第239話 蒼狼吠ゆりて進軍す
初めに、誤字報告をしてくださった読者の方々へ謝辞を述べさせていただきます。
本当にありがとうございます。そして、お見苦しい文章を見せてしまい申し訳ありませんでした。
それでは今回のお話をどうぞ。
瞬間、至近距離で爆発した暴力的な光の奔流がラストの視界を塗り潰した。
詠唱を終えたヴォルフの身体を内側から食い破らんとするかのように凄まじい勢いで噴出する、魔力の輝き。物理的な圧力を伴って顕現したそれが、今一度斬りかかろうとしていたラストの身体を吹き飛ばす。
咄嗟に空中で姿勢を整え、受け身を取って立ち上がった彼に傷はない。
すぐさま剣を構え直し、光の収まりつつあるヴォルフに現れる変化を警戒しながら窺う。
――それは、彼の知る強化魔法の常識とは些か異なる異様な光景だった。
「なんだ、あれは……?」
ただでさえ存在感のあるヴォルフの筋肉が急速に胎動を始め、徐々に盛り上がり始める。体格を二回りほど成長させた後、次に彼はその体表に何匹もの蛇を飼い慣らし始めた――そのように錯覚させるのは、浮き上がった極太の血管だ。それらがのた打ち回るかのように激しく脈を打ち、頭髪が天を衝くかの如く逆立つ。
眼球は同じく拡張された毛細血管によって深紅に染まり、その中央に浮かぶ限界まで開かれた瞳孔が、怪しげな光を爛々と瞬かせて正面に立つラストを射抜く。
それでいて全身にさながら嵐のように吹き荒れる蒼色の魔力を分厚く着込んだヴォルフの姿は、もはや人というより獣であった。
彼の詠ったように――満ち足りることを知らず、絶えず湧き上がる戦いの衝動にのみ従って、ありとあらゆる他の存在を食い散らかす、暴獣。
人であることを捨てた、蒼き貪狼。
「グオオオォォォッ――ガアアアァァァッ!」
狼が、吼える。
その凶声に大気が打ち震え、周囲の建物の外壁に小さくない罅が刻まれた。
「カカッ、こうなりゃ俺はもう止まらねぇぜ――止まれねぇ! お遊びは終わりだ! さあ、死合おうじゃねぇか――なあ、ラストよォォォッ!」
それまでは両腕で持ち上げていた大剣を片腕でひょいと持ち上げ、その切っ先をラストへと突きつけるヴォルフ――刹那。
彼の足元が爆ぜ、その姿がかき消えた。
だが、ラストはその動きを見逃さなかった。
瞬時に必要な肉体の各箇所に魔力を振り分け、迎撃すべく銀樹剣を閃かせる。
ヴォルフは自身の後輩のようにせせこましく背中へ回り込もうなどとはしなかった。強化された脚力で以て彼が狙ったのは、ラストの真正面も真正面。素早く剣を執った後輩の鼻っ柱を真っ向から圧し折るべく、その剛腕が唸り声と共に振るわれる。
――だが、見えているならば。
ラストはヴォルフの振るう剛刃を側面から強かに打ち据え、斬撃の軌道を別の方向に変えさせる。
「っ! 重いな」
結果、狙いが逸れた大剣はラストの側の地面を深く抉り取り――それだけには留まらず、その余波で近場に建っていた建物の一つが完全に瓦解した。
「なんて馬鹿げた威力。……ジュリア先輩が心配されてたのは、これだったんですね」
想定を大きく上回る火力を叩き出してきたヴォルフに、ラストがぼそりと呟く。
それに構わず、相手は畳み掛けるように続く暴力を繰り出してくる。
開いた手の五指を鉤爪のように僅かに折り曲げ、ヴォルフはラストの顔面を掴もうとする。きっとそのまま握り潰す魂胆に違いない。
捕まってたまるものかと、ラストはヴォルフの鋭利な爪先ではなく、その奥の手首を狙い澄まして剣を振るう。
そうして腕そのものを外へ弾かれると、今度は噛み付き――大きく開かれたヴォルフの顎が迫りくる。下顎をかち上げて狙いを反らすも、脳震盪による気絶までには至らない。動きを止めず、ヴォルフは攻撃の勢いを更に増す。
回し蹴り、正拳突き、唐竹割り、体当たり……ありとあらゆる殴打斬撃を滅茶苦茶に用いて、彼は一心にラストに食らいつかんと迫る。
「――ウルォォォオオオァァァッ!」
「そんなに必死に求められるのは嬉しいですけれど……どうするかな」
