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第227話 戦服纏う氷色の少女


 王都レア・シルフィーアは、中央にどっしりと腰を据えた王の居城を核として構成されている。

 小丘に建てられた白亜の居城を中心として、防壁のように貴族街や国軍の駐屯地が敷かれ、更にその外側を取り巻くように一般市民の生活区画が存在する。そして、それらを八つの大通りが放射状に規則正しく貫いている。

 以前は敵の進軍を水際で食い止めるために入り組んだ構造をしていたようだが、二百年前の大地震の際にその複雑な造りがあだとなって多くの被害者を出してしまった。その苦い過去から来る後悔と、そもそも【英雄(ブレイブス)】を擁している以上、王都まで攻め込まれる記録がそれまでになかったことから、復興の際に当時の国王は防衛力よりも居住性や利便性を重視して王都の再開発を命じたのだった――。


 学習したばかりの歴史知識を頭の中で反芻しながら、ラストは悲鳴の発生した方向へと建物の屋上を疾走する。

 いくら歩きやすいように作り直されたとはいえ、何度か曲がらなければならない下道を使うよりも、障害物の一切ない上空を一直線に駆け抜ける方が圧倒的に早くこと(・・)を片付けられる。

 街燈の光があまり届かない足元を躊躇うことなく駆け抜けながら、ラストは続けて瞼を閉じた。

 一瞬漆黒に染まった視界の中に、数多の魔力の輝きが燈る。

 それは、このレア・シルフィーアに息づく人々の魂の燐光だ。

 騒ぎに気付いた人々が巻き添えを喰らうまいと道の端に寄る中、その中央を駆け抜ける魂が一つ。


「見つけたよ」


 確定は出来ないが、恐らくは彼が先の悲鳴の原因だろう。

 補足した男性の進行方向へ立ち塞がるようにして、ラストは地面に降り立った。

 どたばたと一心不乱に走る彼目掛けて、警告のために口を開く。


「申し訳ないけれど、一度止まってくれないかな? もし貴方が先ほど聞こえた泥棒なら、ここから先を通すわけには行かない!」

「――ちっ、もう官憲が来たってのかよ!? ……いや、ただのガキか!? くそったれ、こちとらおままごとしてる暇ねえんだ! ちゃっちゃとそこを退きやがれ!」

「嫌だよ。それにどうやら貴方が泥棒で間違いないようだし、なおさら退くわけには行かない。ここで捕まえさせてもらうから、大人しく諦めるんだ!」

「なにをぅ! 乳臭ぇチビの癖に! じゃかしい、痛い目見ても知らねぇからな!」


 まったく退くつもりのないことを明言したラストに、舌打ちを漏らした男性が重心を前方に傾ける。どうやら立ち止まるどころか、突進からの強行突破を図る心づもりのようだ。

 しかも、それだけに留まらず――徐々に加速する男性の魂が輝きを増す。

 その光が描き出すのは、ラストが見慣れた奇跡の紋様。


「闇の力よ、我が声に答え道を為せ! 黒き光の導く先へ、駆けろ我が魂よ! ――【黒耀強化(オブス・フォルス)】!」 

「魔法だって?」

「くははっ、そうさ! てめぇなんざ挽肉にするのもわきゃあねぇ、そらさっさと退きやがれ!」


 ラストの漏らした驚愕を怖れと取った男性が、高笑いする。

 しかし、その推測はまったくの見当違いだ。

 彼はただ疑問を抱いたに過ぎなかった――魔法の才能を有する者であれば、それすなわち何処かの貴族の血を引いているということになる。ならばコソ泥に身をやつさずとも、軍人か貴族の家来になればそれなりの食い扶持を稼げるはずだけれど……。

