94.
バティン迷宮で修練を終えてから領主館に戻ると、ランカが青い顔をして駆け寄ってきた。手には二通の手紙を持っていた。
(…呼び出しとやらか。)
ランカは黙ってクロムへと手紙を渡した。一通目は破かれた封筒の表には流麗な字で「海神サーラの使徒ランカ・パキラ、およびその護衛クロム宛て」と書かれていた。二通目は同じ字で「バティンポリス領主ドレーク・パキラ伯爵宛て」と書かれていた。
「…新しい神殿長からの呼び出しが来たわ。バッカラという方みたい。
…二日後に着任挨拶をするから、なるべく出るようにって。」
「そうか。一応聞くが代理とか、欠席はできないんだな?」
「…もし来ることができなければそれでいいって書いてはあるけど、こっちがわざわざ願い出たんだから、迎え入れた神殿長の挨拶にすら出なかったら心象は最悪よ。
都合が悪ければ別日に個別に窺うとか書いてあるみたいなんだけど…多分、これは来なかったらどうなるか…っていう脅しかもしれないってお兄様たちも言っていたし。」
「そうなのか?」
「ええ。神殿って少し世間とずれているところがあるから、彼らからするとこれも失礼じゃないとは思っていると思うんだけど。」
「ふうん、だが、これが以前言っていた正式な呼び出しというやつか。」
「ええ。この場合は名指しだから、そこそこ強制力があるのよ。…中身は私には普通に見えるけど、代理人を立てられる場合の書き方じゃないみたいなこともお兄様たちが言ってたわ。」
「そうか。なら、行くしかないな。」
既にランカから呼び出しがあると聞いていただけに、クロムの決心は早かった。神殿と敵対するなら最初に考えていた通り敵対するだけだし、関係が改善するならばそれでいい為にどう転ぼうが関係ないと思っていたのだ。
ランカはクロムの言葉を少し意外そうにしていたが、決心がついていると知ってかランカも決心を付けたらしい。
「わかったわ。クロム、貴方が何もしていないことを信じるからね。」
「…ああ。」
翌日はバティン迷宮三十に挑むつもりだったのだが、リュドミラの準備ができなかった。聞けば、注文していた素材や金型が納入されず、二日は遅れるとのことだった。特にやることもなくなってしまったが、二十五層で〈集積爆竹〉に頼らない戦いを練習した。
そして、ランカが予言した日がやってきた。
ザンジバル、ボスポラス、ランカ、そして護衛としてクロムが最初に到着し、その後シュフラットを始めとした都市の有力者たちが一堂に会した。
全員がそろった時、ついに新たな神殿長が現れた。
(…あれが。)
白髪混じる頭髪は丁寧に後ろに撫でつけられた細面、健常そうなしゃんと伸びた体躯、そしてその体を隠す黒色の法衣。それがどのような意味を持つかはわからないが、身なりはアゼルと同じく神殿長を彷彿とさせる衣服だった。男のそばに控える鎧姿の男は、老いてこそいるがラッツ同様隙が無い立ち姿でいた。万が一敵が襲ってきても守れる、そのような自負があるかのように悠然としていた。
新しい神殿長はすぐにクロムから目を逸らして、聖堂の全体を見渡し直すと一つ咳払いをしてから話を始めた。
「…お集まりいただきありがとうございます。此度バティンポリス神殿に神殿長として就任致しました、バッカラと申します。皆様に置かれましては急なことにかかわらずお集まりいただき―――」
男は低い声音で話を始めた。カーン助祭が話しているときも思ったことだが、神殿に仕える者というのは聞き取りやすい声をしているようで、バッカラの話は聞いていて煩わしいとも思わず、むしろどことなく気分が良かった。
(…そういえば以前、ランカが神殿には昔の仕掛けが多くあるとか言っていた。案外、この聞こえの良さというのもその仕掛けとやらなのかもしれないな。)
クロムがどうでもいいことを考えているうちにバッカラは挨拶を終えて礼をした。周囲からは拍手が聞こえ、新たな神殿長を歓迎しているようだった。
「…ところで、現在バティンポリスでは長が不在であると聞いていました。」
