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幸福の社は今も藪のなかに

作者: 遊月奈喩多

皆様こんにちはこんばんは、遊月奈喩多です!

皆様は今年の節分、どう過ごされましたか? 私はいつもと変わらぬ平日として過ごしてしまいましたが、「そうだ、節分の短編を書こう!」と思い立ちはしました。


節分はもう終わった?

いいえ、節分は終わっても節分を過ごした皆様の記憶は終わっていませんからね。終わってなどいないのです。


そう、何事も遅すぎることなどないのかも知れません。

それでは、本編スタートです!!

「あむっ……、おじふぁんの恵方巻き、おいひぃね」

「こら、恵方巻きは喋らないで食べるものなんだよ、ゆっくり落ち着いて食べてごらん」

「ふぁーい、んむっ、はむ、むっむっ、」


 遊びに来た姪を(たしな)めながら、その髪を撫でる。細くて柔らかい髪質が、指を心地よく迎え入れてくれるのに夢中になりそうで、姉がよく自慢しているのも頷ける触り心地だった。

 前に姉が酔い潰れていたとき、教え子の父親に惚れて、略奪婚を遂げてから産んだ子だとか言っていたが、この子は生きにくい状況になってはいないだろうか――少しだけ心配になりながら、彼女を見下ろすことにする。夢中になって恵方巻きを頬張る姿を見ているだけなのに、どうかこの子がこの先も健やかに生きていけるようにと願わずにいられなかった。


 今日は節分。テレビではどこぞの寺で豆を全力投球しているスポーツ選手の姿が映し出されていて、散弾のように飛んでいく様は豆というよりもはや武器のよう。

 節分、か……。

 厄除けの行事として鬼に豆をぶつけ、鬼を追い払うというイメージのこの日を迎えるたびに胸が軋むようになったのは、もうずいぶん前のことだ。もうとっくに忘れてしまってもいいほど昔のことなのに、他にも忘れてはいけないようなことさえも時間に流されて忘れてしまっているくせに、あの日のことはいつまで経っても忘れられないんだ……。


   * * * * * * *


 その日、俺は近所の藪で友人と鬼ごっこをしていた。捕まったら鬼の命令を何でも聞くというルールで始めたのだが、突然俺たちの輪に飛び入っていた横谷(よこや)という高校生が鬼になった。この横谷は近所でも有名なサディストで、どんな命令をされるかわかったものじゃなかったため、ただの遊びだった鬼ごっこは時間切れまで絶対に逃げきらなくてはいけない真剣勝負に変わってしまったのだ。

 藪に逃げ込んだ俺の耳に聞こえたのは、捕まった友人の泣き叫びながら許しを乞う声。何をさせられていたのかは(つい)ぞわからなかったが、俺はますます藪の奥深くへと進むことになった。


 おぉーい、榊原(さかきばら)ぁ!!


 俺を探す横谷の声が、藪に響き始めた。たぶん捕まった友人の誰かが吐いたのだろう、裏切り者と罵る気はないが、一瞬恨みたくなってしまった。

 声から遠ざかるように奥へ奥へ、入ったことのないような、日光も(さえぎ)られてしまうくらいに木々の生い茂る深みへと潜り込んだ。そうして迎えた時間切れ、俺は安堵の息とともに外へ戻ろうとして、自分がすっかり迷っていたことに気付いたのだ。

 鬱蒼(うっそう)と茂る暗緑の木々、不気味な鳥の鳴き声。

 辛うじて差していたはずの光ももう届かず、視界も覚束なくなっていた。遭難という単語が脳裏をよぎり、帰れなくなるのではないかという不安が胸に込み上げていた。腹は鳴り、身体は冷えて――あのときの恐怖は今でも忘れられない。

 そのときだった。


『どうしたの?』


 声の方を振り向くと、見たことのない女の子がいた。

 歳は当時の俺より少し上くらいだろうか、優しげな笑みが真っ暗な冬の藪には場違いなほど温かく見えて、見ているだけで涙が出るほど安心して。


『帰れないの? それだったら外に連れてってあげる。わたしここの道よく知ってるから、すぐ出られるよ』

『ほんと?』

『うん、ほんと!』


 屈託なく笑う顔が、まるで陽だまりのようで。


『泣かないで、泣かないで。怖かったよね、不安だったよね。もう大丈夫だからね』

 俺の手を引いて歩いている間、彼女はそうやって俺を励ましてくれていた。手から熱が全身に伝わるようで、不安なんて消えていったのを覚えている。

 そして彼女の言葉通りすぐに見知った道に出たあと、『よかった、すっかり泣き止んだね』とからかうように笑ったその顔が、まるで星のように輝いていて。照れ隠しに怒ることすら忘れたまま、俺はぼうっと見つめてしまっていた。


『ありがとう』

『ううん、いいの。わたしなんかでも誰かを幸せにできたんだって、嬉しくなれたもん。わたしこそ、ありがとね』


 心から嬉しそうなその笑顔に、不思議と心が踊って。

 俺は彼女にまた会いたいと思ったのだ。



 そしてその数週間後、奇しくも2月3日の節分に願いは叶うことになる。節分だからといって特別豆まきをしたりするわけでもなかった俺は、藪で手を引いてくれた彼女に会おうと藪を進んでいた。

