第254話 夜更かしの理由
沈黙が場を支配する。
あくまでも彼女の裸体そのものを直視したわけではなく、かつそれが偶発的に起きてしまったという言い訳はある。とは言え、この学院で親しくしている同級生の生まれたままの姿に限りなく近いものを見てしまった事実に変わりはない。
ただひたすらに気まずさを感じているラストは、口を閉じたまま、ローザからの断罪の言葉を罪人のような面持ちで待っていた。
「それで、えーと。ラスト君、一応聞いておくけれど……見た?」
そら来た、と彼は覚悟を決める。
ここで返す言葉によっては、ローザとの関係に大きな亀裂を生じさせてしまうかもしれない。
それでも嘘をついてまで誤魔化すのは、ラストの主義に反していた。
となれば、ここで選ぶべき正答とは――。
「――うん。湯気のおかげで、(裸そのものは)見えなかったよ」
「ふぅん……そう。だったらそこまで固くならなくても良いでしょ。どっちかって言うと悪いのは先に脱衣所で誰か入ってるのか確認しなかった私の方だしねー。むしろせっかくの一人っきりの時間を邪魔しちゃって、ごめんね?」
どうやら彼女を怒らせるようなことにはならなかったようで、ラストは胸を撫で下ろす。
この様子なら、後で警備員に訴えられる心配もしなくてよさそうだ。
それどころか頬の一つや二つは張られるつもりでいたが故に、逆に彼女の落ち着いた反応には拍子抜けさえしてしまうくらいだった。
「いや、僕は別に気にしてないから……それよりも、本当に良いの?」
「見られてたなら嫌だったけれど、そうじゃないなら、まあね? ……正直、ちょっとどころかかなーり恥ずかしいんだけど、目を閉じてくれてるなら我慢できるよ。それに、知らない男子だったら嫌だけど、ラスト君なら手を出さないって言葉も信用できるしね」
え、ラストは首を捻る――そこまで信頼される要素があっただろうか?
深淵樹海の生活でそれなりに常識を壊されている――主にエスからの理不尽による――とはいえ、学院に通う年齢ともなれば男女で入浴することなどまずありえないことくらいは理解している。
「その、僕が言うのもなんだけれど。どうしてそこまで信じてくれるのかな……?」
「だってラスト君って、盗まれた私の荷物を建物の屋上から飛び降りてまで助けてくれるお人好しさんだもの。そこまでしてくれるような人を信じられないって言う方が、逆に不思議じゃない?」
「そうかな……そうかなぁ……?」
そう言えば、彼女とラストの関係はそのような出会いから始まったのだった。
そこまでのことをしたつもりはないのだが、信頼してくれているというのならこれ以上深掘りするのも不毛か。
などと思い、彼はこの話をここで止めることにした。
ラストはほぅと息を吐いて、肩まで深くお湯に浸かり直す。
緊張で冷えた身体に、温泉の熱が改めて染み渡る。
そうしながらくたびれた身体をゆっくりとほぐしていると、またもやローザの方から話しかけてくる。
「それで、ラスト君はなんでこんな時間にお風呂に? 私が言うのもなんだけれど、普通ならありえない時間だよね?」
「英霊奉納祭に向けての準備をしてたんだ。午前中にローザさんたちと別れてから水竜を狩りに行ってたんだけど、戻ってきて加工のための下拵えなんかをしてたら、いつの間にかこんな時間になっちゃっててね」
ラストは時短処理の手順ももちろん修めているが、今回はそのような手抜きをするつもりはなかった。
その場にあるもので出来る限りの最善を尽くす。
楽をして生まれた隙を突かれて敗北しては、後悔してもし切れない。
いくら他の生徒を相手に負けることはないだろうとの自信があっても、ラストは全力を以て英霊奉納祭に挑む所存である。
「ちょっと待って。竜を倒した、それも一日でって……でも、そう言えばラスト君ってハルカ様の剣をいなしてたっけ。それならそれくらい出来たって、おかしくない……かな?」
ローザの疑問に、ラストは説明口調で答えた。
「まあ、今日行ってきたベスタ村の近くは穏やかな環境で、そこにいたのもそんなに強い個体じゃなかったからね。竜は危険な所にいる個体はその分学習を重ねて強くなるけれど、安全な場所で過ごしてる個体は強くなる必要がないからそこまで面倒な相手じゃないんだ。もし火山帯や砂漠みたいな過酷なところに生きてる個体を相手にしなきゃならなかったら、気性は荒いし知能と耐性は高いしでもうちょっと苦労したかもしれないかな」
