第266話 もう少しだけ
結論から言えば、レモンとカスタードのサラミサンドイッチなる奇作はラストの脳にひとかどの刺激をもたらすに足る味だった。
鋭い柑橘類の酸味と乳由来の滑らかな甘み、そこにサラミの塩味と脂味が加わった不思議な味覚の四重奏を、どっしりとしたライ麦のパンが指揮者の如く包み込んで統べている。
これは間違いなく、新たなる美味と呼んで差し支えないだろうと彼は黙して頷く。
――違う、そうではない。
サンドイッチはサンドイッチで良いのだが、ラストにとって当面の問題であるのはこちらではなく、目前で同じものを頬張っているハルカだ。
彼女もまた【子猫の集い】新作の味に満足したようで、最後に指先についていたカスタードをぺろりとなめとって……そして、戦意を滾らせた剣そのものの視線がラストへと叩きつけられる。
「……美味しかった。……じゃ、斬り合――」
「まあまあ、待ってよ。せっかくだし、他にも色々食べよう? あ、あそこの苺が乗ってるのも良いんじゃないかな。すみません、あの苺のケーキとそこのロールケーキ、ついでその一つ横のタルトもお願いします」
「はい、承りました。少々お待ちください。その間に紅茶はいかがですか?」
「あ、いただきます。ハルカさんもいるよね?」
「……むぅ。んっ……いる」
「いるみたいです。それじゃ、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
やはりと言うまでもなく、ハルカはまだまだ死合いを諦めていないようだった。
そんな彼女の先手を取って、ラストはすかさず近くを歩いていた店員を呼び止めていくつかのケーキを注文する。
その代わり彼女からは不満げな表情を向けられるが、構わず無視。
少しして店員が運んできたケーキを、彼は半ば押し付けるような形でずいっとハルカの方に差し出した。
更には問答無用でフォークも受け渡し、食べるように笑顔を作って促す。
「……なんで」
「実は僕、興味はあったんだけどこれまでこういったところに来たことがなくてね。せっかくだし、もっと食べてみたいなって思ったんだ。もちろんハルカさんの分は奢るし、どうかな? 無理にとは言わないけれど、一緒に食べてもらえると嬉しいんだけど」
「……それなら。仕方ない」
彼女の意識は差し出された甘味の誘惑に抗えないようで、ちらちらとそちらに向けられている。
そこへラストからの下手に出た提案という後押しが加わったことにより、ハルカは困ったような顔をしながらも、己の剣ではなくフォークへと手を伸ばした――彼の狙い通りに。
「……もっきゅもっきゅ」
「うん、やっぱり美味しいね」
そうして紅茶とケーキを交互に堪能しつつ、ラストはハルカが食べ終わる頃を見計らって……。
「ん……ご馳走様。行こ、偽ラス――」
「すみません。次はあの棚の上段をそれぞれ二つずつお願いします。あと紅茶のお代わりも」
「はい、ただいま!」
「あっ……」
彼女が剣の柄に手をかけるより先に、次の甘味を持ってきてもらう。
そう、これがラストが咄嗟に考え出したハルカを封じ込めるための作戦だった。
せっかく持ってこられたケーキを拒否しようにも、既に彼が自分の分に口を付けている以上、ハルカも彼女の分を口に運ばざるを得ない。
「……あむあむ」
「うん、これも中々イケるね。よーし、じゃあ次はそっちの棚のを……」
「あの……お客様。大変失礼ではございますが、お支払いの方は大丈夫でしょうか?」
【子猫の集い】は王都に店を構えている以上、高価なものが品揃えの大半を占めている。
まだ若いラストを見てその懐具合を心配してきた店員だが、心配には及ばなかった。
「もちろんです。あ、それなら先にこれから頼む分も含めて纏めてお渡ししておきますね」
そう言ってラストは、懐から取り出した金貨十枚を手渡した。
以前竜を狩るついでに幾つかの魔物を倒して素材を売り払っていたので、懐具合には割と余裕があるのだ。
「はっ……も、申し訳ございませんでしたっ!」
「いえ、お気になさらず」
ラストもそれなりにおかしな注文の仕方をしている自覚があったので、頭を下げてくる店員を気にせず紅茶を口に含む。
そうして持ってこられた次の甘味に舌鼓を打ち、また紅茶を、甘味を……と、それらの味をしっかりと確かめながら繰り返していく。
「……はむはむ」
「へぇ、これも意外と……」
「……ごっくん。美味しかった……じゃあ、剣を……」
「あ、次をお願いします。今度はそちらの棚を……」
「かしこまりました、直ちに……」
「……うぅ」
そうして続けていって、やがて店の甘味の八割方を制覇したところで、ハルカがようやく「けぷっ」と可愛らしく息を吐いた。
――よし、もう良いだろう。
「あ、ケーキはもう大丈夫です」
「分かりました。それではただいまおつりの方をもって参りますので、少々お待ちくださいね」
「いえ。残りはそのまま受け取っていただいて結構です。その、だいぶ迷惑をかけたと思いますので」
「そのようなことはございませんが……」
「良いんです。ただ、最後に紅茶を一杯いただけませんか? 僕と彼女の分で二つ、お願いします」
「……はい、かしこまりました」
裏方へ去っていく店員を見送ると、ハルカが店に入る前と比べて少しばかりふっくらとしたお腹をぽんぽんと叩いていた。
「これだけ食べたのは、久々……でも、もう十分」
「それは良かった」
お腹の方が満足したことに従って、戦闘欲もある程度抑制されたようだ。
彼女は剣に手を伸ばすことなく、休むように深呼吸をしている。
ラストにとってはまあまあ手痛い出費を負ってしまうやり方だったが、金ならば魔物を狩ればまた稼ぐことができる。
それよりも下手に剣を交えることを防ぐことが出来たと考えれば、まだこちらの方が良かったと作戦の成功を確信したラストは胸を撫で下ろした。
また、数年もの間死亡したことにされて姿を消していた償いと考えれば――これくらいは安いものだ。
「……ごちそうさま。ありがと……偽ラスト。お金は……また今度」
「どういたしまして。お金なら良いよ、こういう時は男の子が出すものだって教わってるから。それに君の楽しそうな顔を見れて、僕も楽しかったから」
「……?」
何を言っているのか分からない、と目で問うハルカにラストは首を振って誤魔化す。
昔はこうして、鍛錬の合間にこっそりと採取してきた野生の果物などを齧って笑いあっていたものだが――それを彼が懐かしんでいることは、今はまだ明かせない。
その一方的な感情を心の奥底にしまい込んで、ラストは席を立とうとする。
「そうしたら、僕はもう行くね。ハルカさんはもう少しゆっくりしていって……」
「……むぅ」
だが、その足をハルカがぷくりと膨らませた頬で留めた。
死合いをしたいという欲は収まったはずだが、まだなにかあるのだろうか。
「えっと、どうしたのかな?」
「……もうちょっと」
「え?」
「腹ごなしに……お散歩、付き合って……? 剣は、今は良い……けど。もう少しだけ……駄目?」
ラストを見る今のハルカの目は、先ほどまでの戦闘狂のものとは打って変わって、見捨てないでと訴えてくるひ弱な小鳥のように見える。
そう請われては、彼も断ることなど出来なかった。
「いや、構わないよ。じゃあもう少しだけ、だね」
「……ん」
どうやら幼馴染との絡みは、まだまだ続くらしい。
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どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。




