死に問う その三十六
その言葉に、空気が一層重たさを増した。メメントネットの手によって行われてきた無残な殺人の中枢に、目の前の少女がいるのだ。そのことに眩暈と殺意を覚えた。
「私が古森さんを殺そうと思った動機は二つ。一つは、私のサイトを奪ったことへの復讐。一つは、今のメメントネットの管理者権限を手に入れるため。どちらも愛奈のおかげで上手くいったよ。彼女は最期まで、どうして自分が殺される羽目になったのか知らなかった。無様よね、自分で創り出した殺人コミュニティに、自分が殺されるなんて。でも、哀れな殺人鬼には相応しい末路だと思うでしょ」
「殺人鬼?」私の疑問符に、重音は即答した。「殺人を目的にしたサイトを作っておいて、自分で殺してないわけないでしょ。古森鈴は、間違いなく一人以上殺している」
あのサイトの元の管理者が鈴だというのなら、その殺人思想をばら撒くだけではなく、無論自らもまた殺人そのものを実行していたのだろう。であれば、私は鈴を殺人鬼と呼ばなくてはならない。
私は、何のために、誰のために復讐をするのか。
鈴は殺された。愛奈と重音の手によって。しかしその元をたどれば、鈴自身が創り出したメメントネットに行き着く。彼女が殺されたのは、極論でいえば自業自得だ。人を殺そうとしたのなら、人に殺されるのは当然だ。
「古森さんがどれだけの人間を殺したかは知らない。もしかしたら一人だって殺してないかもしれない。まあ、間違いなくそんなわけないけど。あなたが学校で見てきた古森さんと、メメントネットを創った古森さん、どちらを信じるのかは知らない。どちらを信じようと、そんなことはどうでもいいの。私はただ、あなたに興味があるから」
重音はゆっくりと椅子から立ち上がり、こちらに歩いてくる。かと思えば、そのまま片手で私の口を塞ぎ、そのまま後ろに回り込んだ。耳元に迫る、不愉快な声。
「あなたは私と同じ、壊れた人間。目的のために手段を選ばず、実行できる人間。その気があるなら、手を組まない? 私たちなら、きっと世界を変えられる。古森さんが変えようとした世界に、興味はある?」
鈴が変えようとした世界。それは彼女が憎んだ、無意識を破壊した世界ということなのだろうか。無意識の中に織り込まれた毒を全て曝け出し、そして取り除いたあとの世界。
言葉の上では理解できるが、何をもってして世界が変わったと呼ぶ気なのか。そもそも、どうやってそんなことをするつもりなのか、まるでわからない。
「さあ、答えて。あなたは、世界をどう変えたい?」
「どうも何もない。鈴が何を考えていたのか、あなたの目的が何なのか、心底どうだっていい。私は、あなたと愛奈を許さない」
私の心は決まっていた。理由など知らないし興味もない。
ただ、鈴を殺したことが許せない。たとえ彼女の死が、自ら犯した罪の果てにあるものだったとしても。私から鈴を奪ったことだけは許せない。
「そう。わからないのも無理はないかもね。楓さんはまだ、自分の特性を理解していない」
そう言うと、唐突に両腕を縛っていた縄が解かれた。それに戸惑っている間に、両足も自由にされた。
「何のつもりなの」
「試してあげる。あなたが壊れていること、それを今から証明する」
机の方に戻っていく重音を、私は座ったまま呆然と見送っていた。彼女は机に置いてあった何かを手に取り、そのままこちらに戻ってきた。
「これで私を撃ちなさい」
目の前まで迫った重音に、何かを握らされた。黒々と鈍く光る、重たい鉄の塊。恐る恐る見てみると、それは映画などでしか見たことのない拳銃だった。人の命を奪うということに特化したその武器からは、確かに命を扱うという恐ろしい重みを感じる。
いや、真に恐ろしいのは、たかがこの程度の重みを持っただけの物体が、簡単に人の命を奪えてしまうことだろう。ただ引き金を絞るだけで、たったそれだけの行為で、目の前にいる命を消せる武器。
「私は、古森さんを殺すよう愛奈に差し向けた。黒幕は私。さあ、私を殺して」
人を殺せる武器を手にしていることに、そしてその武器で復讐を果たせるという事実に、震えが止まらなかった。
重音は無防備だ。身を守る素振りすらない。ただこの銃を相手の額に突きつけて、そのまま引き金を絞ればいいだけ。あとは勝手に弾が放たれ、憎き殺人鬼に鉄槌を下せる。
撃て。そう脳が命じるよりも先に、身体が動いていた。知っている知識を本能のまま動員し、スライドを引いて引き金を絞る。
カチン、という甲高い金属音が鳴り響くが、それだけだった。
弾は発射されなかった。というより、端から弾など込められていなかった。
「撃てるんだ、楓さん」
重音の笑みの正体に気が付いて、私は愕然とした。
「普通はね、無抵抗の人間をそう簡単に殺せるものじゃないんだよ、人っていうのは。どれだけ相手が憎くて、殺してやろうと思っていてもね。憎しみだけで殺人への忌避感は打ち消せない。感情だけでは、人を殺すという壁を越えられないの。でもあなたは、それを越えられた。どうしてだかわかる?」
私は何も答えなかった。もう何も聞きたくなかった。
「あなたの中に、殺人という人の心の壁を越える行為に対する抵抗がないからだよ。あなたは、月見里楓は、簡単に人を殺せてしまう人間なの」
自分の欠陥を暴かれ、私はただ塞ぎこむしかなかった。
