抵抗しないことだ
今日、少し長めです。
お茶会の翌日は、本当に居心地が悪かった。
何処を歩いていても、いつも以上に皆んなに見られる。中には、直接文句を言ってくる人もいた。その度に無理と分かっていながらも、噂の修正をしようとしたが誰も私の話を信じる人はいなかった。
それどころか、余計に怒らせて「ラールックさんに謝れ」と事あるごとに言われてしまう始末だ。そんな午前中を過ごし、午後は剣術の稽古をつけてもらうために護衛騎士がいる部屋へ向かうおうとすると、何故かシャールさんの方が私を迎えにきてくれた。私たちの関係は、一応師弟。師匠が弟子を迎えに来るなんて、普段ならあり得ない事なのに。
だが、シャールさんは何も言わず、私の手を引いていつも訓練場にしている庭へと連れてきた。そこまで来ても特に何も言うこともなく、木刀だけを手渡されたので、とりあえず素振りを始めた。
なんだろう、なんかシャールさんの様子おかしい。いつも無口だけど、訓練の指示くらいは出してくれるのに。
もしかして、私の噂を聞いてシャールさんまで呆れた、とか? シャールさんも皆んなと同じく、私を卑しい子と思ってるのかもしれない。
そう思った時、手から力が抜けて木刀がカランと音を立てて落ちた。
顔から血の気が引く。
シャールさんは、いままで私のことを蔑むことなく接してくれた。身分で差別することはなかったし、口調は荒いが不当に怒鳴りつけることだってなかった。だから、この稽古は体力的にきついが、苦ではなかった。
そんな彼に嫌われたとしたら、凄くショックだ。
「お嬢様をお守りする道具を粗末に扱うな」
「す、すみません」
「‥‥‥素振りは終わりにする。今日は俺の相手をしろ」
「相手?」
「手合わせしろ、ということだ」
「で、でも、私まだ素振りしか出来ません。シャールさんの相手になるなんてとても」
「やってみないとわからんだろう」
シャールさんは、もう一本木刀を出すと構えた。有無を言わせない態度に、私も構える。
シャールさんが私に合図をする。
どうやら、私から仕掛けろということらしい。
私は、シャールさんの足を狙い木刀を振りかざす。だが、素人の攻撃など読んでいたようでシャールさんは簡単に防いだ。そのまま木刀を下から上に振り上げるようにして振ると、その衝撃で私は吹き飛ばされ、木刀を手放してしまう。
尻餅をついた私の首元にシャールさんの木刀が当てられる。
勝負は一瞬だった。
「稽古であろうと気を抜くな。暗殺者は、お前が女であろうと子供であろうと、お構いなく殺そうとしてくるのだぞ。こんな風に首を切ることを待ってくれない」
「は、はい」
私が返事をしたことで、シャールさんは木刀を腰に納めて私に手を差し伸べた。私は、反射的にその手を掴んで起こしてもらう。
「今日のお前は、特に気が抜けている。何があったか知らんが、そんな調子では稽古もつけられんぞ」
そう言うと、近くにあったベンチに腰掛けた。この場所は、元々訓練場などではない。護衛騎士たちが訓練場として使っている庭は、もっと広く別の場所にある。
なら、何故ここで練習しているかと言えば、シャールさんが気を遣ってくれたからだ。人の沢山いるところでの稽古となると、私が悪目立ちすると思って屋敷の中で日当たりが悪く、人通りが殆ど無く、誰も使っていないこの庭をシマキ様にお願いして貸し切ってくれたのだ。それを知ったのだって最近だが、私はシャールさんのそんな不器用な優しさを好ましく思っていた。
この話だって、本人からではなく私の陰口を言っていたメイドから聞いた話だ。
確かシマキ様だけでなく、シャールさんにまで特別扱いを受けているというような内容だったっけ。
訓練場には普通ないベンチに腰をかけることは、稽古が終わったことを表していた。どうやら、今日はもう本当に稽古をつける気はないようだ。
「すみませんでした。明日、出直します」
私は、挨拶だけして屋敷へ戻ろうとした。しかし、それは叶わなかった。他でもないシャールさんに、「おい」と引き止められたからだ。
「はい、何でしょうか」
「俺は、確かに稽古をつけるつもりはないが、帰れとは言ってない」
「は、はぁ」
確かに帰れとは言われてないが、稽古もつけずに何をしろというのだろう。
「話を‥‥‥だ」
「えっ?」
