仕方がない
先程投稿した話が、キリが悪かったため連続投稿します。
シャールさんの言葉に、気持ち悪さで、思わず手を口に当てる。全身から、汗が噴き出たみたいに体が冷たくなった。
矢張り、そうだ。
シャールさんの話が本当なら、ペールン公爵は自身の娘に似た顔の女に手を出したことになる。
それは、なんというか、その女が娘の母親なら何とも思わない。だが、それが他所の女となると、途端に気色悪く感じてしまう。
「顔色が悪いな。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。それで、旦那様は何と言ったのですか」
「‥‥‥お前も感じたように、この事実は余りにも倫理に反している。まだ、俺が隠し子という噂の方が健全だ。男は、焦ったような顔をして俺を快く引き入れてくれた。お嬢様に知られたくなかったんだろうな」
「あの‥‥‥そんな大事なこと、私に言ってよかったんですか?」
ペールン公爵が、シャールさんを引き入れたのは確実に口止めのためだ。面倒を見る代わりに、その事実は言うな。それをわかっていて、シャールさんも騎士になったと思うのに、簡単に私に話しても大丈夫なのだろうか?
「お前は、口が硬そうだからな。俺の意図を汲んで、ベラベラと話すことはないだろう」
「それは、そうですが」
「それにな、多分だがお嬢様はこの事実を既に知っておられる。聡明な方だからな」
「シマキ様が!?」
そんな! シマキ様がこのことを知っていたら、もう父親としてまともに接することは難しいのではないだろうか。でも、シマキ様は普通に接していた。
そこでふと思い出す。
── お父様もお母様も、ラールックも皆んな皆んな気持ち悪い‥‥‥何もしていないのに好意を向けてくる人は皆んな気持ち悪いわ!
いつだったか、シマキ様はそんなことを言っていた。その時、両親にも嫌悪感があるのかと驚いたが、それが理由なら気持ち悪がる理由もわかる気がする。
「そういった理由があって、俺は特例でこの家に雇ってもらえることになった‥‥‥案の定、俺が隠し子なんじゃ無いかって噂は広まったがな。そのせいもあって、俺の居場所は無いに等しかった。幸いしたのは、奥様がその話に特別関心を示さなかったことだけだ。彼の方は、シマキ様以外のことに無関心だからな」
シャールさんは、当時を思い出すように目を伏せた。相変わらずの無表情で。
「だが、まぁ、そこからは苦難の連続だった。お前も知る通り、この家は他の家と比べても使用人に貴族が多すぎる。俺が来た時なんかは、メイドと執事、それから護衛騎士の奴らは俺以外、全員貴族だったんだ。俺は、いまのお前と同じように周りの連中から散々嫌がらせを受けたよ。他人の失敗を押し付けられることなんかは日常茶飯だった。最初のうちは、やってもないことを押しつけられて、よく反抗したよ。
だが、誰も俺の言うことなんか聞いてくれやしない。反論するたびに、卑しい平民が失敗を人のせいにしたって皆んなに言われた」
「‥‥‥」
それは、私と全く同じ状況だった。
「お前と同じだ。あの時の俺は、他人の失敗を押し付けられて、黙っていることなんて出来なかった。押し付けられるたびに、喧嘩覚悟で反論していた。そんな時、旦那様の部屋の絵画を傷つけた犯人が、いつのまにか俺になっていた。だが、その件に関しては少し無理があったんだ。俺は一度だって旦那様の部屋に入ったことはなかったからな。当たり前だ、下っ端騎士が入れるほどここの警備は甘くない」
「なら! それを伝えれば、シャールさんは犯人じゃないってわかってもらえるじゃないですか!」
シャールさんは、無表情に首を横に振ると溜息を吐いた。
「伝えたさ。だが、旦那様も含めて誰も聞いてはくれなかった。俺が犯人で、事件は解決だ。
