死に問う その二
「とりあえずこれ、どうしたらいいかな。流石に置いておくわけにはいかないし、処分しておいた方がいいよね」
そう言って、私は重音にシャーペンを見せた。
ちなみに私のではない。被害者の少女の持ち物だ。特に特徴があるわけではない、至って普通のシャーペン。ただ、高校生が使うには少し高級感がありすぎる見た目だったので、恐らく誰かの贈り物なのだろうかと考えていた。
「この子刺した時にさ、これで刺されちゃってんだよね、私。大した傷じゃないとは思うけど、左側の鎖骨の上辺り、さっきからすっごい痛い」
彼女の後ろから近寄ったはいいが、直前で接近に気付かれてしまい振り向かれた。結局正面から脇腹を刺した。
突然の出来事で理解が追いつかず、痛みと恐怖に歪んだ彼女の表情が印象に残っている。暗闇でちゃんと見えなかったのが悔やまれるが、本当に良い表情だった。人が自身の死を察した時、こんな顔をするのかと心が踊った。フィクションでは得られない、生の感情。
意外だったのは、そんな中で彼女が抵抗してきたことだ。脇腹は、刺されれば当然致命傷になる。想像でしかないが、痛みも相当なもののはずだった。すぐに気を失うものだとばかり思っていたのだが。
そんな朦朧とする意識にも関わらず、彼女は最期、自身の制服の胸ポケットから何かを取り出し、私に突き刺してきた。危うく目に刺さりかけたので咄嗟に避けようとしたが、結局避けきれず、この通り胸の辺りを刺されてしまっている。
ほとんど無意識だったが、その事実に逆上してしまったのか、私は腹部を抑えてうずくまる少女の背中を刺し続けた。動かなくなるまで、いや動かなくなってからも何度も。
「暗いからよく見えないけどさ。多分、私の血が少なからず飛び散ってるはず。血って拭き取っても、ちゃんと調べられれば反応出てくるんでしょ?」
私は言いながら、重音の反応を伺う。万が一の際の証拠隠滅手段は、ほとんど彼女が考えているのだ。
「そうだね。血を消すことはまず不可能だと思う。それに血痕っていうのは、見ればどれくらいの高さから、どういう状況で飛び散ったものなのかがだいたいわかる。今回の場合はシャーペンで刺された程度だし、ほとんど出血はないだろうから、被害者の抵抗によって生じたものだとはわからないはず。とりあえず即興だけど、思いついた。血痕が消せない以上、不自然ではない形であなたの血を残す必要がある。とりあえず包丁の刃を軽く握ってもらおうかな。あ、もちろん素手で。そのあと柄の部分も……あ、いやこっちはいいか、指紋が残りすぎるのはおかしい。あとシャーペンは」
「ちょ、ちょっと待って、軽く説明してもらえると」
頭の回転が早いのはいいが、相手に説明するということを忘れがちになる悪癖はどうにかしてほしい。
「ええと……とりあえず、血痕が残るのはもうしょうがない。だから、ちゃんと真っ当な理由で残そうと思うの。まず私たちは、帰り道に倒れた少女を見つけて、急いで駆け寄った。死体を発見したあなたは、気が動転して、うっかり落ちてる包丁を拾い上げてしまった。その時握った部分が偶然にも刃で、手を怪我してしまう。痛みで驚いて、包丁を放り投げてしまう。血痕の理由としては、こんな感じ」
彼女の言葉を反芻して、実際に警察の捜査を欺けそうか、自分でもよく考えてみる。その言い分におかしな点はないかどうか。
「流石、すごくいい。けど、包丁のくだりは若干無理やりじゃない? ちょっと変な行動というか」
「変でいいのよ。倒れた人間を見つけて、行動におかしなところがない方が不自然だし。動揺した時の人間ってね、自分で思っている以上におかしな行動をしがちなのよ」
常夜は少し逡巡して、付け加える。
「なら、そうだね。死体に近づいた私は、まずこの子、被害者に声をかける。大丈夫ですかーって。死んでるとは思ってないわけだしね。私がこの子の反応を待ってる間、あなたは周りを少し見渡して、落ちていた何かを拾おうとした。それがこの包丁で、運悪く刃の部分を掴んでしまって、驚いてそのままぶん投げる。どう、おかしな部分ある?」
「ない、少なくとも私には見つけられない」
これなら私たちと犯人が結びつくことはそうそうないはずだ。元々用意していた嘘の痕跡と合わせても、一切破綻はない。
「ていうか待って。そのやり方でいくと、私たち第一発見者になるわけだけど、それって危険じゃない?」
ミステリーなんかでは、第一発見者が疑われるのが王道だ。いくら上手く証拠を隠滅したところで、疑われたままでは今後動きにくくなるだろう。
「危険なのはそうだけど、違和感なく血痕を説明しようとしたらそれしかないし。それにメリットもある。事件の捜査がどれくらい進んでるかとか、誰が怪しいかとか、警察がどこまで教えてくれるかはわからないけど、ただの学生が事件のことを変に知ろうとしても、第一発見者ならそんなに不自然ないでしょ? ちょっとした正義感から来るものとでも思ってもらえればそれでいい。実を言うと、元々はどこかのタイミングで第一発見者になっておこうと思ってたし」
