死に問う その十六
母が手早くパンと卵を焼いてくれたので、かき込むように急いで食べた。先ほどから非常にお腹がすいていたのもあったが、父が語った連続殺人事件について調べたい、というのが本音だった。
ほとんど牛乳で流し込むようにして朝食を食べ終え「ごちそうさま」とだけ言って、私は二階の自室に駆け上がる。私は自室に戻るなり、ベッドに横になってスマホのブラウザを開いた。トランプの置かれた連続殺人事件について調べるのだ。
思いつく限りのキーワードを入れて何度か検索するが、目ぼしい記事に当たることはなかった。恐らくだが、報道規制がされているのだろう。連続殺人事件といったセンシティブで話題になりやすい事件では、警察側が特定の情報を意図的に伝えていないか、報道しないよう命令していないと聞いたことがある。
そうしてしばらく大手のニュースサイトを洗ってみたあと、ふと目についた個人サイトがあった。それは過去の連続殺人事件をまとめているアングラ系のサイトで、いかにもそういった猟奇的な内容が好きな人が作ったであろう服飾のなされた、赤と黒の痛々しいページ。記事をサムネイル表示にしていくつか眺めてみたが、どの記事の画像も強いモザイクで加工されていた。ただ、それらはモザイク越しでも直感的に、そこに映っているのは死体なのだとわかる。白く汚れた手足らしきシルエットの上に、赤黒いモノがベッタリと塗りたくられた写真たち。気分が悪くなるのを抑えきれず、少しえずいてしまう。
二十分ほどかけて、あらかたの記事のタイトルと、気味の悪い画像を素通りしていく。女児を、女性を、学生を、子供をターゲットにした連続殺人事件の山。この記事ひとつひとつに、多くの人間の悲鳴と絶望、そしてその生涯が閉じ込められていると思うだけで、怒りのあまりスマホをぶん投げたくなってしまう。このサイトの製作者のような倒錯者に、多くの人間の死が面白おかしく消費されている。その人生の憐憫を全てなかったことにされ、ただ悲劇のうちに死んでいった可哀想な誰かとして。
しかし、私もまた、その記事全ての犠牲者たち全てを哀れむことはできなかった。他人を哀れむような心の余裕を持ち合わせていなかったのもあるが、一番の理由は多分、そんなことをしては自分の心がもたないからだ。それに、それらの記事を見たところで、そうした事件があったのだという客観的な事実しか受け取れない。どんなグロテスクで生々しい画像を見せられたところで、その人が生きていた頃を知るわけでもない他人に、その死を実感することはできないのだ。
結局、そのサイトで得られたものはなかった。確かに目を見張る量の記事だったが、所詮は素人の作ったものだった。本や新聞、テレビやニュースサイトで得られる情報以上のものはなかったし、そもそも事件をまとめるというよりは、死体がどれだけグロテスクで、犯人がどんな異常者だったか、そんなことばかりしか書かれていない。まるで役に立たなかった。
その後も各種個人サイトを調べてみたが、やはりスペードのエースが置かれた事件など見当たらなかった。あまりにも徹底的な情報のなさに、流石に少し不自然に思えた。いくら警察が情報規制をかけたからといって、ここまで何も見つからないものなのだろうか。警察が優秀なのだと言われてしまえばそれまでだったが、この現代社会で、完璧で完全に秘匿されきる情報などあるのだろうか。これまでの事件の第一発見者が、誰一人としてネットにスペードのエースのことを書き込まなかったのか。
ありえない、そうかぶりを振る。人は秘密を喋りたがる生き物だ。それがより刺激的で、魅惑的であれば尚のこと。別に自分が何かを成し遂げたわけでもないのに、ただ偶然秘密を知ったというだけで、何か特別な存在になったのだと勘違いし、その特別さをひけらかすかのように、誰かに秘密を喋る。それが人だと、私は思っている。
それがどうだ。これほどネットを見てもろくな情報が得られない。死体の傍のトランプは、人の興味を惹くものではないのだろうか。誰一人トランプのことに気が付かなかったどでもいうのか。陰謀論などを信じるつもりはないが、この情報のなさは、そうした後ろめたい影の気配を感じる。
そういえば父が───正確には母からの又聞きであり、元の情報提供者は更に他人だが───言っていた。これは連続殺人だが、一人の犯行ではないと。警察によれば、同様の事件がここ数年で各地で起きており、それがあまりにもかけ離れた位置であるため、グループの犯行ではないかと。そのグループというのがどれ程の規模なのかは知らないが、情報の隠ぺいすら可能だというのだろうか。それではやはり、私一人が多少動いてみたところで、何ができるというのだろうか。
「だからって、何もしないわけにはいかない。鈴を殺した奴は、絶対に許さない」
そうだ。私の目的はあくまでも鈴を殺した犯人を見つけ、殺すこと。そのグループがこの先どれだけ殺人を重ねるのかは知らないが、そんなもの、私一人に止められるはずはない。そればかりは考えるまでもないことだ。この際、鈴の一件以外は見て見ぬふりをする。私が関わってしまった上級生の殺人事件も。関わらずにいられるのかどうかは別として。
