第253話 星空の下、湯煙の中にて
今回ラストが入手した竜種の生息情報は、王都から馬車で半日ほどかかる距離にあるベスタ村から寄せられたものだった。
英雄学院では実戦教育の一環として、生徒に自主的な魔物の討伐を推奨している。そのために王国全土から魔物の目撃情報を収集し、報酬の出る依頼として掲示板に逐次公開しているのだ。
そのうちの一つをあらかじめ受注していたラストは――もちろんその手続きの際にも破組関連でひと悶着あったが、それは割愛するとして――先輩二人及びローザと別れた後、すぐさまベスタ村まで直行し、家畜に危害を加えていたという水竜を村近くの湖にて奇襲を交えながら討伐。
そして合計で一時間と経たないうちに、素材を抱えたほくほく顔で学園へと戻ってきていた。
――そして、すっかりその日の夜が更けた頃。
「……よし、今日のところはここまでかな。根を詰めすぎて加工の手順にくるいが出るといけないしね。そうなったら面倒だし、なにより深淵樹海にいた時みたいに、足りなくなったらすぐに素材を取って来れるほど王都は便利じゃない」
校舎に数多く有り余っている空き教室、その一つを拝借・改造して作った実験室にて、ラストはぐぐーっと背中を伸ばした。
焚いていた大鍋の火を落とし、最後に水原蜜桃から搾り取った果汁を注ぎ込む。そうすれば冷めるにつれてあらかじめ一緒に入れていた緋々詰草の効能と合わせて、煮ていた水竜の胃袋がほど良く引き締まる。
これをジュリアに渡す鞄の裏地に使えば、万が一扱ってもらう予定の薬品が中で零れたとしても、穴が開くということはない。
それから彼は一方の壁に並べられた、蒸留器を模した魔道具へと歩み寄り、その最下部に取り付けられた試験管を取り外した。中でとろりと揺れるのはルビーが溶けたような煌く赤色の液体――濃縮を繰り返して抽出された、純度の極めて高い竜血だ。
多くの魔力が溶け込んだこちらの素材もまた、ジュリアが扱う爆薬の素材として有用な代物となる。
他の有用な素材などを纏めてきっちりと鍵のかかった箱にしまい込み、更に教室の床を剥がして作った空間に隠してから、ようやく外へと出る。
まさか英雄学院で盗みを働くような連中はいないと信じているが、用心するに越したことはない。
「ふぅ……分かっていたことだけど、やっぱり暑かったなー。ずっと窯の前にいたおかげで汗は垂れるし髪は纏わりつくしで不快だし……お風呂でさっぱりしたいな、うん。この時間なら誰もいないだろうし、たまにはゆっくり浸かるのも良いかもね」
着込んでいた厚手の作業衣は汗という汗を吸い尽くしてぐっしょりと濡れており、重たくなったそれを脱げば、涼しい夜風が肌を撫でる。
このままでは風邪を引いてしまうかもしれないが、熱いお湯に身を沈めて疲れをすすぎ、その夢心地のままにベッドに潜り込めば、明日にはまた清々しい気分で作業の続きに戻れるだろう。
「不潔でだらしない生活なんて【英雄】らしくないからね、身体はきちんと洗わなきゃ。お姉さんも、お風呂は万病の薬にして健康の秘訣って言ってたからね……。」
そう言えばと、風呂に入る度に隙あらばラストの身体を隅々まで洗おうとしてきたエスのことを思い出し、彼は顔が赤くなる。
連鎖的に頭に浮かんできてしまった恥ずかしい記憶を首を振って追い出し、学院に用意された大浴場へ向かう。
男子寮と女子寮のちょうど中央に設置された大浴場は、源泉かけ流しの非常に贅沢な造りとなっている。なんでも数代前の【英雄】が大の温泉好きだったようで、その彼が最上級魔法を惜しまず撃ち込んで掘り当てた温泉脈がそのまま使われているのだとか。
こんな丑三つ時も近い深夜となれば、他に入っている者など誰もいないだろう。
気ままに星でも眺めながら、静かにお湯を堪能しよう――。
そのつもりで、ラストは一つ大きな欠伸をこぼすのだった。
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「ああー、生き返るなぁー……」
岩を削って作られた浴槽の縁に身体を預け、露天風呂にて満天の星空を見上げるラスト。
先んじて垢を流し終えた身体から、お湯の熱気によってじんわりと疲労が溶け出していく。この感覚が、彼は好きだった。
冷たい外気との差で感じられる対比もまた、快い。
次第に落ち着いていく頭の中で、ぼんやりと考えるのは破組のことだった。
