幸福な生贄 (洗濯場担当のメイド エラ視点)
番外編第二弾です。
「第42部 呼吸」の後くらいの話です。
因みにエラは、第42部でラールックと一緒にダリアを脅していたメイドのひとりです。
私、エラと幼馴染であるミアは、由緒正しき男爵家の産まれだったの。だから、最初はお母様にペールン家で行儀見習いのためにメイドとして働きなさいと言われた時は、私もミアもとてもじゃないけど納得できなかった。
なんで、私たちみたいな高貴な存在が、人に仕えなきゃいけないのって抗議した。でも、いつもどんな我儘でも聞いてくれるお母様が、絶対に行けと怖い顔で睨むから、仕方なくペールン公爵家に仕えることになったの。
まぁ、でも、この時は言うこと聞いてくれないお母様なんて嫌い! って思ったけど、今じゃ感謝してるかな。
だって、シマキ様に出会えたんだもん。
私たちがシマキ様と出会った時、シマキ様は八歳だった。でも、その頃からシマキ様には既に気品と貴族特有の威圧感があったの。
びっくりしちゃった。私たちより二歳も年下だなんて、全然思えなかったんだもん。
私もミアも、来る前までは散々文句言ってたけど、シマキ様を一目見たら、そんな気持ちなんてどっか行っちゃった。自分でも切り替え早いなぁって思ったけど、あんな綺麗な笑顔見せられたら、一生仕えたいって思うのも仕方ないでしょう。
私たちは、当然シマキ様の専属メイドになることを望んだ。でも、シマキ様って特定の人を側に置いたりしないんだって。だから、専属メイドはこの家にいる誰であろうとなることは出来ないんだって、そう言われちゃったの。
シマキ様が産まれた頃から仕えている、あのラールックさんですら、専属メイドにはなれないんだから仕方ないか、と一応納得はした。
でも、だからって、どうして貴族である私たちが洗濯場の担当にさせられるの! それだけは納得出来なかった。
洗濯場なんて、冬は寒くて手は荒れるし、夏はジメジメして熱いし、いいことなんてひとつもない。
何より我慢できないのは、シマキ様と会える確率が低いってこと。ずっと洗い物ばっかりしてるメイドにシマキ様が会いに来るなんてことあるはずないもの。
だけど、ずっと我慢して働いてきた。
使用人たちから一目置かれている伯爵令嬢のラールックさんは、生家同士の繋がりがあるからなのか親切にしてくれたし、それに、嫌だからって駄々をこねて、クビにでもなったら‥‥‥もうシマキ様に近づくことは一生できなくなっちゃうもん。そんなの絶対に嫌。
それは、ミアも同じだったみたいで、二人で我慢して仕事を続けてた。
そんな我慢が限界になったのは、私たちが働き出して二年が経った頃。
シマキ様が平民の孤児を専属メイドとして拾ってきたと聞いた時だった。しかも、その孤児、自分が住んでいた孤児院を燃やしちゃったんだって。ラールックさんが言ったたことだし、多分本当だと思う。
どうして? って思った。
そんな罪人の平民を専属メイドにするくらいなら、私たちでもよかったじゃんって。多分、シマキ様はその孤児に誑かされたんだって屋敷中のみんなが言ってた。
そんな罪深い孤児が、血の悪魔って呼ばれるようになるのは当然のことだと思う。
ラールックさんは、血の悪魔を追い出そうと誰よりも頑張ってた。加勢したかったけど、ほぼ洗濯場にいた私たちにはそんなことすら出来なかった。それがものすごく悔しかった。
だからって、何もしなかったわけじゃない。
血の悪魔の洗濯物を隠したり捨てたり破いたり、それくらいの出来ることはやったつもり。最初は無くなった洗濯物を探したりしてたみたいだけど、暫くしたらそんなことすらしなくなって、まるで気にしていないみたいな態度をとるようになったの。血の悪魔の、その態度が凄くムカついた。何だか、馬鹿にされたようにすら思えちゃった。
ううん、多分馬鹿にしてたんだよ、あの女。
でも、それ以上のことも出来ずに私とミアは人生で初めて自分の無力さを嘆いたっけ。
血の悪魔が来てから二年が経った頃、私たちに転機が訪れたの。
毎年、ラールックさんが任されていた隣国の護衛任務。あれを今年は血の悪魔が任されたんだって。
「絶対におかしいです。あの女、何か不正を働いたに違いありません。あの女を尋問します。エラ、ミア、手伝いなさい」
「‥‥‥えぇ、いいですよぉ」
「ラールックさん、その代わり‥‥‥」
「わかってます。上手くいったら、お嬢様の近くに配属されるように上に掛け合ってみましょう」
これは私たちにとって、チャンスだと思った。
何としてでも血の悪魔に隣国の護衛任務を辞退させて、シマキ様の近くに行ってやるんだから!
