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死に問う  作者: 端場 隅
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死に問う その四

 鈴の死から一週間ほど経った。殺人事件ということで当初は慌ただしく色々な対応に追われていた学校も、すっかり元の日常を取り戻していた。警察も学校に対してはあまり大々的な捜査を行うこともないらしく、最初の二、三日に数人の警察官がやってきて、関わりのあった生徒が軽く事情聴取を受けた程度。特に目ぼしい情報もなかったのか、警察が学校に来ることはほとんどなくなっていた。時々職員室に出入りしている姿が見かけられたが、それすらも日常の一部になりつつある。

 人は、大抵の変化はすぐに受け入れてしまうのだ。人が一人いなくなっても、誰かがその穴埋めをする。クラスでの役職も、部活でのポジションも、すっかり代わりが決まったらしい。それが酷く残酷なことに思えてしまい、私はとても登校する気にはならなかった。

 カチ、カチ、カチ。暗い部屋の中を、壁掛け時計の針の音が飛び回る。鬱陶しさに耳を塞ぐも、それが収まるどころか余計に頭に響くように聞こえてくる。いっそ電源を切ってしまおうかとも思ったが、もはやそんな気力すらなかった。

 鈴の訃報は、学校で知ることとなった。まず彼女と関係の近しかった私を含む友達の数人と、部活動のメンバーにだけ事実が伝えられた。学校側も鈴が殺されたという事実しか知らないらしく、後で詳細が判明し次第生徒全員に通達する。それが学校側の判断した最善の処置だったようだが、結果としてそれは失策と言わざるを得なかった。鈴の訃報は、その日のうちに学校全体に知れ渡ることとなった。それも、ありもしない尾ひれが付けられたうえで、だ。

 やれ首が切断されていただの、磔にされていただの、実はお腹に子供がいて男に刺されただの、好き放題な噂が流れていた。あまりにも身勝手なその噂話に数日と耐えきれず、クラスメイトの一人を殴ってしまった。そのまま無断で帰宅し今に至る。気まずさもあったが、何より鈴のいない学校に行く理由がなかった。鈴のいなくなった空っぽの空席を見ることが、耐えられなかった。古森鈴という存在が、この世界から消えてしまった。

 真昼だというのに、部屋には明かり一つ入ってこない。私がそうしたのだ。カーテンの隙間から差し込む陽の光すら憎らしくて、ガムテープで塞いだのだ。鈴のいない世界を照らし続ける太陽が憎かった。

 鈴の訃報を聞いたその瞬間からずっと、現実感がなかった。身体が酷く重たく、長い夢を見ているような感覚。この数日の出来事が全て嘘であればと、何度願ったことかわからない。実は学校に行ってみれば鈴がいて、普通に挨拶を交わして、これまでと変わらない日常があるのかもしれない。

 そんな期待を裏切るかのように、毎日家を尋ねてくる者がいた。千歳をはじめとした、クラスメイトたちだ。きっと担任から住所を聞き出したのだろう、私を元気づけようと数人のクラスメイトが代わる代わるやってきた。それはきっと善意からなのだろうが、今の私にとっては残酷な仕打ちでしかない。この家に呼んだことがあるのは、これまで鈴だけだった。その鈴がもういなくて、代わりに別の人間がぞろぞろと私たちの居場所に土足で踏み込んでくる。

 そんなことをされては、嫌でも実感させられてしまうのだ。鈴がもういない、という事実を。その受け入れがたい現実を突きつけるために、彼女たちは毎日やってくる。母が玄関で追いやってくれているらしいが、そのうち限界がくるだろう。情に絆された母が彼女たちを部屋に招き入れるのに、そう時間はかからない。

 今日もまた、玄関のチャイムが鳴らされた。授業が終わったのだろう、きっと部活もあっただろうに、何人かの声が部屋まで聞こえてくる。

 もう、来ないでほしい。私に現実を見せないでほしい。それが本心だった。

 母と彼女たちが何を話しているかはわからなかったが、意外にも今日はすぐに話が決まったようで、小さな会話が遠ざかっていく。かと思えば、今度は階段を昇ってくる足音があった。外から彼女たちの話し声が聞こえる以上、昇ってくるのは母だ。

