王国御伽噺『悪魔の寵妃』
作中に出てきた御伽噺です。
むかしむかしあるところに、親に捨てられた哀れな少女がおりました。少女は、帰り道もわからず、これから生きていく方法もわからずに、ひたすらに泣いておりました。
そんな少女に忍び寄る数多の影がおります。森に住まう野獣たちです。
少女が捨てられた森は、この地で「悪魔の集う森」と呼ばれ、人々に大層恐れられておりました。そんな危険な森で、少女は食料でしかなかったのです。
それに気がつき、少女は更に泣き出します。このまま少女は、野獣に喰われてしまうのでしょうか。
一匹の野獣が、今まさに少女に喰らいつこうとした時、野獣は何故だか怯えたような顔をして逃げていきました。周りにいた野獣も、もう何処にもおりません。不思議に思った少女が、背後を見ると、其処にはこの世のものとは思えぬほどの美しい男が立っておりました。
いえ、男は正しくこの世のものでは無かったのです。
男の背中には、大きく立派な黒い羽が生えています。男の正体は、悪魔です。
少女は、男を悪魔と知りながらも話しかけました。
「あなたが助けてくれたのね。ありがとう、悪魔さん」
「我が汝を喰らうとは思わんのか?」
「なら、私はもう食べられているはずだから」
少女の言う通り、悪魔は喰べるつもりなど最初からありませんでした。只、少しだけ少女を哀れに思って、この森から無事に出してあげようとしただけです。
しかし、少女の己を恐れない姿に、悪魔は少女自身に興味を持ちました。
「汝は、何故こんな所にいるのだ?」
「いらない子だから、捨てられたの」
「それは、さぞ親が憎かろう」
「いいえ」
少女の否定に、悪魔は驚きます。人間は、害を与えた相手を憎む生き物だと思っていたからです。
「何故、憎まぬ?」
「だって、私は愛されない子だから。髪が真っ黒で、瞳の色も黒い。呪われた子だって、皆んなから言われるの。だから、捨てられて当然なの」
少女の悲しい顔を見た悪魔は、気まぐれでひとつの提案をします。
「汝の腹に我の子を入れてやろう。さすれば、汝は万人に愛される女子になれるだろう」
「本当?」
「悪魔には元々魅了の力がある。我の子が、汝の腹に宿れば、汝は魅了の力を使えるようになるのだ。しかし、この儀式は双方の同意がないと成立せぬ。判断は汝に任せよう」
悪魔に囁かれた少女は、直ぐに返事をしました。
「私、愛される子になりたい」
愛を知らない少女に、この提案はあまりにも魅力的でした。少女の返事を聞いた悪魔は、頷くと少女の頭を掴んで首の裏に思い切り噛み付きました。そのまま、首を舐め、血を啜ります。少女は突然のことに、声も出ません。
悪魔との儀式は、体液を交換することで成立するのです。
「これで儀式は終了だ。今この瞬間から、汝は我の妃だ。よいか、女。首の傷は誰にも見せるな。それから、汝はこれから何があろうとも絶望するでない」
「どうして?」
「絶望すれば、汝の腹の悪魔が育ち、腹を突き破って出てくるからだ。悪魔は人間の絶望が大好きだからな。汝は死にたくないのだろう」
「わかった。私、約束守る」
「良い返事だ。良い子の汝に、ひとつ助言をやろう。絶望せずに、己の強さを我の子に示し続け屈服させることができれば、汝と悪魔はひとつの存在となることができるだろう。然すれば、汝の腹から我の子が出てくることは永遠になくなり、首の傷も癒える」
「ありがとう、悪魔さん。私、頑張るね」
悪魔は、どちらでも構いませんでした。
少女が死ねば己の子孫が産まれ、死なねば悪魔に魅了されているとは知らない滑稽な人間が見れるからです。
そんな悪魔の思考も知らず、少女は嬉しそうに森から出て行きました。
この日から、少女に対する周りの反応は、明確に変わりました。まず、悪魔の集う森から抜け出る時に野獣に襲われませんでした。それどころか、親切に帰り道を教えてくれました。
そして、街へ降りると、少女を見た人たちは皆んな頭を下げて食べ物を恵んでくれました。
呪われた子なんて呼ぶ人は、ひとりもいません。
その日のうちに少女は、街にお忍びで来ていた貴族に引き取られることになりました。少女はその家でも大層可愛がられました。
こうして少女が悪魔の子を宿してから、何年か経ちました。少女の魅了の力は国中を虜にして、少女は遂にこの国の王子様と結婚することになりました。
結婚当日、少女は馬車の中から民衆に手を振ります。民衆は、少女の美しい姿に喜び歓声をあげます。
その時、少女は民衆の中に本当の両親を見つけてしまいます。両親は、少女を恨むような目でも、驚くような目でも見ていませんでした。
両親は、少女を他の民衆と同じように、神様を見るような目で見ていました。
向けられたことのない目は、少女を酷く混乱させました。
そして、少女はようやく気がつくのです。
己は、誰からも愛されていなかったということに。
民衆も、王子様も、本当の両親も、少女の腹の中の悪魔を愛していたのです。
真実を知り少女は絶望してしまいます。
少女の大きな絶望は、腹の中の悪魔をどんどん大きくさせました。そして、少女は悪魔の子を馬車の中で産んでしまったのです。
少女が死に、国が絶望に包まれた時、少女の亡骸の元にひとりの美しい男がやってきました。
あの日の悪魔です。
民衆は、悪魔の姿を見て逃げ出します。
悪魔は少女の亡骸を見て、何故だか酷い喪失感に襲われました。己の子を腕に抱いても気分はちっとも晴れません。軈て悪魔は、少女の見開いた目を閉じてやると、首にキスをしました。
悪魔は己の複雑な感情が、少女を愛しているが故と気がついたのです。己の思いを自覚すると、少女自身を愛さなかった人間を憎く思うようになりました。
悪魔は、少女の亡骸と己の子を連れて森へ帰りました。そして、己の子に言い聞かせます。
「よいか、お主の母を殺したのは人間だ。我は人間を許さぬ。呪い続ける。だから、お主も人間を許してはならぬぞ」
こうして、悪魔は死ぬ直前まで人間を呪い続けました。これが原因で、この国ではごく稀に、生まれつき悪魔の子を腹に宿した人間が現れるようになりました。
少女のように首の裏に噛み跡のような痣が出来た人間を、人々は悪魔の寵妃と呼ぶようになったそうです。
明日から、二章を始められると思いますので、よろしくお願い出します。