第229話 入学試験② そして武を謀らせれば
ラストの提出した解答用紙をちらりと見た所で、ハルト翁はそれを丁寧に巻いて懐に片付けた。今のは解答用紙の埋まり具合を確認した、くらいのものだろうか。
どうやら本格的な採点は受験者が帰ってからのようだ。
それから彼は、いったん校舎の外に出るよう促される。
新たに案内された先は、英雄学院が無数に有する演習場、その内の一つだった。
「ここは三代前の【英雄】、ヴィクトール・ブレイブス様を記念して作られた第五演習場じゃ。学院内にはこのようにして、歴代の英雄の功績を称えて建てられた建物が数多く存在しておる。入る時にはかの方々に敬意を表して一礼するのが習わしとなっておるから、覚えておくと良い」
「ふん、覚えていた所で役に立つとは限らんがな」
「分かりました。ヴィクトール・ブレイブス様ですね」
またもやぼそりと嫌味を呟かれたが、それはもう聞こえないものと考える。
ラストは親切なハルトに倣って、頭を下げてから巨大な演習場の門を潜った。
第五演習場は天井のない開放的な造りをしており、中央の広い楕円形の修練場をすり鉢状の観客席が取り囲む形状となっている。
もちろん客席には誰の気配もない。当然だ、まだ【英雄】の卵ですらないラストをわざわざ身に来るような物好きがいるわけがないのだから。
しかし、いずれは大多数の前で華やかな戦いを演じてみせなければならない時がやってくるだろう。今回はその予行演習のようなものだ――そう考えれば、自然と頬が引き締まる。
隠しきれない意欲を瞳に映すラストを見て、ハルトは満足げに顎を擦った。
「うむ、その意気や良し。それでは最後の試験の説明を行うとしようかの。――今から君には、ここにいる試験官の一人と戦ってもらう。実戦形式の試験じゃ」
「はい」
「事前申告によればいくつかの魔法を使えるとのことじゃが、もちろんそれらを用いても構わん。今の君の扱える手札を駆使して、最善を尽くしてみよ。ああ、得物が必要ならば好きなものを貸し出そう。よほど変則的なものでなければ、大概はここの武具庫に収めてあるのでな。どれ、希望はあるか?」
好きな武器を貸してくれるとは、随分と気前のいい話だとラストは思う。
素人が扱えば壊れる可能性もあるというのに、これが国家の直接運営する学院の余裕なのか。懐事情にはそれほど困っていないらしい。
いや、逆に言えば、それだけ期待がかけられているということか。
本当に注目されている場所なのだと改めて実感しながら、彼は学院側の用意したものとはまた別の希望を申し出た。
「その前に確認させていただきたいのですが、自前のものは許されますか?」
「自前の、というと。もしや君が腰に下げているそれか?」
ハルトはラストの腰に下げられていた得物へと目をやった。
そして、面白げに笑みを浮かべる。
「受験者が何を使おうが、規則上は問題ないが……。ただ、あまりに強力な魔道具を使われて試験の意義を捻じ曲げられても困るでな。念のため、そういった類のものでないか一応確かめさせてもらおうかの?」
「それはもちろん。どうぞ、お好きなだけ確かめてください」
ラストは腰の留め金から銀樹剣を外して、素直にハルトへと差し出した。
それを受け取った彼は両手で慎重に支えながら、目を近づけて刀身や柄の構成を注意深く観察する。
「白銀の木剣とは、これまた珍しいものを持っておるな。……うむ、特に魔法陣の類は見当たらんか。思ったより少し重いのがちと気になるが、中に鋳溶かした鉛でも注いでおるのか?」
「少し違いますが、大体似たようなものです。詳しくは話せませんが」
「ほう? ――いや、これは確かにそうじゃな。聞かんかったことにしてくれい」
今から戦う相手がいる場所で、どうして先に手の内を明かせようか。
細かい説明を拒否したラストだが、それは戦う者の心得としては正しい態度であり、目上の者に対する非礼には当たらない。
すぐさま自らの過ちを認めたハルトはそれ以上の深堀りを止めて、本来の目的に戻った。
「外見には問題なし、中身も……うむ、問題なさそうじゃの。何らかの魔法が発動した気配もなし。すまなんだなラスト君、これなら試験に使ってくれて構わんぞ」
「ありがとうございます」
