実家で妹たちに虐げられた銀髪美少女令嬢は、築三十年のアパートでクラスメイトと家族になる。
わたしの家は、この地方都市で最も大きな企業「遠見グループ」を経営する大金持ちだ。
お屋敷もとても広くて、「遠見の屋敷」といえば市内で知らない人間は一人もいないと思う。
わたしはその遠見家の当主の孫娘で、十五歳の高校一年生。
そんな裕福な家に生まれたのなら、普通は恵まれているだろう。
けど――わたしはまったく幸せじゃない。
水琴玲衣。それがわたしの名前。
そして、その名前が、わたしが幸せじゃない理由だった。
「姉さん、どうしたんですか? 早く自分の部屋に入ったらどうですか?」
冬のある日。学校から帰ってきたわたしに危機が訪れた。
わたしの一つ年下の異母妹が、廊下に立って、冷たい笑みを浮かべていた
彼女は黒髪黒目の可愛い女の子で、中学のブレザーの制服を着ていた。そして、憎しみのこもった瞳でわたしを見つめている。
わたしはこの妹からいつも嫌がらせを受けていた。物を隠されたり、罵倒されたり……。
嫌がらせをされるのは、わたしが愛人の子、いわゆる私生児だからだ。
お母さんは北欧系で、わたしはハーフで銀髪碧眼だ。自分で言うのも変だけれど、容姿は優れているけれど、でも、嫌な目立ち方をすることが多かった。
この家でのわたしの立場は弱くて、ずっと我慢していたけれど、今日はさすがに度を越している。
だって――わたしの部屋に、明らかに知らない少年たちがいたのだから。柄の悪そうな不良少年たちが下卑た顔で、わたしの部屋を物色している。
このまま部屋に入ったら、襲われる。これはきっと妹――遠見琴音の仕業だ。
わたしは気づかなかったふりをして部屋の前から引き返し、そこで琴音に会ったわけだ。
「ちょっと玄関に忘れ物しただけ」
「姉さんってば、本当に愚図ですね。学校での成績だけはいいくせに、役立たずなんだから」
琴音の罵倒にわたしは目を伏せ、そのまま通り過ぎる。何も言い返せないのは、わたしに罪の意識があるからだ。
……わたしの名前の「水琴」というのはお母さんの名字だ。お母さんは、わたしの父である遠見家の嫡男と不倫して、わたしを生んで一人で育てていた。
けれど、愛し合う二人は駆け落ちして……香港へ向かう船は、途中で事故に遭い、わたしの両親はわたしを助けようとして犠牲になった。
わたしはたった一人生き延びてしまった。小学生のわたしは、遠見家に引き取られた。わたしの祖父は遠見一族の総帥として健在で、わたしはその孫娘ということになる。
わたしの祖父は、初めて会ったときから、わたしに素っ気なかった。そして、それ以外の遠見家の人間はわたしを白眼視した。
当然だ。
わたしのせいで……父も母も死んだのだから。誰もわたしの味方はいなかった。
お父さんの奥さんの娘……つまり、わたしの異母妹の琴音はわたしに憎悪の瞳を向けた。
「姉さんが、私たちを不幸にしたんです!」
琴音は黒い瞳でわたしを見つめ、そして、わたしを非難した。そうされても仕方なかったと思う。
琴音の言う通りだったから。
わたしのせいで、遠見家の大事な嫡男だった父は死んだ。琴音の母は絶望して自殺した。琴音たちを不幸にしてしまった。
わたしのお母さんも、わたしのせいでいなくなった。
わたしは琴音に嫌がらせを受けるようになったけれど、それに反発することはできない。わたしのせいで、みんなが不幸になったのは事実だから。
愛人の子供で、銀髪碧眼のハーフ。そんなわたしは遠見家のなかでも、学校でも浮いた存在になってしまった。
わたしの居場所は、どこにもなかった。
そんな状況が数年続いて、わたしは高校生になった。通う高校は、小さな地方都市のなかでは進学校だけれど、ごく普通の学校だ。
代わり映えのしない、孤独で辛い日々が続くのだとわたしは思っていた。
でも……。
わたしは屋敷の玄関まで戻り、琴音を振り返る。部屋へ戻れば、ひどい目に会うのは間違いない。
でも、玄関から出ていけば、怪しまれる。わたしは自由に外出することもあまり許されていないし。
琴音はじっとこっちを見ている。わたしは決断した。
逃げるしかない。わたしは玄関の扉を開け放つと、走り出した。
琴音が「姉さんをつかまえてください!」と大声を上げる。だが、幸い琴音の言いなりの使用人は、近くにはいなかった。
わたしの部屋から出てきた男たちが、こちらへと走ってくる。わたしは屋敷の外へ出ると、たまたま通りがかったタクシーをつかまえた。
危機一髪。なんとか助かったけど……。
財布と携帯以外は、制服一着のみをまとったこの状態で、わたしはどこへ行けばいいんだろう?
