのはずだ。だがもし、東大陸で人間が多く集まる南部から信仰が消えたら。東大陸に基盤を置いているイリアの足元は崩壊する。)
(…西大陸。やはりあそこだ。すぐに進言しよう。)
(だがこんなことなら、ラコンが掴んでいても……いや、あいつは所詮噂の神。誰かが頻繁に話し、噂にならなければ、あいつは知ることはできないはずだ。
誰がやったかは知らないが、よくもまあここまで隠せたものだ。危なかった。)
(…しかし古きもの。あいつらは本当に強かったな。今でもまだ覚えている。また戦ってみたいものだが。)
数日して、イリアオースに事の経緯を説明した。イリアオースは書き物の手を止めてその報告を聞いた。しばらく目元を覆って考えていたが、筆をおいて立ち上がり、デトロダシキを睨んだ。
「今更古きものだと?今更死体が喋るのか?」
「……。」
「いいか、死体は話さない。父上も母上も、死体となってからはついぞ話をしなかったぞ、デトロダシキ。
我々が今更亡霊に怯えるのか?
死体が信仰を得たら生き返るなら、父上は何度死んだことになる?
古きものの呼び名が我々に着いたら、何の不都合がある。」
「…もし古きものの呼び名だとマニアに知られたら、不都合が出るんじゃないか。」
「デトロダシキ。お前の話だとあいつらと私たちは同一視されている。なら、それは私たちだ。
いいか、あと二百年だ。その後の世は私の天下だ。ここで躓くわけにはいかないが、ここで後ろを向くわけにはいかない。
…それと、マニアは自分で何かを調べるような性格じゃない。」
「…そうかよ。だが、そこまで権力に執着あったか?」
「父の後を継ぐと決めたからだ。偉大な者の立場を継ぐには、能力が無ければならん。違うか。」
「さあてな。俺は忠告はしたぞ。」
「そうだな。お前の使徒が先走ったから、私はあいつらを自陣営に入れることになった。
…味方に引き入れられてよかったともいうがな。」
デトロダシキは怪訝な顔をして、つい問い返した。
「一体だれを。」
「コルプサーノ、ズイ、そしてスタグスフィーノ。独立を貫いてきた彼らだが、私はついに彼らの協力を取り付けたぞ。」
―――
ニタスタージが住処の書庫で探し物をしているとき、小さな音も立てず侵入した者がいた。
「…ラコンか。今日はどうしたんだい。」
「旦那、まずい。まさかイリアオースがあんなことをするとは思わなんだ。」
ラコンティンフィオは普段は態度も言葉遣いもふざけた男だが、まじめな話をする時は語尾が伸びない。ここ数百年はそんな態度を見ていなかったから、思わず驚いてラコンティンフィオを見た。
「何が拙い?」
「イリアオースがズイとスタグスフィーノとコルプサーノを口説き落とした。」
「なんだ。あいつの男遊び遍歴か?あいつはそういうこととは無縁だから、少し心配していたが…まさかあの偏屈な狂人たちに興味があったとは……」
「いや、このゲームで味方につけたってェ意味でさぁ。」
まじめな態度は終わりだと言わんばかりにぐにゃりと姿勢と語尾が崩れ、飴を口へと放り込んだ。しかしラコンティンフィオがもたらした情報はニタスタージも持っていない情報だった。
思考を巡らせたが、ズイ、スタグスフィーノ、コルプサーノの共通点は気質が求道者というところだ。神としての矜持を強く持ち、自身の研究や理想にしか興味を示さない。そんな彼らを同時に動かすような条件など無いと思っていた。
「ズイには無垢の信仰を対価に〈生命の樹〉の知識をスタグスフィーノに与えてまさあ。
コルプサーノにはまだ人間に知られていない迷宮という実験場。
スタグスフィーノにはズイからの〈生命の樹〉の知識で、それぞれ懐柔したみたいで。
三人とも使徒を立てるのは自由、残る二百年こっちに与しないという協定を結んだんで、こちらに着かせないための策みたいなようでさあ。」
「なんだと。神として動かぬ彼らの、個の好奇心をくすぐって動かしたということか。」
「まあ、そんなところでしょうかねぇ。」
「秩序を無くすようなことをして何が秩序神だ。」
「秩序死んだって?」
「チッ、五月蠅いな。黙れよ。」
「おお、怖い。退散退散、機嫌が直った頃にまた来まさあ。」
来た時と同じようにラコンティンフィオの姿がふっと消えた。ニタスタージはしばらく虚空を睨んでいたが、長い息を吐くと冷静さを取り戻して思考を始めた。
(…こちらがここで出す使徒は、俺、サーラ、ポレミス。ゲオリエッダとキシニーは休みで、ラコンはあくまでも傍観者だ。
対してイリア側はイリアと、エノ。シバメスタからはデトロの使徒は死んだと聞いたから、その二人だけだ。
関せずに見物している神は多くて殆どは静観だ。だがここでフィーノ、ズイ、コルプスの誰かが使徒を立てたら、数の上では互角になってしまうか?
いや、今更勝ち馬に乗ろうとイリアに与する奴も出てくるかもしれないが、今更出てくるような奴などイリアが嫌う奴らだ。そういう奴らは武闘派の神ではないし、どうせ大したことなどできない。何なら断られるだろうな。)
(…今代の使徒。先代の使徒の子孫。そして過去の使徒の子孫が二人。今代の使徒が三人の手綱を握ってくれているが、子孫たちはどいつも無茶をするからすぐに死にそうなんだよな。しかし最後の百年のためにできるだけ生かしておきたい。)
(儘ならないな。)
(イリアの英雄好きからすれば、サーラの使徒を護衛していたとかいう人間に目を付けそうなものだが、あれを倒すにはこちらも無傷じゃ済まない。サーラの使徒があの人間を抑えてくれていればよかったが、もう使徒の下を去ったんだったな。)
(まあいい。イリアよ、切り札を手に入れ、あるいは隠し持っているのはお互いにそうだ。
だが、父の背しか追うことのできないお前が俺に勝てると思うな。)
(…俺は父上のようにはならない。)