ヴォルフの猛攻を捌き続けながら、ラストは思案する。
【蒼狼強化】――その魔法の分類は、正確には強化と言うよりも狂化に近い。魔法陣の構成を分析した彼はそのように断じた。
一般的な強化魔法を乗算に例えるなら、こちらは加算と乗算の重ね合わせだ。
第一段階として人体に本来眠っている火事場の馬鹿力を脳の枷を外すことで無理矢理解放し、過剰なまでに引き出していく。そうして下地を最大限拡張した上で、二段階目の肉体強化魔法によって更に膂力を向上させる。
元となる数字が大きければ大きいほど、最終的に叩き出される数値は大きくなる。
1に2を掛けても、2にしかならない。
だが元々恵まれた肉体を保有していたヴォルフがその底力を引き出した上で強化されれば、その上がり幅は一般的な強化魔法とは一線を画す。
「まさに破組の名に相応しい、破天荒な戦いぶりですね。他の人たちが震え上がってた理由の一端が分かった気がします。だけど、その代償もまた大きい……違いますか?」
「ガウゥゥゥアアアァァァッ!」
答えを返す代わりに咆哮を轟かせる――今のヴォルフからは半ば理性が消し飛んでいる。
脳に負担を強いるが故に、理性を司る部分が一時的に麻痺しているようだ。
加えて、これだけの出力ともなれば魔力の消費も半端ではない。
もって十分――それがラストの見立てた蒼狼状態のヴォルフの活動限界だった。
今は有り余るほど分泌された脳内麻薬によって疲労や痛みといった肉体の悲鳴を無視出来ていても、魔法の効能が切れた後はそれらの代償を甘んじて受けなければならない。
その状態で決闘を終わらせるのはラスト自身も、そしてヴォルフも不本意に違いない。
「とは言っても、僕の方からも打てる手は限られるし……どうしようか」
ヴォルフの纏う魔力装甲は蒼狼強化を発動して以降、より強固となっている。
それを貫くだけの火力ともなれば、必然的に中の術者もただでは済まない。
堅牢な牙城を打ち崩せ、ただし中の兵に傷一つ付けることなく。
中々の難題だ――だが、それでも。
「手がないわけじゃない――うん、そうだね」
小さく頷いて、ラストはヴォルフの放つ蹴撃に飛び乗った。その勢いをまるっと吸収して、自身の脚力と合わせて大きく後ろへ飛ぶ。
逃がすものか、とヴォルフが唸り声をあげて大剣を振り被る。その切っ先が地面を殴り、掘り返して――無秩序に放たれた散弾状の土塊が、後退しようとするラストの身体へと襲い掛かる。
それを見た彼は魔力の糸を伸ばして、自身の軌道を吹き飛ばされる最中、強引な軌道転換を図った。ここは市街地であり、糸を引っ掛ける障害物ならいくらでも存在する。
その一つに糸を結んで手繰り寄せることで建物の影に引っ込んだラストを、ヴォルフはただ真っ直ぐに追いかける。
「ヴォォォオオオ――ォォォッ!!」
立ちはだかる邪魔物の一切合切を抉り、吹き飛ばす魔嵐がラストのいる方向へ進軍を開始する。
手抜きで作られた張りぼての家屋なぞ、なんのその。
破壊的な衝動の赴くがままに、ヴォルフはラストを追いかけるべく目前の障害を突き破る。
複数の建物が倒壊する音が、絶え間なく第三演習場に鳴り響く。その不協和音が木霊し合う舞台の中を、追われるラストと追うヴォルフが駆け巡る。
建物の影を使って巧みにヴォルフの攻撃を回避しながら、ラストは密かに己が刃を用意する――ヴォルフの纏う剛靱な毛皮を引き剥がし、その内側へ決定打を与えうる魔剣を。
「そのためにも、ちょっとだけ待っていてくださいねヴォルフ先輩」
「――ガゴアアアァァァッ!」
「えっと……了承してくれたってことで良いのかな?」
ここまでお読み下さった読者の皆様、まことにありがとうございます。
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どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。