高校生だとわかる姿では、ホテルだって泊まることはできない。かといって、あのお屋敷にはもう戻れない。
「お客さん、どこに行かれます?」
タクシーの運転手さんの言葉に、わたしは現実を突きつけられた。
どこにもわたしの居場所なんてない。
でも、そうだ。一つだけ当てがある。わたしは半年前に渡された合鍵のことを思い出す。
「中一色町の方へお願いします」
それは私のはとこが住んでいる家の近くだった。
☆
もうすっかりあたりは暗くなっていた。小さなボロボロのアパートの二階へとわたしは上がる。
そして、合鍵を使って部屋を開けた。
この合鍵をくれたのは、わたしの遠縁の親戚のお姉さんだった。ほとんど話したこともない彼女は、わたしのことを心配して、その鍵をくれた。「困ったときのお守りだから」と。
その鍵はお姉さんの住むアパートの鍵で、逃げ込めるようにしてくれたわけだ。けれど、お姉さんは、今は海外留学中でこのアパートを不在にしている。その従弟で、わたしのはとこにあたる秋原晴人くんが、住んでいるはずだった。
名前は知っているけれど、それだけだ。実は彼はクラスメイトだけれど、何の印象もない。
容姿はけっこう整っているみたいで女子に人気はあるけれど、本人はあまり興味がないのか、いつも落ち着いた様子だった。
とはいえ、秋原くんも男の子だし、わたしは男の人が苦手だった。下心丸出しでわたしに近づいてくる男の人は多かったし、わたしの両親の不倫がみんなを不幸にしたことを考えると、どうしても男性というものに警戒心を持ってしまう
でも、この家が、わたしが最後に逃げ込める場所だった。ここにわたしは住むことになる。
同い年の男の子と同じ家に住むなんて……。わたしは不安でたまらなかった。何かされたらどうしよう……?
これがわたしの運命の転機になるなんて、思いもしなかった。
しばらく玄関前で待ったけど、秋原くんはまだ帰っていないようだった。本当は彼が戻ってくるまで待つべきなんだろうけれど、制服のセーラー服だけでは、寒くて外で待つのは耐えられない。
家に入って、ダイニングキッチンのような場所まで行く。部屋は綺麗に片付いていた。高校生の男の子の部屋としては、よく片付いている。
あまり間をおかず、ちょうど秋原くんが帰ってきた。彼はきょとんとした顔でわたしを見つめた。
黒髪黒目の彼は穏やかな雰囲気だけど、よく見るとけっこうな美少年だ。顔立ちも整っているし、肌も女の子のように白い。
他の女子のクラスメイトから人気があるのも理解はできる。わたしは興味はないけど。
「秋原くん、だよね? なんでそんなふうに固まってるの? 靴、脱いだら?」
直立不動で玄関に立ち尽くす秋原くんに、わたしは声をかける。
彼は我に返ったようで、わたしの瞳を見つめ返すと、咳払いをした。
「水琴さんだよね。クラスメイトの。何が起こってるのか、よくわからないけど、たぶん、部屋を間違えているよ」
「ここは三〇一号室で、秋原晴人くんの部屋でしょう? 間違えていないわ」
「なら、なんで俺の部屋にいるのかな」
「だって、今日からここがわたしの家になるんだもの」
わたしは、当然のことのように言った。弱みを見せたくない。
けど、内心は不安だった。ここを追い出されたら、わたしは行く当てがない。
秋原くんはわたしの言葉を、まったく違う意味に受け取ったようだった。
「もしかして、俺がこの部屋から追い出されるの? 家賃の滞納なんてしていないのに、立ち退けなんて、そんなのは借地借家法違反だ」
「追い出すなんて誰も言ってないわ」
「でも水琴さんはこの部屋に住むんだよね?」
「えっと、わたしが秋原くんと一緒にこの部屋に住むの」
「そ、それは困るというか……」
「……わたし、ここに住む必要があるの。だって、他に行く場所がないんだもの」