最後に魔力を流し込み、内部にも魔法陣が仕込まれていないことを確認して、ハルトはラストへ銀樹剣を返却した。
彼は即座に魔力を練り上げ、剣からハルトの魔力の残滓を押し流す。銀樹剣が他人の魔力を吸収し、変な癖を覚えるのを防ぐための処置だ。試験官らの目にはラストが銀の木剣を手にした瞬間にその刀身が淡く発光したように見えたが、彼らはそれを些事としてさほど気に留めなかった。
それよりも試験官の面々が気になったのは、ラストの続く一言だった。
「それで、僕はどなたと戦えば良いのでしょうか?」
ずらりと並ぶ彼らを前に、ラストは委縮することなく言い切った。
誰が相手になろうと、情けなく敗北を喫するつもりはない――例え、他の三人から一目置かれているハルト翁だろうと、勝つつもりでいる。
その豪胆にも聞こえる物言いに誰よりも真っ先に反応したのは、やはりと言うべきか、件の男性試験監督だった。
「これは随分と舐められたものだな。先ほど言った事をもう忘れたとは度し難い。これから教えを乞う相手にその態度はどういうつもりだ、ラスト・ドロップス?」
無礼を嗜める教師らしい口ぶりだが、その頬がつり上がっているのをラストは見逃さなかった。
怒りを感じているというよりもむしろ、絶好の機会を得たとでも言いたげに嗤う嗜虐的な顔。この機会に、何故か一方的に敵視しているラストを叩きのめすつもりなのだろう。
そのまま、彼はもっともらしく他の監督陣に提案した。
「ハルト殿。どうかここは私に任せていただきたい。私は先ほど彼にこの学院における礼儀を教えたつもりだったが、どうやらそれは不十分だったようだ。ここはどうか、私に面目を取り戻す機会を与えていただきたい」
「……アンドレ先生、なにを自分勝手な。そもそも一度準備不足で試験に不手際を起こした貴方に、そのような我儘を為すことを許されるとは認められない」
「そうね。その点から見たらむしろ、貴方は控えるべきでなくって? 彼を試したくなってきたのは、なにも貴方だけじゃないのよ。中々に面白そうな子だもの、ねぇ?」
片や隈を浮かべた不健康そうな目で、片や猫のような愉快そうな目で。
残る男性と女性の試験監督がそれぞれ静かに戦意を滾らせながら、非難がましい目つきでアンドレと呼ばれた同僚を見やる。
だが、最後のハルト翁は眉間に皺を寄せて気難しそうに一つ唸った後、パン、と手を打ち慣らした。
「……いや、良かろう。アンドレ君、君が彼の対戦相手を務めたまえ」
「はっ、感謝いたします。必ずや先生の期待に応えてみせま――」
「儂が期待するのはただ一つ、今の君に与えられた役割を十分に果たすこと、それのみだ。彼の実力を計る、それ以上のこともそれ以下のこともしないように。良いな?」
「――ええ、心得ております」
絶頂に少し水を差されたように、憮然としながら、アンドレは敬礼の姿勢を取った。
滑らかなその動きは、それがよほど身に沁みついていることを示している――もしかしたら武門貴族の出身なのだろうかと、ラストは彼に関して一つ推測を立てた。
だが、これだけではまだ、彼がラストを嫌悪している理由を突き止めるには足りない。
「どれ、君は剣に相当の自信があるようだ。ならばこちらも、剣で応えてやるのが道理と言うものか」
ラストが頭を働かせる中、アンドレはあらかじめ用意されていた武具の中から、見せつけるように直剣を一振り選び出す。
訓練用か、最低限の刃引きはされているようだ。しかし素材が鋼であることは変わらず、刃物としては役に立たなくとも、鈍器としては十分な破壊力を有している。
軽く一度二度宙を斬って取り回しを確かめた後、アンドレはその鈍色の輝きをラストへと向けた。
切っ先をちらちらと揺らしているのは、彼への挑発のつもりだろうか。
「覚悟は良いな、ラスト・ドロップス。これは試験故、建前上は互いに寸止めを心掛けねばならない。とは言え、骨の一つや二つは簡単に折れる。それくらいで泣き言を言うようでは、学院の門は潜れんと思え」
つまりアンドレは、ラストの骨を折るつもりで剣を振るうつもりのようだ。
だが、その程度で脅しになると思われたのなら、安く見積もられたものだ。
