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第228話 入学試験① 才を測り、志を量りて

 お待たせしました。今週分の更新になります。


 英雄学院に通う少女ローザとの一足早い邂逅から、瞬く間に二日が過ぎて。

 試験前夜を気負うことなく快眠で過ごしたラストは、意気軒昂たる顔つきで次の日の朝日を出迎えた。

 ここに至るまでに積み重ねた時間は、決して自分を裏切らない。運に容易く左右されるような柔な努力をした覚えはなかった。最強の師匠の下で培った知識と経験が、彼に揺るぎない自信を与えていた。試験に落ちるかも、などといった杞憂は端から存在しない。

 澄み渡る快い青空の下、宿で朝食を済ませたラストは王都から試験会場である学院へと移動する。

 いよいよ、【魔王(エス)】と並び立つための第一歩を表舞台に刻む時が訪れた。

 そう思うと、歩を進める身体が震えてならない。

 かつて彼女に誓った未来――現代の英雄(ライズ・ブレイブス)を超えて、力に運命を翻弄されることの無い新時代の英雄(ラスト・ドロップス)へと成るという想いを胸に秘めて。

 彼は今、積年積日待ち焦がれた一歩をついに踏み出そうとしているのだ。


「誰にだって、負けるもんか」


 人類の【英雄】の座を、絶対にこの手に掴んでみせる。

 そして人類の、魔族の――否。

 種族に拘わらない世界全ての平和を、エスらと共に創り上げる。

 そんな意気込みを呟きながら、ラストは王都から学院へと続く豊かな自然溢れる並木道を踏破し終えた。

 周囲を海や山と言った三つの険しい自然に囲まれる王都レア・シルフィーアの、唯一の出入り口に関門のように佇むエクシード英雄学院。

 その校門前で待ち構えていた試験官らしき男性が、ラストの姿を認めるや否や口を開いた。


「――ふん、貴様が今日の受験者だな。その死蝋染みた白髪と赤目、報告を受けていた通りの外見だ。……どうやら【月雫の騎士(ティア・ドロップス)】などという異名を持っているようだが、あまりここで調子に乗らないことだ」

「……?」


 あまり心地の良くない、値踏みするような目線がラストを不躾に貫く。

 初対面で発するものではないであろう声で出迎えた相手が、彼を眺めて神経質そうに白手袋を深く嵌めた両手を擦り合わせる。

 到底歓迎しているとは言い難いその態度に、ラストは軽く出鼻を挫かれたような気分になった。

 だが、その目には既視感があった。

 オーレリー・ヴェルジネアの父アヴァルの、平民を同じ人間としてでなく、家畜同然の存在として見下していた視線が朧気に目の前の男性と重なる。

 ――つまり彼もまた、記憶に新しいヴェルジネアの元領主に通じる性質の人間であるということか。


「御忠告、痛み入ります」

「よろしい。学院内では外の身分に関わらず、教師と生徒としての関係が優先される。どれほどの偉業を成したのか生憎と私は聞き及んだことがないが、くれぐれも目上への態度に気を付けるように。理解したら、こちらへついてこい」

「はい」


 ここで余計なひと悶着を起こして、受験資格を取り消されては面倒になる。

 彼のような相手は、適当に表面を取り繕っておけば問題ない。そう前例から学習していたラストは、ひとまずは様子見に徹しようと礼儀正しい笑顔を綺麗に被って頭を下げた。

 無論、内心はそのように素直なものではなかったが――だからと言って、学院内の身分を笠に着てえばる(・・・)のが教師としての本当に正しい在り方なのだろうか?

 ラストとて、若輩ながらも人を導いた経験はある。誰かをものを教えると言うことは、誰かに真摯に向き合うことに通ずる。その熱意のない一方的な立ち振る舞いで教鞭を振るったところで、誰が学ぼうとの意欲を示すのか。