まぁ、旦那様は俺の母親のこともあって注意だけで済ませたが、俺はどうにも納得できなかった」
「当たり前です! 勿論、抗議したんですよね?」
「そうしようとしたさ、だが辞めた‥‥‥旦那様の部屋からの帰り、偶々執事たちが話していたことを聞いてしまったんだ。奴ら、何話していたと思う?」
「わ、わかりません」
「俺の話さ。失敗は、平民に押し付けるに限るってな。貴族は白いものも黒くできるって、そう笑いながら話してたんだ。それを聞いた瞬間、全てがどうでも良くなってな。これまで、反抗していたことが酷く馬鹿らしいことに思えたんだ。何をしようと、貴族は白いものを黒くできる、からな」
シャールさんの言葉はどこまでも淡々としていたが、そこには何処か諦めたような響きがあった。
「そんな酷いです‥‥‥なら、貴族は何をやってもいいってことになるじゃないですか!」
「そういうことだ。そう思うと馬鹿らしいだろう? 今まで頑張ってきたことが‥‥‥だから、俺はその日から何を言われても反抗しないことにした。反抗したって、状況がよけいに酷くなるだけだ。
その代わりに、俺はせめて自分では失敗しないようにと剣術を極めることにした。そのうち、段々と仕事で成果を出すようになると、不思議なことに周りからの評価が変わって良いものになってきた。俺はそこで気がついたんだ。奴らは、自身に反抗する者を気に食わなかっただけで、静かにしていれば、目をつけられる機会が減るってな」
確かに、シャールさんの悪い噂なんて聞いたことはなかった。それどころか、メイドたちの中にはその整った容姿に惹かれて、シャールさんに好意を寄せている者までいるくらいだ。それは、シャールさんが相当な努力をして皆んなに認められたことを意味していた。
「お前の気持ちは痛いほどよくわかる。いまは、悔しくて、ラールックさんに仕返ししてやりたくてたまらないだろう。だが、我慢するんだ。そんなことしたって、良いことなんて何もない。だから、その悔しさを努力に変えろ。誰からもケチを付けられないような、完璧な人間になるために努力して認めてもらう。それが、この家で生きていく唯一の方法だ」
「そんなこと‥‥‥完璧な人間なんて言われても‥‥‥どうすればいいのか分からないです」
「お前の仕事は、メイドというより護衛だ。お嬢様を守り切ることが、お前の一番の仕事。つまり常にお嬢様のお側にいることが、一番の仕事だ。だから、貴族に反抗するな。殺されたり、追い出されたりしたらお嬢様を守れないからな‥‥‥だが、我々が貴族に逆らっていい時がひとつだけある。わかるな?」
「‥‥‥わからないです」
「なら、覚えろ。答えはひとつ、お嬢様が襲われた時だ。その時だけは、貴族であろうとなかろうと関係ない。だが、それ以外の時‥‥‥例えば今回のように自分だけに害がある場合には、極力反抗はするな」
「それは、貴族に殺されそうになっても抵抗するな、という意味ですか?」
「殺されそうになるまでは抵抗するな、という意味だ。先程も言ったように、死んだらお嬢様を守れない。流石に死にそうになったら抵抗しろ。だが、同時にお嬢様が襲われていたら自分の命を犠牲にしてでも、お嬢様をお守りするんだ。わかったな」
「‥‥‥」
「わかったな」
「‥‥‥シマキ様をお守りすることはわかりました。でも、理不尽なことをされても貴族だからって反抗しないなんて無理です!」
「無理でもやれ。我々が生きていくためだ」
「シャールさんは、本当にそれに納得しているんですか?」
「‥‥‥生きるためだ。仕方がない」
少し間を開けて呟くように話した後、「今日の稽古はここまでだ」と、足早に帰って行ってしまった。
ベンチにひとり残された私は、あまりに情報量の多い話に呆然として暫く動く気にもなれず夕暮れの空を見つめることしかできなかった。
モヤモヤするダリア。