マンションの隣に住む生意気な女子小学生の将来の夢が「俺のお嫁さん」だった件
「……は?」
俺はフリーズした。
ここは、俺の母校である小学校の五年二組前の廊下。廊下の壁に張り出された生徒たちの「将来の夢」。サッカー選手、学校の先生、パン屋さん……。小学生らしく、思い思いに夢がつづられている。
そんな中、でかでかとした字で「京にいのお嫁さん。粟屋ここあ」と書かれた紙が1枚。
京にいこと新村京介は俺のことである。
そして、粟屋ここあはマンションの隣に住む生意気盛りの小学生五年生だ。
今日はあいつから授業参観に来るように言われたので、懐かしの母校へとやってきたのである。本来であれば親が行くはずだが、あいつの親は共働きで忙しいので、マンションの部屋が隣ということもあるし俺が何かと面倒を見ているのだ。小学五年生で授業参観に来させてもらえるのは珍しい方だと思う。さみしがり屋め。後でからかってやろう。
そんなあいつとは生まれた時から一緒で、いわゆる幼馴染である。まあ、俺は高校一年生だから五歳も差があるわけで、幼馴染というよりかは妹のような存在なのだが……。
……普段あんなに生意気なあいつが、俺のことを好き?
いやいや、まさかなあ。
「京にい、たっだいま~!」
「ん、おかえり」
ここあはまるで自分の家のように俺の家に帰ると、大きな音を立ててコーラルピンク色のランドセルを投げ飛ばす。キッチンで料理をしていた俺は顔をしかめた。
「ランドセルを投げ飛ばすなよ、ココ?」
ここあなのでいつも略してココと呼んでいるのだ。
「ねえ今日の夜ご飯なーに?」
「無視ですか」
ここあはその言葉すらもスルーして、洗面所でじゃぶじゃぶと手を洗った。いや、水が飛び散ってるんだが。掃除するの俺なんだよ?
もう少しきれいに使ってくれよと思いつつ、小学生だから仕方ないか、とため息をついた。俺はなんだかんだここあには甘いのだ。
「夜ご飯は、チャーハンと春雨スープだ」
「おお、京にいお得意手抜きチャーハン!」
「おい、作ってやんないぞ」
「へへっ、うそうそ。ココね、京にいのチャーハン好きだよっ」
ここあは上半身を前に倒し、手を後ろで組みながら上目遣いで見つめてくる。ここあは小学生である今から将来相当の美女に成長するだろうと思わせる容姿をしているので、いかにも女の子らしいそのポーズは絵になっていた。
そう、粟屋ここあは美少女である。もちろん、見た目だけはという注意書きが付くのだが。
ここあはにっこりと小悪魔っぽく微笑んで見せる。
長い睫毛に覆われたくりくりとした目も、ミルクみたいに白い肌も、さくらんぼのような唇も、流れる銀髪も、すべてが美しい絵画のようだ。
北欧の人である父を持つここあは、いわゆるハーフである。
そのため、睫毛や髪が淡い銀色で、瞳も肌も色素が薄い。日本人離れした美貌を持つここあは学校ではさぞかし人気者だろう。
俺が改めて、整った容姿をしているよなあとしみじみ眺めていると、ここあが狼狽えた。
「なっ……なに?こっち見ないでよ、きもっ」
「ひどっ」
熟れたりんごのように顔を赤くすると、そっぽを向いた。二の腕のあたりまであるツインテールがぴょこんと揺れる。
そしてふりふりのミニスカートを翻して、お手洗いに駆け込んでしまった。
ピンクのミニスカートと白いニーハイがよく似合っていた。
「「いただきまーす」」
ここあはチャーハンをパクリと口に運び、まぶしい笑顔になった。
「おいしー!」
「それはよかった。さっき手抜きとかいってたくせにな」
「あはっ。根に持つ男はモテないよー京にい」
「うるせえ」
「まぁ、ココがもらうからいいんだけどね。京にいにココ以外の選択肢が増えても困るし」
「ぶふっ!!」
俺は思わずチャーハンを吹き出し、ごほんごほんと盛大に咳き込んだ。
……え、いまなんて?