「竜の素材一頭分……角と骨はヴォルフ先輩の武器の強化に使って……血や内臓はジュリア先輩の素材に……、鱗はローザさんの防具に……。うーん、やっぱり迷うなぁー……」
竜の強靭な肉体には、なにからなにまで余すことなく利用価値が存在する。
それをなるべく使い尽くせるように計算しながら各々の設計図を引いたつもりだが、それでも見直したくなるのは人の性というものなのかもしれない。
とはいえ、休むべき時に休むのもまた大事なことだ。
せっかくの星々が描く軌跡を眺めることなく、一度決めたことをうじうじと悩むのは、無粋な事ではないだろうかとラストは思った。
「でも、いいか。細かいことは明日また考えよう。それにしても、良いお湯だなー……」
学生という未熟な身分に対しても福利厚生を取り計らってくれた先祖に感謝の念を捧げながら、余計な事を忘れていると、次第にうつらうつらと舟をこぎ始めてしまう。
「……あー……」
温泉の熱に、身も心も蕩けていく。
瞼を閉じれば、そのまま油断して意識の帳すら下ろしてしまいそうになる。
きっとこの人界だけでなく、エスの今いる魔界にも魅力的な温泉はたくさんあるに違いない。
いつか世界が平和になった時は、そのような所を二人で旅をしながら巡るのも楽しいだろう、と思いにふけるラスト。
――と、その時。
ひたり、と何者かの足音が湯気の合間に響いた。
「っ」
咄嗟にラストは息を殺して、水音を立てないようにしながら現れた気配の方向を窺う。
温泉の魅力に警戒心も緩んでしまっていたようで、いざ入ってくるまでまったく気が付かなかった。……もっとも、こんな夜遅くに彼以外の誰かが来るだなんて本来は想定する必要はないはずなのだが。
――こんな時間に風呂に来るなんて、いったい誰なんだ?
無限に湧き立つ湯煙のせいで、通常の視界では姿を見通すことが出来ない。
しかしラストの場合、魔力を目に込めればそれが叶う。
果たして――浮かび上がってきた輪郭は丸みを帯びており、それすなわち女性のものということで。
「……!」
その全体像をはっきりと知覚するより先に、ラストは慌てて目を背けた。
マズい――もし見つかった場合、色々と面倒なことになるのは間違いない。
先ほどまで仄かに朱く染まっていたラストの顔が、急激に青褪める。
一刻も早く、ここを離れなければ。
しかし身体から滴る水の音で逆にこちらの気配が察知されるかもしれないと考えれば、うかつに湯船から上がるわけにもいかない。
ひとまず、あちらから見えないような死角への移動を試みる。幸いにも彼のいる露天風呂はだだっ広く、隠れられる場所もそれなりに見受けられた。
適当に決めた彫刻の影に向けて、エスから教わった無音水泳の心得を全力で発揮し、動く。
だが、運命は残念なことに、彼の逃亡を許さなかった。
「……そこにいるのは誰!?」
気配は極限まで殺したつもりだし、水音の一つも立ててはいない。
しかし彼へ向けて響いたその声には、強い確信が籠っていた。
どうやら、逃げられないらしい。
それを悟ったラストはため息を吐いて、名乗りを上げる。
「……僕だよ、ラストだ」
「……え?」
幸いにも、声には聞き覚えがある。
弁解の余地は無きにしも非ずだろうということで、彼は素直に投降の意を示すべく両手を上げた。
ひたひたと、石造りの床を伝って声の主が恐る恐る近づいてくる。
彼女は諦めたように降参の形を取っているラストを見て、困惑したような声を漏らした。
「……ねぇ、なんで目にタオルを巻いてるのかな?」
「これ以上の間違いを犯さないようにするため、かな。それで、出来れば通報する前に僕の話も聞いてもらえないかな……ローザさん」
「いえ、まあ……とりあえず、寒いし先にお湯に入ってもいいかしら? ラスト君なら手を出してきたりもしないでしょうし」
「もちろん、死んでも出さないよ!」
「なら良いわ。それなら、失礼するね」
ちゃぽん、と水音が響く。
なぜか視界を封じていると、それが嫌に明瞭に聞こえたように思った。
今更だが、耳の方も完全に塞いでおくべきだっただろうかとラストは強く心苦しさを覚えたのだった。
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どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。




