給食こぼし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、つぶらや、その寿司食べねえの? もーらいっと……ととと。
なんだよ、食べるなら早く食べろよな。後生大事に皿に残しているのを見ると、嫌いなのかと思って処理したくなるんだ、俺は。
――好きなものは最後まで残しといて、嫌いなものを先にかたづけたいくせ?
へえへえ、「お楽しみはこれからだ」ってところか? 確かに試練を乗り越えた後のご褒美ポジも、悪いことじゃないが、俺にはちょっと残すものについて思うことがあってな。
なーに、説教じゃねえ。お前の好きそうな奇妙な話って奴さ。俺の学生時代の話だが、聞いてみないか?
ガシャンと、器を落とす音が教室中に響き渡る。
給食の「いただきます」が終わって3分。その音の出どころへみんなの視線が集まった。
俺の隣の席に座る男子だ。互いの机をつき合わせての班形態。イス同士がすぐ隣になる形で、俺は飯を食っていた。
その男子はかきたま汁の入った器を転がしている。俺がいるのとは反対側の床に転げ落ちた器は、ほどよく形を崩した卵とわかめを、盛大に床へ飛び散らかしている。
そのときは、一概に責めるべきじゃないと思ったさ。
クラス替えの当初、先生から、こいつは左腕がけがで不自由な状態だと聞かされていたからな。授業中も左腕をだらりと垂らしながら、右手一本でノートをとっていた。
これが普通の生徒なら、行儀の悪さをたしなめられて、左腕を机の上へ出すことになるだろう。それがこいつには特例で許されるんだから、面白く思わない奴も多かったろう。俺だってそのひとりだ。
だが、腕を骨折していた経験のある俺には、少しは情状酌量してやる余地があった。
腕を思うように動かせないことと、それに付随するトラブル。それを「ミスらないことなんか、さも当然」と言わんばかりになじられると、その相手をぶん殴りたくなるからな。
自分から席を立って、雑巾類を取りに行こうとするのを俺が制し、代わりに動く。周りのみんなの協力もあって、つつがなく掃除は終わった。
さすがに床に飛び散ったものを食べようとは思わねえが、「もったいねえ」感は否めない。
落とすくらいなら、最初から俺に譲れと思ったくらいだ。好き嫌いはぜんぜんないし、あまりに腹が減るもんだから、こっそり買い食いしているのも、一度や二度じゃない。
今日だって、「少なめで」とあらかじめ減らされたおかずは、軒並みいただいている。トレイに入りきらない奴は、とっとと食べておかわりだ。
それが今回は掃除のために、遅れをとってしまう。まあ、仕方ないかとその日は我慢したんだがな。
ところが、そいつはしばしば給食をこぼすようになる。
かきたま汁以外にも、魚に筑前煮に、チーズ焼きに、チキン南蛮、果てには個包装されたフルーツの袋を取ったとたん、つるりと床へ滑らせる始末だ。
こうも続くと、さすがの俺も頭にくる。少し前から観察していたんだが、こいつの箸を持った右手の動き、怪しいのさ。
あきらかに口へ運ぶ動作に、必要ない一瞬の動きがある。それはおかずをトレイから跳ね飛ばすには、十分なもの。他のみんなは自分の食事に気を払って、その一瞬を見逃しているくさかった。
――こいつ、実はとてつもない偏食家なんじゃないか?
どのような先生でも、床に落ちたものを食べろとはいわないだろう。ひと昔前ならともかく、いまそのような指導をしたら体罰の一種ととられかねないからな。
わざとやっている疑惑が湧いてくると、最初に抱いた憐憫の念も手伝って、憎らしくなってくるもんだ。
どうにか証拠を押さえてやりたいが、こぼすのにかかる時間はほんのわずか。見てからじゃ遅いし、現行犯? ともちょっとニュアンスが違いそうだ。
それにこいつ、こぼすものに関して偏りがなさすぎる。
豆とかひじきとかにんじんとかしいたけとか、和食にありがちで子供に不人気な具ならともかく、肉とか主食までこぼしていくとは、どういう了見だ?
先生も様子は察してくれているようで、そいつの席の近辺には、物がこぼれても被害が少なくなるようシートが敷かれている。
ところが一週間に一回は、こいつはそのシートから外れるようなこぼし方をしている。腕をぶつけ、箸で挟んだものをすっぽ抜けさせるんだ。
教室に新しい汚れがつき、俺たちはまたも掃除に駆り出される。さすがにみんなもけげんそうな目で、こいつのことを見るようになってな。じょじょに距離を置き出したんだ。
そしてしばらく経った体育の終わり。
廊下で着替えていた男子陣は、教室の中で響いた女子の悲鳴に耳を立てる。
ゴキブリでも出たのかと、ドアを叩きながら様子を確かめるも、そのときは適当にはぐらかされた。だが着替えが済んでから仲のいい女子に聞いたところ、一部の体操着の袋に穴が開いていたというんだ。
しかも人為的なものじゃなく、その部分だけ酸を被ったような、不自然な溶け具合だったらしい。
俺は不審に思って、休み時間に教室中をさりげなく調べてみたんだが、各々の机の脚の部分。そこについているキャップが、ほとんど溶けていたんだ。
学校生活に、そこまで支障はない部分だが、これだけの広範囲。明らかにおかしい。
かといって、俺一人でいろいろとやる力も度胸もなく。放課後にひっそりと担当の先生に相談したんだ。ついでに、隣のあいつの給食をわざとこぼる様子もちくった。
すると先生は目を丸くしてな。「少し確かめたいから、ついてきてほしい」と、まずは物置へ移動する。
持ってきたのはカナヅチと小型のバール。その後は教室へ向かったかと思うと、内側から鍵をかけてしまう。
「おおっぴらにするとまずいからな。少なくとも学校にいる間はいうなよ」
先生は俺にそう釘を刺し、あいつの席の近くへ移動。その椅子の下にはまる、タイルの一枚にバールを突き立てたんだ。
日曜大工でもしているのか、先生は小気味よくカナヅチを振るい、バールをタイルへ食い込ませていく。ほどなく、タイルをくいっとわずかに持ち上げ、その裏を少し見つめた後、俺を手招きする。
先生が見せてくれたのは、ほんのわずかな間だけ。だが、俺は見たよ。
タイルの下で、白とピンクにぷくりと膨れ上がる肉塊と、その表面に浮かぶ無数の血管を。それは肉屋でさばかれる前の肉より、ずっと脂でてかっていたよ。
「先生の小さいころにもこいつはいた。こぼした給食を食べて、こいつは育ったんだ。
てっきり田舎だけかと思っていたけど、まさかこんな都会に現れるとは思わなかった。
放っておくと、学校の備品が片っ端から食べられるぞ。もしまかり間違って、人の味を覚えたら、なお危険だ」
その日は帰るように言われたよ。
そして翌日から、あいつはクラスで一緒に食事をすることはなくなったんだ。
以来、俺は誰かが皿にものを残していると、警戒しちまうんだ。いつ偶然を装ってこぼし、あいつを育てるんじゃなかろうか、てな。