わたしは消え入るような声でそう言い、彼を見つめた。秋原くんは事情を知らないらしい。
わたしは彼の従姉に鍵をもらったこと、そして、自分の住んでいる屋敷に戻れないことを話した。
秋原くんは相槌を打ちながら、静かにわたしの話を聞いてくれた。
そして、彼は考え込む。拒否されたらどうしよう……と思っていたら、わたしはくしゃみをしてしまった。
途中まではタクシーで来たけど、最後は歩いてきたし、廊下で待っていたから、身体はかなり冷えている。
壁にかけたデジタル式の室温計は3℃を示していて、部屋がかなり寒いことを示している。
秋原くんは慌てた様子で、暖房のリモコンを取り出して電源を入れてくれた。そして、自分の黒いダウンコートをわたしに差し出す。
「とりあえず、これ着なよ。部屋のなかでコートってのも変だけど、部屋が暖かくなるまでのあいだは、着ないよりマシだからさ」
「……いらない」
わたしは反射的に拒否してしまった。
秋原くんは首をかしげる。
「風邪ひくよ? 俺みたいな男が着たコートなんか嫌なのかもしれないけど、そこは我慢しようよ」
「でも、借りを作るみたいで嫌なの」
「借りだなんて思わないでよ。目の前で寒そうにしている人がいると、俺が困っちゃうから、俺を助けてくれると思えばいい。あ、コートより毛布のほうがいいか。どっちがいい?」
わたしはちょっとためらった、それから小声で「両方」と言った。
彼はうなずくと、まずわたしにコートを押し付け、押入れのなかから毛布を取り出してそれも渡してくれた。
そして、食卓の椅子を勧められ、わたしは座る。
秋原くんは冷蔵庫を開けて、わたしを振り返った。
「ココアとはちみつ入りホットミルクなら、どっちが飲みたい? 牛乳が嫌いならコーヒーとか淹れるけど」
「わ、わたし、そんなことまで秋原くんにしてもらうつもりはないわ」
「俺も寒いから飲むんだ。ただのついでだよ。それに、客に飲み物を出すのは当然のことだからね」
ただのついで、というけれど、きっとわたしのために作るのだと思う。
わたしに気を遣ってくれているんだ。
わたしはうつむいて、「はちみつ入りホットミルク」と短く答え、秋原くんは「了解」と答えた。
しばらくして、秋原くんがマグカップを持ってきてくれた。
「どうぞ」
秋原くんがわたしの目の前に座る。
わたしはおそるおそるマグカップに口をつけた。
「おいしい」
わたしは小さくつぶやいた。
「ただのホットミルクだよ」
「でも、さっきまですごく寒かったから、すごくおいしく感じる」
わたしは思わずそう言ってしまう。
秋原くんはくすっと笑う。
「水琴さんさ、困ってるなら頼ってくれていいよ」
「それって、わたしはここにいてもいいってこと?」
「もちろん。いたいだけいてくれていいよ。これまで大変だったよね」
わたしの事情を知って、秋原くんは労ってくれているみたいだった。「大変だったよね」というのは、わたしが一番言ってほしかった言葉だ。これまで、わたしを心配してくれる人なんてほとんどいなかった。
秋原くんは真面目な表情で、わたしを見つめる。
「他にも何か困ったことがあれば、できるだけ力になるよ」
「どうしてそんなに親切にしてくれるの?」
「クラスメイトで、はとこだから。それじゃダメかな」
そういって微笑む秋原くんは……とても優しい表情だった。思わず、わたしはどきりとする。
その感情が何なのか、わたしにはわからなかった。
でも、もしかしたら。ここは、わたしの居場所になるのかもしれない。
「ありがとう。……えっと、その、迷惑をかけるかもしれないけど……これからよろしくね、秋原くん」
わたしは自然と柔らかい笑みを浮かべていた。こんな表情をするのは、久しぶりだ。秋原くんはわたしを少し見つめ、そして恥ずかしそうに顔を赤くした。
「どうしたの?」
わたしが不思議になって聞くと、秋原くんはうろたえた。