 ふと浮かんだ謎はいったん頭の片隅に置いておいて、彼は男性の挙動を注視する。

 理由はどうあれ、今は目の前に迫る加害者の男性を止めることに専念すべきだ。


「邪魔な餓鬼だなっ! こなくそ、ぶっとびやがれ!」


 一向に退く気配のないラストを排除しようと気概を高めた男性が、衝突に備えてより深い前傾姿勢へと移行する。

 それに対して、彼は後ろ手に極小の魔法陣を一つ編み上げた。

 【鋳魂魔弾イデア・フライシュッツ】で強化魔法そのものを破壊した場合、勢い余った男性の身体が街のどこかに激突して重い怪我を負ってしまう。この街の施癒院に送られればたちどころに治ってしまう程度の怪我でも、負わせずに済むならそれが一番だ。

 そう考えて、ラストは彼との衝突に備えて一際強く踏み込もうとした泥棒の、その足元の地面を僅かに隆起させた。

 その名もなき矮小な魔法は、普通に歩いている人間に対しては大した効果を持たない。躓いたとしても、すぐに姿勢を立て直せるからだ。

 だが、目前の邪魔者を退かすことに一辺倒になり、他への注意を疎かにしたまま慣れない速度で突っ込めば――。


「おぅおぉぉぉっ!?」


 予期せぬ出っ張りに躓いた泥棒の身体が、勢いよく前方に倒れ込む。

 咄嗟に持ち直そうとするも、反射が間に合わない。

 少しばかりの地響きを起こして、彼は情けない悲鳴を上げながら地面と接吻を交わすことになった。

 そこからのラストの動きは速かった。

 倒れ込んだ男性が持ち直すより早く、彼の肩口を膝で圧迫しながら片腕を背中の方に捻り上げる。


「あ()っ!?」

「失礼。それと、こちらは回収させてもらうよ。どう見ても貴方のものとは思えないし、これが盗品なんだろう?」


 男性が持ち歩くにしてはやけに上品な白色の鞄を、痛みで手が緩んだ隙に取り上げる。

 関節に走る鈍痛に呻くその姿を見下ろしながら、ラストは必要のなくなった魔力の視界を切った。

 街燈の暖かい光に照らし出されたのは、粗野な風貌の若い男性だ。


「無理に逃げ出そうとするのはお勧めしないし、諦めて。いくら強化魔法を使っても、人間の身体の許容する可動範囲を超えることは出来ない。むしろ身体を痛めて、最悪今抑えてる腕が肩からもげるかもしれないから」

「んだとっ!? そんな馬鹿なっ……この力が効かないなんて、お前も魔法使いだってのか!? まさか、あの糞貴族どもの一人……!」


 忠告するラストに男性は憎々し気な目を向ける。

 言葉尻に滲み出る感情からして、どうやら貴族に対してなにかしらの強い怨みを持っているようだ。

 そこに魔法使いでありながら窃盗を働くに至った理由が窺えそうだが――ともあれ、そう理不尽に悪感情を向けられては会話にならない。


「魔法使いなのは正解だけれど、貴族じゃないよ。そんなことよりも、今は自分の身を顧みた方が良い。暴れれば暴れるだけ、貴方を回収しにやって来る警邏からの心証が悪くなる」

「うるせぇ、捕まってたまるかってんだ! こんの――!」

「……仕方ないな」


 じたばたと藻掻く男性から話を聞くことは、残念ながら難しそうだった。

 無理に暴れられて怪我をさせるよりかは落ち着けた方が良さそうだと、ラストは男性の頭部に軽く魔力を打ち込む。

 脳震盪を起こした相手の身体から力が抜け、強化の魔法陣が制御を外れて宙に霧散した。

 これで少なくとも一、二時間は意識を手放しているだろう。

 男性の抱える事情を知ることは出来なかったが、きっとその辺りは彼を連れていく警邏の人間がうまくやってくれるに違いない。ラストはそう、男性を迎えに来る官憲に後処理を任せることにした。