「わざわざ忠告していただけるとは、ご親切にありがとうございます。ですが、そのくらいの覚悟は平民出身の僕にも出来ています。例え骨が全て折れたところで、気骨を折るつもりはありませんので」
「ふん……とことん生意気な奴だ。良かろう。実力を引き出す前に、まずはその大言壮語から試してやる――」
一向に態度を変えないラストに鼻を鳴らして、アンドレは剣を空高く掲げ、詠う。
「――竜よ、汝が威を我が身のものとせん。宙の果てを呑む大いなる翼をここに見よ! 【飛竜強化】ッ!」
足元に展開される強化の魔法陣、そこから発せられた魔力の余剰光が彼の身体を染め上げる。
膂力、耐久力などの諸々を上昇させる魔法効果が瞬く間にアンドレの全身に波及していく。
「なにしてるの!? 開始の合図はまだじゃない!」
「おかしなことを。実戦で誰が開始の合図を待ってくれるのだ? 教師を続けられて随分と腑抜けておられるようだが、戦いとは本来こういうものだ。違うか?」
「そうね、でも彼はまだ生徒ですらないのよ! 最初は素で様子を見てから、段々と上げていくのが定石でしょう! 今すぐその強化魔法を解除しなさい!」
試験官の女性が非難するが、アンドレは聞く耳を持たない。
とはいえ、彼の言うことにも一理あると思ったラストはそこに口を挟むことにした。
「いえ、そちらの先生の仰ることはごもっともだと思います。ですから僕は構いません」
戦場において卑怯だの、意地汚いだのと謗られることは恥ではなく誉れだ。
彼自身、シルフィアット・リンドベルグとの戦いでは搦め手を容赦なく用意したものだ。
英雄たる者は勝ち方にもある程度拘らなければならないが、それも負けてしまっては元も子もない。勝てば官軍、負ければ賊軍であることを忘れるなと、エスはラストに教えていた。
――それに裏を返せば、この不利だと目されている下馬評を覆せば大きな注目を得られるということだ。
むしろこれは、アンドレが与えてくれた好機である――ラストはそのように捉えていた。
「……老師、どうします? 僕としては、当人らがそれでよいというのなら、それでやらせてみるのも一興かと」
「ほう、君はそう思うかね?」
「ええ。何の勝算もないのであればああは言えないでしょう。恐らく彼、ドロップスはなにかしらの隠し玉を持っている。それを見るのが、この試験の本質でしょう。であればこのまま進めるのが妥当ではないでしょうか」
「なに根拠のないことを言ってるのよ、もしこれで取り返しのつかない怪我でもしたら――」
「……うむ。やらせてみようではないか」
「ハルト先生!? これは蛮勇ですよ!?」
悲鳴を上げる女性試験官を落ち着けるように、ハルトがその肩にがっしりとした手を置く。
「蛮勇だろうと勇気の一つじゃよ。それもまた【英雄】に必要不可欠な資質じゃて。なに、いざとなれば儂が割り込む。それとも儂を信じられんか?」
「……卑怯ですわね。ええ、ええ。分かりましたよ! まったく、そんなことを言われたは私も引き下がるしかないじゃないですか!」
どうやら試験官の内々での話し合いは趨勢が決したようだ。
渋々ながらも彼女は受け入れたようで、演習場の端へと寄っていく。
中央に残されたラストとアンドレが、彼我の距離を二十歩ほど取ったところで向かい合う。
「よろしくお願いします、アンドレ先生」
「その余裕がいつまで保つか、見せてもらおう。すかした目だ……実に気に食わん。あの時の、あの女と同じだ。くそ、おかげで先ほどから手が疼いて仕方がない……くそっ」
アンドレは一度剣を地面に突き立て、白手袋を嵌めた両手を擦り合わせる。その隙間から、古傷らしきものがちらりと見えた。両の手首にぐるりと刻まれた、焼き斬られたような痕――かなり珍しい傷跡だ。
「……?」
その手を凝視するラストに気づかぬまま、彼は剣を顔の横に立てて、左半身を正面に重心を軽く前方に寄せた。
王国剣術では一般的な構えで、ラストはその姿から懐かしい記憶を掘り起こした。
同時に、そこから繰り出される可能性のある戦術もいくつか彼の脳裏を過ぎる。ブレイブス家お付きの剣術指南役から習った戦術――それに対抗できるように、彼は銀樹剣の切っ先を地面に接触する寸前まで近づける深めの構えを取った。
両者の準備が完了したと見て取ったハルトが、機を待つ。
