表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死に問う  作者: 端場 隅
6/47

死に問う その六

 太陽が、わざわざ首を上に向ける必要がないままに、その眩しさを直視できる程度の位置に降りてきた頃、ようやくその場所にたどり着く。道中、私は二人から鈴を発見した時の時間帯や状況などを事細かに聞いていた。固い地面に横たわり、二度と動くことはない鈴の姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

 それは特徴を述べてしかるほどの特別な場所ではなく、何の変哲もない住宅街の一角だった。周囲の住宅はそのどれもが経過した年月を感じさせる物件ばかりで、どうにも薄暗い空気を感じずにはいられなかった。街頭も大雑把に設置されている程度で、夜中になれば大した光源として機能しないのではないかと疑ってしまう。そんな場所が、古森鈴という人間の最期の地だった。

「ここだよ」

 重音が立ち止まり、地面を指さす。何もない地面に、思わず鈴の最期の姿を幻視した。

 既に警察の捜査も一通り終わっているのか人気はなく、ドラマなどでよく見る黄色い立ち入り禁止を示すようなテープもない。血痕さえも綺麗に洗い流されていた。

 そこは、住宅街のちょうど中心辺りにある十字路だった。北側へしばらく歩けば大通りに出て、南側へ歩けばついさっき通ってきた古風な住宅街へ戻る。東側には大きめの公園があり、西側にはいくつかの住宅と、個人でやっているらしい塾がある。鈴が殺されたのは、その塾の帰り道だった。

 無機質なコンクリートの地面が、底なしの沼のように思えた。何をしたわけでもない無垢な少女を引きずり込み、飲み下した底なしの沼。ここにはもう、何一つ残ってなどいなかった。

 ここで、鈴は死んだのか。真夜中に、誰に助けを求める隙すらなく、たった一人恐怖と痛みに襲われて、暗闇の中人知れず死んだのか。その理不尽さに、吐き気と怒りがこみ上げる。

 途端に眩暈がして、コンクリートの外壁に寄りかかる。慌てて愛奈が歩み寄ってくるが、それを片手で制しゆっくりと立ち上がった。こんなところでショックを受けている場合ではないのだ。

「あなたたちは、ここで何をしていたの」

 私の言葉に、愛奈が不思議そうな顔をしながら首を傾げる。言葉が足りなかったのを感じ訂正しようとするが、意図を汲み取ってくれたらしき重音が、小さく咳ばらいをしてから口を開く。

「楓が聞きたいのは、どうして私たちがそんな夜遅くにここを通ったかってことだよね? 順を追って説明すると、その日は放課後、愛奈と二人で本屋に寄ってたの。学校から一番近い本屋って言えばわかると思うんだけど。夕方くらいまでそこにいて、そのあとは近くの公園で愛奈と話をしてたんだ。三人掛けくらいの木のベンチに座ってね。特に中身のない話だから、内容は省くけど……多分三時間くらい話してたかな。気が付けば夜になってた。それは近所の人たちの何人かが見てるらしいから、ちゃんと証拠はあるよ。で、流石にそろそろ帰ろうかってなってここを通りかかったら、古森さんが」

 目を伏せて、言葉を濁す。私のことを気遣ってのことだろう、直接的な表現は避けてくれていた。私はその優しさを気付かなかったことにして、更に話を聞き出す。

「その時、息は?」

「ほとんど慌ててたからあんまり覚えてないんだけど、多分無かったと思う。救急車が来た時には亡くなっていたらしいから、刑事さんの話によると」

 それから重音は淡々と説明を続けた。

 血まみれで倒れていた鈴を二人かがりで介抱し、重音が救急車を呼んだこと。その時既に鈴はぐったりとしていて、恐らく既に死んでいたということ。腹部と背中に複数の刺し傷らしきものが見えて、それを今でも思い出してしまうこと。愛奈が落ちていた凶器で指を切ってしまったこと。思い出すのも辛いだろうけど、根掘り葉掘り問いただして情報を集めた。