 口を噤む裏でそんなことを考えつつ、ラストは案内されるがままに校舎の中へと足を踏み入れた。


「ここが、エクシード英雄学院か……」

「余計な口を開くな。四の五の言わずついて来い」


 自身は慣れているからと言わんばかりに、男性はせかせかと先へ歩いていく。

 急いで歩幅を合わせ、追い掛けながら、ラストは自身の通る廊下の周辺を見やる。

 この学院は王国の建立から現代にまで残る歴とした遺物であり、彼がこの一週間近く潜っていた大図書館と価値を同じくする歴史の集積庫ともいえる。実のところ、ラストはまだブレイブスだった頃にもここに足を踏み入れた記憶はなく、彼の胸の内側には新鮮な気持ちで探検しているような気分が湧いていた。

 とはいえ、逸る気持ちも少し経てば落胆のそれに変わってしまった。

 本を腐らせないために定期的に隅々まで掃除されている図書館とは異なり、こちらは必要とされない所はそのまま放置されているようだ。通りがかった教室の中には数年は手入れしていないものも多数見られ、酷い所はカビと蜘蛛の巣などが入り乱れる一種の腐界と化している。

 ――学院の外観は王城に勝るとも劣らない立派なものだったけれど、内側の一部はよろしくないものの吹き溜まりと化しているのか……彼と同じように。

 歩く途中でわざわざ足元を這っていた虫を踏み潰した男性を見やりながら、ラストは相応の返礼としてか、少し失礼なことを考えていた。


「試験はこの教室にて行う。中に入ったら、中央に設置されている机に向かって静かに待機していろ。余計な行動は慎め」


 ラストが指示された通りの教室へ入ると、中は殺風景なものだった。

 広々とした空間の中にぽつんと一組の机と椅子が置かれており、それを取り囲むように四つの椅子が配置されている。恐らくは試験官が不正防止用の監視を行うためなのだろうが、あの嫌な視線に試験の間ずっと晒されなければならないのだろうかと思うと、辟易せざるを得ない。

 運に左右されるつもりはないとはいえ、ため息を一つ溢すくらいは許して欲しいとラストは思った――まさか外の世界の全てが彼らのような人間ではないはずなのに、どうしてこうも、そこそこの頻度で巡り合うのか。


「……それでも、いつかは向き合わなきゃならない相手なんだ。悪い運命はいつだって待ってはくれない、訪れたなら只打ち克ってみせれば良いだけ――そうですよね、お姉さん」


 品よく背筋を伸ばして指示された通りに座っていると、少しして、統一された固めの服装に身を包んだ四名の大人が教室へとやってきた。

 先ほどの案内役を含めて、内訳は男性が三人に女性が一人。体格と歩き方から分析するに、戦闘術に通じる人間が三人と研究者肌の人間が一人のようだ。

 ローザの言っていたことは正しかったようで、本当に戦いに身を置かない人間でも英雄学院に席を置けるらしいと納得する。とは言えまったく関係していないわけではないようで、服に付着している真新しい黄褐色の染みと軽度の焦げを見る限り、爆薬の研究でもしているのかもしれないとラストは推測した。

 彼と同じように、大人たちもまたラストのことを観察していた。


「ふむ、物怖じしておらんようだ。こういった場合は大抵、大した傑物か底抜けの愚者かそのどちらかであるが……いずれにせよ、面白い。年もまだ若い、うまく行けば化けるやもしれん」

「どうですかね、先生。良い方向に育てばいいでしょうけども、悪い方向に突き抜けられても困りますよ。特に今の同期にはあの(・・)怪物がいるんです、これ以上余計な騒ぎを起こされては他の生徒の成長にも影響を及ぼしかねません」

「そうね。過ぎたるは猶及ばざるが如し、出来れば私たちの手に負える生徒であってくれればいいけれど……それを身を以て知ってる貴方としてはどうかしら?」

「……」

「あら、まだ吹っ切れてなかったの? それはごめんなさいね」


 彼らはラストを一瞥して、それぞれの受け取った第一印象を語り合う。

 案内を務めた男性もなにかしらを言おうとしていたが、同僚に話を振られた途端に苦虫を百匹ほど噛み潰したような顔になり、口を固く結んで自身の席へと移動した。それに苦笑して、残る三人も続いて己の定位置に向かう。

