わたくしがルール
昨日の続きです。
「‥‥‥シマキ様、」
私の反応に、シマキ様は嬉しそうに微笑むと、人払いした。そして、見張りの騎士がいなくなった事を確認した後で、鉄格子の隙間から手を入れると頭を撫でてくれる。
「凄い、凄いわ! ダリア!」
シマキ様の賞賛に、私は困惑して何も言えない。私は褒められるようなことなんてしていない。いや、寧ろ、叱られるようなことをした。貴族の令嬢を殺害したのだ、最悪の場合死刑になってもおかしくないことだ。
「ダリア、刃物が持てるようになったのね。今日が初めての実践だったのかしら。
でも、すごいわ。貴方、正気を失いながらも、相手を殺さないような刺し方をしていた。敵を無闇に殺してしまったら、尋問出来ないものね。シャールの教え方がよかったかしら」
「ラールックさん、死んでないんですか!?」
私が興奮して、牢屋の鉄格子を掴むと、シマキ様は優しい顔をして頷いた。
てっきり、ラールックさんは死んでしまったとばかり思っていた。
「えぇ、彼女は生きているわ」
「よ、よかった」
「顔は原形をとどめていないくらい、グッチャグチャだし、利き腕は永遠に使い物にならないと医師の診断が出たけど、生きてはいるわ」
頭が真っ白になる。利き腕が使えない?
「‥‥‥あっ、あっ、嘘っ、ごめんなさい」
「大丈夫、生きてさえいれば、問題ない‥‥‥シャールのことを言われて、頭に血が昇ったのよね? なら、貴方は悪くないわ」
私のことを全く責めないシマキ様とは反対に、私の中の罪悪感はどんどん広がっていく。
「言っていいことと悪いことがあるわよね。ラールックにも、困ったものだわ」
違う、確かにシャールさんのことを言われた。でも、私は‥‥‥
「彼女も、反省する良い機会になったと思うわ」
「ご、ごめんなさいっ! ごめんなさい!」
「だから、謝らなくていいのよ。貴方は悪くないのだから」
「ちがっ、違うんですっ!」
必死に頭を横に振る私を見て、シマキ様は黙った。黙って、私の顔を微笑みながら見つめていた。その視線に、責める色合いは全く見えない。それは、建前じゃなくて、本当に心の底からの笑顔のように見えた。
肩の力が抜けて、その場に座り込む。
「‥‥‥シャールさんのこと、確かに言われました。でも、私‥‥‥シャールさんの悪口言われたから、怒ったわけではないんです」
「‥‥‥」
「シャールさんと、孤児院の人たちが死んだのは、私のせいだって‥‥‥私は人を不幸にするんだって言われたから、怒ったんです。私も心のどこかでそう思っていたから、図星だったから怒ったんです! 私は、自分が侮辱されたから怒ったんです! 自分のために、ラールックさんをグチャグチャにしたんです!」
叫ぶような声が、地下にこだました。
それが、自分の声だと最初、気がつかなかった。
「私は、人のために行動できない‥‥‥あの火事の時だって、ひとりで逃げた。此処に来て、少しは人のことも考えられるようになったって、思っていたのに‥‥‥結局変わってない」
今回の事件、シャールさんの悪口が原因だったら、どんなによかったことか。
シャールさんが亡くなった時、私は人の死に対して、こんなにも悲しめるんだって、変われたんだって、そう思っていた‥‥‥そういう自分に喜びも感じていた。
私は、人のために感情を動かせる人間になりたかった。
頭を抱えて丸くなる。私、本当に自分のことばっかりだ。
こんな時にしか泣けないことが、酷く悲しい。
「わたくしは好きよ、身勝手な人」
シマキ様の心底嬉しそうな声に、思わず顔を上げる。シマキ様は、私と目線を合わせてしゃがみ込み、嬉しそうに笑っていた。
此処最近で一番、機嫌が良さそうに見えた。
「他人のことなんて、考えなくても良いじゃない。貴方の人生よ、貴方のことだけ考えて何が悪いのよ。ふふっ‥‥‥こんなところにいるから変なことを考えてしまうのね。さぁ、此処から出ましょう」
そう言って、シマキ様は牢屋の隙間から手を差し出す。でも、私はその手を取れなかった。
「‥‥‥私は罪を犯しました。出られませんよ。シマキ様も知っているでしょう‥‥‥私は多分此処で死ぬんだと思います」
「‥‥‥死にたいの?」
「死にたくない!」
反射的に出た答えに、シマキ様は嬉しそうに笑った。
「‥‥‥たとえ己の命を犠牲にしてでも、わたくしを守る」
「──ッ!」
──その時、シマキ様の姿に、一瞬だけあの日のシャールさんが重なって見えた。
此処へ来た時、シャールさんにこの家での身の振り方を教えてもらった。シマキ様を守ることこそが、私がこの家にいれる絶対条件だと、そう教えてくれた。
「ダリア、貴方は、シャールのこの言葉に縛られて、他人のことをわたくしのことを自分以上に考えられないって、絶望しているのではないかしら」
シャールさんは、シマキ様を守って死んだ。それは、シャールさんの望んだ死に方だったのかもしれない。
この屋敷の人たちは、皆んなシマキ様のことを第一に考えて行動している。そのためなら命だって惜しくない、そういう思想の元行動しているのだ。
でも、私はシマキ様を第一に考えて行動しているのではなかった。私は、この家を追い出されないために、シマキ様を守っているにすぎなかったのだ。今までずっと考えないようにしてきた。私は、人のために、シマキ様のために、行動できるようになったんだって、自分に言い聞かせながら護衛をしていた。
「シマキ様、私は‥‥‥私は、最低です」
「ふふっ、可愛そうな子。貴方は自分を愛せないのに、死にたいとは思えないのね。でも、大丈夫、貴方の代わりにわたくしが愛してあげる。
だから、貴方は難しく考える必要なんてない。今まで通り、自分のことだけを考えて行動すれば良い」
「‥‥‥私には、貴方のそばにいる価値なんてないんです」
「価値なら、既に与えているわ。貴方はいつも、わたくしの為になる行動をしてくれているでしょう」
「シマキ様、私は‥‥‥きっと、シャールさんの様に、貴方を守って死ぬことは出来ないと思います」
「貴方はこの家に来てから、何度もわたくしを守ってくれたわ。例えそれが、自分自身のためだったとしても、結果的にわたくしは救われた。だから、貴方がわたくしをいつか見捨てたとしても、恨んだりなんかしないわよ」
「それで‥‥‥良いのでしょうか」
「此処ではわたくしがルールと言ったはずよ。わたくしが良いと言えば、良いのよ」
そう言うと、シマキ様は何処かから鍵の束を取り出して、あっけなく牢を開けた。
「貴方は、無罪。さぁ、わたくしの部屋へ帰りましょう」
──此処ではわたくしがルール。
シマキ様が昔からよく言う台詞だ。
ならば、私は私のままでいいのだろうか。
差し出された手を、今度は迷いながらも掴んだ。グイッと手を引っ張られて、立ち上がる。
シマキ様は、私を抱きしめると嬉しそうに笑った。
「ダリア、そのままの貴方がずっと好きよ」
シマキ様を抱きしめ返して、肩にもたれかかる。私はシマキ様を一番には考えられない‥‥‥でも、シマキ様はありのままの私を受け入れてくれた。だから、せめてもの罪滅ぼしに、私は私の出来うる限りシマキ様を守り通そう。
シャールさん、ごめんなさい。私は、貴方が望んだような人には、きっとなれません。
ダリアは、生きることに貪欲。