「いや、その……」
「言えないようなこと?」
「笑顔の水琴さんが可愛くて、見とれていた」
意外な答えに、わたしは自分の頬が熱くなるのを感じた。
「そ、そっか……」
秋原くんに「可愛い」と言われて、嬉しく感じた自分が意外だった。
美人だ美人だって、みんなわたしのことを言っていた。わたしが外国風の美少女だから、昔から言われ慣れている。
でも……。
「秋原くんに『可愛い』って言われると、新鮮だなって思うの。どうしてだと思う?」
「さ、さあ……」
わたしの問いに秋原くんは口ごもってしまう。
わたしはくすっと笑った。
きっと、その理由をわたしも秋原くんも、すぐにわかると思う。
そんな気がした。
☆
その日から、わたしと秋原くんの共同生活が始まった。
アパートの奥の部屋――以前、秋原くんの従姉が住んでいた部屋が、わたしが寝起きする場所になっている。
秋原くんは本当に紳士的で、優しかった。
高校生の男の子なのに、秋原くんは家事万能で、料理も上手だった。
美味しい料理を食べさせてもらって、夜は怯えることもなくてぐっすり眠れて、この築三十年のアパートでの生活はとてもとても快適だった。
家事もほとんど秋原くんがやってくれる。さすがに洗濯は……わたし自身でやるけど。
ただ、このままじゃいけないと思う。
秋原くんは「気にしないでいいよ」なんて笑ってくれるけど、わたしも家事を分担したい。
居候しているのに何もしないなんて申し訳ない。それに、秋原くんに嫌われて、追い出されてしまうのが怖かった。
秋原くんはそんなことしそうにないけれど……。でも、どうなるかわからない。
幸い、単身赴任中の秋原くんのお父様が、遠見の屋敷と話をつけてくれた。祖父が後見人として管理しているとはいえ、わたしが両親から相続したお金も少なくない。
だから、お金や法的な面での心配はないから、あとは秋原くんと上手くやっているか、だけが問題だ。
あの屋敷には、もう戻りたくない。
そして、一緒に住んで三日目の放課後。
わたしは秋原くんと一緒に、高校から家へと帰っていて、その途中で商店街で寄り道をしていた。なぜか秋原くんはそわそわとした様子で落ち着かなさそうだ。
「ど、どうしたの? 秋原くん? わたしと一緒にいるの……嫌?」
「そ、そんなことないけどさ。目立つから……」
「へ?」
秋原くんはちょっとためらい、顔を赤くしてささやく。
「水琴さんみたいな美人と、制服を着て二人きりだと……」
ああ、そういうことか。たしかに……これはまるで……。
「制服デートみたい、とか思っちゃった?」
わたしがからかうように言うと、秋原くんは「そ、それは……」と口ごもる。
やっぱり、考えていたんだ。
「制服デートみたい、じゃなくて、制服デートそのものかも」
「水琴さん、からかわないでよ……」
「からかっているつもり、無いんだけどな」
わたしはそんなふうに小声で言い、秋原くんを上目遣いに見る。
秋原くんは慌てふためいた様子で、顔を耳まで真っ赤にする。
可愛いな、と思って微笑ましくなる。
わたしは秋原くんとなら、デートしてもいいし……。むしろ誘ってくれたら喜ぶと思う。
だから、からかっているつもりは無いというのも本心だった。
「デートなんて一度もしたことないよ……」
と秋原くんが言う。わたしは目を見張った。
「秋原くん、モテそうなのに。彼女とかいないの?」
「いないよ。いたこともない」
「ふうん。意外……」
「そういう水琴さんこそ、モテそうだけれどね」
「わたし、彼氏はいたことないよ?」
わたしは反射的に応えた。
もともとわたしは男嫌いだったし。容姿は客観的に見ても優れているから、告白されることはあったけれど……全部、断ってきた。
「そ、そうなの?」
秋原くんはびっくりしたように言う。そんなに意外だっただろうか……?