 騒ぎを聞きつけた彼らがやってくるのをラストが静かに待っていると、それにしては華奢な足音が近づいてくる。


「――この、待ちなさい! って、あら……?」

「その声、もしかして君がこの鞄の持ち主であってるかな?」


 先ほど聞いた悲鳴と合致する声の持ち主に、ラストは回収した鞄を掲げて見せる。

 すると、彼女はこくりと頷いた後にそれを手に取った。


「ごめんなさい、もしかして貴方が取り返してくれたの? だったらありがとう」

「別に、大したことはしてないよ。それで、盗られたものはそれだけでよかったかな。一応、中身が抜かれていないかどうか確認しておいた方が良いよ」

「そうね……大丈夫、問題なさそう。中身はきちんとあると思うわ」

「だったら良かった」

「ええ、本当。大事なものが入ってたわけじゃないけれど、戻ってきて良かったわ」


 ほっと胸を撫でおろす彼女の仕草に、ラストはなんとなく相手の姿を観察する。

 年頃は恐らく同年代。ほっそりとした体つきの、大人びた雰囲気を醸し出す少女。

 ぼんやりとした灯りに映し出された顔立ちは整っており、どこか気品さえ感じさせる。

 そして、氷のように透き通った青い髪と瞳には不釣り合いに見える、軍服に似た臙脂色の出で立ち――そこには、耐冷や防刃などの魔法陣の気配が窺えた。


「もしかして英雄学院の生徒さん、なのかな?」


 記憶の彼方、ブレイブス家にいた時に従兄らと顔を合わせた際に自慢された格好のことをラストは思い出した。

 その呟きにはっとなったように、少女は和らげていた表情を引き締めた。


「そうだけど、それがどうかしたかしら?」

「どうもしないけれど……そう言えば、どうしてこの人は君みたいな相手から盗もうとしたんだろう? 普通に考えたら、戦闘訓練を受けてる学院の生徒を相手に泥棒なんてしないよね?」

「私に聞かれてもね。犯罪者の考えることなんて分からないわ」


 倒れた男性に、少女は冷たい目を向ける。


「でも、そうね。もしかしたら、相手が女の子だから弱そう、だとか思ったんじゃないかしら」

「ああ、なるほど……?」


 女の子だから弱いと思われた、という少女の例えをラストはすぐには呑み込めなかった。

 性別に関わらず、強い者は強い――彼の辿った人生経験に照らし合わせてみれば、少女の常識に疑問を抱くのも当然だった。


「なんでそこで首を傾げるのかしらね。もしかしてこれまでは女性のお尻に引かれてばっかりだったのかしら。だとしたら、そんな子供に取り押さえられたなんて皮肉な結末ね」

「そんなことはないよ!?」


 得心が行ったと手を打った少女に、ラストは慌てて首を振る。

 どちらかと言えば不名誉な響きを伴った評価を、そのまま受け入れるつもりにはなれなかった。

 そんな彼を見て、少女はくすりとおかしそうに笑った。


「冗談よ、面白いわね貴方。……でも、私が弱いのは正解。実際、貴方がこうして取り押さえてくれなかったら、この鞄を取り戻せなかったもの」

「え? でも君だって英雄学院で勉強してるんだよね。だったら強化魔法で追いかけるくらい出来たんじゃないかな?」

「無理よ。実は私、その手の魔法が不得手なの」


 彼女が諦めたように首を振ると、腰の辺りまで伸びた長髪が揺れる。


「攻撃系統の魔法だけ、中々使えなくて。使おうとしても魔力の流れが滞ってしまうの。だから早々に見切りをつけて、学院では防御とか治癒の魔法ばかり勉強しているから、そっちなら得意なのだけれど」

「でも、強化魔法くらいは使えないと厳しいだろう? 行軍演習とかだって、身体強化を扱える前提で行程を組んであると思うし」

「よく知ってるわね。でも、それは前線で動く武官に志願してる人たちの話。私は後方支援の志望で入学したから、強化魔法が出来なくてもそこまで問題にはならないのよ」

「そんなもの、なのかな……?」

「そうなのよ。貴方、知ってるようで知らないのね」


 そこで少女は、初めてラストの姿を確かめた。

 王都に暮らす者としては少し地味目の、深い緑と土に近い茶色を組み合わせた軽装。

 それを無遠慮に感じられない程度に眺めた後、彼の顔を見て目を細める。


「ここに来るまでの間、魔法の詠唱らしきものが聞こえてきたわ。それに対抗出来たのなら貴方も魔法使い、どこかの貴族の一門に連なる人間なんでしょう? だったら、この程度の話は聞いたことくらいあると思うのだけれど」

