第248話 見本に忠実に
「気高き赫よ、天に吠えろ。駆け征くは灰燼の王、鬨の声!――【火炎瀑滝】」
ラストの見据える先には、まさに今己が考えた詠唱を終えた男子生徒の姿があった。
エドワルドに見守られる彼の身体から、煌々と魔力が湧き出る。その輝きは真っ直ぐに伸ばされた腕を駆け昇って空中に広がり、開け放たれた大窓の外を目掛けて世界を書き換える陣を描く。
その中に浮かび上がる細やかだが重大な一つの歪みを、ラストの眼は見抜いていた。
込める魔力が多い――されど暴発するほどではないため、それは構わない。
問題なのは、軌道の設定だった。
男子生徒の描いた魔法陣が意味するところでは、炎の竜巻は曲進する設定となってしまっている。そしてそれは多少目標から逸れる、どころの話ではなかった。ラストの読み通りならば炎は大きく弧を描いて進行方向をやがて真逆に転じ、そのまま術者本人の下にまで戻ってきてしまう。
中級魔法の炎を何の対策も打たず真っ向から受け止めれば、まず間違いなく重度の火傷を負うことになる。学院にいる回復魔法の使い手にかかれば問題なく回復するだろうが、悲惨な事故を予見した以上動かないわけにはいかない。
机を蹴って駆け出したラストは順番を待って列を作っていた生徒たちを真上から飛び越えて、一気に教室の前へと躍り出る。
「ごめん!」
「うわっ、なにすんだお前っ!」
ラストは謝罪すると同時に、男子生徒の身体を勢いよく押し倒した。間違って固い石造りの床に頭を打ち付けさせないよう細心の注意を払いながら、そのまま彼が高熱に晒されないよう覆い被さる。
急に邪魔をされたと思った男子生徒は思わず文句を叫び、間近にあるラストの顔をなんのつもりかと強く睨みつける。
――その真上を、逆流した炎が荒れ狂うように通り過ぎていくまでは。
「うん、もう良いかな。悪かったね、いきなり押し倒したりして。驚いたよね?」
「あ、ああ……いや、こっちこそ唾を飛ばして悪かった。その、助けてくれた……んだよな?」
唖然とした顔で尋ねる男子生徒に、ラストは頷く。
「そうか……。今のは俺じゃ絶対避けらんなかった。確かに驚かされたが、元は自分の不手際だ。責めることなんて出来ねぇし、むしろ感謝しなくちゃなんねぇ。ありがとうな」
「どういたしまして。無事で済んでなによりだよ」
「――なんということでしょう! 今のは、貴方たち大丈夫でしたか!?」
見た所怪我は見当たらない彼を見てラストがほっとすると、遅れて事態に反応したエドワルドが声を上げて近寄ってくる。
余裕ある威厳を保っていた顔を青く染めた彼は二人を見て無事であることを確認した後、安心したかのように深く息を吐いた。
「ふぅ……お二人に怪我がなくて本当に良かった。自身の魔法で重傷を負ってしまい立ち直れなくなった方を私は何人も見てきました。今回はそうならなくて済んだようで、一安心です。……それにしても、今の素早い対応は見事なものでした。ええと……」
そこで初めてラストのことを近くで認識したエドワルドが、はてと首を傾げる。
「申し訳ありませんが、お名前を窺っても? 火中に飛び込んで学友を救った勇敢な君の名を、残念なことに私は聞いた覚えがありません。顔も見慣れないようですが……この学級に君のような生徒はいましたかな?」
「失礼しました、エドワルド教授。僕はラスト・ドロップスと申しまして、つい先日この学院に編入したばかりなんです。記憶にないのはそのためかと」
「なるほど、編入生でしたか。……おや? しかしその話は三組ではなく、確か……」
何かに思い至ったかのように、老教師は突如顔を顔を強張らせた。
青くなっていたエドワルドの顔からは、更に血の気が引いていく。
「ええ。ご存じの通り、僕の所属は破組です」
ラストが正直に伝えた途端、教室内が水を打ったように静まり返る。
一拍遅れて、あちこちから悲鳴が上がった。