 北側、つまりラストから見て正面に立った、試験官の一人から先生と呼ばれた白髪長髭の老人が手に小さな箱を持って彼に近寄る。


「まずはようこそ、と言っておくべきか。ラスト・ドロップス君。儂が本日君の試験の監督を務める、ハルト・エンデアヴォルと言う。気分はどうか?」

「はい。御親切にありがとうございます。本日はどうぞ、よろしくお願い致します」

「なに、そう固くならずとも良い。今の君はまだ生徒ではなく、お客様との中間あたりなのでな。気楽にとは言わないが、もう少し肩の力を抜いても良い。……では、緊張をほぐすために簡単な試験から始めよう。早速だが、君にはまずこの魔道具に触れてもらおうか。これは君の魔力の素質を測るものだ」


 老翁ハルトが、手の中の小箱を縦に開く。

 そこに紫布に包まれる形で収められていたのは、彼の記憶に強く染みついている魔道具だった。

 古式ゆかしい形状の懐中時計――それは時の代わりに所有者の魔力保有量を刻む、貴重な計測器具だ。そして、ある意味で彼の運命を決定づけた忌まわしき魔道具でもある。

 懐かしきそれを強く見つめるラストの目に気づいたのか、ハルトが手に取るように促す。


「魔力の素質に気づいた切っ掛けは市井に偶然流れた魔道具に触って起動させたことだと聞いているが、これの使い方は分かるか?」


 平民出身のラスト・ドロップスは、古物露店商の陳列品に偶然紛れ込んでいた魔道具を起動させたことが切っ掛けで魔力を保有していることを自覚した――それが学院に入学するにあたって彼が創り出した虚構の筋書きだ。

 それに触れながら箱を差し出してきたハルトに応え、ラストは時計型魔道具を手に取る。

 記憶にある形状とはやや違うが、おおよその扱い方は同じのはずだ。

 屋敷の執事長や彼の母親がラストに触れさせる前に操作していた通りに、横の突起を軽く引っ張る。本来ならば発条(ぜんまい)に繋がっている機構が、かちんと音を鳴らし、保持者の魔力を吸い上げて駆動を始める。


「素晴らしい、正解だ。しかし、よく分かったものだ。この原型となる時計というやつは、一般に百から百五十くらいの精緻な部品で出来ている……まあ、とんでもなく複雑な機構から出来ているのだが、それ故に底辺のものでもそれなりにするし、普通の市場にあまり流れている物でもない。少しくらい弄繰り回して触り心地を確かめると思っておったが、少しも物珍しそうになどせずにその突起に手を伸ばすとは……過ごしていた所で触れる機会があったか?」

「……直接触れたことはありませんが、古物商の方が手入れをしていたのを見たことがありまして。その時に、簡単な機構について教えていただいたんです」

「そうだったか。なるほど、なるほど……」


 ラストのでっち上げた適当な嘘に、ハルトはそれらしく何度か頷く。

 自己紹介代わりの短い雑談を交わす彼らを他所に、時計の針が目に見える形で(・・・・・・・)動き出す。

 かち、こちと……一秒、二秒と進み……ちょうど五秒の所で、それで終わりだと告げるかのように沈黙する。


「これで終わりみたいですね」

「……む、真か?」

「これ以上うんともすんともいう気配がないですから。これで良かったでしょうか?」

「う、うむ。そうだな。それをこちらに寄こして、少し待っているのだ」


 困惑を隠しきれない様子で、ハルトは手元の用紙に返却された魔道具の記録を書き留める。

 恐らくは、そこに刻まれた魔力の容量の少なさに驚くか呆れているのだろう。

 他の試験官が彼の下へ集まって同じように目を丸くしている一方で、ラストは思わず拳を握りしめていた。

 なにせ、以前両親に見守られる中で測った時は、針はびくとも動かなかったのだ。

 だが、今は確かに動いた。

 それも、十二分の一週分も。

 彼らとしては微々たる、風が吹けば瞬く間に散ってしまうような量であっても、それはラストにとっては大きな成長の証だった。


「あー、こほん……魔力計測は異常となる。それでは次の試験に進むとしよう」

「どうかしましたか?」

「なんでもない、気にするな。それよりも、続く筆記試験の説明をしようぞ」


 興奮するラストに、池の中の蛙を見るような生暖かい瞳でハルトが話題を移そうとする。

 そこに浮かんでいる気の毒そうな様子は、彼が世間一般の魔法使いの魔力保有量を知らないと思っているからか。

 だが、ラストはハルトらの勘違いについて一々訂正する気にはなれなかった。

 生来の魔力量が少ないことは確かであり、それと実力が関係ないことは今後の学院生活の中で示せば良いのだから。


「分かりました、お願いします」

「うむ。それと、これを飲んでおきなさい。魔力回復薬だ。魔力をめいっぱい吸い取られている今の状態では少々気怠かろう。後の実技試験のためにも、これで魔力を補充しておくと良い」