 とはいえ、ここまでやってわかったことと言えば、犯人が強い恨みを抱いていた可能性が高そうだ、ということくらい。複数の刺し傷があったということは、確実に息の根を止めたかった、ということに他ならない。犯行が塾のすぐ近くだったというのも、事前に鈴の行動ルートを探っていたということだろう。

「ちなみに、鈴の死亡推定時刻って正確には何時なの」

「そこまではわからないよ。遺体の状況からして、私たちが見つける直前に亡くなっていたみたいだけど。だから時間としては、二十三時前ってことになるのかな」

 それはおかしな話だった。記憶では、鈴の塾は二十二時には終わっているはずなのだ。前にそう言っていたのを覚えている。だと言うのに、殺されたのが二十三時では、空白の時間が生まれてしまう。

「鈴の塾は、二十二時には塾生を帰しているはず。それだと一時間近く空白の時間がある」

「それを私に言われても困るな。居残りでもしてたんじゃないの」

 鈴の塾───桐生塾というらしいのをあとから知る───は、十八時から二十一時半までの三時間半を授業の時間とし、居残りをする場合でも二十二時には絶対に塾生を帰らせているらしい。仮にその日が居残りであったとしても、二十三時前にこの近くを歩いているのは不自然だった。

「例えば鈴が、塾を出た後すぐに殺されていて、二十三時前にこの十字路に遺棄されたっていう可能性は」

「それこそ私たちには知る由もないよ。それでもあえて推測するとしたら、それはありえないと思う」

 重音はその自信に満ちたような表情を少しも崩すことなく言った。まるでそうであることを知っているかのような、確信に裏付けされた顔だった。それが気に食わなかったのか、単に精神的な余裕がなかったからなのかはわからない。ただ気が付けば、私は語気を強めて「なんでそんなことがわかるの」と叫ぶように言い放っていた。呆気に取られる重音が、迷子の子供のように居心地悪そうに見えてしまい、空気が重たいものになってしまった。

 そんなバツの悪さを知ってか知らずか、謝ろうとする私の言葉を遮ったのは、愛奈だった。

「わかるよ。古森鈴があの塾から十時過ぎに出たってのは、警察から聞いてる」

 空気が更にひりついたものに変わる。その言葉に驚いていたのは、私ではなく重音だった。

「ちょっと、それは言っちゃいけないって言われてるでしょ」

「そうだけど。黙ってるのはなんか、楓に悪いし」

 二人が少し揉めそうになっていたが、私はそれどころではなかった。その情報は、何者かによって隠されようとしていたということなのか。

「待って、言っちゃいけないって誰に」

「……警察だよ。その空白の時間に、古森鈴が誰かと会っている可能性があるって」

 重音はもう愛奈の言葉を止める気はなかったらしい。私が重音の方を見ると、小さく頷いた。

「誰かって、一体誰に」

「それは私たちも知らない。警察も、その誰かを最重要人物として調べているらしいから。むしろ楓は古森さんが誰と会っていたか、心当たりはない?」

 言われて記憶を辿ってみるが、該当しそうな人物は思い当たらなかった。娘を迎えに両親が、あるいはどちらかと会っている可能性を一瞬思い浮かべたが、それならそもそもそのまま帰宅しているはずだ。では友達の誰かかとも思ったが、こればっかりは私では想像もつかない。彼女の交友関係は思いのほか広く、私でも全て把握できているわけではない。むしろ知らない人間の方が多いくらいだった。

「私もわからない。ねえ重音さん。警察が睨んでるってことは、その人が犯人の可能性が高い、っていことなの」

「そこまではなんとも。私たちだって知らないことの方が多いから」

 肩を竦める重音に対して、場違いな怒りを抱いてしまっていた。いくら第一発見者だからと言って、何もかも聞かされているわけではないのだ。それは仕方のないことだし、警察も一般人に話すべきこととそうでないことを分けているのだろう。それが当然のことだとわかっているのに、歯がゆさを覚えずにはいられなかった。無力な自分に打ちのめされていた。

