肖像画
いよいよ美術の授業スタートです。
美術での最初の授業は、二人一組になって、お互いの肖像画を描くことだった。当然のようにアビー様が、私のペアに名乗りをあげた。
すると、美術担当の先生が「まぁ」と驚いた声をあげて嬉しそうに顔を綻ばせる。
「アビー、貴方は平民を嫌う質の人だとばかり思っていましたが、私の勘違いのようでしたね。身分を問わずに仲良くしようとする意思は、貴族にとって美徳です。皆さんもアビーを見習うように」
他の生徒達が、私たちをちらちらと見ながら、自信なさげに返事をする。その返事を聞いた先生は、にこりと女性らしく美しい笑みを浮かべると席に座り直した。
一番後ろの席に座る私たちのことを、先生はきっとよく見ていなかったのだろう。先生が話し出す前から、私の足はずっとアビー様によって踏まれていた。それを周りにいる何人かの生徒達は、わかっていたから先生の言葉に微妙な反応を示したのだ。
イビー様は、他の生徒と組んで我関せずという態度だ。
「ねぇー、あんたの顔さ、布で見えないんだけど。それ取ってくんない?」
「‥‥‥私の顔は、見せられるほどのものではありませんので」
「そんなこと言ったってさー、これじゃあ、肖像画なんて描けないんだけどぉ」
「すみません」
「謝ってほしいわけじゃなくってさぁ。本当イライラする。さっさと取れよ」
「‥‥‥」
確かに肖像画を描くには、このフェイスベールは邪魔だ。でも、この下には化粧で隠しきれないほどの、醜い火傷跡がある。
そんな顔見られたら、アビー様にもっと揶揄われる。そんな思いから、私は布を取ることを躊躇してしまった。
「あっ、そう。そんな態度取っちゃうんだぁ‥‥‥じゃあ、いいや。せんせーい、ダリアちゃんが、意地悪してぇ、顔の布取ってくれませーん。これじゃあ、肖像画描けないんですけどー」
その言葉に反応して、先生はすぐに私たちの元へやってきた。
「ダリア、アビーが寄り添ってくれているのに、何ですかその態度は? そんな布取りなさい。この時間に顔を隠す必要なんて、ありませんよ」
この学園の先生は、皆んな貴族の次男や令嬢ばかりだ。その貴族に命令されてしまったら、例えどんな事情があろうとも逆らうわけにはいかない。
そう心の中で、無理矢理納得させて、私はゆっくりとフェイスベールを取り外した。私の顔──正しくは右頬──を見て、二人は顔を歪めた。
「まぁ、なんてこと」
そう言った先生の声色には、軽蔑の色が強く表れていた。先生はそのまま、これ以上見たくないとでも言うように元の場所へ戻っていった。アビー様はそれを見届けると、私に向き直って汚い物でも見たかのような顔をしたが、その表情も一瞬で消し去ると優しい笑みを浮かべた。そして、先生に聞こえないような音量で話し出す。
声が聞こえないような距離で見れば、朗らかに話し合っているように見えることだろう。
「醜い顔ー、描く気も失せたー。リムさんに言われたから美術を選んだけどぉ、こんな汚ったないもん見るんだったらー、あたしも書道選べば良かったなぁ。そしたら、シマキ様もいたしぃ」
「‥‥‥リム様に頼まれた?」
「そだよー、リムさんにあんたが美術を選んだからぁ、遊んでやってほしいって頼まれて、あたしらは美術を選んだんだよー。そうじゃなきゃ、美術なんて選ぶわけないじゃーん」
そう言いながら、私の足をより強く踏んづけた。痛みで顔が引き攣る。
「あっ、その顔もっと醜い」
「‥‥‥すっ、すみません」
クスクスと楽しそうに笑いながら、思い出したように「そういえばぁ」と間延びした声を出した。
「あんたは描けたのー? 私の肖像画」
「え、えっと、大体は」
「ふぅん、ちょっと見せて」
「あっ、でも、まだ途中なので」
「いいから」
強く言われて、仕方なくスケッチブックを手渡す。上手くもないが、特別下手というわけでもないと思う。
そんな思考は無視されるように、アビー様は笑顔のまま私のスケッチブックの肖像画を上から鉛筆で黒く塗り潰してしまう。予想もしていなかった行動に困惑する。
「あたしは、こんな不細工じゃないよー。ダリアちゃん、描き直しだねぇ」
「‥‥‥」
その時、授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。先生はそれを聞き終えると、パチパチと手を鳴らして指示を出す。
「はい! 皆さん、途中でもいいので今描いたものを提出して帰ってください」
次々と生徒達が提出している中、アビー様も私の足を踏んだまま立ち上がる。
「いっ、」
私の痛みを訴えるような声は無視されて、アビー様とイビー様は提出すると、さっさと帰ってしまった。教室に誰もいなくなってしまったため、慌ててフェイスベールを付け直して先生の元へ向かう。
アビー様によって、黒く塗りつぶされたスケッチブックを提出すると、先生は呆れたような顔をした。
「平民だからと言って、何でもかんでも出来ないということでは困りますよ。今日のところはこれで構いませんが、アビーを見習って、貴方も少しは努力なさいね」
「すみません」
「わかったなら、もう帰りなさい」
酷く惨めな気分だったが、これくらいのことなら慣れていたから耐えられた。
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授業が終わった後、シマキ様を迎えに書道室へ向かう。すると、シマキ様は私を見るなり安心したように微笑み、次いで私の手をとって何処かへ歩き出した。困惑しながらも、私はただ後を着いて行く。辿り着いた先は寮の自室だった。
幾ら昼休みで時間があるとはいえ、寮に帰って来て何をするのだろうと考えている時、突然シマキ様に抱きつかれた。
「ど、どうかされましたか?」
「それはこっちの台詞よ。アビーとイビーが美術を選択したって聞いたわ。わたくし、貴方が何かされたのではないかと、不安で不安で。大丈夫だった?」
「少し絡まれましたが、大丈夫でしたよ」
「‥‥‥ねぇ、それ本当よね?」
スッと目を細められて、背筋が凍る。
「えぇ、本当です」
「わかったわ。貴方の言葉なら信じましょう‥‥‥それにしても、矢張り難しいものね。人間は思い通りに動いてくれない」
「えっ?」
「こちらの話よ。気にしないで」
そう言って笑ったシマキ様は、ゾッとするほど美しくてそれ以上何も聞けなくなってしまった。
作った物を壊されるのは悲しい。