あまりにも手がかりが得られず、発想を変えることにした。情報が秘匿されているとして、それにアクセスする方法は何か。あるいは、よりアングラでグロテスクな画像を見るためにはどうすればいいのか。
それに関しては、想像よりもすぐに見つかった。それも親切な解説サイト付きでだ。インターネットにはダークウェブと呼ばれる、一般的な検索エンジンでは表示されない領域があるという。よくわからない単語が並んでいて、一通り目を通してみるだけでも一苦労だった。内容を要約すると、特殊な接続方法を用いれは、そのダークウェブに入れ、よりアングラな情報も出てくるということだ。
ひとまずサイトの説明に従い、専用のアプリを入れてみる。スマホのウイルスチェックは素通りしたので、危険はないはずだ。よく考えてみれば、私はアンチウィルスソフトの仕組みすら知らない。使っているのに、それがどういう機能を持っていて、どういう動作をし具体的に何を防いでいるのか。そんなことすら知らなかった。
人間、自分の興味のない領域に対する感心などその程度だということなのだろう。普段、ニュースで殺人事件が取り上げられたところで、それを悼み悲しみこそすれど、それはせいぜいそのニュースが流れている間だけで、次のニュースが流れる間にはすっかりそんなことを忘れてしまっている。事実、ついさっき見たはずの連続殺人の記事も、半分も思い出せなかった。
入れたばかりのその怪しげなアプリを開いてみると、見た目は普通のブラウザだった。先ほどの解説サイトに従い、設定を変えていく。元々ダークウェブに繋がる機能があるわけではなく、設定を変えることによって表示がされるようだ。
設定の中には閲覧者の情報を隠すためのものもあり、それをオンにすることによって、誰がどこでどんな端末を使っているのか完全にわからないようにできるらしい。つまり、どんな書き込みをしても、個人が特定されることはないということ。件の殺人グループがこうした知恵を使い逮捕を逃れているのかと思うと、自分も同じものを使おうとしていることに後ろめたさがあった。
設定が終わり、早速検索機能を使ってみる。初めて使うアプリとはいえ、ほとんどのインターフェースはどこかで見たことのあるものだ。別段目新しさもなかった。ひとまずスペードのエースの関連事件がないかと調べてみると、見慣れないページに飛んだ。どうやら普段使っている検索エンジンとは違うものらしく、検索したサイトの一覧の表示され方に少し違和感があった。ただ、すぐに違和感は消えた。こういうものだと思えば、こういうものなのだ。
出てきたサイトのいくつかに目を通すと、先ほど普通に検索をしていた時とは違うものが複数並んでいることに気が付く。どうやら海外のサイトも混じっているようで、英語やら中国語やら、どこの国の言語かさえわからないものがあった。とりあえず優先して日本語のサイトを開いていく。
名前さえ聞いたことのない掲示板が表示され、少し怖くなる。黒一色の背景が、まさにこのサイトのほの暗さを表していた。試しに開いてみたスレッドでは、一見しても意味の理解できない隠語で、なんらかのやり取りがされている。内容のほとんどはわからなかったが、それが何かを売買するものだというのは感じられた。
グロテスクな画像を送り合うというスレッドを開いてみれば、人の頭部が切り開かれた画像や、腹部から腸が飛び出しているものもあった。ぱっと見では、それが本物かどうかの区別などつかない。ただ、掲示板の住人からすればそんなことはどうでもいいらしく、面白いだの自分もやってみたいだの、無責任な言葉が画像の下に連なっている。気分が悪くなった。いくつか見てみたところで、やはりスペードのエースと一緒に映る死体の画像はない。所詮はここも、悪趣味なだけの普通の人間が集まる場所なのだ。
目的のサイトまで、随分と時間がかかった。砂漠の中で魚を探すような感覚だった。あるはずがないものを、意地になって探し続けたのだ。そして、砂漠の中に魚を見つけた。
サイトのトップページには、スペードのエースのイラストと、その下にメメントネットと書かれたロゴだけがあった。真っ黒な背景と、目を焼きつぶすような白いロゴ。右上の方に、恐らく現在の所属人数を示すのであろう数字が小さく書かれていて───今は八百四人、と表示されている。多すぎる、と思った───画面の中央には、赤と青のボタンが二つあった。ボタンの上の説明を読むと、赤の方はサイトの概要を載せたページに、青の方は登録を行うページに飛ぶらしい。
メメントネット。恐らくは、メメント・モリをモチーフにしたサイトなのだろう。人は必ず死ぬことを忘れるな、といった死を強く意識させる思想。このサイトの製作者は、恐らくその考え方を強く信仰しているのだろう。何故こんな、一見しても何もわからないようなサイトを気に留めたのか、よくわからなかった。ただ導かれるように、私は赤いボタンを押していた。