離れないでね
今日少し遅くなりました、すみません。
「あ、あのシマキ様、どちらへ行くのですか?」
「わたくしの部屋」
パーティー会場を出てから、シマキ様はずっと私の手を握っている。私はそれに引っ張られるように歩いていた。というより、シマキ様の足が早すぎて半ば走っていた。いつもは私の歩幅を考えて行動してくれているということに、いま漸く気がついた。
まるで私のことなど関係ないと言わんばかりの速度に、何か怒らせてしまっただろうかと心配になる。
私室に着いても、シマキ様は何も話すこともしないので、何となく部屋の隅の方で静かにしていた。その間にも、シマキ様は何か準備するように動き回っている。
「此処に座りなさい」
「えっと‥‥‥あの、シマキ様の椅子に座るなんて、そんなこと‥‥‥出来ません」
「いいから」
静かな声なのに何故か、有無を言わせない雰囲気に思わず首を縦に振る。椅子に座ると、シマキ様は満足そうな顔をする。
そして、私の手を取ると、あろうことか傷口に口を寄せてペロリと舐めた。
「うんっ‥‥‥!」
「嗚呼、ごめんなさい。美味しそうだったから、つい。痛いわよね」
「い、いえ‥‥‥少し驚いてしまって。あの、手当てなら自分で出来ますから。シマキ様を汚してしまいます」
血を舐められるなんて経験、今まで無かったから居た堪れない気持ちになる。それにこれ以上シマキ様を汚したくなかった。
「お願い、わたくしにさせて」
懇願するような目で見られると、何も言えなくなってしまう。その後、シマキ様は血を舐めるなんてことはしなかった。私の傷口を消毒で拭くと包帯を巻いてくれる。真っ当な手当てだ。貴族のお嬢様とは思えないほど、手慣れている様子に驚く。シマキ様は本当に何でも出来るなと、感心していると突然、抱きしめられた。
「ごめんね、わたくしのせいで貴方に傷をつけた」
「何、言っているんですか? この怪我は、あの男のせいです。シマキ様の責任ではありません」
「‥‥‥わたくしは多分、貴方をまた傷つける。でも、それは全部貴方のためなの」
「私は、シマキ様をお守りできるのなら、傷ついたって構いません。シマキ様は、私の恩人ですから。それに、私の顔には既に傷がついています。今更、傷が増えようと誰も気にしませんよ」
シマキ様を元気付けるように、態とおちゃらけたような声で言ってみたが、逆効果だったようで、余計に悲しい顔をさせてしまった。
「そんなこと、そんなこと、言わないで。貴方から血が出た時、貴方がいなくなってしまうんじゃないかって、すごく怖かった。護衛をするからには、これからもっと酷い怪我をすると思う。でも、出来るだけ自分自身のことも大切にして欲しい」
「シマキ様‥‥‥」
「約束して」
「‥‥‥努力はします。でも、先程のように、シマキ様に危険が及んだら、私の体は勝手に動いてしまうと思います。だから、約束はできません」
「ふふっ‥‥‥ダリアは頑固ね。貴方のそんなところを憎たらしいと思うけど、でも同じくらい好ましいとも思うわ」
耳元で囁かれて、どきんと心臓が跳ね上がる。私のそんな変化を感じたのか、シマキ様は漸く私から離れるとにこりと微笑みを浮かべた。
「わたくしはね、貴方のことが大好きよ。ダリア、わたくしから離れないでね‥‥‥ずっと」
「‥‥‥シマキ様が、望んでいる限りは」
「そう、なら大丈夫ね」
そう言って笑ったシマキ様は、いつもと変わらない筈なのに、何故だかゲームのシマキ様と重なって見えてしまった。
◎◉◎◉◎◉◎◉◎◉
あのパーティーから一夜経ち、稽古のためにシャールさんの元へと行くと、彼はとてつもなく機嫌良さげに私の頭を乱暴に撫でた。
「よくやった! ダリア。お前のパーティーでの動きはよかった」
普段、あまり褒めることのないシャールさんからの言葉に私も高揚する。
「ほ、本当ですか!?」
「嗚呼、己を犠牲にしてもお嬢様を守るその心意気。パーティーに来ていた貴族達には、印象に残ったことだろう」
シャールさんは珍しく興奮した様子で、うんうんと首を上下に振った。
「事実、お嬢様が出ていかれた後の会場では、お前の話で持ちきりだった。いつもの如くお嬢様を唆した悪魔と蔑んでいた者もいたが、それはごく一部だ」
「なら、他の方達は私について何と言っていたんですか?」
「聞いて驚け。殆どの者たちは、お前を誉めていたよ。お嬢様に気に入られていて憎たらしいが、お嬢様の身を守ったことだけは評価できるとな」
「私が、褒められた? 本当ですか?」
「嗚呼、貴族どもに、お前の努力が認められたんだ! 木刀で応戦したことも話題となっている。あのパーティーにいたのは、お嬢様の親戚ばかりだ。あの者たちが認めれば、この家の使用人たちも認めざるを得ないだろう。これから護衛の仕事が増えるぞ。今日から、より厳しくやるからな!」
認められたという言葉を聞いて、これまでの正確にいうと此処一年間の記憶がフラッシュバックみたいに蘇った。シマキ様の隣に私はふさわしくないとか、唆すことしか能がないとか、好き勝手言われてきた。でも、シャールさんに言われて貴族に逆らうことなく、ずっと耐えてきた。
それが、今日、報われたんだ。
そう思ったら、勝手に涙が出てきた。
「‥‥‥まぁ、なんだ、頑張ったな」
ぎこちない動きで目元を拭われて、益々泣けてきてしまった。
その一週間後、ペールン公爵家の地下牢で、ひとりの男が死んだ。
それは、パーティーでシマキ様を襲った中年男だったらしい。シマキ様の叔父にあたる、その人物は何を考えたのか、地下牢で見張りの護衛騎士から剣を奪い取って、首を掻っ切って自殺したそうだ。
使用人たちは、皆んな、気が狂ったのだろうと噂していたが、暫く経つとその話題を話すものは誰もいなくなった。
不穏な空気。
 




