神様の救済 (ストーカー男視点)
番外編第一弾です。
流血表現がありますので、苦手な方はご注意ください。
昔から努力しなくても、人並み以上に出来てしまった。
──それ故、何をやっても面白くなかった。
何かに熱中したことはない。
何かに興味を持ったこともない。
ただ、何となく生きてきて、親に言われるがままに大学に進学した。その大学は、誰もが一度は聞いたことのあるような偏差値が高いことで有名な学校だった。
そんな僕のことを周りは褒め称え、親は泣いて喜んだ。
何不自由のない人生だった。
学費は資産家をしている親が出してくれたし、難しいと言われている大学の勉強は講義で一度聞けば覚えてしまった。そして、顔もそこそこ良かった僕には群がるように女が寄ってきた。
だけど、来るもの拒まず去るもの追わずの精神の僕は、金にも勉強にも女にも、何にも執着出来なかった。
──彼女に出会うまでは‥‥‥。
彼女‥‥‥ 麻葵に出会ったのは偶然だ。でも、今思えば、きっと運命だったのだと思う。
偶々目に入った喫茶店に暇つぶしに入店したら、そこで給仕として働いている麻葵を見つけたんだ。
初めて見た時は、やけに笑顔の給仕だなと思った程度だ。それも注文が届けられてからは、特に気にすることもなかった。
麻葵に興味を持ったのは、珈琲を飲み終えてそろそろ帰ろうかと思っていた時、常連客と思われる女性二人との会話が聞こえてきた時だった。
「麻葵ちゃん、今日もバイト? 偉いわねぇ」
「ここ以外でもやっているんでしょう?」
「はい。お金必要なので」
「働き者よね。何か欲しいものでもあるの?」
「‥‥‥まぁ、そんなところです」
えへへっと、おどけたような表情に常連客の二人は感心したような顔をした。
「うちの息子にも、見習って欲しいくらいだわ。もう、学生だからって、家で毎日ゴロゴロされると流石にイラッとくる時あるわよね」
「そうそう、家事くらい手伝えってのよ」
「‥‥‥あははは」
そう笑いながら一礼して席から離れていく姿を、僕は目で追ってしまったんだ。
彼女の‥‥‥麻葵の笑っているはずの目に、一瞬だけ羨望のような強い感情が浮かんだからだ。
僕は、彼女の何の苦労も知らないような笑顔の中に隠された、他人を妬むような眼差しに、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、興味を持ったんだ。
喫茶店を出た後、僕は麻葵のバイトが終わるのを外で隠れて待っていた。そして、店から出てきた彼女の後を付けたんだ。
どうして、そんなことをしたのか、後を付けている自分でも説明できなかった。気がついたら、そうなっていたとしか言いようがない。
でも、麻葵の住んでいる大学寮を特定した時、人生で初めての達成感を覚えたことは確かだ。
その後の行動は我ながら早かったと思う。
麻葵の家から後を付けることで、いつ何処でバイトしているのか把握した。その過程で老夫婦が経営している喫茶店の裏口が結構な頻度で鍵をかけ忘れているということもわかった。
知れたのはそれだけだ。
だが、次の行動を起こすには十分だった。
僕は喫茶店の裏口から侵入すると、麻葵の鞄から家の鍵を探し出して粘土で型を取り合鍵を作ることに成功した。
それからは簡単だった。
大学寮に毎月出入りしている清掃員になりすますと、合鍵で麻葵の部屋へ入り盗聴器を仕込んだ。
自分でも、どうしてこれ程執着するのかわからなかった。
でも、ただ知りたかった。
どうして、幸せそうな顔をしていた彼女が一瞬だけでもあんな妬ましそうな瞳をしたのか。
それを知りたかった。
そして、盗聴して漸くわかった。
麻葵が孤児だったこと。
バイトを掛け持ちしていたのは、欲しいものがあったわけではなく、生活費を稼ぐためだったこと。
家での彼女は、外とは違って笑顔でなんて過ごせていなくて、寧ろ毎日辛そうに泣いていたこと‥‥‥そんな彼女に寄り添う夜宵という幼馴染がいること。
それらを知って、僕は麻葵がふとした瞬間に見せる暗い瞳の理由を知った。これで僕の知りたいという欲は満たされたと自分でも思っていた。
でも、知ったからこそ僕は新たな疑問が頭に浮かんだんだ。
──どうして、麻葵は生きているんだろう。
大学に通うためにバイトを何個も掛け持ちして、そのせいで碌に寝ていないためか精神が弱って、家では毎日何かを恨むようにずっと泣いている。
そんな辛い思いまでして、どうして生きているのだろうか。ただ何となく生きている自分には到底理解できなかった。
