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第260話 ひと休みと、ローザの愚痴


 観客の興奮が生み出した熱気の渦からローザを遠ざけるべくラストが選んだのは、彼女にとってよく慣れ親しんだ場所でもある植物園だった。


 いくら英霊奉納祭(ヘロスマキアー)中は学院内に一般人を招き入れることが認められているとは言え、当然彼らの歩ける範囲にも限りが存在している。

 学院が国家に属する機関として管理する機密情報のある建物や生徒たちの私生活に係る寮の近辺などには現在、一時的に立ち入り禁止の表記が誰の目にも分かるように明示されている。


 植物園もまた、その保有するいくつかの植物の危険性によって今回の侵入不可区域の一つに指定されている。

 とは言え、元より一般客どころか、生徒やその他学院の人間ですらここには立ち寄らないのだ。

 静かに心を落ち着かせるという目的に対して、この温室以上に相応しい場所はないだろう。


 特にここで過ごすことを好んでいるローザにとっては、なにより良い効果が認められるはずだとラストは考えていた。


「ごめんなさいラスト君、こうして何度も迷惑かけちゃってて……」

「構わないさ。これくらい迷惑でもなんでもないし、気にしないで。それより今はゆっくり深呼吸でもして、気持ちを休ませよう」

「うん……ありがと。貰ったお茶もおいしいよ。これ、冠光陽葵(ヘリオグロリア)だよね?」

「そうだよ。さっき偶然見つけた時にちょっとばかり種を拝借してきてたんだ」


 冠光陽葵(ヘリオグロリア)には鎮静作用があるので、皮を剥いた種を軽く炒って茶にすれば今のローザにとって飲みやすい薬となる。

 現に彼女の体内魔力の乱れが徐々に整っていくのを見届けながら、ラストは自分のぶんを淹れて彼女の横に座った。


「よいしょっと。ふー、ふー……まだ僕のはちょっと熱いし、冷めるまで少し待とうかな。あ、ローザさん、お代わりが欲しかったらいつでも言ってね」

「あ、はい……ええっと、ラスト君? その、ここに連れて来てくれたのは嬉しいんだけど……その、他の試合を観に行かなくていいの?」

「それよりも君の方が大事さ。それにもう、一番見ておきたかった試合は見れたしね」


 落ち着いてきたとはいえ、ローザの手はまだかすかに震えている。


 学院で幼馴染(ハルカ)に次いで最も注目度の高かった【水天一聖(セントホライゾン)】を観た以上、ラストは他の試合にはそれほど重きを置いていなかった。

 無論それらも見られるに越したことはないのだが、友人の不調を放っておいてするまでのことでもない。


「だからローザさんは気兼ねなく休んでいてくれ。お茶もまだあるし……そうだ」


 ラストはふとした思い付きで、震える彼女の片手を取った。

 それから自身の両手で包むように挟み、優しく擦り合わせてやる。


 それは以前、彼がエスにやってもらったことだった。


 エスとの生活が始まって間もない頃は、屋敷のベッドで眠りについていた際などに夢の中でふと両親との暖かい生活を思い出すことがあった。

 それがもう戻らないものであると悟り、ラストが深い寂寥感や郷愁の念に苛まれていた時、エスは黙ってこのようにして、彼に付き添ってくれた。

 そうして相手の体温が伝わってくるのを感じていると、不思議と心で荒んでいた感情の波がなだらかに引いていくのだ。


「どうかな? 家族に教わった、心を落ち着かせるためのおまじないみたいなものなんだけど……」

「えっと、なんでか分からないけれど、凄く……ほっとするな。暖かいんだね、ラスト君の手」

「効いたのならどういたしまして。……ん?」


 見てみると、彼女はもう一つの手で胸元にあるペンダントをぎゅっと握りしめていた。

 

 指の隙間から見えるその輝きから察するに、前にラストが大浴場の更衣室で拾ったものだろう。

 この様子から見るに、恐らく彼女の大きな心の拠り所となっているのか。


 ならば、それについて話を膨らませていけば、気分の改善の一助になるのではないか――そう思い、ラストは口を開いた。


「ちなみになんだけど、それについて聞いても良いかな? なんだか大事なもののように見えるけれど」

「これ? これはね、十歳のお誕生日の時にお母さんから貰った贈り物なの。見てみる?」


 ローザは躊躇うことなく蓋を開いて、中に入っていた写真をラストに見せる。

 映っているものは以前と変わりのない美しい女性の正面像で、やはり彼女の母親だったようだ。


「お母さんがいつでもここから見守ってくれてるって思えば、どんな辛い時でも頑張れるし、安心できるんだ。だからこれは私の一番大切な宝物。他の人に見せるのは、ラスト君が初めてかな?」

「それは随分と貴重なものをありがとう。聞いた感じだと、良いお母さんなんだね」

「ええ、そう。前に実家が花屋をしてたって話はしたでしょ? 私の知識は全部お母さんからの受け売りなんだ。お母さんの傍で、季節ごとに変わりがわりに咲く花を見るのが本当に楽しくてね。街の人にもとっても受けが良くって、近くの他の街からもお客さんが来るくらいには有名だったんだよ」

