反抗
ターゲットは自転車を漕ぎながら坂道を下る。
勢いがついたまま、塞がれている踏み切りの前で止まろうとしてターゲットは顔色を変えた。
「ゲッ、ブレーキが動かねえ⁉」
壊れたブレーキにより、下り坂の力が加わった自転車は勢いを増して向かってくる電車に突撃をしようと迫ってゆく。
「さ、せ、るかよぉ!」
しかしターゲットはそんな中でも狼狽せず、一瞬焦りは見せたもののすぐに抑え込み、目を好戦的にきらめかせてぐいんと大きく体を傾けた。
ハンドルと同じ方向に体を、どころか車体ごと倒そうという勢いで傾ければタイヤはそちらの方へと向き、出過ぎたスピードによって曲がり切れず車体が宙に浮くも、
「よっしゃあ!」
その浮いた瞬間を利用して向きを完全に変えたターゲットは、踏み切り前にある芝生に自転車を滑り込ませ、車体が完全に倒れてしまう前に自転車から離れ無事に着地を決めていた。
そう、つまり、またもやターゲットの殺害に失敗したのである。
・
学園のカフェテリアで、僕はぐったりと机に体を預けて伏せていた。
「もういやだ……」
「サティ、また失敗したの?」
「そう……」
また、というキミーの言葉が胸にザクザクと刺さってくる。
しかしそれがまぎれもない事実だからどうしようもない。
「ボォクたちはどうにかターゲットの殺害終わったのにねぇ」
いつでものんびり気楽屋なフィーグは焼きたてのチョコレートパイをザクザクという音と共に食べつつそう言う。
「フィーグでさえ三日前にクリアしたってのに。サティ、本当に大丈夫なのかよ」
ターゲットの殺害に成功したルドナはピリピリしたのが抜け、こちらの心配が出来るくらいの余裕が戻って来たらしい。
ぶっきらぼうな口調だし、頬杖をついたままこちらを睨むような顔ではあるものの、その声色には心配がにじみ出ていた。
だが一方僕の方は、
「だめそ……」
てんで駄目だった。
「なんで? 何であのターゲットは怪我すらしてくれないの? いっその事ペナルティ覚悟で彼の家族も巻き込むレベルの殺意を仕掛けたのに何の役にも立たなかったんだけど?」
「何したの?」
「爆弾」
「わお」
キミーは目を丸くした。
「爆弾系って言ったら範囲が広いから諸刃の剣じゃないか。で、発動した?」
「ネズミがピンポイントで導火線部分を噛み千切った」
「かわいそぉう」
うひゃあ、とフィーグが眉を下げてチュロスを寄越す。
「ほぅら、美味しいチュロスだよぉ。サティもそれ食べて頑張ってねぇ。挫けないようにファイト!」
「挫けたぁい……」
僕の頭で考えつく限りの事を実行したのに、ターゲットはいまだ危機に気付く事も無く元気に健康に生きている。
最近ちょっとツイてないなとは思っているようだが、死因になりかねない程の精神的負荷なんかは抱いていないのが厄介だ。
いっそのことそこを気にしてナイーブな気分になってくれたならメンタル方面からどうにか殺意のアプローチが出来ただろうに。
「かといって本当に挫けたら大変な事じゃないか」
「そうなんだよね」
クッキーを齧りながらのルドナの言葉に、僕はため息を吐いて頷いた。
そう、もう僕には後が無い。
次に失敗すれば、ペナルティを受けるような事があれば、僕は死神でいられなくなってしまう。死神である、という権利すら失ってしまう。
「落第だけは回避しないと……」
自身の手の甲を指でなぞり、俯きながらそう呟く。
その時、むぎゅ、というキミーの声らしきものが聞こえたと思った直後、聞きたくもない声がした。
「いっそしちまった方が良いんじゃねーの?」
「ゲッ、ボリー⁉」
「ゲッ、って何だよおい。ああ?」
いつの間にかやって来てキミーの頭を肘置きにしているボリーにガラ悪く睨みつけられ、ひえ、と思わず身が委縮する。
ケラケラと楽しそうな時も恐ろしいが、機嫌が悪い声をしているのもまた恐ろしくて嫌になる。ボリーの場合、顔が整っているからまた威圧感が強いのだ。
「それで何だっけぇ? 落第のピンチなんだっけか。いや本当、まさかこの学園でマジに落第級のヤツが出るなんてなあ!」
ギャハハ! とボリーはツーブロに整えられた黒髪を撫でつけるようにしてゲラゲラ笑う。