中には涙を浮かべながら口元を抑える者も現れ、一部の者はガタリと椅子を蹴って立ち上がり、敵意を露わにして睨みつけてくる。ヴォルフやジュリアの積み上げてきた揺るがぬ評価が窺えようというものだ。
こうなると予測出来ていたラストは、話にならなそうなエドワルドに目を向けたまま話す。
「破組が授業を受けたいと言うなら、他のところに混ざってこいと先輩方に説明を受けていまして。とはいえこうなった以上、僕の存在は皆さんのお邪魔となるだけみたいです。とっとと退散させてもらおうかと思うので、課題に挑戦させていただいてもよろしいですか?」
こくこく、とエドワルドが頷く。
どうやら言葉を交わすことすら憚れるほど、破組は彼という教師に嫌われているようだ。もしかしたら彼の先輩のいずれかが、何かしたのだろうか。
想像するとしたら、ジュリアがエドワルドの自慢の髭を爆破で焼いてしまったとかだろうか――まあ、それはこの際考えても仕方がない。
「割り込んでしまう形になってしまって申し訳ないけれど、君たちもそれで良いかな?」
先に並んでいた生徒たちにも頭を下げて確認すると、ちょうど次の順番だった気弱そうな女子は足を生まれたての小鹿のように震わせながら激しく首を上下に振った。
「……ごめんね」
まるで自分が脅しているかのように思えて、ラストは罪悪感を抱く。しかし、ここは言葉を尽くそうとするよりも一刻も早く立ち去ることの方が互いにとって都合が良さそうだ。
そうして、速やかに課題を終えようと窓の外へ視線を向けたラスト。
そこに待ったを叫んだのは、いの一番に課題に挑戦していた男子だった。
「はっ、お前があの異常者の巣窟の新入りかよ! 拍子抜けだぜ!」
彼は列の中から抜け出して、ラストの前に進んできた。
その足で苛立たし気に何度も床を蹴りながら、彼は挑戦的に口の端を吊り上げる。
「なんだ、先輩方から聞いてたような化け物とはほど遠いじゃねぇか。顔も女々しいし、威圧感もまったく感じねぇ。お前なんかに中級魔法が使えるとは思えねぇな!」
そう語る彼の全身からは見せつけるように魔力が立ち昇っている。
誇らしげな様子からして、これでラストが恐れおののくとでも考えているのだろうか。
しかし、感情に呼応して魔力が漏れてしまうようでは、彼からしてみれば単なる未熟の証にしか見えなかった。
彼の言う威圧感の正体が魔力なのだとしたら、ラストにそれを感じないのも無理はない。彼の魔力は元がただでさえ少ない上に、それを意志の力で余すことなく体内に留めているからだ。生半可な眼力では、そもそも彼が魔法使いであることすら分からないだろう。
「そうかな。何事もやってみなくちゃ分からないと僕は思うけどね」
「やらなくたって分かるぜ、てめぇは引っ込んでろ! お前なんかより俺が先だ!」
「僕は別にいいけれど……その前に君より先に並んでた人たちに聞いた方が良いんじゃないかな?」
「うるせぇんだよ! はっ、今度こそ成功させてやらぁ!」
ラストの忠告を振り切って、彼は腕を空高くへ向けて掲げ、叫ぶ。
「――猛炎よ、我が破道に照応せよ! 崩れ逝くは百の牙城、万兵は今此の時を以て朽ち果てん! ――【火炎瀑滝】ッ!」
どうやらエドワルドの教えに素直に従って、詠唱を考え直してきたようだ。
しかしその反面、術式の構成がいっそう疎かになっている。
穴だらけの魔法陣からは込められた魔力の三割近くが流れ出しており、炎の威力も本来と比べて六割程度に減少している。
軌道そのものはなんとか一直線になっているため様にはなっているのだろうが、その向かう先がこれまたまったく別の方向になっている。
彼の生み出した炎の行き先は残念ながら彼の歩む破道とやらの先ではなく――教室内にいたラストの方となっていた。
「なっ!? なんでだよっ――!」
慌てふためく男子生徒の声が聞こえるが、それはどうでも良い。