確かに私は、鈴を殺した犯人が憎い。殺してやろうと思ってこれまで過ごしてきた。その相手が友人だとわかった時、大きなショックを受けた。どうか違っていてほしいと願い、そしてその想いは裏切られた。
ただ、だとしても友人だ。そう簡単に、この銃の引き金を引けるのだろうか。引けるはずがない。思い出の中の鈴を疑うことを強く拒んだように、目の前の友人を殺すこともまた、拒んで当然のはずだった。
その壁を越えたのは、犯人に対する憎しみではない。ただ、いざとなった時、私はこの手を心から完全に切り離して相手を殺せてしまう。ただそれだけ。目的がハッキリとしてさえいれば、私は友人を手にかけることに幾分の躊躇いもないのだ。
満足そうな顔で、重音が後ろに通り過ぎて行った。部屋の出口に向かう気だ。逃げる気だと確信し、私は地面を蹴って立ち上がろうとし、そのまま力なく床へと倒れ込んだ。立ち眩みに似ていたが、そんなものではない。初めて感じる感覚に戸惑っていると、重音が立ち止まってこちらを見る。
「睡眠薬の副作用だよ。すぐに収まるだろうけど、今は大人しくしておいた方がいいよ。転んだりしたら危ないからね」
「待て、逃げるな、重音っ」
「あとでメメントネットを見てみるといいよ、面白いことが書いてあるから。私はこの後行くべき場所があるの。私と愛奈、両方を殺せる覚悟があるなら追っておいで。新宿の、一番人が行き交う場所で待っているから」
それだけ言うと、重音は今度こそ扉を閉めて、そのまま階段を降りて去って行った。
私は悔しさに任せ、思い切り床を殴った。手がビリビリと痛んだが、むしろ痛めつけ足りないくらいだった。
不意に、視界の隅で何かが落下した。そして続けざまに、ガチャンと小さな金属音が響く。何かと思い辺りを見渡すと、机の下に手のひらサイズの四角い物体を見つける。床を這いつくばりながらそれに近づいてみると、どうやら銃のマガジンのようだった。試しに持っている銃の底に挿入してみると、ぴったりとハマった。
銃のスライドを力いっぱい引いて、マガジンから弾を送り込む。スライドの隙間から内部を覗いてみると、確かに給弾されていることがわかる。これで今度こそ銃弾が発射される。
まだ視界は揺らめいていて気分が悪かったが、休んでいる暇などなかった。こうしている間にも、重音も愛奈もどこかへ逃げてしまうかもしれない。そして、また誰かが殺される。
それだけは阻止しなくてはならない。メメントネットを見ろと言っていたのを思い出し、スマホを取り出して例のサイトにアクセスする。すぐに一面が黒で覆われたページが表示された。
この二か月、鈴を殺した犯人の手がかりがないかと何度も訪れた場所だ。何かが変わっていればすぐに気が付く。実際、明確に変わっているものがあった。サイトのトップページには、無機質なロゴと掲示板へのボタンがあるだけだったが、今はそこに見慣れない文章が追加されていた。
要約すると、メメントネットのメンバー総出で、十二月二十四日、これまでにない規模で多くの人間を殺してほしいという管理者からのお願いだった。今現在の参加者数を見てみると、いつの間にか千人を超えている。仮にここにいる全員───もちろん、私を除いての話だが───が、一斉に殺人を行ったらどうなる。最低でも約千人の死者だ。それだけの人間が死ぬことになれば、もはや歯止めは効かない。それは殺人という言葉を大きく逸脱したテロでしかない。
管理者からの言葉は、つまり重音の言葉だ。世界を変えると語った彼女だったが、これほどの規模の手段を用いるとは、正直思ってもみなかった。
すぐに愛奈のことが頭をよぎった。眠らされる直前の記憶をどうにか呼び起こすと、彼女はもう殺人を行うことに、これといった意味を感じてはいない様子だった。自らの衝動に苦しみ、そしてその果てに、彼女は悟ったのだろう。人を殺すことで救われることなどないと。
ただ、愛奈が殺人に踏み切ったのは、重音にメメントネットという存在を教えられ、そそのかされたからではないだろうか。彼女なら、言葉巧みに愛奈を利用することだってできるはずだ。一度は目的を見失った愛奈が、重音の言葉で再び行動を起こさない保証はない。
二人を止めること。それが、やらなければならないことだと確信した。
もはや鈴のためではなかった。もちろん、今も鈴を殺された恨みを晴らしたいと考えている。ただ、事の発端が鈴自身だというのなら、私が二人を殺すことはお門違いだ。原因を招いたのは鈴自身なのだから。
私はただ、自分から鈴を奪ったという事実に対する怒りで生きている。それは、結局のところ、自分のために人を殺すということだ。重音が語った、私の欠陥を再認識した。
私は、私のために人を殺す。私の中の恨みを晴らすために。
それが正しいことなのか、そんなことはわからなかった。二人を手にかけるその時、嫌でも理解することになるだろう。私が取った行動の結果と、責任をもってして。
私は、二人の死に問わなければならない。
人を殺すという、その意味を。
部屋を出る前に改めて内部を見渡すと、柱には重音の身長を測ったらしき書き込みが。本棚には、哲学書に混じって古くなった絵本や漫画が入っていた。
何のために両親は生き、そして死んだのか。それを本気で無意味だと断じた重音に、憤りを感じていた。
この部屋にいて、何故何もわからないのか。彼女の間違いを正すためにも、もう一度会わなくてはならない。