 もちろん彼女がいつでも藪にいるとは限らなかったが、もしかしたらまた会えるかも知れない――そんな期待に気が逸り、足はどんどん速まっていた。

 宵闇の影に飲み込まれていく道を休まず歩いて、俺は彼女のいそうな方へ向かった。奥へ、奥へ、ずっと先へ。そうして、俺はひとつの小さな(やしろ)に辿り着いた。地域の小さな神社にあるような、こぢんまりとしたひと部屋くらいのスペース。だがどうしてだろう、そこからは数人分の声が聞こえているような気がして。


 好奇心に駆られて覗いた俺が見たのは。

 見知った顔の中年男たちが一糸まとわぬ姿で(ひし)めく様と。

 その中心で同じ格好をし、涙目になりながら彼らのなすがままになっている、あの日の彼女の姿だった。


『今日は厄を祓う日だっ、思い切りいくからなぁ!』

『お前みたいな忌み子に役割を与えてやってるんだっ、感謝しろ、平伏しろっ、今年一年分の厄を拝領しろっ!!』

『お前は厄だ、俺たちはお前を清めてやってるんだ!』

『泣くな、笑えっ! 顔を隠すなオラァッ!』

『これくらいしかできねぇだろうがこの穢れもの!』


 何をしているのか、当時の俺にはわからなかった。

 だが、それが普通の常識では赦されるべきものではないことはなんとなくわかった。だから、俺は。


『やめろっ!』

 社に飛び込んだ俺を待っていたのは、大人たちの激しい報復だった。身体中が重く動かなくなり、このとき肩の関節が外れたのと左腕の腱が切れたのがきっかけで、俺は当時見ていた夢を諦めることになった。強く殴られた右目もこの日以来ピントを合わせられなくなってしまった。

 それでも、彼女を守らなくてはならないと思った。

 大人たちの暴力から、あの優しい彼女を守りたかった。その一心で痛みにも傷にも耐えて、大人たちに抵抗し続けた。叩き、地面の石を目に投げてやったりした。念のために持っていたバットで殴り返したりもした。そうするうちやつらは裸のまま逃げ出していき、後に残されたのは俺と彼女のみ。


『逃げよう、こんなとこ出て病院に行くんだ!』

『………………』

『またバットで追い払ってやるさ、大丈夫だよ!』

『ねぇねぇ』

『え、』


 社を出ようとした俺の上着を掴んで、彼女は前に出会った日と同じ、まっすぐな瞳で囁きかけてきたのだ。

『わたしね、あの人たちを幸せにしてあげてたの。きみも、いいんだよ。だってわたし、なんとなくだけどね、きみには幸せになってほしいんだもん。ほら、こっちおいでよ』

 生臭いような、それでいて肉々しいような異様な臭いに包まれた社の中で、何かよくわからないもので全身覆われた彼女が、その涙ぐんだ瞳に不釣り合いな笑顔で囁きかけてきたあの光景を、俺は未だに忘れられない。

 当時はあの意味を理解できていなかった――だが、いやだからこそ、そんな彼女がたまらなく恐ろしかった。


 あの誘いに乗っていたら、きっと、俺もあいつらのように。そう思ったら、そんな自分の可能性すら恐ろしくなって。


 俺はその社を飛び出した。

 情けなくて泣けてくるような悲鳴すら上げながら、ただただ藪のなかを駆けずり回って――けれどもう迷うことなど、彼女に助けられることなどなく、気付いたら近所の畦道(あぜみち)を歩いていて。

 泣きながら歩いていたところを姉に拾われて帰ったことも忘れられない。何かあったのかと訊かれたが答えることもできず、ただ泣いているしかできなかった俺をそれ以上追及せずにいてくれたことには、今も感謝している。


 その日以来、俺が藪に近付くことはなく。

 彼女に出会うことも、二度となかった。


   * * * * * * *


「んむっ、むぅっ、むっむっ、うむぅ、ふぁ、むちゅ、」

 姪はまだ恵方巻きを頬張っている。時々漏れる吐息のあどけなさに目を細めながら、俺は地方の祭りで鬼役の青年がフラッシュモブを使ってプロポーズをしたというニュースをぼんやりと眺めていた。

 テレビで節分の話題が流れると、あの日のこと、そして彼女のことを否応なしに思い出させられる。


 彼女は今、どうしているのだろうか?

 まだあの狭い社にいるのか、それともどこか違うところで暮らしているのか……そもそも生きているのか。今更考えても仕方ないことなのだが、つい遠いあの日に思いを馳せてしまうのだ。


 今でも思う。

 あの日彼女の誘いに乗っていたら、俺はどうなっていたのだろう。彼女のいった『幸せ』の先に待っていたものを、今の俺には想像することしかできない。だが、あの日のことほど明確に分岐と呼べるものを、俺はまだ人生に見出だしていない。


 後悔はない、後悔はない。

 だが、今でも節分の日になると、あの鬱蒼と茂る藪の先にある社が俺の心を軋ませるのだ。


 窓の外で、風が吹く。

 ふと、木々のざわめく音が聞こえたような気がした。

前書きに引き続き、遊月です!


鬼というとかつては異国の人々やいわゆる“まつろわぬ民”にあたる人々ををそう呼んでいたり、漢文で『鬼』というとそれは幽霊を指したりするそうです。

また鬼を退治する逸話というのは古来いくつもありますが、それらは人同士の争いを劇的に、英雄譚として描いたものなのだろうなと思うと、何やら味わい深くありませんか?


ちなみに作中に登場する『おじさんの恵方巻き』は、本当に恵方巻きです。他の何かを言い換えているわけではありません、本当に恵方巻きなのです。


それでは、また別の作品でお会いできることを願っております!

ではではっ!!

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