「いやはやまさかだぜ、本当に。俺様が在学中に、そんな出来損ないが居るなんてなあ? しかも同じクラスときた! 一生笑いのネタに飽きねえぜ」
にまあ、とボリーの口角が吊り上がる。
「ありがとよぉ、サティ?」
「…………」
ねっとりした言い方のありがとうには、嘲笑がこれでもかと含まれていた。
キミーを肘置きにしている事で前傾姿勢になっているボリーだが、その角度だからこそ体勢としてはこちらを見上げているはずなのに、こちらを見る目には見上げるようなところは一切無い。
寧ろ、こちらを見下しているのがありありとわかる目力だ。
その目力に対抗なんて出来なくて、目を合わせる事すら恐ろしくて、僕はただ無言で視線を逸らすしか出来ない。
「もし落第なんてなったら、そりゃあ一大事だよなあ。なんせ死神である事を剥奪されちまうんだからよ。死神が死神じゃなくなるだなんて、滅多にある事じゃねえぜ! おっと、その滅多寸前のヤツが俺様の目の前に居るんだったな!」
「…………」
「死神じゃなくなった魂はどうなるのか」
静かな声で淡々とそう言ってから、ギャハ、とボリーはまたも嘲笑を浮かべた。
「どうなるんだろうなあ? どうなるんだと思う? おい。俺様が聞いてるんだぜ? そしてこのままじゃお前の末路だ。答えろよ。わかってるんだろ? なあ」
「…………、」
考えたくもない事を、僕は苦々しい気持ちで答える。
「……死神としての記憶を全て失い、人の体を得て、人として生まれ直し、人として生き、人として死ぬ……」
「そう! ただの人間に成り下がる! 刈る側だった死神が刈られる側に早変わりだ! それも、これまでもずっと人間として生きていたかのようにな! 世界はソイツが昔から人間だったと認識し、その痕跡は存在し、家族も友人も居るという親切仕様! いやあ、お上は死神の仕事すら全う出来ない落ちこぼれの出来損ないにもお優しくていらっしゃるよなあ!」
ゲラゲラと笑われた。
キミーの頭から肘を下ろし、こちらに近付いてきたボリーは僕の頬をつねるようにして引っ張りニヤニヤ顔を近付ける。
「でぇ? テメェの気分はどうなんだよ、ええ? 今にも人間なんかに落ちぶれる寸前の死神見習いはどんな気分だ? 中々聞ける事じゃねえから是非聞きたいねえ。なあ、どうなんだ、ええ?」
「…………」
ギチ、とつねられた頬が痛くて反射的な涙が滲み出た。
「何だ、ボリー。見当たらないと思ったらまた彼らをいじめていたのか?」
「飽きねえな、お前」
「うるっせえな、ルスト、リカー。俺様が何してるかなんざ俺様の勝手だろ。ここまで落ちぶれてるヤツも中々いねえしな」
あとテメェらが遅ぇ、と言いながらボリーは尚も僕の頬を強く引っ張る。
やって来たルストもリカーも止めようという気は無いようで、ただ呆れたように見ているだけだ。
「お前らなあ……!」
ガタ、とルドナが顔を怒りに赤く染めて立ち上がった。
ボリーがキミーを肘置きにした辺りから苛立ちに貧乏ゆすりと舌打ちをリズミカルに打ち鳴らして自身を抑え込んでいたルドナだったが、とうとう抑えられなくなったらしい。
ルドナが椅子を掴んで振り被ろうとしているのがわかり、僕は焦った。
既にルドナもペナルティは幾つか課せられていて、僕程ではないにしろピンチなのには変わりない。そしてルドナは喧嘩っ早い分しっかり喧嘩に強くもあるが、ボリーは暴力を得意とする死神なのでまったくもって勝ち目が無い。
今にも攻撃に移りそうなルドナにボリーが好戦的に目を光らせたのを見て、僕は思わず叫んでいた。
「そこまで言うんだったら、いっそ手伝ってくれたら良いじゃないか!」
「…………はあ?」
最初はギョ、と目を丸くしていたボリーだが、すぐに何を言ってるんだコイツはという顔になる。
「お前、追い詰められ過ぎてとうとうおつむがいかれちまったのか? 頭の中身が変な形にミックスでもされたんじゃねーだろうな。それならまだ頭ん中が空っぽの方が幾らかマシだぜ」
「ほ、本気で言ってるんだよ!」
「本気なら尚の事馬鹿だろっつってんだよ」