でも、そっか。
心の中で安心して、嬉しく思っている自分に気付く。
秋原くんに彼女がいたって、わたしには関係ないはずだ。なのに、もし秋原くんに彼女がいると聞いたら、わたしは不安になって、嫉妬してしまっていただろう。
それはつまり……。
わたしは秋原くんを見つめた。秋原くんも彼女がいたことがないなら、わたしが彼女になれば、最初の彼女になれるんだな、と思う。
そんな恥ずかしい妄想で、わたしの頭はいっぱいになった。
「えへへ……」
「えっと……水琴さん?」
秋原くんに心配そうに尋ねられ、わたしははっとする。
しまった。自分の世界に引きずり込まれていた。
えっと、今は夕飯の買い出しに来たんだったっけ。
商店街をわたしはきょろきょろと眺める。
「わ、わたしたちの家の近くにこんな商店街があったんだ……」
「そうそう。けっこう昔からある商店街だけど、ちゃんと今でも繁盛していて、自炊の食材を買うのに重宝してる。値段も安くて、お得だし」
「晴人くんが主婦みたい」
わたしがくすっと笑うと、秋原くんも微笑んだ。
「言われてみればそうかもね」
「わたしも、晴人くんに甘えてばかりじゃダメだよね。晴人くんのためにご飯を作ってあげたりとか……できるようになりたいな」
それが、一緒に商店街に来た最大の理由だった。決して、制服デートをしたかったわけではない。
いや、ちょっとはしたかったんだけどね?
晴人くんは首を横に振った。
「甘えてばかりなんて、そんなこと考えなくていいよ」
「わたしがそうしたいの。晴人くんに甘やかされてばかりじゃなくって、晴人くんを甘やかすことができるような女の子になりたいなって思ったから。こうして一緒に買い物に来ているのも、晴人くんに料理を作ってあげられるようになる準備なんだから」
「そうなの?」
「晴人くんのやり方を見て、一人で買い物に行っても安くて美味しいものを買えるようにしたいなって」
「ああ、なるほどね。たしかに一緒に見て回るのは良いかもしれない」
精肉店にしても八百屋にしても、このあたりには良い店がたくさんあるみたいだし。秋原くんに教えてもらえば、間違いもないと思う。
もう少し甘えても、秋原くんは許してくれる気がする。
「あ、あのね。料理も晴人くんに教えてほしいなって思うの」
「もちろん。それぐらいお安い御用だよ」
「やった!」
秋原くんがそう言ってくれて、わたしは嬉しかった。
これからも……わたしは秋原くんと同居生活を送るんだ。
実家の広くて冷たい屋敷より、狭いアパートでの秋原くんとの生活の方がわたしはずっと楽しかった。
まるで本物よりも温かい家族ができたみたいで、わたしは幸せだと思う。
こんな生活が続くことをわたしは祈っていた。
けれど、そこに思わぬ妨害が入った。
☆
秋原くんと一緒に家に帰ると、玄関前に、妹の琴音が立っていた。
わたしを激しく憎んでいて、男たちに襲わせようとした異母妹だ。
びくりとわたしは震える。
琴音の背後には不良っぽい男子生徒たちが三人いた。
「姉さんが男の家に転がり込んでいるなんて思いませんでした。血は争えませんね。母親みたいに、男に股を開いてたぶらかしたんですか?」
琴音がうつろな笑みを浮かべそんなことを言う。
わたしは秋原くんの服の袖を思わず、ぎゅっとつかむ。
「違う。わたしはそんなことしないし、秋原くんもそんな人じゃない……!」
「ふうん。まあ、どちらでもいいですけど、姉さん、素直に家に帰ってきたほうがいいですよ」
「遠見家との話はついているはずでしょ?」
「姉さんが幸せそうにしているのは、私、許せないんです。わたしからお父さんとお母さんを奪ったんだから、家に帰ってきて、もっとひどい目にあってもらわないといけませんよね?」
「い、家に帰れるわけないじゃない!」
家に帰ったら、琴音の言う通り、ひどい目にあわされる。男たちに襲われて……その後は想像もしたくない。
でも、琴音は微笑んだ。
「ねえ、玲衣姉さん。その秋原先輩って人が大事なんですか?」
