死に問う その二十二
「どうしてそう思うんだい?」
「さっきは捜査に進展があったと言いましたが、わかったことといえばメメントネットの創始者のことくらいなんじゃないですか? 仮にその人物を割り出せたとしても、個々の事件の犯人には直接結びつかないと思いますが」
「創始者とは、つまりはサイトの管理者でもあると思うんだけど。捕まえさえすれば少なくとも手がかりはわかると思うよ」
「いいえ。多分、何も残してなどいませんよ」
それはほとんど確信だった。サイトの乗っ取りに関しても、年齢を鑑みればあまりにも用意周到に過ぎる。そんな人物が、一体何を残しているというのか。
「そうだね……正直に言うと、こんなことに何の意味があるのかとは思うよ。仮にサイトを潰せたとしても、それは事件解決には繋がらない。問題はサイトそのものじゃなく、それを使っている人間だ。そいつらを捕まえられないのなら意味がない。ただ、どの事件も不自然なほど手がかりがないんだ。上も僕も、かなり参ってるよ。どうすればいいのか、まるでわからない」
それは、新島の本音だと素直に思った。この人は信用できる、という直感があった。子供の私たちを侮って雑にあしらうようなことはしないし、何より大人特有のうさん臭さみたいなのが感じられない。こればかりは上手く言えないが、言うなれば良い意味で子供の心を持ったまま大人になったような雰囲気があるのだ。
「随分ハッキリ言うんですね」重音が言うと、新島はバツが悪そうに後頭部を軽く掻いた。
「だってね、口先では順調だとか言って全然犯人が捕まらなかったら、君たちだって察するでしょ。警察は何もできないんだ、所詮口だけなんだ、ってさ。ま、先輩がいたらこんなことは言わないけど、そうやって場当たり的に誤魔化すのは好きじゃないのさ。刑事としてはダメなんだけどさ。今後も君たちに話を聞くことはあるかもしれないのに、そういうのを蔑ろにしてちゃ、信じてもらえないでしょ」
この人は、きっと色んなものを見てきた人だ。大人だから、ということではなく、その人生が平坦なものではなかったのだということを、言わずとも感じさせた。だからだろうか。
「新島さん。私からもいくつか聞きたいことがあるんですけど、お時間ありますか」
気が付けば、考えるよりも先に言葉がついて出ていた。
私のやろうとしていること。鈴の復讐。その決意が揺らいでいる今、この人の考え方を聞いて、どうするべきか考えたかった。少しずつ消えつつある復讐の炎。愛奈といると、私は復讐のことを忘れることができた。できてしまったのだ。鈴がいないことに、何の疑問も怒りも抱かない時間が増えていた。
時間とは、あまりにも残酷な医者だ。
時が、私の傷を癒しつつあった。
発言を受けて、新島はちらと腕時計を見る。そうしてから、手帳をパラパラとめくり始める。その間に、私は二人に顔を近づけて小声で呟く。
「ごめん二人とも、ちょっとだけ聞きたいことがあって……」
新島の返事は思ったよりも早かった。
「うん、いいよ。って言っても、すぐ次に行かなきゃいけないから、いいとこ十五分ってところかな」
「ありがとうございます」と私は軽く頭を下げる。新島は「いいよ」なんていいながら、私の言葉を待っていた。
「事件に直接関係する話ではないのですが。新島さんは、仮に犯人が判明したらどうするつもりですか」
新島が「へっ?」と素っ頓狂な声を上げた。重音は、何か面白いものでも見つけたように小さく笑っていた。
「どうするも何も、逮捕するさ、そりゃ。そのために働いてるからね」
「でしょうね。それが普通だと思います」
私は、思わず新島から目を背けてしまった。後ろめたいことがあるのを悟られないように、という考えが、表に出てしまった。
それを見て、新島も察したのだろう。私が本当は何をしようとしているのかを。
「楓ちゃん。キミ、復讐しようとか考えてる?」
見たことがないほどの、鬼気迫る表情の新島がそこにいた。親が子供を叱る時のような真剣な目をしていた。若いとはいえ、この人も一人前の刑事だ。きっと、私のように復讐を考える被害者遺族なんかを多く見てきているのだろう。言葉にせずとも、止めさせる気だというのがこの場の全員にわかった。
「いけませんか。大切なものを奪われて、その無念を晴らそうとすることは」
「……最初に訊いておこうかな。キミは、どっちの僕と話したい? 刑事としての僕か、新島五郎個人としての僕か」
「可能であれば、新島さんの個人的な意見を聞きたいです」
その言葉を受けて、新島はひとつ大きなため息をついた。何か考え込む様子だったが、すぐに視線を楓に戻し、口を開く。
「やればいいと思うよ、復讐」
なんて、簡単に言ってみせた。私たちは、三人揃って鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くする。思ってもいなかった返答に、全員が言葉を失った。無論反対すると思っていたのだ。そんな様子を見て、新島は続ける。
「個人的にはね、人を殺しておいてたかが十年二十年刑務所に入れてやったところで、そんな簡単なことで償いが済むとは思っちゃいない。いや、死刑にしてやったところで不十分さ。どんな苦しみを与えたところで、人を殺したことの償いは終わらない。償いってのはね、犯した罪を帳消しにできるものじゃないと意味がないと思うんだ、僕は。被害者が生きているうちは、時間こそかかってもいつかは償えるさ。もちろん全ての被害者が納得するわけじゃないけど。でもね」
