101.
領主館へと着くころには、広場で何やら騒ぎがあり、それが領主館へと向かってきていると情報を得ていたボスポラスが何やら慌しく部下に指示を飛ばしていた。
「…ああ、クロムさん、すみませんが今こちらは忙しくて。
…クロムさん、背中の方は?すみませんが逢引きとか連れ込みとか時化込みなんかは他所でやってくれませんかね。」
「なんだそれは。
こいつは俺の仲間で、リュドミラという。魔術の使いすぎで倒れたんで、少しの間休ませてやってほしい。」
急な忙しさの煽りで何か誤解をしていたボスポラスも、クロムの弁明で合点がいったらしく、咳払いと謝罪で取り繕って近くにいた遣いに部屋を用意するように伝えた。遣いが離れてすぐにボスポラスも去ろうとしたが、数歩歩いたところで振り返ってクロムに尋ねた。
「そうだ。今街中で起きている騒ぎのことを知りませんか?」
「すまん。俺が原因だ。」
靴を鳴らしながら踵を返し、クロムの肩を掴んだ。表情は少し驚きと焦りが見えていた。
「一体何を…まさか、また〈盤割の鎚〉が!?それとも魔獣ですか!」
「バティン迷宮を踏破したからだな。」
「ああ、違うのです…ね……え?ハア!?」
普段は冷静で表情の変化はそう多くない男だが、いよいよその仮面がはがれて驚愕に目を見開いた。少しの間何かを言おうとして口をもごもごと動かしていたが、漸く出てきた言葉はやはり困惑だった。まだ頭の中で整理がついていないようだ。
「…えぇ…?あの迷宮を、踏破?いや、クロムさんならあるいはと思いましたが…こんなに早く?」
「三十層が最下層になっていた。踏破までは、もう目と鼻の先だったというわけだな。」
「何と…。では、クロムさんと、お二人で?」
「ああ。そこで、主はこれに書き変わった。」
クロムはバティン迷宮の主が書き変わった護符をボスポラスへと渡した。ボスポラスは護符型の迷宮品を見て、まさかと声を漏らした。〈サーラの護符〉だと期待したのかもしれない。これを鑑定していいかと許可を取り、クロムも正体が気になっていたから頷いた。
「…〈鑑定〉。
……鑑定が通らない。」
「なに?」
「迷宮の最奥層から出たというなら、私の〈鑑定〉が通らなくても不思議ではないのですよ。うちの目利きにも見せて良いでしょうか?」
「ああ。」
そのときリュドミラの部屋ができたと侍女が声をかけ、先にリュドミラを部屋へと運んだ。魔力切れと疲労でいつの間にか寝てしまっていたようだが、クロムから落ちぬようしっかりと手は組んでいて離すのには少し苦労した。
その後に目利きの男の下へと行き、護符に〈鑑定〉を掛けた。鑑定を弾かれてしまったと驚いた目利きの男は杖を構えて何やら唱えた後、再び〈鑑定〉を掛けた。
「…おお…おお!
品名は〈サーラの護符〉!
産出はバティン迷宮最奥層!
効果は〈標〉、〈海神の加護〉、〈矢避け〉、…そして〈艱難辛苦〉。」
「本当でしたか。」
「そうと言っている。」
「うーむ、疑ってすみません。それぞれどういう効果か、教えてください。」
「いやはや、これは素晴らしい。
〈標〉は身に着けている者を不意の災難から守る。
〈海神の加護〉は魔術補助、心理系魔術解除、そして十日に一度致命傷を負った時一度だけ傷を回復するというものです。
心理系魔術、という区分はわかりませんが…名の通りであれば、心に作用するような魔術でしょう。
〈矢避け〉は知られている通り、矢や飛び道具に当たらなくなるという効果です。
〈艱難辛苦〉は…持ち主に試練が降りかかり、試練を乗り越えた時に見合った対価を得る、というものですね。」
目利きの男は杖の構えを解いて興奮気味に語った。語るうちにあまりの興奮で顔が酷いことになっていたが、語り終えてからは少し冷静になり、もう一度と言って〈鑑定〉を掛け直していた。
「クロムさん…一応お聞きしたいのですが、〈サーラの護符〉をパキラ家に納めるつもりはありますか?」
「…迷っている。俺は使わないだろう。リュードに持たせておけば、リュード自身は安全になるかもしれない。俺でもそう思えるくらい、効果としては相当良いものである気はする。
だが、最後の効果は本当に良いものなのか?持っているだけで苦労する物だろう。」