「もうっ、汚いなぁ。はい、ティッシュ」
「……さんきゅ」
ここあは何事も無かったようにご飯を食べ進めている。
いや、今なんか爆弾発言聞こえた気がしたんだが、からかっただけだったのか?俺は真意を探ることにした。
「なあ、ココ。俺今日授業参観行ったろ」
「ん、そだった!ありがとっ」
にへらっと笑うここあ。うん、無邪気で可愛いな。
「それで、廊下に飾ってある生徒たちの将来の夢見たんだけどさ」
がちゃんっ。
ここあがスプーンを落としたかと思うと、ボンっと音を立てて赤面した。
「きょ、京に……ココの、見た……?」
「見た」
「うっうぐうううううううっ……!」
ここあは赤くなった顔を隠そうとしているのか、ツインテールを両手でつかんで顎のあたりで持っている。羞恥で僅かに潤んだ瞳で、じっとりと俺をねめつける。
……どうやら、さっきの発言も廊下のあれも本気らしい。
「…もぉ、ばかにい!にゃんで見ちゃうの!?」
「いや、廊下に飾ってあったし。ココのあったら普通見るだろ」
「みにゃいよ!」
噛みすぎじゃないか。
ここあはも~~~~~っ!と言いながらチャーハンをかきこんだ。ハムスターのように頬いっぱいに詰め込んでいる。
「おい喉に詰まらせるなよ。……はぁ、つーかさっきの発言は平気で、廊下の紙見られんのは平気じゃないのかよ」
「だって心の準備してないじゃん!さっきのは頑張って言ったから平気だったの!」
頑張って言ったのかよ。
「……んぐっ!?けふっ、けふん!」
「あーほら言ったろ―。詰まるぞって」
ここあは顔を真っ赤にしたまま、苦しそうに何の膨らみもない胸をとんとんと叩いている。
俺はチャーハンをのどに詰まらせたらしいここあのために、水を汲んできて背中を軽く叩いてやった。
「やれやれ大丈夫か?」
ここあは水を一気に飲み干すと、潤んだ瞳で俺をキッと睨んだ。
「…ぷはぁっ。もおっ……!ばかにい!こういうとこがっ……ん~~~っ!とにかく、ココは京にいのお嫁さんになるから!覚悟しといてよねーっ!!」
捨て台詞のように言うと、乱暴にランドセルを掴んで玄関に走り、隣の自宅へと帰ってしまった。
後には、きれいになった皿だけが残っている。
普段なら両親が帰ってくる夜まで、宿題をするなり遊ぶなりして俺の部屋でまったり過ごすのだが、今日のここあは逃げるように帰ってしまった。
俺は高校生だが一人暮らしである。
そのため、家にいるときは基本一人、そしてそれは両親が忙しいここあも同じである。ここあが一人で家にいるのを寂しがり、いつの間にかいつも夜ご飯を共にするようになり(いつも俺が作っている)、俺の部屋がここあの第二の家のようになっている。
だから極度のさびしがり屋のここあが家に帰れば一人だと分かっているのに、帰ってしまうことは珍しかった。
「……やれやれ。あいつ、それだけ本気って事かよ。……小学生のくせにませてるよなあ」
そう独り言ちると、皿洗いを始める俺なのだった。
次の日。
「きょ、京にい……ただいま」
放課後、おずおずと遠慮がちに俺の自宅を訪ねてきたここあ。普段の勢い、というか傍若無人さが微塵も感じられない。だが、帰宅時刻が少し遅いことで心配していた過保護な俺は、帰ってきたことに安どしていた。
「ココ!良かった帰ってきた。今日は遅かったな、何かあったのか?」
ここあは一瞬きょとん、としたがすぐに笑顔になる。
昨日のこと気にしてないんだ…良かったぁ、という小さいつぶやきは聞き取れず、もう一度尋ねようとすると、ふるふると首を振った。
「ううん、なんでもなーい!それより京にい、さっきココ見て帰ってきたって言ったね!」
「え?うん、そうだけど」
「ココの家じゃないのに。京にいの家なのにね?」
いつの間にかいつもの元気を取り戻し、にやにやと挑戦的な笑みを浮かべている。
何を言いたいのか考えあぐねていると、テーブルにいる俺の傍まで寄ってきて、隣に座った。
「なんか、新婚さんみたいだねっ」
自分から言ったくせにへへへと照れ笑いをし、「今日プリントいっぱいもらったよー!」とランドセルのもとへ逃げた。
「……ココはマジで俺と結婚するつもりなのか……?」
と、俺は一人、気恥ずかしさに頭をがりがりとかいて、ココを見つめる。
ココは視線に気が付いたのかにっ、と生意気な笑みを返す。
「京にい、ほっぺた赤いよ?」
「うるせえ。誰のせいだと思ってんだよ」
「へへっ、ココ」