普段は、はっきりとした物言いなのに、この時だけ声が小さくて断片的にしか聞こえなかった。
「あの、もう一度お願いできますか?」
背もたれに寄りかかり、空を見ていたシャールさんは、途端に逸らしていた顔を此方に向けて目を合わせてきた。目を見開き、頬は少し赤みを帯びていた。珍しく感情の読み取れる顔に、若干驚く。
「だから! 話を聞くと言っている!」
「話、ですか?」
「お前が落ち込んでいる原因だ! そんな青い顔をして、何か理由があるのだろう! いいから、隣に座って話してみろ」
「‥‥‥あの、それって、もしかして、相談に乗ってくれるってことですか?」
「最初からそう言っている」
そうだったんだ。てっきり、稽古をつけられないくらい呆れているんだと思ってた。
わかりにくい人だな。本当に無愛想で、相談に乗るっていうのに怒鳴るみたいな声だし‥‥‥でも、隠しきれない優しさが伝わってくる。
何だか無性に泣きたくなった。
私は、厚意に甘えて隣へ座る。
「‥‥‥シャールさんも噂は聞いていますよね?」
「聞きたくもないがな」
私は、あのお茶会でのことを詳しく話した。もしかしたら、シャールさんなら信じてくれるかもしれないと思ったからだ。要領を得ない私の話をシャールさんは、ゆっくりと聞いてくれた。
「‥‥‥と、いうわけなんです。シャールさんは信じてくれますか?」
「お前の主張は理解した。お前のことを信じたい気持ちもある。だが、今の段階ではどちらとも言えないというのが正直な感想だ」
「それって‥‥‥信じてないってことですよね。気を使わなくていいです」
「勝手に決めるな。本当にそういうわけではない。只、お前の話だけで判断するのは早計というものだろう。ラールックさんの話を聞かない限り判断できん」
「へっ?」
「だから、公平性を持つために問題があれば両者から聞くべきだと言っている」
なんか、この人、本当に人を平等に扱いたいんだな。こんな私なんかの相談事でも、まるで警備隊みたいなこと言ってる。これは友達とかには案外相談されないタイプかもしれない。
そう思ったら、なんか少し面白くなった。
「なんですか、それ」
「大事なことだろう。だが、日常のちょっとした諍いで事情聴取のようなことは中々できない。だから、外野の我々には真実がわからないような噂は広めないということしかできんのだ。まぁ、この家の使用人はお前の噂がよほど好きらしいから、それも無理な話だがな」
「なら、私はどうすればいいのでしょうか」
シャールさんの言葉は、言い換えれば自分には何もできないという意思表示だった。彼は無駄なことはしない人だ。相談に乗ると自分から言ったからには、私に何を伝えたかったのだろうと思っていたが、考えすぎだったのだろうか。
「お前に出来ることは、ただ一つ。位の高い者には抵抗しないことだ」
それは、あまりにも彼に似つかわしくない無情な一言だった。
「ラールックさんは、この屋敷のメイドたちの中でも一番身分の高い伯爵家出身の貴族だ。お前も知っているだろうが、この家の使用人は、ほぼ貴族。特にメイドなんかは、お前以外全員貴族だ。奴らは、身分に敏感だ。自分より位が上の者が言うことを疑いはしないだろう。だから、そういう奴らに目をつけられないように静かに暮らすしかいまのところ、方法はない」
「‥‥‥平民は、貴族に逆らえないってこと、ですか」
「平たく言えばそうだ」
感情のこもっていない声だった。
「シャールさんは、貴族だからそんな勝手なこと言えるんですよ」
気がついたら、ポツリと言葉が溢れていた。多分、拗ねたみたいな口調になっていたかも‥‥‥それでも、悪いとは思わなかった。
だって、あまりにもひどいじゃないか。それじゃあ、貴族は何をやっても許されるってことになる。私みたいな平民は、奪われるだけの存在だと言われているみたいだった。
「‥‥‥なんだ、知らなかったのか。俺は、平民だぞ」
「えっ? だって、ここの使用人は貴族だって」
「話をよく聞け、愚か者。ほぼ、貴族だと言ったんだ」
シャールさんは何処までも淡々としていた。それは素振りを指示してくる時のいつもの口調となんら変わりないように見えた。でも、それが、私には何故だか何もかもを諦めたような、そんな口調に聞こえた。
シャールさん、久々の登場。