「一体誰なの、その誰かって」

「僕も知りたいね、その誰か」

 ほとんど独り言だった言葉に返事らしき声が返ってきて、飛び上がるほど驚いてしまった。それは二人も同じだったらしく、私たちは揃って背後の声に振り返る。

 そこにいたのは三十頃の男だった。小綺麗なスーツを着ていて、随分と身長が高いわりに驚くほどの細身。そり残しの強い無精ひげが無ければ、大学生に見えなくもないほどの若々しさがあった。それに反して目つきは鋭く、まるで獲物を狙う鷲のようだと感じた。ただそこにいるだけで場に緊張感を与える存在は、言うなれば捕食者側の威圧感を纏っていた。

「あ、新島さんか。お疲れ様です、また聞き込みですか?」

 ほっとした表情で重音が頭を小さく下げた。それを真似るように愛奈も頭を下げる。

「そんなところかな。でもダメだよ二人とも、あれは僕とキミたちの間だけの秘密だって言ったじゃないか」

「秘密ってのは、大抵共有した時点で秘密じゃなくなるんですよ、新島さん」

 重音のいたずらな表情に、苦笑いを浮かべる新島と呼ばれた男。親し気な印象の三人だったが、見知らぬ顔があることに気が付いた新島が、私の方へ向き直り胸ポケットから何かを取り出した。折りたたまれた黒い手帳を開き、そこに男の身分を表す証明証が収められていた。物々しいマークの刺繍と共に。初めて見たが、これが警察手帳というものらしい。

「はじめまして、警視庁捜査一課の新島です。そこの飛山さんと千川さんとは、色々あって顔見知りです。キミは、二人の友達かな?」

「えっと、友達って言っていいのかわかりませんが。今日知り合ったばかりなので。あ、月見里楓です。月見里は、お月見の月見に、里芋の里って書きます」

「なるほど、それでヤマナシさんね……ん、月見里さん? もしかして、古森さんの」

「はい、友達です」

 その名前に聞き覚えでもあったのか、新島が何か考え込む様子になる。恐らく、どう接すべきかと考えているのだろう。鈴の身辺を調べるうちに、私と鈴が交際関係にあったことは知られているはずなのだ。恋人を喪って一週間程度の子供にどういった言葉をかけるべきか、ここ最近会った大人は決まってそんな態度をとる。

「私のことはお構いなく。今日は葬儀もありましたし、心の整理はついています」

 途端に、新島が眉をひそめて悲しそうな顔になる。どうしてそんな顔をされたのか、私にはよくわからなかった。

「余計なお世話かもしれないけど、くれぐれも無理しないようにね。こういうことは、キミが思っているよりもずっと長く心に残り続けるから。っと、言いたいのはそうじゃなくて。古森鈴さんのことで、少し聞きたいことがあるんだけど、今大丈夫かな」

 私が頷くと、新島は「よかった」とだけ言って、さっきとはまた違う手帳を取り出した。恐らくは聞き込み捜査というやつだろう。

「お話をする代わりに、私もいくつか知りたいことがあるのですが。そういうのは大丈夫ですか」

「うーん、内容次第かな。話していいこととダメなことがあるからさ、警察には。ちょっと聞きたいことが多めにあるから、そうだね、近くの公園で座って話さないかい? よければ二人も一緒に」

 私は愛奈と重音に目配せをする。二人が了承をしてくれたので、四人でぞろぞろと公園へと向かった。

 鈴を殺した犯人に迫る、またとない機会だと思った。ここでなるべく情報を聞き出し、警察よりも先に犯人にたどり着いて、殺してやる。

 先ほどの十字路から百メートル程度離れた公園には、数人の先客がいた。砂場で遊ぶ子供たちと、それを見守る保護者らしき主婦たち。それほど大きな公園ではないのでベンチは五メートル程度の感覚を空けて二つしかなく、片方には既に主婦たちが座って談笑していたが、私たち───とりわけ、一目で警察官だとわかる新島───が近づいてくることに気が付くと、慌てた顔で子供立ちの方へ向かいその場を離れるような素振りを見せる。

 新島が「すみません、すぐ帰りますので」とだけ言うと、主婦たちは不安げな表情のままベンチへと戻っていく。私たち三人は新島に座るよう促され、ベンチへと腰掛ける。

 ところで、この感じは私たち三人が何かをやらかして補導されているように見えるのだが、その辺りこの刑事は気が付いているのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