「え?」
「もし少しでも恩を感じたり、好意を持っているなら、素直に私の言うことを聞いた方がいいですよ。ひどい目にあうのは、姉さんだけで済みますから」
秋原くんにも危害を加えるつもりなんだ……。この街での遠見家の権力は強い。嫡流の琴音も、中学生ながらかなりの無茶をしてもお咎めなしになると思う。
わたしさえ、我慢すれば、秋原くんは無事だ。わたしは琴音の提案にうなずきかけた。
けれど、黙っていた秋原くんがわたしの前に進み出る。まるで、わたしをかばうかのように。
「君は、水琴さんの妹さん?」
「残念だけど、そうですね」
「水琴さんが困っているみたいだから、帰ってくれないかな? 水琴さんは、もうこの家の住人だよ」
秋原くんの言葉に、わたしは目を大きく見開く。秋原くんがわたしをちらりと振り返ると、わたしに優しく微笑みかけた。
一方、琴音は顔色を険しくする。
「今の話、聞いていました? 姉さんはうちに帰るんです」
「いいや、水琴さんを怯えさせる人たちのいる場所に、水琴さんを帰すわけにはいかないな」
「……後悔しますよ? 私を誰だと思っているんです?」
「ただの中学生の女の子だね」
「……っ! わ、私は遠見の娘なんです! この街で一番の権力者の娘なんですよ! 先輩一人ぐらい、大怪我を負わせたって揉み消せます」
わたしは心配になった。琴音なら、ただの脅しでなくて、本当にやりかねない。琴音はわたしと違って甘やかされて育てられた。でも、両親もいなかった。
そのことが琴音を歪んだ性格に育てている。わたしへの憎しみから、秋原くんを傷つけるぐらい平気でやる。
わたしは秋原くんの服の袖を引っ張った。
「わたしは……秋原くんが傷つくところを見たくない。わたしが我慢すればいいから……」
「我慢する必要なんてないよ。……水琴さんはさ、お屋敷に帰りたい? それともうちの家にいたい?」
「この家に、秋原くんと一緒にいたい!」
わたしは迷うことなく、即答した。それがわたしの本心だった。
ここでの生活は、わたしに居場所をくれた。両親を失ってから、初めて信頼できる人に出会えた。
「なら、水琴さんはここにいていいんだよ。ここは水琴さんの居場所なんだから」
秋原くんがそう言ってくれるのは嬉しかった。わたしはその言葉にすがりそうになる。
でも……。
「わたしのせいで秋原くんがひどい目にあったら、わたしはわたしを許せないもの」
「俺はひどい目にあったりしないよ」
秋原くんは自信たっぷりに微笑む。琴音は手下の男子たちに合図すると、一斉に秋原くんに襲いかかる。
秋原くんが殴られて、半殺しにされたらどうしよう? それに、そうなったら、わたしも、きっと無事では済まない。
わたしはぎゅっと目をつぶる。
でも、予想どおりにはならなかった。
「……え?」
衝撃音でわたしが目を開くと、男子の一人が投げ飛ばされていた。次に殴りかかる男子生徒も、秋原くんはあっさりと足を払って転倒させる。
普段は穏やかな印象の秋原くんが、今は顔を険しくしていて、とても威圧感があった。最後の一人は秋原くんに睨まれると、「ひっ」と悲鳴を上げて、逃げ出してしまった。
次に秋原くんの目は、琴音に向けられる。琴音は逃げ出そうとするが、つまずいて尻もちをついてしまう。
彼女は恐怖の目で秋原くんを見上げ、涙目になっていた。
「ご、ごめんなさい……わ、私が悪かったですから! 殴ったりしないで……」
「女の子を殴ったりするつもりはないよ。ただ、二度と水琴さんに手出しをしないって約束してほしいな」
「そ、それは……」
「約束してくれる?」
秋原くんが低い声で言う。琴音はこくこくとうなずいた。
そのとき、投げ飛ばされた男の一人が起き上がった。秋原くんは背を向けていて、気づいていないみたいだ。
そのまま男は振りかぶって秋原くんを殴ろうとする。秋原くんも気づいて振り向こうとするが、このままだと間に合わない……。
秋原くんはわたしを守ろうとしてくれた。なら、わたしも……秋原くんを守りたい!