コーヒーを一口飲んで、新島は続ける。
「殺人の罪だけは別だ。加害者をどれだけ苦しめて、痛めつけて、被害者と同じだけの絶望を与えてやったところで、被害者は絶対に戻ってこない。殺人の罪が償えるとしたら、それこそ加害者を生贄にでもして、被害者を蘇らせることができる場合だけだよ。でもそんなことはできない。不可能さ。犯人を捕まえて無念を晴らす? 冗談じゃない、そんなことで殺された人間の怒りが、愛する人を失った悲しみが収まるはずがない。第一、もうその人は死んでいるんだ。犯人逮捕の知らせを受け取ることもできない。死んだ人間の無念は、永劫に晴れることはない。死んだ人間が救われることはないんだよ」
強い怒りを感じた。殺人という、許されざる行為に対する、あまりにも強い怒り。この刑事が自身の過去を語ってくれるかどうかはわからないが、恐らくこの人は身近な人間を殺人によって失っているのだろう。その言葉に、客観的ではない明確な怒りが含まれていた。私と同じ、強い怒り。
「でも、遺された人間は、どうあれ生きていかなくちゃいけない。その時キミは納得できるかい? 仮に犯人が既に捕まっていて、たかが二十年ちょっと刑務所に入れられて、その後はのうのうと人間らしい人生を送っていくことに。あるいは、死ぬまで刑務所で保護されることに、死んで楽になることに。僕は納得できない、できないさ。でも、それでも生きていかなきゃいけない事実は変わらない。だったら、復讐でもなんでもやって少しでもスッキリした気持ちで生きていく方が、いくらか救われるだろ、遺された人も。結論としては、僕は復讐に賛成するよ」
ひとしきり話し終えて、ソファの背もたれに深く座る新島。それとは対照的に、私たち三人は、机に前のめりになって険しい表情になっていた。
そうしてしばらく沈黙が続いたが、やがて新島が先ほどまでと同じ姿勢に戻り、再び口を開く。今度は穏やかな表情だった。
「ただね、あえてこれだけはちゃんと言っておくよ。キミには、家族も友達もいるだろう? キミが人を殺して捕まったら、その先何十年とキミに会えなくなる人たちは、きっとすごく悲しむよ」
黙り込んでいた楓が顔を上げる。少しばかりの敵意と共に。
「なんですかそれ。周りの人間のために、自分の気持ちを我慢しろって言うんですか」
「そうだよ」
ぴしゃりと言い放つ新島。私は反射的に言い返そうとして、何を言えばいいかわからなくなった。
考えなかったわけではないのだ。私が殺人を犯したあとのこと、残された人たちが何を思うのかを。
「いいかい。人が死ぬってことは、誰にとっても悲しいことだ。それはあまりにも辛くて、耐えられない。正直ね、キミに家族も友達もいないなら、好きにすればいと思うよ。でもね、そうじゃないのなら、生きている人間のためにも真っ当に生きるべきだ。キミが罪を犯して悲しむ人間がいるのなら、踏みとどまるべきだ。キミは大切な人を失った痛みを、周りに味わわせたいのかい?」
「そんなことは……」
「だろう? きっとその時は、僕だってすごく悲しむし、心が痛む。だから、できれば踏みとどまってほしい」
「なんで、そんなこと」
言うんですか、と。その言葉はほとんど掠れて聞こえなくなってしまった。堪えていたものが、噴き出しそうだった。
「あえて、すごく残酷な言い方をするけどね。さっきも言ったように、死んだ人間はもうその時点で二度と救われない。犯人が捕まって報いを受けたところで、その事実が死んだ人間に届くことはもうないんだ。死んだ人間のために、周りを更に悲しませて、そのうえ人生を台無しにしてまで復讐なんてするもんじゃない。キミが大事に思う人は、キミが幸せに生きることを望まなかったかい? きっとそうじゃないだろう? 亡くなった人を本当に大切に想うなら、キミは幸せになるべきだ」
幸せになる。それは、鈴のことを忘れて生きるべきだということ。鈴の無念も怒りも苦しみも、その生きた証を奪われた絶望の全てから目を背けろということだ。
「……これは刑事としての僕と、個人的な意見の両方なんだけどね。キミのように優しい人が、復讐なんてすべきではないんだ。きっと殺した相手のことも気にかけて、余計に傷つく。善良な市民が復讐なんて愚かな行為に走らなくても済むように、警察ってのはあるんだと思うよ、僕は。だから、この件は僕たちに任せてほしいな」
その言葉に、ほとんど納得してしまっていた。復讐というものに大した意味がないのはわかっていたのだ。そんなことをしても、何も戻ってはこない。むしろ、それを成し遂げてしまうことで失われるものの方が多い。私は家族や友人との関係性を全て捨ててまで殺人を犯す覚悟がない。鈴のためなら何でもするつもりだったが、私は心の奥底で、やはり断ち切れないものがあった。
では、復讐とはなんなのだろうか。大事な人を殺されたという過去の清算は、それがどれだけ愚かな行為であったとしても、やはり復讐という行為でしかできないのだと思う。ただ、復讐は悪だ。法律がそれを許していない。どれだけ同情的な理由があろうと、殺人そのものは悪だ。けれど、先に人を殺したのは向こうだ。それを殺すことに、何の悪があるのか。
結局、過去は消えないということなのだろう。それを忘れて生きたとしても、あるいは決着をつけたとしても、その大事な誰かが殺されたという事実そのものは変わらない。正解そのものがないのだ。
私はもう、何も言えなくなっていた。何をすべきかも考えられない。
「あの、一つだけ気になることがあるんですが」
言い出したのは、重音だった。