盗聴器前の約束
前半は、前世の話です。
夜宵と私は、同じ孤児院で育って、それからずっとお互いがお互いを支え合って生きてきた。大学だって夜宵が行くところを私も受けて見事に合格し、奨学金をフル活用して通っていたのだ。
それでも、生活は厳しくて、他の人たちが遊んでいる時だって、私たちにはそんな時間はなかった。少しでも生活の足しにしなければと、バイトを何個も掛け持ちして、寝る間も惜しんで働いた。入学前から大変なこととは覚悟していたけど、想像以上に過酷な生活だった。親がいないだけで‥‥‥お金がないだけで、こうも大変なのかと世の中を恨んだことだって何度もある。
本当に嫌になることばっかりだったと思う。
そんな状況でも、踏ん張っていられたのは夜宵がいたからだ。彼女のおかげで、辛いだけの日々の中にも楽しいと思える瞬間があった。
でも、私たちのその日々はひとりの男の存在で簡単に壊れたのだ。
大学に入学して半年ほど経った時だっただろうか、バイト帰りに夜道を歩いていると後ろから誰かの足音が重なるように聞こえるようになったのだ。初めは気のせいだと思ったが、変な手紙や私の盗撮写真が送られてくるようになって、漸くそれがストーカーとわかった。
警察には何度も相談した。でも、彼らは実害がないと動けないの一点張りで、何の対処もしてはくれなかった。
そのうちに、ストーカー男から送られてきた手紙の内容を見て、夜宵は盗聴器が付けられているのではないかと私へ言ってきたのだ。半信半疑で部屋を調べてみたら、本当に出てきた時には恐怖から一睡もできなかったっけ。
怖がるだけの私とは違って、夜宵は冷静だった。そして、ひとつの提案をしてきたのだ。
「この盗聴器を、逆に利用して、犯人に偽の情報を、流す」
「どういうこと?」
「盗聴器が付けられた、麻葵の部屋、では、嘘の話や、反対の話を、するの。行ったことのない、お店の話だったり、好きなものを、嫌いと言ったり、そんな感じで」
「‥‥‥それに何の意味があるの?」
「もし、ストーカー男が、貴方と普段から話すくらい、親しい人だとしたら、盗聴器で聞いた情報を、うっかり、漏らすかも、しれない」
「そっか! 盗聴器の前で話したことを、そのままうっかり口にした人が犯人ってことだね」
「そう、その通り。限りなく低い可能性だけど、その方法で、もしかしたら、犯人が、特定できるかも、しれない」
「‥‥‥でも、犯人を特定だなんて危なくないかな?」
「警察が、何もしてくれないなら、私たちで、解決するしか、ない」
「うん‥‥‥そうだね。ごめん、迷惑かけて」
「別に、気にしてない」
その提案をきっかけに、私の部屋に夜宵は今まで以上に来てくれるようになった。そして、嘘の話をよく二人でしたのだ。
その中で、二人でもっともよく話していた約束事があった。
小さい頃‥‥‥孤児院にいた頃から、ずっとしていた約束だ。他の人には話したことのない、二人だけの秘密の約束。そのおかげで、私はどんな辛い時にも乗り越えられたと言っても、過言ではない。
── もし、これから先、別々の道を、歩んでいても、どちらかが逃げ出したくなるくらい辛いことがあったら、一緒に、生きていこう。
何か辛いことがあるたびに、この約束を思い出した。だから、盗聴器の前でもよくこの約束事を二人で確かめるみたいに、何度も何度も口に出していた。
結局、前世ではこの方法で犯人を特定するなんてこと出来ずに殺されてしまった。
でも、真逆、転生してから効力が発揮されるなんて‥‥‥思ってもみなかった。
◎◉◎◉◎◉◎◉◎◉
「どう、したの?」
今目の前にいるルイカは、確かに言った。
『もし、これから先、別々の道を、歩んでいても、どちらかが逃げ出したくなるくらい辛いことがあったら、一緒に、生きていこう』と。
それは、私たちが盗聴器の前でよく話していたことだ。
「ねぇ、ダリア、どうしたの? 大丈夫?」
こんな時でも無表情で首を傾げたルイカを見て、本当に気分が悪くなる。
嗚呼、嫌になるくらいあの子にそっくりだ。
気持ち悪い。
少しでも遠くに離れたくて、二、三歩後ろに下がると「幸せの鐘」にぶつかってカランと安っぽい音が鳴り響いた。
異変に気がついたのか、ルイカはアケ先生に合図をして私へ近づいてくる。車椅子が芝生の上をじゃりじゃりと音を鳴らして近づいてくるのが、気持ち悪くて怖かった。
「ち、近づかないで‥‥‥」
大声で叫びたいのに、恐怖から声が出ない。もう何年も経っているというのに、此奴を前にすると恐怖に支配される自分が情けなかった。
「どうして」
どうしてって、それをあんたが聞くのか。私の人生をぶち壊した、あんたが聞くのか。
「‥‥‥気持ち悪い」
「えっ?」
「あんた‥‥‥気持ち悪い」
毅然とした態度を取りたいのに、半泣きのような声が出た。体は膠着状態で動けない。自分自身を抱きしめるように腕を動かすことが、精一杯だった。
情けない。
「‥‥‥どうして、そんな、酷いこと、言うの? もしかして、もう、あの約束を、守る気は、ない?」
約束のことを口に出して欲しくなかった。これ以上、夜宵との大切な思い出を汚さないで欲しい。
「守れるわけないでしょう。その約束が間違ってるんだから! 私たちは、あんたが仕掛けた盗聴器の前では、本当の話なんてしてなかった。私たちの本当の約束は、
もし、これから先、別々の道を、歩んでいても、どちらかが逃げ出したくなるくらい辛いことがあったら、一緒に‥‥‥死のう」
気がつくと私は、声を発していた。悲鳴のような、泣いているような、我ながら悲惨な声だ。
「あんたは‥‥‥夜宵なんかじゃない。あんたが、あんたこそが‥…‥ストーカー男」
「──ッ!」
ここで、ルイカの顔が驚いたように歪んだ。でも、それは一瞬で悲しそうな顔に変わる。
「違う‥‥‥私は、ストーカー男じゃ、ない。約束を間違えたのは、記憶が、曖昧だから‥‥‥」
「忘れるはずない!」
考える前に声が出た。
例え、記憶が曖昧で、他のことを忘れていたとしても、本物の夜宵なら、この約束のことだけは忘れない。
それだけは、自信を持って言えた。
私たちの間に沈黙が訪れた時、後ろから堂々としながらも、気品のある足音が聞こえた。
「だから言ったでしょう、いつかボロが出るわよって」
振り向くとそこには、美しい微笑みを浮かべたシマキ様が立っていた。
真っ赤なドレスに身を包んだ姿は妖艶で、微笑みは美しいのに何処か残虐的。
この世のものとは思えないほどの美しく恐ろしいその存在は、正しく乙女ゲームの悪役令嬢そのものだった。
シマキの登場です。