その一言で周囲の空気が引き攣ったかのように拍手が止まった。それにも構わない様子でバッカラは次の言葉を口にした。
「昨日夜、私が新たに兵に都市内を巡回させることにしました。これは神殿の権威を示すわけではなく、現在不安定なバティンポリスを慮っての事でした。
…そこで、まさか現領主であるドレーク様を捕らえることになるとは思いもしませんでしたが。」
その次の瞬間、動揺と困惑が聖堂内を支配した。誰も何も言葉を発しない時間が生まれ、そしてその沈黙に耐え切れなかった誰かが言葉を発した。
「し、神殿長殿!戯れはそれまでにしてくだされ!」
「そ、そうです!病に臥せっている者を、そのような!」
バッカラの言葉を咀嚼し理解できた者たちから、口々に反論が飛んだ。それらを黙って受け流しながらバッカラは控えていた従者に合図を出した。
従者が連れてきたのは少し擦れた格好、しかしその服は上等な衣類だとわかるものを着た人物だった。少し髭が伸び、髪も乱れていたが紛れもなくドレーク・パキラだった。
「なっ…。」
「兵士たちの話では、彼は農業区で彼を捕らえたとのことでした。この時期に上等な衣服を持った者が荒れた姿をしているには不自然として声をかけたところ、ドレーク様だったということでした。
ドレーク様は神殿兵の声掛けに剣を抜いて抵抗し、一人を怪我させてしまいました。幸い命に別状はありませんでしたが…なぜこのような凶行をしてしまったのか…。」
どよめきが広がる。先ほどのように誰も大きな声を発しなかったが、彼らの関心はドレークが捕らえられたこと、そしてなぜ臥せっていたはずのドレークが、領主であるにもかかわらず神殿兵に反抗したかという点だ。
バッカラがあくまで穏やかに語る。ドレークは今も兵たちに抑えられていたが、身じろぎしたようで更に強く拘束された。
「…ボスポラス・パキラ様。もし何か知っていれば、教えていただけますか?」
「…わからない。確かに俺は一部の者には父上は失踪していると言った。それはバティンポリスが不安定な今余計な心配を広げまいと思ったからだ。…周りの反応を見るに、一部の者たちは黙っていてくれたことはわかる。
しかし、なぜ父上が失踪したか、その理由については俺を含めて誰一人として把握していない。だから、父上に聞かねばならない。
父上、話していただけますか。」
ドレークはザンジバルの問いに答えない。あくまで俯いて黙っているだけだ。
ザンジバルが語気を強めてドレークの言葉を促し、勢いで椅子から立ち上がる。しかしそれにも動じず、ドレークは動かなかった。
「彼から話していただけないなら、致し方ありません。
……シュフラット様。お願いしたものを持ってきていただけましたか。」
全員の視線がシュフラットに注がれる。いつも通りの無表情ではあったが、何かを言いたげな口元が震えるのをかみ殺しているようだった。背後にいた従者に、やはり無言で合図をすると従者は箱を大切そうに取り出した。従者はバッカラのいる演説台へと昇り恭しく箱を差し出した。
「マーレイア家の所有致します、〈ラコンティンフィオの業鏡〉でございます。
鏡面を相手へと向け、〈真実〉の呪文によってその真価を発揮いたします。」
「!」
マーレイア家が所有する神の名を冠した秘宝に、思わず誰もが箱を注視した。シュフラットは一層厳しい表情になりながら演説台へと視線を注いだ。
バッカラは手袋を付けると箱の中から美しい銀の装飾が施された鏡を取り上げた。
「…本来、私はこの鏡の前でまことを尽くすつもりで持ってきて頂きました。
まさかこのような使い方をせねばならないとは。」
バッカラは残念そうな表情を作ってから、鏡をドレークへと向けた。きらりと鏡面が輝いてドレークを照らした。秘匿されてきた迷宮品の神秘に、誰もが固唾を飲んで成り行きを見守っていた。ランカは少し俯いて先の言葉を待っている。
「ドレーク様、私の問いに此度の真実を詳らかにしてください。
なぜ、このようなことをしたのですか。
…〈真実〉。」