わたしはとっさに男に体当たりした。非力なわたしの力でも男は一瞬ひるむ。だから、秋原くんは殴られるのを避けれた。
だけど、男は怒りに目を燃やし、わたしを突き飛ばした。
「きゃああああっ」
わたしは床に倒れこむ。そして、男がわたしを殴ろうとした。
「秋原くんっ!」
わたしは思わず、秋原くんの名前を呼ぶ。そのとき、秋原くんが後ろから男の肩をつかむ。振り返った男の頬に、秋原くんが拳を叩き込んだ。
男は「ぐえ」と変な声を上げると、その場に倒れ込む。助かった……みたいだ。
「大丈夫、水琴さん?」
「う、うん……」
秋原くんがわたしに手を差し伸べてくれる。まるでその姿は、わたしを助けてくれる王子様みたいだった。
わたしはその手を取り、立ち上がった。
いつのまにか、琴音と男たちは形勢不利と見たのか、逃げ出していた。
わたしはほっと息をつく。安心すると、緊張の糸が切れて、わたしは……目からぽろぽろと涙をこぼす。
「怖かった……」
泣くわたしの肩を秋原くんがぽんぽんと叩く。
「もう大丈夫だから」
秋原くんの言葉に、わたしは思わず秋原くんにぎゅっと抱きついてしまう。
「み、水琴さん……!?」
「少しだけ、抱きしめていて……」
秋原くんの身体はとても温かくて、心地よかった。
目の前の秋原くんはとても動揺している。さっきはあんなにカッコよかったのに、今はわたしに抱きつかれただけで、こんなに慌てふためいている。
そんな秋原くんが可愛くて……。しかも、わたしがそんな反応をさせていることが嬉しかった。秋原くんはうろたえながらも、わたしの望み通り、ぎゅっと抱きしめてくれた。
わたしは気分が落ち着いてきて、いちばん大事なことを言い忘れていることに気づいた。
「助けてくれてありがとう。秋原くん」
「こっちこそありがとう、水琴さん」
「わたしはお礼を言われるようなこと何もしていないよ?」
「俺が殴られそうなとき、勇気を出して体当りして助けてくれたよね? あれがなかったら、俺は危なかった」
「あ、あんなの大したことじゃない……」
「いいや、大したことだよ。結果的に、水琴さんを危険な目にあわせてしまったのは、俺の油断のせいだ」
「ううん。全然平気」
わたしが突き飛ばされたのを言っているんだろう。でも、わたしは最終的には助かったし
わたしは微笑んだ。
「秋原くん、カッコよかったよ?」
「そ、それはありがとう」
「それに、ここがわたしの居場所って言ってくれて嬉しかった。本当に嬉しかったの」
秋原くんが照れたように、ぽりぽりと頬をかく。
そういえば、わたしは抱きついたままで、秋原くんはわたしのお願い通り、わたしを抱きしめたままだ。
さすがにそろそろやめないと、はしたない……かな?