ボリーは眉間にシワを寄せ、僕のくしゃくしゃの金髪をグッと掴んで引き寄せ僕の顔を覗き込んだ。
「ターゲット殺害を他の生徒が行った場合、やらかした生徒も担当だった生徒も両方ペナルティを食らう。そんな事も忘れたってのかテメェは」
ガンをつける、を超えて額に額をゴリゴリと押し付けられて地味に痛いが、それでも僕はまだ涙が滲んでいる目でボリーの事を睨み返す。
「わかって言ってるに決まってるだろ!」
「はぁん、さてはもうクリアは無理だって諦めたのか? それでせめてもの抵抗に、俺様にもペナルティを一つくらいはおっ被せようってか。そんな足掻き方しか残されてねぇとは、泣けちまわぁな」
「っ、い」
髪を掴んでいる手に力が込められたのか、頭皮に痛みが走った。二本くらいは抜けた気がする。尚もゴリゴリと押し付けられている額に至っては、頭蓋骨が陥没する程では無いにせよ、血が出るくらいの傷は出来てしまっているような気がした。
でも、ここまで言われて、ここで負けるわけにはいかない。
「そんな事言って、怖いだけじゃないの?」
「あ?」
「アイツは、これでもかってくらい死を回避するんだよ。出来る限りの手を打ってもぜーんぶ回避。そりゃ担当が僕だからってのもあるかもしれないけど、もしボリーが挑戦してもするっと回避されて殺せないってなったんだったら、それはもう僕だけの問題じゃないと思わない?」
「……ほぉう」
パッ、と髪を掴んでいた手を離された。顔も離れた。
直後、
「あぐっ!」
「つまりテメェは、この俺様にだって無理だと言いたいってのか、ああ⁉」
腹を強く蹴られて倒れ込んだところに、押さえつけるようにして踏みつけられる。
「テメェが、テメェ如きが、殺す事も碌に出来ねえような出来損ないの落ちこぼれが、この俺様をその程度扱いするたあ随分と良い度胸じゃねえか、ええ⁉」
「、ぐっ」
ガスッ、ガスッ、と何度も強く踏みつけられた。
踏みつけるというよりは、殆ど蹴られていると言えるものだろう。
だが、ボリーはすぐに蹴るのをやめた。
「ふぅーーーー……」
苛立ちを抑えるように深い息を吐き、乱れた髪を撫でつけるようにして直す。
「……いいぜ、乗ってやる」
ギロリ、とその威圧感に満ちた目がこちらを睨みつけるように見下した。
「テメェのお粗末にも程があるその挑発に乗ってやろうじゃねえか」
「な、正気かボリー⁉」
「わざわざやってやる必要なんざねえだろ!」
そもそも、とリカーが言う。
「あんなわかりやすい挑発、乗ってやる必要もメリットもねえじゃねえか!」
「うるせえ黙ってろリカー! 良いんだよ! わかった上で乗ってやるっつってんだ! 馬鹿にされたままではいそうですかと引っ込むわけにはいかねえだろ!」
「……ボリー、君のそういう、挑発にやたらと弱いところはどうにかした方が良いと思うぞ」
「ルストもうるっせえ! ペナルティだの何だの、一つや二つ怖かねえんだよ! 落ちこぼれと違ってこちとらペナルティを貰うようなバカバカしい生き方してねえからな!」
そう、ボリーは優等生だ。いじめっ子だし素行も悪いが、顔の良さと家柄の良さ、実力、そして相手を見極めた上でどういった対応をすれば良いのかも全部わかって行動している。
その為、ボリーをはじめとした彼ら三人は教師からペナルティを与えられた事など皆無に近い。
「いいか、サティ」
「っ」
ボリーはまだ起き上がれずにいたこちらに近付き、ガッ、と僕は側頭部を蹴られた。
「テメェのターゲットは今すぐにぶっ殺してやる。ボッコボコにしてな。そうしたらその後はテメェを一生俺様に絶対服従な奴隷にでもしてやるところだが、運よくテメェにゃ後が無ぇ。お前はもう死神である権利を剥奪されるだけだ」
だが、とボリーの足が僕の頭を踏みつける。
「死神じゃなくなるまでには多少の猶予があるはずだろ? それまでの間に、俺様に逆らってごめんなさいと誠心誠意ひたすらに謝罪と懺悔をしてもらおうじゃねえか、おい。その程度で許されるってんだから、最下層のヤツは楽で良いよなあ、あ⁉」
最後に一発強めの蹴りを頭に入れられ、僕は意識を遠くに飛ばした。