「そうだな」
宿題を始めたみたいなので、暇だった俺はいつものように見てやろうと、隣に座った。
どこからかふんわりと柑橘系のジューシーないい香りが漂ってくる。
「なんかいい匂いする、オレンジみたいな。ココ?」
「ん、そう?ココかも。自分じゃわかんないけど。……お母さんが最近シャンプー変えたみたい。何て名前のやつ?って聞きたいけど、いつも帰ってくるの夜中だから。ココもう寝てるの」
声のトーンが下がり、どこか寂しそうな表情。瞳が陰って、淡い銀色が静かに伏せられる。
なかなか両親にちゃんと会えていないんだろうなあ、と思いいたいけな少女の横顔に胸が痛んだ。
俺が悲しくなったのを敏感に感じ取ったのか、ココは慌てて明るい顔になった。
「あっ、あのね、このシャンプーすっごいさらさらになるんだよ、ほら!」
ツインテールの艶やかな銀髪を手ですいて見せる。流れるようだ。
「おお、確かに」
「ね、でしょ?京にいも触ってみて」
「…え、え、いいのか?」
「いいのいいの!」
戸惑う俺を無視して強引に俺の手を掴み、ツインテールの片方を差し出す。
「おお、すげえ。全然引っかからない」
絹糸のように細く柔らかい。男のがさがさした髪とは全然違う。
軽く感動していると、ここあから安堵した雰囲気が伝わってきた。
俺がここあが寂しがっているのを聞いて悲しくならないように、話を明るい方へ変えたのだろう。
……全く、変に気を使いやがって。そういうとこ敏感なんだよな。そんな仲じゃないだろ、俺ら。
髪を触るのを止め、頭に手を置く。そのままぽんぽん、と2,3回。
「……え、ちょっ!きょ、きょうにい!?」
「あのなあ、ココ。寂しい時は寂しいって素直に言っていいんだぞ。特に俺にはさ、いつもわがまま言ってるんだから急に気を使われてもこっちが困る。……だから、両親にできない分、俺に好きなだけ甘えろ。全力で受け止めてやる」
ここあは一瞬困惑した後、泣きそうになり、瞳を潤ませた。
しかし泣かずに、目に涙を浮かべたまま嬉しそうに笑うと、俺の胸に飛び込んできた。小さな体でぎゅっと強く抱きしめられ、うろたえる。
「お、おい、ココ」
力を緩めることなく、顔を胸にうずめる。
ここあ自身は髪よりもずっと柔らかく、温かく、いい匂いがする。だけど、華奢でもろくて今にも壊れてしまいそうな、小さな女の子だった。
「もうっ、ほんと……京にいの、ばか……。……ありがと」
胸の中に収まったまま、顔だけ見上げて、ひまわりのように笑った。いい笑顔だ。もう、大丈夫だろうとまた頭をよしよしと撫でる。
ここあは気持ちよさそうにされるがままになったまま、目を閉じながらつぶやいた。
「京にい……言質、とったからね。ココ、もう我慢しないから。好きなだけ甘える」
「ああ。そーしてくれ」
ココはその言葉を聞いて安心したように、ぱっと体を離す。
なんとなく温もりが名残惜しくて、あ、と手を中途半端に出してしまった。
「へへへ、なーに京にい?もしかして、まだココと抱き合っていたかった?」
「……そんなんじゃ、ねーよ」
返事がワンテンポ遅れてしまったのは、肯定ととられてもおかしくはない。
ここあはにやにやと生意気な笑みを深めると、人差し指を立て、細い腕をぴーん!と天井に向けて伸ばした。
「よぉーし、ココ決めた!明日はお休みじゃん?だから今日は京にいの家に泊まるっ!そんで明日は一緒に出掛けるの!」
「はぁ!?」
「一緒に寝よっ!あっ、後で家から着替えとぬいぐるみ持ってこなくちゃ!くまちゃんの。それから明日の服!おろしたてのサマーワンピースあるんだぁ」
「いやっ、待て待て!お母さんとお父さんが何て言うかっ……!」
「えー、大丈夫だよ。だってお母さん京にいのことだいすきだもん」
「いやだいすきって……」
と言いつつ、ここあのお母さんのことを思い出すと、否定はできないかもしれないな、と考える。いつもココの面倒見てくれてありがとうねえ、ほんとに。京介くんなら安心だわぁ、と絶大な信頼を寄せてくれているのをひしひしと感じるのだ。
ううむ、と渋っているとここあの子供用の携帯がぴこんとなった。
「お母さんいいって!ありがとって伝えてって書いてあるよ」
「はやっ!」
「じゃ、荷物まとめてくるね!」
「えっ、ほんとに!?それでいいのか!?」
いくら幼馴染で妹のような存在だからと言っても、男と女であって、出かけるのは分かるがお泊りはアリなのか……?