恐らくは炎に指向性を与える部分がごっそり欠けていたのと、そこを補った魔力にラストへの敵意が強く反映されていたのが原因だろう。
それよりも、ラストの側には先ほど守ったばかりの男子が残っており、ついでにエドワルドも炎の軌道上に立っている。
――ここは彼らを守るのと一緒に、課題を済ませてしまおうか。
迫りくる炎を真正面に捉えながら、ラストは手早く己が魔法を編み上げる。
「あっ……えーと、炎よ踊れ。【火炎瀑滝】」
普段は使わないがために忘れていた詠唱を適当に取り繕って、エドワルドの耳に届くような大きさではっきりと発する。
展開したのは、これまでに生徒たちが使って来たものと比べて幾分か小さい魔法陣だ。
その中央から生まれた炎が、花を咲かせるように拡がっていく。
それは男子生徒の放った炎の渦を正面から貫いて、四方に散らし始めた。
飛散した相手の炎は距離を走るにつれ段々と小さくなり、ラストの手元に届くころにはふっと息を吹きかければ消えるほどの大きさになっていた。
炎が消えた最後、喧嘩腰だった男子は無事なラストを見て呆然としている。
そちらを放っておいて、彼はエドワルドに顔を向ける。
「これで良いですよね、先生。僕の【火炎瀑滝】は確かに発動していたかと思いますが」
「……は、はいっ! ……こほん。仰る通り、貴方は合格といたしましょう……」
正しくはラストの使ったものは【火炎瀑滝】とはまったく違う自作の魔法陣なのだが、術者がそう呼称したのだからとエドワルドは素直に納得したようだ。
それから彼は終わったのだからさっさと出て行けと言わんばかりに、身体を震わせながら教室の出口をちらちらと見やる。
だがその意に反して、ラストは彼に攻撃を放った形となる相手の生徒へ目を戻した。
「俺の炎が効かないだと……ひっ! な、なんだよ!」
すっかり他の生徒と同じように怯えを浮かべた彼に、ラストは考える。
――いくらエドワルドの面子を潰すことが良くないとはいえ、このような事態が頻発しているようなら少しくらいは口を挟んでも良いだろう。
「……さっきの君の魔法だけれど、意図しない方向に炎が向かったのは魔法陣が間違っていたからだよ。詠唱に凝るのも良いけれど、まずは正しい魔法陣の内容を再現するようきちんと意識しよう。そうすれば、今度は正しく目標へ向けて進むようになるはずだ」
「は、はぁ?」
拳でも飛んでくるのかと身体を固くしていた彼は、思わぬ言葉を受けて顎を落とした。
「それと、君も彼と同じで魔法陣の再現率が低いんだ。どこへ向かうかの設定が間違っていたから、炎も間違った方向へ飛んでいく。まずはなにより黒板に書かれた例を正確に再現すること、後はあまり力み過ぎないようにね」
この忠告を受け入れるかどうかは彼ら次第だ。
魔法に限らず、強い力は扱いを間違えれば自分の身を亡ぼすことになる。
せっかくの才能を無駄に終わらせてしまうとは、なんともったいないことだろうか。
その点についてはエドワルドも理解しているつもりのようだから、ちょっとした置き土産くらいはお目こぼしして欲しいとラストは続ける。
「詠唱は誰がどんなものを唱えたって問題ないんだから、極端な話どうでも良いんだ。だけど魔法陣の設定誤りは、小さなことでもさっきここにいる皆が想像したような惨事を招きかねない。だからこそ、まずは見本に忠実に。この程度でいいだろうだなんて考えないで、これなら確実に問題ないと言えるくらいに仕上げてから挑戦した方が良いと僕は思うかな」
最後に目礼で謝罪を告げてラストは教室から立ち去った。
校舎内へ視線を巡らせれば、他にも魔力が集まっているところがちらほらと窺える。
一応は他の授業の様子も覗いておいた方が良いだろうと、彼は気配を消してそちらへと向かうのだった。
ここまでお読み下さった読者の皆様、まことにありがとうございます。
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