淡々と語る彼女の姿を見て、私は目を丸くしてしまう。殺人を行おうというのだから、当然綿密な計画のもと行わなければならない。あらゆる事態を想定するのは当たり前のことではある。
驚いたのは、この時既に重音が次の殺人について考えていたことだ。私が一度の殺人で満足しないことを予めわかっていたかのような発言に、まるでエスパーみたいだな、なんて思ってしまった。
「一応、もう一回計画の変更点を言うからちゃんと覚えてね」
そう言って、今度は順序立てて説明を始めた。
まず、今回の殺人において、私たちは第一発見者になるということ。元々殺人決行後はすぐに立ち去る予定だっただけに、かなり大きな変更点だ。
それに際し、現場にある程度追加の証拠を残すということ。具体的には、凶器や被害者の服に指紋を付着させ、私たちがここで被害者の介抱を試みた痕跡を作りだすということだった。実行に辺り軍手をつけていたので、改めて現場の物に触れる必要があった。
ただ、一つ問題のある証拠があるとも言った。被害者が私を刺したシャーペンだ。誰かの贈り物であるという推測が立てられる以上、適当に処分してしまうわけにもいかない。シャーペンが失われていること自体が犯人に繋がる証拠になりかねない。
とはいえ、私の血痕が付着している以上、当然残すわけにもいかない。どうするのかとヒヤヒヤしていたが、これに関してはあとで細かく教えるとだけ言って、スカートのポケットに入れておいてと指示された。
その他、細かな指示があった。一通り説明を終えると「一応確認するけど、ここまでで矛盾するような点はなかった?」と訊いてきた。少し考えて、特におかしな部分も思いつかなかったので、小さく頷いた。
そうして、現場の偽装工作が始まった。指示に反した行動をしていないか十分に注意しつつ、私たちの殺人の痕跡を消していく。そして、そこに存在しない第三者の証拠を作り上げていく。警察の興味を惹くための嘘の証拠。重音の考えでいくつか用意されたが、どれほどの効力なのかはわからなかった。
これは、私と彼女の利害の一致による共同の殺人だ。極めて身勝手な理由であり、そしてその殺人はこれから先しばらく続くことになる。
ここまでのことをしておきながら、私は確かな罪悪感を覚えていた。私はこの被害者の少女のことを知らないし、まして殺す動機もない。ただ私たちが疑われにくいという一点のみで殺された。きっと夢中になっていることも、将来の夢もあったのだろう。友達と遊ぶ予定なんかも入れていたのかもしれない。恋人がいて、甘酸っぱい恋愛に心を躍らせていたのかもしれない。
その全てを、これまでとこれからの人生を、私は奪ったのだ。そのことを、決して忘れてはならないと胸に誓った。
私はこれからも人を殺す。今失われた命と、これから失われる命に対して、私は敬意を抱かなくてはいけない。何しろ、私の心の空白を埋めてくれる唯一の存在なのだ。私は私のためならば、何人だって殺してみせる。
「これに関しては改めて言う必要はないと思うけど。こっちは予定通り、置いていくからね」
そう言うと、重音はポケットから一枚のカードを取り出した。曰く、これが彼らに対する目印になるということらしい。それは何の変哲もないスペードのエースだ。トランプにおけるスペードは剣を表しているらしい。まるで凶器はこのカードだとでも言わんばかりに、少女の死体の上に鎮座された。
「ていうかさ、例のサイト、メメントネットだっけ。あれが本当に全部隠してくれるんだったら、ここまで色々やることないんじゃないの」
決行前に重音から聞かされた、メメントネットと呼ばれるサイト。簡単に言えば、それは殺人者のコミュニティであり、そこのメンバーは互いの殺人をかばい合い、時には隠ぺいさえ行うと言う。
「そうなんだけど、愛奈にとってはこれが初めての犯行でしょ? なるべく手を打っておくことに越したことはないよ。あ、写真撮るの忘れないでね」
そういうものなのか、と納得し思考を投げ捨てた。事前の指示通り、カードと死体がフレーム内に写るように写真を撮影する。
「って、何してるの重音」
死体を撮影し終えて重音の方を見ると、何やら被害者の少女の鞄を漁っていた。
「ちょっとね、探し物」
どうやら目当ての物はすぐに見つかったらしく、何やら四角い物体を手に持っていた。それは少女のスマホだった。
「それ、どうするの」気になって問いかけてみたが、重音はただ「愛奈は気にしなくていいよ」とだけ言った。ならいいか、と特に疑問を抱くこともなかった。ここにきて重音が余計なことをするはずもない。
ともあれこれで全ての準備が完了した。あとは悲鳴を上げ、蘇生措置をするフリをし、通報するだけだ。取り調べは受けるだろうからと、色々と口裏合わせもしてある。基本的には余計なことは言わず、重音に任せればいいということだったが。
少女の死体の上に置かれたスペードのエースが、こちらを睨んでいるように感じられた。
まるで私を咎めるように。喉元に刃先が迫る感覚があった。