唸る俺をよそに、ここあは首をこてんとかしげる。
「いいのかって……。京にいもしかして、サマーワンピース好きじゃなかった?白いやつだよ、胸元に水色のリボンとフリルがついてる。京にい絶対好きだと思って買ってもらったんだけど」
「いや、好きじゃなくないけど!」
むしろ好みだけど!そういうことではなくてだな!てか俺のこと意識して買ったのかよ……!?それに何で好みを把握しているんだ!
俺がどう伝えればいいのか分からないわ恥ずかしいわで口をパクパクさせていると、
「そっか!じゃ持ってくるー!あ、あと今日の夜ご飯はカレーがいい!」
とだけ言い残し、どたどたと家を出てしまった。
ちゃっかりリクエストをしていったここあに、やれやれいつも以上に元気になってよかったよ、とため息をつきつつ、頬が緩んでいることに気付く。
俺も俺だよなあ。ちょっと楽しみなんだから。
俺は気合を入れるためにエプロンをきっちりしめると、カレー作りに取り掛かった。
夜9時。
夕ご飯にカレーを食べ、お風呂を終えるとピンク色のうさぎ柄パジャマを着たここあは、テレビの前のソファに座っている。
「そろそろ寝る時間だぞ、小学生なんだから沢山寝ないと」
ここあはわかりやすく唇を尖らせた。
「むぅ、子ども扱いしないで。まだ起きるもん」
と言いつつも、さっきまでテレビを見ながらうつらうつらしていたし、眼もとろんとしているので本当は眠いのだろう。
「俺のベッドで寝て良いから、な?俺はソファで寝るよ」
「……やだ」
「え、俺のベッド嫌……?」
「そうじゃなくて、京にいと一緒じゃないと寝たくない」
むうとほっぺを膨らませねめつける。
しかしとろんと寝ぼけた目や血色のいい頬のせいか威圧感は全く感じず、それどころか愛くるしいとさえ思ってしまった。
しかしさすがに一緒のベッドで眠るのは抵抗がある。
「……狭いぞ」
「いいもん。くっつけるから」
「……」
意地でも譲らなそうだ。
ここあはこうなると頑固なんだよなあ。仕方がないから寝かしつけた後、こっそりとベッドを出るか。よし、そうしよう。
「分かったよ、一緒に寝るか」
「うんっ」
ここあの手を引いて寝室まで連れていく。青いベッドに2人で入ると、子供体温が伝わってくる。毛布の中があっという間に暖かくなった。
寝冷えしないように、毛布をここあの首まで引っ張り上げた。
「……ねぇ、よしよしして」
「はいはい」
すっかり甘えモード全開になったな。本当はずっとこうしたかったのかもしれないと、俺は丁寧に頭をなでる。
柔らかい髪をすくように、あやすような手つきで。
「……今日さー、京にいが……ああ言ってくれて……ココ嬉しかったなぁー……」
こんなふうに素直になるのは珍しかったので驚いて顔を見ると、もう半分寝かかっているというか、かなり寝ぼけていた。だから本音がすんなりと出てきたのだろう。
話すスピードも遅いし、声もとろけている。
普段は見られない姿。見てはいけないものを見てしまった気もするが、精いっぱい甘やかすと決めたので、続きを促すことにした。
「……うん」
「ココ、ずっと寂しかったの……。いつも寝るとき1人で……。だから……京にいが……いたらいいのにって思ってた……。でも…………結婚したら……毎日一緒にいられるでしょ……?だから……京にい……ココを……お嫁さんに…してくれる……?」
そう言うと、すーっと深い呼吸をして眠りに落ちた。
……そういうことだったのか。
からかっているだけのように見えて、ちゃんとここあなりに考えていたんだな。
俺は、もう眠ってしまったここあの頭をずっと撫で続けた。
ここあがしてほしかったこと、これからは迷うことなくしてあげたい。
俺がここあとしたいこと、一緒に行きたい場所も沢山あるんだ。
明日になったらここあはきっとこのことを覚えていないだろう。
だから俺は、10年後、白いスーツに花束を持って返事をできるようにしようと、こっそりと決意を固めるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!