表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神様を捕まえた男

俺はプロの格闘家をやっている。元々武術などそういったものが幼いころから好きで、空手、柔道、キックボクシング、躰道、レスリングなどを習い続け、総合格闘技の世界に入った。


しかし、俺の戦績は散々だった。とにかく勝てない。良いところまでは行くものの、負けてしまうのだ。

俺は昔から武術、武道を習っていた驕りと慢心に取り憑かれ、努力することを忘れてしまっているのだろう。それは自覚しているが、正直もうこれは治せない。楽することを覚えてしまったからだ。


そんな時、ある神社に何の気なしにお参りしたのだが、面白いヤツを捕まえた。

タケミカヅチとかいう、見た目は5歳くらいの武神、神様だそうだ。もちろん最初は信じてなかったが、コイツを捕まえてからは、試合でとにかく勝つようになった。


俺は運が良い。お参りした神社でこんな打ち出の小槌みたいな拾い物をするとは。

これからも俺が勝ち続けるために精々協力してもらうとしよう。


楽して勝つ。最高だなこれは。



と、この人間の格闘家とやらは思っているようだが、実はそうではない。

私のような神は、直接人間の能力などには干渉出来ないのだ。当たり前の話なのだが。


では何故この格闘家が勝つようになったかというと、単純に本人の努力によるものである。私が出来ることは「強くなりたい人間の背中を押すこと」だけなのだ。


つまり、本人の中に強くなりたい気持ちと、それに向けて努力できる土台があることが前提となる。この男は、元々日常生活の一環として過酷なトレーニングを積んでいたのだろう。そこに私が取り憑いたことの影響が出たのだ。


要するにこの格闘家とやらは、「私を捕まえたから楽して勝てるようになった」と思いこんでいるだけで、単純にさらに努力するようになっただけだし、ついでに言うと私は捕まったわけではなく、この男に興味を持って取り憑いただけだ。


私がやったことは、取り憑いてこの男の背中をそっと押しただけなのだ。


全く人間というものは面白い。どれだけ建前で強がってはいても、心の底では「本当の自分」とやらを追い求める情熱が燃えている。だが、それを形にする術を知らないのだ。だから我々のような神々が存在するわけだ。


そう、最終的には人間の努力にかかっているわけだ。


案外、「神様」は頼りにならないぞ。神社に来て願い事ばかりを言わずに、たまには決意表明や目標を語ることで自分を鼓舞してみろ。そしたら、俺みたいなもの好きな神様がお前の背中を押すだろうよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