こうして、ラールックさんの指示により私たちは使用人専用の食堂で待機することになった。
◎◉◎◉◎◉◎◉◎◉
作戦は、大失敗だった。
食堂で尋問中に、なんとシマキ様が現れて、私たちは逃げるようにお互いの部屋に帰るしかなかったの。
もう少しで上手くいきそうだったのに‥‥‥悔しい。運が悪いとしか言いようがないじゃん。
そんな風に思いながら、寝る準備をしていたら、唐突に部屋の扉が叩かれた。
こんな時間に誰?
同室のミアと顔を見合わせて、面倒臭いと思いつつも扉を開けるとそこには予想外の人物が立ってた。
「お、お嬢様!」
私の驚いた声にミアもその存在に気が付き、小走りで扉の前へとやって来る。息を呑むような音が隣で聞こえた。
そんな私たちのことを気にすることなく、シマキ様はにこりと微笑むと小首を傾げた。
美しい動作に思わず見惚れちゃう。
「こんな時間にごめんなさいね。二人に話したいことがあるのだけど、少しいいかしら?」
「えっ、えぇ‥‥‥どうぞ」
「ありがとう」
部屋へ入ったシマキ様を椅子へ勧めて、私たちも向かえへ座る。自室にシマキ様が訪ねて来るだなんて、夢みたい。今こうして、目の前にいるのだって現実味が全然ないもん。
「寝るところだったわよね?」
「い、いえ、大丈夫です」
「そう、ならいいのだけど」
「そ、それで、今日はどんな御用件で?」
焦ったようにミアが先を促した。多分、血の悪魔の尋問のことについて、何か言われるのではないかと予想しているんだと思う。
シマキ様はあの女のことを大切にしているから、何か制裁があってもおかしくないもん。
思わず俯いてしまう。
「二人に相談があるの」
さっきまでの微笑みとは打って変わって、不安そうな顔をしたシマキ様は、私たちの予想とは全く違う言葉を放った。
「相談、ですか」
「えぇ‥‥‥わたくし、この間、夢を見たの」
「夢、ですか?」
「狼が出てきてね、わたくしに言うのよ。最近、食べるものが少なくて困っているって、人間なんて久しく食べていないって。凄く凄く悲しそうに言うものだから‥‥‥わたくし言ってしまったのよ」
シマキ様はぎゅっと手を握り締めながら、絞り出すように声をし出している。突然始まった話だったけど、緊迫感にごくりと唾を飲み込んでしまう。
「なら、わたくしとダリアが貴方の食材になりましょうかって」
「──ッ!」
「で、でも、夢の話、何ですよね」
絶句しているミアの背中を摩りつつ、私は軽い声を出した。
だって、夢の話でしょう?
そんな深刻な顔する必要ないじゃん。
「わたくしも最初はそう思ったわ。でも、それから毎晩毎晩夢に出てきて、早く喰わせろって訴えてくるのよ。昨日なんて、あと一週間しても来なかったら‥‥‥この家をメチャクチャにするって言ってきたのよ。もう、わたくし、怖くて怖くてっ‥‥‥」
シマキ様はその可憐な瞳を歪めて、とうとう泣き出しちゃった。私はそれを止めてあげたくって、どうしようと頭を働かせた。
方法はひとつだけあるけど‥‥‥でも、それは私たちの死を意味していた。血の悪魔のために命を捨てるなんて御免だ。
その時、絶句していたミアが調子を取り戻す。
「血の悪っ‥‥‥ダリアには、相談しないんですか?」
「言えないわよ。そんなこと‥‥‥だって、あの子はこういう話は信じてくれないだろうし‥‥‥それに、わたくしが勝手に取引したことなんて知られたら、嫌われてしまうかもしれない。
もう、貴方たちにしか‥‥‥ミア・リックルーンとエラ・ティアにしか相談できないのよ」
その言葉を聞いた時、躊躇していたことが馬鹿らしくなった。だって、私たちの命なんてどうでもいいじゃん。シマキ様に比べたら取るに足らないもん。
なんで、私、躊躇してたんだっけ?