 足音が扉の前で止まり、ノックが響いたあと「楓、起きてる?」と落ち着いた口調の声が聞こえる。小さい頃に私を叱ったあとみたいな、優しい声。でも今は、それすらも煩わしかった。そんな優しい声で私を慰めないでほしい。だってそれは、鈴が本当にいなくなってしまったみたいじゃないか。

 私は返事を返さなかったが、再びノックが響いたあと、空気がふっと軽くなるのを感じた。母が部屋に入ってきたのだ。合わせる顔がなくて、私はかけ布団の中に身を潜める。

「楓。鈴ちゃんのお葬式、決まったって。明後日だって」

 やめて。鈴が死んだみたいなことを言うのは、やめて。

 唇を強く咬んだ。口の中に鉄の味が広がって、それが逆に脳を冷静にさせた。

「最後だから、行ってあげてほしいな、お母さんは」

 最後。最後って何。そう叫ぼうとして、声が掠れて何も言えなかった。ただ、乾いた吐息が漏れて出ただけ。手の震えも止まらなかった。

「あとで下に来て。甘いもの買ってあるから」

 言って、扉が閉まる音がした。それは、ここ最近母が私にかける常套句だった。母は母で、私に何をすればいいかわからないのだろう。

 私の行動が、色んな人を困らせているのはわかっていた。でもどうしろというのか。鈴がいない、そんな現実を認めろとでもいうのか。葬式だなんてふざけないでほしい、なんで鈴を見送るようなことをしなきゃいけないのか。

「嫌だよ、なんで死んじゃうんだよ」

 無意識のまま、言葉がついて出た。わかってはいるのだ、鈴が本当に死んだということくらい。でも、それを認められるほど、私の心は強くなかった。鈴のいない世界で生きていけるほど、強くなかった。

 こんな死んだような気持ちでも、生きていれば喉は乾くしお腹は減る。乾いた喉を潤そうとして布団から身を起こし、机に置いてある水を取ろうとして、あるものに目が止まる。それは見覚えのない一枚の紙だった。なんだろうと不思議に思ったが、すぐに合点がいった。意外なほどあっさりと引き上げたクラスメイトと、部屋に入ってきた母。きっとこの紙は学校で配られたもので、母がここに置いていったものなのだろう。

 見たくはなかったが、見ないわけにもいかなかった。机に備え付けられた卓上ランプをつけて、紙に目を通す。久しぶりの強い光に視界がしばらく白く眩んで、殴られたような衝撃を覚える。次第に光に目が慣れて、そこに書かれたものが読めるようになった。

 そこには、学校からの簡単な哀悼の文と、古森鈴の葬儀の日程が書かれていた。思わず叫んで破ってしまいたくなる。こんなものがあっては、もう認めないわけにはいかないじゃないか。鈴が死んだということを。いや、何者かに殺されたということを。

 そう。古森鈴は、殺されたのだ。何の罪もないというのに、理不尽に命を奪われたのだ。どんな事情があろうと許されることではない。

 心に深く差した悲しみが、段々と晴れつつあった。しかしそれは、決して悲しみという傷が癒されたからなのではない。今心を支配しつつあったのは、怒りだった。鈴を、私の大事な人を奪った者への激情。その激しい怒りの熱が、悲痛の海を干上がらせた。

 許さない。誰だ、こんなことをした奴は。鈴を傷つけた奴は、殺した奴は。絶対に探し出して、鈴の苦しみの全てを、いやその何倍もの苦痛を味わわせてやりたい。

 冷え切っていた身体に、熱が灯る。復讐心という名の、赤く激しい熱。それは生きる理由と言い換えても差支えないだろう。私は覚悟を決めた。警察よりも先に犯人を探し出して、殺してやる、と。それだけが鈴への手向けになる。その為ならば、どんな残酷なことだってしてやる。そう心に誓い、机の水を一気に飲み干した。

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