静寂――場を包む緊迫感がラストとアンドレの間で拮抗した、その瞬間。
「――始めい!」
試合開始が、告げられた。
先手を取ったのはアンドレだ。
彼は上半身をそのままに、ラストへ向けて強化された脚力で疾走を開始する。
「――キエエエエェェェイッ!」
威勢よく声を張り上げ、突進するアンドレ。
連続して、その口が新たな魔法を唱える。
「我が意に応え燃え盛れ焔ッ! ――【火炎球】!」
アンドレの前方に形成された業火の塊が、術者に先行しラストに吶喊する。
これで半ば勝負は決まったようなものだ――彼はそう考えていた。
射出した爆炎がラストに命中し、決着がつけばそれで良し。
万が一防がれたなら、その時は炎が目晦まし代わりとなってラストの視界を塞ぐ。そこに斬り込めば、相手の防御が整う前に打ち倒せる。
そして避けられたならば、相手が崩れた姿勢を立て直すより先に自身の刃を叩き込む。
格下相手の戦術としては、それで十分だった。
普通に考えれば、平民に魔法使いを相手に戦った経験があるわけがない。アンドレは、ラストが未知なる力を目にして身体が竦み、為す術なく一方的に叩きのめされるものだと考えていた。
――まずはその、彼の心を逆撫でする苛立たしい目を片方潰してしまおうか。
そんなことを考えるくらいには、彼の心には余裕があった。
人がそれを慢心と呼ぶことを、今の彼は忘れていた。
対するラストは動く素振りを見せない――アンドレの頬がつり上がる。
火球が、爆発する。
彼が立っていた座標で、小規模の爆発が起きた。
それはラストに【火炎球】が命中したと言うことであり、なれば後は斬り込むだけだ。
これで自分の勝利は半ば決まったも同然だ――アンドレは、確信した。
「――シャアアアアァァァッ!」
ラストを包み込んだ炎の中へと果敢に切り込み、上段から一閃。
彼の憎たらしい顔面目掛けて、アンドレは勢いよくその刃を振り下ろす――しかし、そこに肉を潰した手応えはなかった。
「なに!?」
晴れた炎幕の中、ラストは忽然と姿を消していた。
会心の一撃が空振りに終わったのを理解したのも束の間、アンドレは相手がどこへ行ったのか把握しようと、辺りに視線を巡らせる。
だが、どこにも彼の気配は見当たらない――左にも右にも、背後にも。
ラストを取り逃がした、そのことに、焦燥がアンドレの顔に浮かぶ。
理解の及ばない現実に、刹那、疑問符が彼の頭を過ぎる。
それは、明確な隙を晒す行為に他ならなかった。
それが隙でしかないのだと彼が悟るより先に、アンドレの意識は頭上から垂直に奔った衝撃によって、その手に握る鉄剣と共に断たれた。
「――【鍛魂魔剱】」
上空から天雷のように降り注ぐ、魔の一閃。
空への跳躍によって炎弾から逃れていた無傷のラストが、銀樹剣を芯として練り上げた魔力の光刃を振りかざして、舞い降りる。
その光が弧を描きながら、アンドレの魂を昏倒させ、鉄剣を斬り裂いた。
アンドレの身体は白目を剥いて倒れ、切り落とされた刀身の半分がさくりと地面に突き刺さる。
是にて勝負は決した。
十秒ほど経っても起き上がる気配のない彼に、ハルトが宣言する。
「そこまで!」
役目を終えた剣を鞘に納め、対戦相手だった試験官をラストは見下ろす。
これみよがしに剣を意識させてからの、想定外の魔法攻撃による混乱を絡めた手。なるほど、確かに魔法戦闘に慣れていない者には有効だろう。――それが既知であるラストにとっては逆に利用しやすい、教科書通りの一手に過ぎなかったが。
なにはともあれ、これでそれなりに自身の価値を示せただろうかと彼は思案する。
呆気なさすぎるが故に、初舞台を華々しく飾ったとは言えないかもしれない。
――それでも、未だ生徒ならざる身分としては十分上出来に違いないはずだ。
慌てた様子で駆け寄ってくる残りの試験官らの顔を見ながら、ひとまずはうまく行ったようだと、ラストは心の中でエスへ報告した。
ここまでお読み下さった読者の皆様、まことにありがとうございます。
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どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。