「‥‥‥なら、私たちが代わりに、その狼のところへ行きましょうか」
「そうだ、それがいいよ」
隣に座っていたミアを見ると、彼女も幸せそうに私の提案に賛成していた。
「でも、そんなことしたら貴方たちは‥‥‥」
悲しげに目を揺らしたシマキ様を見て、私は慌てて言葉を発してた。この役目を他人に盗られたくない!
「お嬢様、私たちに任せてください」
「私たちは、お嬢様の代わりに死ねるなら、それ以上に幸せなことはありません」
「二人とも‥‥‥本当にいいの?」
「えぇ、えぇ。大丈夫です」
「寧ろお礼を言いたいくらいです」
「‥‥‥二人に頼んでよかったわ」
まだ涙の乾き切らない瞳で、私たちの手を片方づつ握り淡い笑みを浮かべるシマキ様は本当に美しかった。
「二人には悪魔の森へ行って欲しいの」
「悪魔の森って、あの?」
「えぇ、御伽噺悪魔の寵妃のモデルとなった場所よ。申し訳ないけど、これは他の人には秘密にして欲しいから馬車は出せないわ。時間は掛かるけど、徒歩で行って欲しい」
「わかりました」
「どの狼の元へ行けばいいんですか?」
「森の中腹辺りで待機していれば、彼方からやって来るからすぐにわかるはずよ。急で申し訳ないけど、今すぐに出発してくれるかしら?」
そう言うと、シマキ様は私たちに地図と少しの食糧を手渡してくれた。そして、裏口まで私たちを見送りにまで来てくれたのだ。
「二人ともありがとう。貴方たちは、わたくしの命の恩人よ。一生、忘れないからね」
「お嬢様‥‥‥私も忘れません!」
「お嬢様の代わりになれるなんて、光栄です」
にこりと微笑んで手を振ったシマキ様の顔は、先ほど泣いていたのが嘘のように晴れやかで美しかった。
それから、私たちは三日掛けて悪魔の森まで歩いた。道中、賊に襲われそうになったり、食糧が底を尽きたりして大変だったが、何とかここまで来れた。
シマキ様に言われた通り、森の中腹まで来るとそこに座って待機した。真っ暗な森は、何かの呻き声が響き渡っている。動物についての知識はないけど、この森は狼が出ることで有名だから、多分狼なんじゃないかなぁ。
普段なら、こんなところ怖くて、逃げ出してしまうと思う。でも、今はどうしてだか全く怖くなかったの。
それどころか、これからシマキ様の代わりに死ねると思ったら、楽しみにすら感じた。
ミアとの間に会話はない。
でも、彼女も同じ気持ちだと、繋いだ手からわかった。
軈て一匹の狼が私たちの元へ近づいてきた。
きっと、あれがシマキ様の言っていた狼だ。
「あはははっ、ミア、私たち、本当にシマキ様の代わりになれるんだねぇ」
「エラ、私、多分今日のために生きてたんだと思う」
そう言った瞬間、狼がミアの首元に向かって勢いよく噛み付いた。幸せそうな顔のままミアは死んでいった。
血だらけになったミアを見ながら、私は頬を膨らます。
「ミア、先に逝っちゃうなんてズルぃ」
私が声を出したからなのか、ミアを喰べていた狼はこちらを向くとグルルッと唸り声を出す。
「さぁ、おいで」
手を広げると、狼はそれに誘われるように私の首元に走り寄ってきた。
「あはははっ」
今まさに首を噛まれるという瞬間、私の脳に浮かんだ感情は幸せだった。
ここで死んだっていい。だって、シマキ様はダリアに相談出来ないことを私たちにしてくれたんだもん。
最期の最期で、シマキ様に頼られるなんて、嗚呼、なんて良い人生だったんだろう!
「二人とも、とっても素敵な悪役だったわ。
でも、もう十分よ」