「その言い方だと、どっちにせよ倒せることには変わりないって感じだけど……」
まあね、とラストは頷く。
「いくら生態系の頂点に立つって言われてる竜種でも、弱点がないわけじゃないから。そこさえ突くことが出来るなら、誰だって倒そうと思えば倒せるさ」
「えー……そんなことを言えるのはたぶんラスト君とかハルカ様とかみたいな、世間のほんの一部の人たちだけじゃないかなー……?」
「そんなことはないよ。極論を言えば、魔法が使えなくたってやれないことはないんだ。昔には、たっぷりの酒で酔わせた後に頭を巨岩で押し潰したって記録もある。準備にはかなりかかるかもしれないけれど、決して不可能ってわけじゃないだろう?」
「そうかなー……?」
ローザは湯気の向こうに輝く星空を見上げながら、疑問符を頭に浮かべる。
確かに言われてみれば無理ではないように思えるし、ラストの語った話についても彼女は聞いたことがあった。
だが、竜というものはとにかく強力な生き物だと言われている。
街を渡り歩く吟遊詩人などは、倒した者はそれこそ数多の金銀財宝を得て一生称えられるとも詠うほどだ。
魔法使いならば一般人より楽に倒せると考えられるかもしれないが、竜の身体は物理攻撃だけでなく魔法にも強いと有名で、英雄学園にいる生徒たちの中にも竜を簡単に倒せるなどと嘯く者は早々いない。
それを軽々しく言えるラストに今度は彼女が首を傾げている中、彼が次は自分の番だと問う。
「それで、ローザさんの方はどうして?」
「私? 私はね、夜にじゃないとお世話できない植物があるからだよ。水月美人とかね」
「なるほど、それは確かに。……そんな植物まで取り揃えているなんて凄いと言えば良いのか、取り寄せるだけでお世話を生徒一人に任せているのを情けないと言うべきなのかな」
水月美人とは、月光浴でしか育たない繊細な植物だ。
天敵は陽の光で、その強すぎる光を浴びれば瞬く間に萎れてしまう。本来ならば極夜……一年中日の昇らない地域でのみ見られ、それ以外の場所で育てようとすれば、いちいち鉢を動かしたりしなければならないので大変な手間がかかる。
そんな貴重なものまで置いておきながら今はローザ以外に世話をする者がいないとは、学園側の怠慢と言ってもおかしなことではない。
こんな時間まで起きなければならないとなれば、普通の生徒であれば学業にも影響が出る。
幸いにも彼女は授業を受ける義務のない破組だが、それでも日々夜遅くまで植物の世話に奔走するのは精神的にも辛いに違いない。
「良かったら、管理の魔道具を作ろうか? 月が上がっている時間だけ窓を開く仕組みとかがあれば、わざわざこんな夜遅くまで起きていなくても良くなるだろうし」
「魔道具って、そんな大げさな……でも、ラスト君ってそんなものまで作れるの?」
「一定の光量に反応する術式を刻むだけならすぐに終わるよ。問題は連動して動く窓の開閉機構の方かな。植物園のどこに設置するかとか、寸法とかも考えないといけないし、その辺りを決めないと作業に取り掛かれないからね」
「……でも、今は英霊奉納祭の方が大事なんだよね? だったらそっちのために時間を使った方が良いんじゃないかな?」
ラストの事情に気を使ってローザが言うが、試しに頭の中でざっと手間を計算してみたところ、さほど時間のかかるものではないと彼は結論付けた。
「別にそのくらいなら、たぶん一時間もあれば終わると思うけど」
「それでも、だよ。今はみんなの方を優先しなきゃ。……お祭りの後で余裕が出来たら、その時にお願いするね?」
「ローザさんがそう言うなら、そうしようか。……竜を倒すよりはよっぽど簡単なんだけどな」
「あはは、それはそうだよ!」
くすくすっ、とローザの笑い声が聞こえる。
と、竜の討伐を引き合いに出したラストはここでローザが先に語っていた内容を思い返して、一つ彼女に尋ねてみたくなった。
「そう言えば、ローザさんに聞いてもいいかな?」
「なに?」
「きっと友達なんだと思うけど。ハルカ・ブレイブス……彼女について、君の知っていることを教えて欲しいんだ」
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どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。