「それは凄いな。そこまで噂が広がる店は中々ないよ」


 偶然とはいえヴェルジネアで老夫婦の客商売に関わったことのあるラストは、彼女の説明に素直な賞賛を示した。


 定期的に騎士団によって討伐されているとはいえ、街と街とを繋ぐ街道には魔獣が徘徊している危険性がある。

 それ故に多くの人間は少なくない金子で護衛を雇って行き来しているのだが、そのような一定の財力のある人間の目に叶う商品とは中々見つかるものではない。


「ぜひお会いして話を伺ってみたいところだけれども……そう言えば、このお祭りに来てないのかい? ローザさんに会うせっかくの機会なのに」

「それは……」


 ラストが問いかけると、ローザは一瞬顔を歪ませた後、目を伏せつつ首を横に振った。


 彼女のその様子に、ラストは自分の思惑が失敗したことを察した。


 すかさず別の話題に切り替えようとしたラストの口が動くより先に、ローザは彼が想像した通りの答えを告げる。


「……無理だよ。だってほら、お母さんがお世話してる花の中には、いくつか特別な育て方をしなきゃいけないのがあるから。それで忙しいし、仕方ないんだよ」

「そうだったんだね。ごめん、悪いことを聞いて」

「別に謝られるようなことじゃないよ? 仕事ってだけだし。……あー、でも、うちにも普通にお父さんとかがいれば良かったんだけどなー。とは言っても私のお父さんは、私を作ってから一度も顔を見せに来もしないような薄情な相手だし? お母さんの親戚とかも遠い所にいるらしくて頼れないみたいだし、こればっかりは本当仕方ないよ」

「……ええと、この話の流れで聞くのは申し訳ないんだけど。そのお父さんが貴族だった、ってことで良いのかな?」

「……まあ、そんな感じかな」


 彼女は一瞬だけ視線を宙に彷徨わせたのち、「……えーと、多分なんだけどね」と囁くような小声で呟く。


「実際どうだったのかまでは知らないから、はっきりそうだとは言えないよ? 可能性は低いけど、ほら。もしかしたらお父さんも平民だけど、偶然どこかの貴族の血を引いてたりしただけ――とかかもしれないし?」

「ああ、その可能性もあるね。でも、お母さんはその辺についてはなにも教えてくれなかったのかい?」

「うん。ただ……はっきりしてそうなのは、あんまり良い人じゃなかったらしいってことかな。昔聞いた時のお母さんの顔、すっごく辛そうだったから」


 ローザの言葉に宿る物憂げな色は、ラストにも直接伝わってきた。

 彼が黙って続きを待つと、ローザはぎゅっと手を握りながらラストを見る。


「それから、私からは何も聞かないことにしたんだ。だって、お父さんがいないことなんて、どうでもいいことだったから。お母さんがお父さんのぶんも愛情を注いでくれたからかな……なんて、自分で言ってて恥ずかしくなっちゃうなー。でもお母さんとの生活で不満なんてなにもなかったのは嘘じゃないし、むしろお父さんなんて今から名乗り出て来られりする方が嫌なくらい」

「そ、そこまで言うなんて相当だね」

「だってそうでしょ、あの人の血のせいで私の人生は滅茶苦茶。ただのお花屋さんになるはずが、気づいたらこうして軍人の候補生になっちゃってるんだよ? この血を全部抜いちゃえば元通りの生活に戻れるんじゃないか、って考えたこともあるくらいだし。もう呪いって言ってもいいくらい、厄介な血を引いちゃってるんだよねー……私ってば」


 重いため息を一つ吐いた後、ローザは困ったような笑みをラストに向けた。


「って、あははっ。ごめんね、なんかいつの間にか愚痴に付き合ってもらう形になっちゃってて」

「いや、僕の方は構わないけれど……ローザさんこそ、そこまで僕に言っちゃって良かったの?」

「さあ、どうだろ。正直なところ、私にもよく分からないかな。でもこうして言えちゃったことで、少しは気分が楽になったような気がするんだ。だから良かったんじゃない? うん、そういうことにしておこっか」


 そう言い切って、彼女はいつもの笑顔に戻る。


「それに、最近はここでの生活もそう悪いものじゃないって気づけてきてるしね。先輩たちは優しいし、ラスト君も。だから私は大丈夫、そんなに気にしないでね」


 ローザはそれっきり、ラストに握られてたままだった手をぱっと放して、ここまでの話を打ち切った。


「それに、私のつまらない過去よりも今大事なのは試合の話だよね。そっちの方について話さない? 私たちの一回戦の相手は【七花同盟(セプテ・フローリア)】って言ったっけ、どんな相手なのかは分かってるの?」

「あ、うん。……彼らは二組(ミドル)を中心にした、名前通りの七人の小隊だね。剣皇役が二人、賢者役が三人、英雄役一人と、聖女役が一人。でも上級魔法を使えるのは一人だけで、他は中級魔法までだったから、僕たちが負けることにはならないと思うよ」

「確かに、あの先輩たちを見てるとそう思っちゃうよね。特にヴォルフ先輩なんかは上級魔法が命中しても平気な顔してそうだし……」


 そうして話題を移して、場はラストが当初想定していたような空気に戻っていく。

 それから彼らは自分たちの試合の時間が来るまで、この場で雑談を続けていたのだが……ラストは先ほどの失敗を反省すると同時に、ローザの様子について考えていた。


 彼女は自分をここへと無理やり連れてきた相手を恨んでいるだけではなく、その原因となった父親についても深い負の感情を抱いているようだ。

 それも、呪いとさえ形容するほどに――その言葉はどこか、彼女らしくない吐き捨てるような口調でさえあったように彼の耳には聞こえていて、なぜかラストはそれを頭の中から離せないでいた。



 ここまでお読み下さった読者の皆様、まことにありがとうございます。

 もしこの続きを読みたいと思ってくださいましたら、ブックマークへの登録や感想、評価・いいねなどをいただければ幸いです。

 どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。

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