「……あの量ならば、わざわざ服用せずとも自然回復で間に合うのでは。高価な薬を渡す必要はないと愚考しますが」


 案内を務めた男性試験官のやはり皮肉気な呟きに、ハルトは彼をじろりと睨み返した。


「それはまさしく愚考であろうな。例えそうだとしても、これが入学試験の流れとして決められている事項である以上、公平を期すためには渡さねばならん。なに、気にせず飲みなさい」

「……はい」


 手渡された小瓶の中身をぐいと飲み干すと、形容し難い味わいがラストの舌の上に広がった。

 どうやら飲み手にあまり配慮していないのか、はっきり言って不味い。どぶ川を煮詰めたような――とは言い過ぎかもしれないが、とかく、えぐみが強すぎる。少しくらい甘味を足しても良いだろうにと思いながら飲み干すと、全身がぶるりと風呂上りの猫のようにぞぞぞっと震えた。

 エスに教わった作り方の美味しい回復薬に慣らされていた彼の口には、残念なことに合わなかったようだ。


「おっと、注意するのを忘れておった。そう言えばその薬は、人によっては腐葉土と汚泥をかき混ぜて七日七晩煮込んだような味がするというものなんじゃが……遅かったか」

「こほっ、いえ。これくらいなら――なんとか」

「慣れている、か? 大した舌だ。これまでどのようなものを食べてきたことやら」

「これ、一々けちをつけるでない。……どうする、一度休みを入れた方が良いか?」

「いえ、僕は大丈夫です。皆さんの貴重な時間を頂くのも申し訳ありませんから」


 即答するラスト。

 そこに大人げなく茶々を入れてきた例の試験官に対する反感があるかどうかは、定かではない。


「当事者がそういうのならば、続けるべきでしょうね。老師、試験問題を」

「――あい分かった。では君の希望の通り、このまま筆記試験を執り行おうぞ。今から説明と問題配布を行う」


 そう言うと、ハルトは後ろの黒板に白墨で文字を書き始めた。


「試験の制限時間は特に設けておらん。もうこれ以上は解けない、そう思ったら手を上げて我々に知らせてくれ。粘っても良いが、こちら側でもう解けなさそうだと判断した場合は強制的に打ち切らせてもらう。筆記用具などは不正防止のため、全てこちらの用意したものを使うように。そんなところか、質問はあるかの?」