でも、わたしは秋原くんを離したくなかった。
頬の赤い秋原くんを見て、わたしはからかいたくなる。
「秋原くん、照れてる?」
「ちょっとね。えっと、そろそろ離れてもいい?」
「ダメ。もう少し、秋原くんの温かさを感じていたいもの」
わたしがそう言うと、秋原くんは「仕方ないな」と微笑み、そして、ためらいがちに手を伸ばす。
次の瞬間、秋原くんはわたしの銀色の髪をそっと撫でていた。 秋原くんの手の温かさが伝わってくる。
「あっ……」
わたしがびくっと震え、吐息をもらすと、秋原くんが慌てた。
「ごめん。嫌だったら言ってよ」
「ううん、嫌じゃない。とっても……気持ちいい。毎日撫でてもらいたいぐらい」
「そ、それは……できないよ」
「一緒の家に住んでいるから、できるでしょう?」
「そんなこと、してもいいの?」
「秋原くんはわたしの髪、撫でたい?」
「……水琴さんの髪、とても綺麗だから。銀色で神秘的で……」
「そっか。わたし、この髪の色、嫌いだった。目立つし、みんなと違うし。でも、秋原くんにそう言ってもらえるなら、この髪の色も好きになれそう」
わたしがくすっと笑うと、秋原くんはますますうろたえた様子だった。
わたしはそっと手を伸ばし、秋原くんの頬を撫でる。
そっか。わたし、やっぱりこの人のことが好きなんだ。
「ね、秋原くん。……好き」
「す、好きって何が?」
「秋原くんのことに決まっているでしょう?」
「お、俺が!? どうして俺なんか……」
「だって、秋原くんは優しいし、かっこいいし、わたしに居場所をくれた。それに、わたしを守ってくれたもの。好きにならない理由がないよ」
「ありがとう。でも……」
「もちろん、まだ、わたしは秋原くんのことを知らないし、秋原くんもわたしのことを知らないと思う。だからね、わたし、秋原くんのことを知りたい。秋原くんにもわたしのことを知ってほしい」
秋原くんは口をパクパクさせて固まっていた。
やがて秋原くんは小声で言う。
「み、水琴さんが俺を好きなんて信じられないな」
「どうして?」
「だって、水琴さんは美人で頭も良くて、それに話していて楽しいし……俺なんかには釣り合わないよ」
「そんなことない。秋原くんが信じられないなら――」
わたしは秋原くんの腕をそっと引っ張った。そして、わたしは秋原くんの唇に、強引に自分の唇を重ねた。
秋原くんがびくっと震える。わたしも恥ずかしくて死にそうだけれど、でも、ここでやめたら意味がない。
初めてのキスは、とても優しい触れ合いだった。
やがて、わたしがキスを終えると、わたしたちは一度、互いから離れた。秋原くんが顔を真赤にしてわたしを見つめる。
「み、水琴さん……」
「い、嫌だった?」
「嫌じゃない。驚いたけど、そ、その、むしろ嬉しいよ……」
秋原くんも、男の子だし、そういうことに興味はあると思っていたけど、この反応は意外だった。
もしかしたら、秋原くんもわたしを好きって言ってくれるかな……?
告白したら、返事をされる、ということに、わたしはそのとき初めて気づいた。ここで秋原くんに拒絶されたらどうしよう?
今のままの関係でも、一緒の家にいられれば良かった。だけど……。
「あ、秋原くん。返事はいらないから。ただ、その、わたしが秋原くんを好きだって伝えたかっただけで……」
「ここまでしてもらって、返事をしないなんてわけにはいかないよ。俺も……水琴さんを好きだと思う」
わたしは目を丸くして、秋原くんを見つめた。秋原くんが目を泳がせるけれど、やがて、わたしはじわじわと喜びがこみ上げてくる。
「秋原くん……嬉しい」
わたしが秋原くんに抱きつこうとすると、その前に秋原くんの方からわたしを抱きしめてくれた。
甘えるように、わたしは秋原くんの胸に顔を埋める。
「わたし……秋原くんにもっと好きになってもらえるように、努力するから」
「そ、そんな努力しなくても大丈夫だよ?」
「わたしがしたいの。秋原くんの方から、わたしにキスしたいと思えるぐらい、魅力的な女の子になるんだから!」
「今だって、水琴さんは十分に魅力的だよ」
「本当?」
「だって、俺もキスしたいと思っているから」
そして、秋原くんは不意打ちでわたしの唇を奪った。
お互いを確かめるように、わたしたちはキスをした。
こんなふうに、わたしはこれからも秋原くんに甘やかしてもらえるんだ。
同じ家に住んでいれば、もっといろいろなことをする機会もあるよね。
料理をしたり、ゲームで遊んでみたり、勉強を教え合ったり。
同じ布団で寝たり……とかも。わたしは秋原くんと結婚しているところを想像してしまい、頬が熱くなった。
そんなわたしの髪をを、秋原くんがふたたび優しく撫でる。
わたしたちは恋人として二人で暮らして、きっといつかは本物の家族になれる。
初めてできた居場所で、わたしは秋原くんと素敵な生活を送れるって信じることができた。
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