いい人
ホワイルン男爵家から帰ってきました。
ルイカの家に遊びに行ってから、数日が経った。私とルイカは、今日も談話室で報告会をしている。
シマキ様は、今日は生徒会ではなくコートラリ様と共に王宮へと呼ばれていた。毎月恒例となっている王妃教育の一環だ。これだけは、部外者が立ち入ることは許されず、専属メイドである私もついていくことは出来ないのだ。
因みにシマキ様は、明日帰ってくる予定だ。
ということで、今日はルイカとゆっくりと報告会をしようという話になっていた。
議題はもちろん、この間のホワイルン家での出来事についてだ。
「‥‥‥私、間違って、いたかもしれない。シマキ様は、いい人」
「それは、作戦を中止するっていう認識で、いいの?」
「いい‥‥‥これ以上、やっても、時間の無駄。だって、シマキ様は、ストーカー男じゃないから。あの人は、ただのいい人だった。疑って、ごめん」
ルイカの素直な言葉に、私は驚いた。少し前から、ルイカの中でシマキ様への疑いが晴れつつあったことは察していた。でも、ルイカは意地っ張りなところがあるから自分で言った意見を途中で変えることは、私の経験上あまりなかった。
だから、シマキ様がストーカー男でないと言う結論は私から言うしかないなと、当たり前みたいにそう思っていたのだ。
多分、この間のホワイルン家での一件が決め手となったのだろう。
「ふふっ、今更気がついたの? シマキ様は、優しくって、賢くて、それで凄く綺麗なんだから」
「そう、だね」
「‥‥‥でも、盗らないでね」
私がそう言えば、ルイカはパチパチと目を瞬かせた。珍しいくらいに驚いた顔をしたルイカに、私はそんなに驚くことだろうかと不思議に思う。
「そんなに驚かなくても、いいんじゃない?」
「びっくり、した。ダリアは、あんまり、そういうこと、言う、イメージなかった、から」
「確かに、前世の頃はあんまりなかったかも」
思えば最近、独占欲が強くなったような気がする。もちろん、前世の頃も嫉妬したことはあったが、暴力的な感情になるほどの嫉妬はしたことがなかった。
「大丈夫、私には、マールロイド様が、いる、から」
「そっか。よかった」
ルイカの赤らめた顔を見て、その言葉に嘘がないことを悟る。
「そういえば、最近どうなの? マールロイド様とは、上手くいってる?」
「うん。とても、優しくしてくれる‥‥‥でも」
「でも?」
「全然、手を出して、くれない」
明け透けな言葉に、私の顔は急激に熱くなった。
「な、なっ、手を出すって」
「キスしてくれない」
「あっ、そっか‥‥‥そっちね」
「なんのことだと、思ったの?」
「えっ! いや、いいの。気にしないで。そうだよね、マールロイド様、純粋そうだもんね」
もっと進んだ関係のことを想像していた自分が、恥ずかしく思えて無理矢理話を進める。ルイカは、不思議そうな顔をしたものの、それ以上何も聞かなかった。
「そう、なの。婚約者がいないからか、女性の扱いに、あまり慣れていない。付き合ったこと自体が、初めてみたいで、この間、漸く手をつなげたところ」
「そういえば、ゲームの中でもそうだったもんねぇ」
マールロイド様は、ゲームの中でピュアピュアなチョロイン枠だった。
「うん。何か、アドバイス、ない?」
「アドバイスって言っても‥‥‥私が、そういうことに疎いの知ってるでしょう?」
「もしかして、誰とも付き合ったこと、ないの?」
「そ、そうだよ‥‥‥前世でも現世でも、恋愛経験ゼロ。もう、こんなこと言わせないでよ!」
半ばやけになって話せば、途端に羞恥心が襲ってきた。そんな私をルイカは放心したように見つめると、再び質問をしてきた。
「なら、キスも、したことない?」
「な、なっ──!」
いや、あった。
ないと言いかけて、ひとつの記憶を思い出す。そういえば、昔、過呼吸になった私にシマキ様がキスを落としたのだ。
その後のシマキ様が、あまりにも普通に接してくるから忘れかけていたが、そういえば、あれはキスにカウントされるのではないだろうか?
再び、顔に熱が集まる。
いや、いや、でも、あれは、過呼吸になった私を介抱する目的のものだし、不可抗力だ。
シマキ様だって、無反応だったから、あれはノーカン!
「もしかして、キスはしたことあるの?」
「へっ! そ、そんなわけ、無いでしょう。ない、ない。ないよ、本当に」
「‥‥‥そう。なら、よかった」
「なにそれ。馬鹿にしてるの?」
意図せずに出てしまった拗ねたような声に、ルイカは嬉しそうに口元を上げると首を横に振った。
「違う。純粋な人のことは、純粋な人に聞いた方が、いいと思ってたの。だから、ダリアが適任。私は、あんまり、マールロイド様の気持ちが、わからないから」
ルイカは、前世でもいろんな人と付き合っていて、恋愛経験豊富だ。そんな人からしたら、マールロイド様のような純粋な人の気持ちは確かにわからないのかもしれない。
「‥‥‥私は、マールロイド様じゃないから、気持ちを完璧に理解出来るわけじゃないけど、でも、想像はできるよ。多分、怖いんだと思う」
「怖い?」
「うん。だって、マールロイド様にとって、ルイカが初めての恋人でしょう? 下手なことして、幻滅されたら嫌だなって思うのは当然じゃない?」
「そういうもの、かな?」
「知らないことっていうのは、みんな怖いものでしょう」
「そう、かも」
ルイカは納得したように、首をこくこくと振った。
「なら、私から、行動するべき、かな?」
ルイカの問いかけに私は、首を横に振る。
「あくまでも、今話したのは私が予想したマールロイド様の気持ち。彼が本当はどんな思いなのかは、私にはわからない‥‥‥もちろん、ルイカにもね」
「じゃあ、どうすれば、いいの?」
「話せばいいと思うよ。今私に言ったこと、そのまま」
「だけど、それは、少し、恥ずかしい」
「でも、ひとりで暴走すると碌な事にならない。私はね、ずっとシマキ様にとって、自分は盾としての役割しかないって思ってた。だから、盾としての役割に失敗した時、暴走してしまったの。
でもね、本当はそんなことなかった。シマキ様は、私のことを盾だなんて思ってなかった‥‥‥私たちがすれ違ったのは、対話が少なかったせいだと思うんだ」
私は、精神的に不安定だった時を思い出す。あの時は、本当にシマキ様に迷惑をかけてしまった。
「ルイカには、失敗して欲しくないの‥‥‥って、恋愛経験ゼロの私が言っても、全然説得力ないだろうけど」
「そんなこと、ない。貴方だからこそ、説得力がある。少し照れくさいけど、相談してみようと、思う」
「うん、頑張ってね」
こんな風にルイカと話したのは、前世も含めて初めてのことだ。私は、ルイカの役に立てたかもと思うと嬉しかった。
照れたように笑うルイカには、恋する女の子特有の可愛さがある。きっと、二人で話し合えば上手くいく恋だろう。
ルイカが意識不明の重体だと聞かされたのは、そんな話をした翌日のことだった。
不穏です。