「それでは、一つよろしいでしょうか」

「よかろう。なんじゃ?」

「この不良品のインク壺を取り換えていただいても構いませんか? どうやら中のインクが渇いて、固まってしまっているようなので」

「なに? そのような馬鹿なことが……」


 首を傾げるハルトや他の試験官の前で、ラストはインク壺の蓋をこじ開け、躊躇なく試験問題の上でそれの天地を逆さにした。

 普通ならば中から零れたインクが試験問題を台無しにするはずだが――白い表紙の上には、黒い染みの一つも生まれなかった。

 上下を元に戻して改めて中を覗いてみると、液体状のインクはどこにもなく、元々そうであったものが壺の外側に張り付くように固形化していた。


「むっ? なにを言い出すかと思えば、真であったとは……。これを用意したのは誰だ?」

「っ、はい。私です」

「そうか……。ならば今すぐ新しいものを持ってこんか!」

「はっ!」


 どうやら筆記用具を揃えたのは、これまたラストを睨みつけていた試験官であったようだ。

 彼はハルトに追い出されるようにして、古いインク壺を持って小走りに教室を出ていった。


「まったく、あやつは。飛ばされたからと言って、こちらでの仕事も満足にこなせなければ、到底元の職場に戻れるはずもないというに……」

「飛ばされた、ですか?」


 その背を呆れた目で見送ったハルトに、ラストは聞き返す。

 それにぎくりとした様子で、老試験官は困ったように顔を顰めた。


「いや、うむ……ここの教師の来歴にも色々あるのだ、ラスト君よ。今言えるのはそれだけだ。だが、それが不手際を見せたことを許される理由にはならん。申し訳なかった」

「僕は気にしていませんから、どうか頭を上げてください」


 頭を下げるハルトだったが、ラストは少なくとも自分の意識している範囲では、そこまで気分を害されたつもりはなかった。そもそもあのような輩は向き合うだけ無駄であると、まともに一挙一動を受け取ることを諦めていたからだ。

 「感謝する」と断って顔を上げたハルトが、それはそれとしてラストに問う。


「それにしてもよくぞ気づいたな。まだ中を開けてもおらんかったというのに」

「インク壺が机に置かれた時、中身がまったく揺れませんでしたから。それで、恐らくは液体は残っていないんじゃないかと考えた次第です。残っていたとしても僅かで、筆記に必要な量には足りないくらいかな、と」

「すまない、(やつがれ)からも良いかな? ……それでもし液体のインクが残っていたら、試験問題が少なからず読めなくなっていたと思うけれど。あんなわざとらしい演技は必要だったかな?」

「あれくらいやってみせた方が信じて貰いやすいかな、と。それに、中から液体が完全に失われているかどうかは手に持った際に軽く回して確認しましたから」

「あらあら、抜け目のない坊ね。彼は見下していられたようだけれど、案外馬鹿にしていられない観察眼だわ」


 どうやら、災い転じて福を為すといった形に収まったようだ。

 戦いに臨むのなら、その前に自身の振るう武器を確かめておかなければならない。

 手入れは入念に、性能の確認は精緻に。普段の心構えが功を奏し、それが思いがけない好感度に繋がったことは、彼にとって嬉しい誤算だった。


「申し訳ありません、戻りました」

「ああ、今度は問題ないインクであろうな――良し。それでラスト君、他にはなにもなさそうか?」

「はい。僕からは他には何もありません」

「よろしい。では、これで準備は整ったというわけじゃな。ならば、好きに始めよ」


 ハルトが自身の椅子に腰を下ろして、筆記試験の開始を告げる。

 ラストはそれを聞いてすぐさま、恐れを知らないかのように問題用紙の表紙へと手をかけた。

 ――……。


「……なるほど、ね」


 他に受験者がいれば問題となるだろうが、ここにはラスト以外の受験者はいない。

 独り語を禁止されていないのを良いことに、最初の問題を見た彼は小さく唸った。

 彼の試験対策はあくまでの推定から成り立っていたもので、出題の範囲や難易度が予想と大いに食い違っていれば困る所だったのだが――。


「うん」


 一つ頷いて、ラストは手に取ったペンの先端をインク壺の中身に浸した。

 かすかな粘性のある液体の量を壺の淵で整えて、解答用紙へ手を動かす。

 その速度は澱みなく、彼の知識の戸棚から迷うことなく回答が導き出されていることが窺える。

 そのまま一分と経たないうちに彼は頁を捲り、早い調子で問題の答えを次から次へと記していく。

 その理由は至極明快で――問題の難易度が、ラストの予想していたよりもかなり易しめのものだったからだ。

 出題範囲は数学から過去の歴史、魔法式の命名に使われる特殊な言語と多岐に渡り、それらの単純な知識を組み合わせて少し応用するといった形式で問題が構築されている。それだけでなく、いくつかの問題は解答をそれとなく示唆するような内容が文章中にいくつか仕込まれていて、知識ではなく理解力を問うものとなっている。これなら、文字がある程度読める人間であれば、知識が足りずとも一定の点数を取ることも不可能ではなさそうだ。