「ええ。相当に良い品です。
しかし、大枚叩いても欲しいのですよ、バティン迷宮が踏破されたという何よりの証拠です。それに、ランカに持たせたい。
昔から、艱難辛苦は人を玉にするなどと言いますから。案外縁起がいいのかもしれませんし、多少苦労させたとしても…いざというときに身を守れる手段があるということは、ランカ自身の安全に繋がりますから。」
クロム自身はこの迷宮品に興味はあるが、有用性を感じていなかった。
特に〈海神の加護〉については、クロムには〈白輝蜈蚣の外套〉があり〈魔術無効〉の効果があり、〈依代〉による致命傷回避ができるからだ。何より既に〈災禍〉などという災難や難敵を呼び込む効果があるものに加えて、そのような危険の塊をそばに置きたくなかった。
無論、リュドミラが欲しいと言えば与えるつもりでいたから、ボスポラスからの申し出は一旦保留とした。
「わかりました。ですが、少しだけ借りられないでしょうか。」
「それはいいが、何に使うんだ?」
「この〈海神の加護〉というのは〈疑心〉には効くかなと思いまして。」
二人は地下の座敷牢へと潜った。ドレークは衰弱した様子はなかったが、髭が伸び目の下にも隈ができており、賊というに相応しいような姿になっていた。
ドレークに〈サーラの護符〉を持たせると、護符の紋様が輝いてドレークを照らした。光が収まった時、ドレークは力なく倒れて〈サーラの護符〉を落とした。
「大丈夫か?」
「父上?」
牢を開けてドレークに寄ると、どうやら寝ているだけのようだった。何か無いか医師も呼んで見せてみたが、ただ寝ているだけのようだ。起きるまではこのまま牢に入れておくことにした。
クロムはその日は溜まっていた疲れが押し寄せたかのように疲労を覚えて、泥のように眠った。
翌朝には、リュドミラは元気に起き上がって飯を食べていた。余程腹が減っていたのか、クロムが来た頃には既に一人前食べてお代わりまでしていた。
「流石伯爵家、ご飯が美味しいよ。特にこの魚の干物が絶品だ。」
「そ、そうか。寒気とかはもうないか?」
「うん。大丈夫。戦いの最後でさ、クロムが危ないと思ってとっさに〈雷〉を使ったんだけど、思ったよりも魔力を使っちゃって。多分、自分を守る分と攻撃する分かな。」
すると最後の閃光のような魔術は、リュドミラの〈雷〉の魔術だったのだ。もしあの魔術が無ければ、クロムは攻撃を加えた後に遠くへ弾かれていただろうし、リュドミラがいたために助かり、迷宮を踏破できたと言えよう。
「でもやっぱりクロムは凄いよ、あの魔獣倒しちゃったんでしょ?」
「最後の魔術はリュードがやったんだな。あれのおかげで魔獣は動かなくなって、俺が攻撃を何度も出せた。
とっさに眉間のあたりを割ったんだが、それから魔獣の足は動かなくなったんだ。
なんで動かなくなったのか、よくわからん、そのあとの目玉は再生していたしな。」
「烏賊を絞めるとき、目と目の間から少し上を叩くんだよ。そうすると簡単に締められるんだって、両市さんから聞いたよ。」
「いつの間に。」
「ここにきてすぐかな。烏賊を生で食ってみるかって言われて、目の前で絞めてもらったんだけど…私には無理でやめちゃった。」
「…まあ、生の肉は怖いからな。」
朝食を済ませた時、侍女から街の様子を少し聞いた。なんでもようやくめでたいことが起きて市民の多くが一晩中酔って騒いで、一部では激論を交わし、一部では喧嘩が起こり、酒造の者たちは酒屋にたたき起こされて酒を運ぶのに忙しいかったようだ。
なんでも海神の使徒の護衛が勇敢にも未踏破のバティン迷宮へと挑み、海神の使徒の加護を受けながら魔術と剣術を駆使して迷宮を踏破したのだなどという作り話が出回っていた。
「なんなんだそれは…。面倒だな。」
「クロムがやったことでしょう。ちゃんと説明しないから。」
「こうなるなんて俺は思っていなかったんだ。」
「逃げる?ここでいなくなったほうが神秘的じゃない?」
「…神秘的かはわからんが、そうだな。面倒ごとになる前に逃げるか。」
「駄目ですよ、お二人とも。こんな騒ぎを起こした責任、取っていただかないと。」