新たな疑問は、僕の興味を更に掻き立てた。
何かに取り憑かれたように、盗聴して、彼女の後を付けて、そんな日々を過ごしている時に唐突に気がついた。
麻葵のことを考えている時だけは、楽しいと思えることに。
それに気がついてから、今まではただ彼女のことを知れるだけでいいと思っていたのに、今度は自分という存在を彼女に知って欲しいと思うようになってしまった。
手紙を出した。僕は君をずっと見守っていると知って欲しかったから。
気配も足音も消すのはやめた。僕という存在が君の側にいると知って欲しかったから。
その頃から、麻葵の幼馴染が頻繁に『もし、これから先、別々の道を、歩んでいても、どちらかが逃げ出したくなるくらい辛いことがあったら、一緒に、生きていこう』とそう話すようになったんだ。
その言葉に、彼女は少し困惑したように毎回肯定の言葉を返していた。
そんな彼女が憐れだった。
だって、逃げ出したくなるような辛い思いをするなら、麻葵はきっと死んだ方が楽だ。そんな苦しい思いまでして、生き続ける必要なんてないんだ。
彼女の微妙な反応には、そういった感情が浮かんでいるように思えた。
可哀想だ。
そんな言葉に縛られて、自ら死を選べない麻葵が可哀想だ。
彼女はずっと辛そうだった。
外では楽しそうな笑顔を浮かべながら、家では何かを‥‥‥世の中を恨むように泣いていた。
盗聴している部屋から、また声が聞こえてきた。
『 もし、これから先、別々の道を、歩んでいても、どちらかが逃げ出したくなるくらい辛いことがあったら、一緒に、生きていこう』
また幼馴染の夜宵は、無意識に麻葵のことを責め立てている。
知ったような口を聞くな。麻葵は、死んだ方が幸せなんだ!
嗚呼、そうだ。
どうして気が付かなかったんだろう。
──僕が殺してあげればいいんだ。
そうだ、僕が麻葵を救ってあげればいいんだ!
◎◉◎◉◎◉◎◉◎◉
「待って! やめてっ!」
「大丈夫、僕が君を救ってあげるからね」
「な、何言ってるの、」
目の前には恐怖に顔を歪めた麻葵が、自分の身を守るように蹲っていた。
嗚呼、怖いよね。
目の前に包丁を持った男がいたら、怖がるのも当たり前だよね。
でも、大丈夫。
「‥‥‥怖いのは、一瞬だから」
「い、いや! お願い、やめて‥‥‥」
「大丈夫、大丈夫だから」
「お願い‥‥‥殺さないで」
そう言った麻葵の体を押し倒して、馬乗りになると僕は包丁を振り上げた。
嫌だ嫌だと抵抗する彼女を力の限り押さえつけた。
「大丈夫、僕に全部任せて!」
彼女の体から、美しい赤が溢れ出す。
心の底から綺麗だと思った。
自分が、麻葵を救っているのだと思うと興奮にも似た感情が湧き上がってくる。
はぁはぁと、荒くなる呼吸を必死で抑え込む。
「麻葵、僕は君を愛してたんだよ」
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、手を動かし続けた。
軈て、彼女の体が完全に動かなくなったことを確認すると、僕は手を止めた。
荒い呼吸を整えるために、口に手を当てた時、ふと頬に伝う涙に気がついた。
どうしてだろう、僕は悲しくなんかないのに、どうして涙が出ているんだろう。
「そうか‥‥…」
血だらけになった麻葵を見て、漸く理解した。
彼女を救済した今、僕は僕にとって唯一の生きる楽しみを失ってしまったのだ。
さっきまでの興奮した気持ちが、一瞬で萎んでいくのがわかる。その代わりに今度は失ったことへの喪失感がむくむくと湧いてきた。
僕は自分のことを賢いとずっと思っていた。それは周りも認めていたことだった。でも、どうやら、認識を改めないといけないらしい。
一番大切なことに、最期まで気が付かないなんて大馬鹿だ。
「ははっ‥‥‥そうか、僕は麻葵がいないと生きる気力もなくなるのか」
止めていた手を動かした。
自分の首に添わせた包丁に、全く恐怖を感じない。
「麻葵、僕は間違っていたみたいだ」
君を救うためとはいえ、自分の愛する人を壊してしまうなんて、本当に勿体ないことをしてしまった。
手を引くように動かす。
なんの躊躇もなかった。
首から漏れ出る赤を見て、麻葵と同じだと嬉しくなった。
薄れゆく意識の中、彼女を抱きしめるように倒れ込む。
嗚呼、麻葵。
もう一度、出会う機会があるのなら‥‥‥
「今度はっ、一緒にっ‥‥‥生きよう」
やべぇ奴だなって思いながら書きました。