 ラストは特に躓くことなく、十分もかからない内に残る三分の一の問題へ差し掛かって――ここからが本番かと、一度腰を据え直した。


 ――一つ、


「もし村を襲う強力な魔物がいたとして、村人一人を差し出せば他を見逃すと提案された場合、どのような選択を取るべきか答えよ……か」


 これまでとは異なる、受験者の本質……人格を測るような問いかけだ。

 知ではなく英雄としての資質を重視する、ある種の面接のようなものだろうか。

 この問題を通じて、試験官は――学院は問うているのだ。

 ラスト・ドロップスという人間は、果たして英雄の卵たるに相応しい人格を備えているのかと――。

 そう思えば、ペンを握る手にも俄然力が漲るというもの。


「良いよ、僕の答えはこれだ――」


 大勢の命を救うために、一人の命を投げ出すことが許されるか――そんなわけがない。

 ラストの出した答えは、「自身を村人の身代わりとして差し出し、魔物が油断している隙を狙い討つ。不可能であればその間に村人を逃がし、援軍が来るまで時間を稼ぐ」だ。

 村人を犠牲にする選択は最も有り得ない。故に、策が失敗した場合に備えてあらかじめ遅延性の罠を張り巡らせたうえで、自身が囮となって魔物の下へ向かう。村人には、逃げると共に近くの騎士が常駐している街へ助けを呼びに行ってもらう。

 犠牲が出るにしても、それは覚悟を決めた自分だけに留めなければならない――それが英雄を目指す者として通すべき筋だ。


「次は……?」


 ――一つ。有力な貴族が悪徳を成していることを掴んだ場合、どのような振る舞いを取るべきか。


 改めて考えるまでもなく、ラストは既にその答えを行動で示している。

 「明確な証拠を掴んで、然るべき所に突き出して罪を償わせる」――どうせ隠匿したところでいずれ明るみに出るのだから、早めに償いの機会を与える方が本人のためになる。

 すらすらと書いて、続く問題へ。


 ――一つ。なぜ人には魔力を持つ者と持たざる者がいるのか。理由を述べよ。


「……? よく分からないな」


 ラストの目には、急に出題者の()が変わったように映った。

 答えること自体は至って簡単だった――「魔力の素養を持って生まれてくるかどうかは、人によるから」である。

 魔力のみならず、大まかに、人の素養は遺伝によって決定される。だが、遺伝学において、両親の性質の全てが必ずしも子に遺伝するとは限らない。両親が魔力を持ちながらも子が全く素養を持たずに生まれることもあり得るし、逆に突然魔力を持たない両親から魔力を持つ子が生まれることもある。

 よって、本人が魔力を持つか否かは、配偶者の組み合わせ如何によってある程度の確率操作は可能であるけれども、それそのものを完全に決定づける理由があるとは明言できない。

 しいて言うのなら、それこそ「偶然である」としか言いようがない――それがラストの学んだ定説だった。

 だが、彼は直感的に、この問題にそのような理論的な知識はあまり関係が無いのではないかと思った。

 この解答のどこに英雄としての行動原理が問われているのか、分からない。単純に生物の知識を答えるだけで済む問題であって、思考を問う問題ではない。ここまでの問題とは違って、出題者の意図が今ひとつ掴めない。

 とはいえ、ひとまず答えは出来たのだからとラストは先に進むことにした。

 ――その後も、ラストの思想を問う問題が続く。

 時折、用意された状況によって改めて自分の振る舞い方について考えさせられる中々に深い問題とも出くわしながら、彼は三十分ほどかけて最後の一問へと辿り着いた。


 ――一つ。現代に求められる、英雄としての理想の姿を思うように述べよ。


「……」


 なるほど、これは確かに英雄学院の入学試験において最終問題を務めるに相応しい設問だ、とラストは思った。

 自分の志を言葉として、読んだ誰かに理解されるものとして綴る。

 それのなんと難しいことか。

 ――だが、その核はラストが常日頃から強く自覚しているものだ。

 無理に過剰な形容詞で着飾らせる必要はなく、想いの丈を素直に書き綴ればよいのだ。

 これまで己が背負い続け、そしてこれからも掲げることに迷いのない心の火。

 その熱をペン先に溶かし込んで、ラストは最後の答えを書き上げる。 

 それからもう一度だけ、それぞれの解答に間違いがないかどうか検めてから、彼は試験の終了を示すべくゆっくりと手を上げるのだった。


 ここまでお読み下さった読者の皆様、まことにありがとうございます。

 もしこの続きを読みたいと思ってくださったなら、ブクマへの登録や感想、評価などをいただければ幸いです。

 どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。

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