地獄にて
「次の亡者! おい、次だ! 何をしている!」
まったく、この間の事件以来、鬼どもが人間を怖がるようになり、亡者の裁きが滞るではないか。
ええい、これもすべて、あろうことか地獄で武装蜂起を起こした「あの男」のせいだ。
「え、閻魔様! 大変です!」
またか。儂は目で「要点を言え」と促す。
「と、とんでもなく強い人間がこちらへ! 取り押さえられません!」
入口の奥から、足音が近づいてくる。歩調は穏やかだ。
まるで散歩でもするかのように悠々と歩いてくるその男は、殺気を隠そうともせず、不思議そうに周囲を見回している。
身の丈六尺はあろうかという大男。肩には白の外套マントを羽織っていた。
儂は男に声をかける。
「貴様、どういうつもりだ。他の亡者のように順に並んで待て」
話が通じぬ相手ではあるまい。様子を見る。男はあっけらかんと言い放った。
「なるほど。お前が閻魔ということは……ここは地獄か」
何を呑気な。儂は語気を強める。
「そうだ。貴様は生前、多くの殺生を行った。その罪ゆえに地獄行きだ。神妙にせよ!」
大抵の亡者はここで観念する。だがこの男は違った。
「人を殺めたことは認める。あれだけ斬ったのだ、地獄に落ちるのも当然だ」
鋭い眼光が儂を射抜く。何という殺気。
「だがな……俺より弱いやつに縛られるのは我慢ならねえ」
戦慄が走る。背を汗が伝い、気づけば叫んでいた。
「と、取り押さえろ!」
「遅い!」
刹那、取り囲んだ鬼どもは泡を吹いて倒れた。いつの間にか奪った金棒を肩に担ぎ、男は言う。
「閻魔よ。俺を裁くのなら、俺より強い奴を連れてこい」
このままでは儂もやつの二の舞。打開策を取らねば。
「わ、わかった! お前を蘇らせてやろう!」
「なんだと……?」
「どうだ、悪い話ではなかろう」
「ふむ。なぜそこまで気前がいいのかは知らんが……話のわかる奴だ。ではそうしてもらおう。……それと」
男は腰のあたりを指す。
「俺の愛刀がない。これでは落ち着かん」
「なっ……なんと厚かましい」
「俺はここで寝泊まりしてもいいんだぜ?」
「……わ、わかった。お前が蘇る世界のどこかに届けておく。さあ、この契約書に血判を押せ!」
「恩に着るぞ、閻魔よ」
勢いよく血判を押した大男は、時空の波に呑まれ消えていった。
ああ、なんとかなった。「あの男たち」以来の大事件になるところであった。
やつを送った世界の神へ申し送りをせねばならん。
それにしても、先ほどの男……恐ろしい目をしていた。また現れるだろう。名くらいは覚えておこう。
もっとも、この地獄での記憶は残らぬ契約だがな。
儂はふと閻魔帳に目を落とす。
……む、いくつか名前があるのか。通り名は……。
――比古 清十郎。
恐ろしき男よ。あちらの世界で、せいぜい殺し合うがいい。「あの男たち」と共にな。