「――違うよ。僕は貴族じゃない、ただの平民さ」


 その言い分に、少女はきょとんと眼を丸くした。


「そうなの? でも、それで魔法で襲い掛かってきた暴漢を平然と捕まえられるなんて思えないわ」

「自己流だけど、それなりに鍛えてたから」

「ふーん……まあ、そんなこともあるのかしら。私の同級生にも同じような野生児がいるから、分からなくはないもの。もっとも、貴方は彼ほど野蛮じゃないけれど」

「あはは……」


 なんと返せば良いか分からず、ラストは咄嗟に笑って誤魔化した。


「もう少ししたら顔を合わせるかもしれない人について、ここで下手なことを言うわけにはいかないかな。実は三日後に入学試験を控えてるんだ。もしかしたら、一週間もしないうちに今度は学院の中で会えるかもね」

「あら、そうだったの? それは驚いたわ。だったら、この恩のお返しはまた学院で会った時にでもさせてもらおうかしら。流石に今日はもう遅いでしょうし」

「さっきも言ったけれど、大したことじゃないから気を使ってくれなくていいのに」

「駄目よ、そう言うわけには行かないわ。私の気が済まないもの。お礼はきちんと返すものよ。――これはその先約、と言ったところかしら?」


 少女が鞄から小さな巾着を取り出し、それをラストの手に握らせる。


「気持ちが落ち着くお茶の葉よ。試験の前に飲めば、緊張もいくらか解れると思うわ」

「へえ……ありがとう」


 袋の中を開けて覗くと、そこには粉砕された茶葉が確かに収められていた。

 少量を手の甲に乗せて臭いを嗅ぐと、特徴的な甘い香りが漂ってくる。


「もしかして、【兎食草(ルプグラス)】かい? この辺りには自生してなかったと思うけれど……?」

「よく分かったわね? その通りよ。近くの花屋で扱ってるから、時折貰いに来ているの。教国から輸入してるらしいわ」


 【兎食草(ルプグラス)】は王都よりも北側の寒冷地域に自生する植物で、周囲の魔力を吸収して成長するという特性を持つ。それをお茶にすれば微量だが魔力が回復し、普通の人間にも安らぎを与える効能がある。

 その変種の一つに【龍喰華(ドラガリア)】という凶悪な魔草があり、こちらは生命体に寄生して対象の魔力を根こそぎ吸い取って殺すという特性を持つ。それが魔界の一部、妖魔族(ダークエルフ)の領域で栽培されているという知識の派生からラストは【兎食草(ルプグラス)】についても知っていたのだった。


「この辺りじゃ珍しいだろうに。こんな貴重なものを貰って、本当に良いの?」

「良いのよ、値段のことなら気にしないで。あっちじゃその辺りに生えてる花だから、輸入してると言ってもそこまで高いわけじゃないのよ」


 まだ王都での具体的な相場を知らないラストだが、少女の気負う様子がない所から、彼女の言葉が嘘ではないと理解する。

 意固地になる理由もなく、ならばと彼は素直に受け取ることにした。


「ふーん、そうなんだ。だったら厚意に甘えて、ありがたく貰っておくよ」

「ええ、また学院で会った時によろしくしてくれると嬉しいわ。――それで、この盗人の扱いは貴方に任せてもいいのかしら? 実は学院の寮の門限は零時だから、そろそろ向かわないと間に合わないのよ」

「そうなの? だったら構わないよ。引き渡しは任せておいて」

「ごめんなさい。それじゃあまた……と、そう言えば貴方の名前を聞いてなかったわね。良かったら、教えてもらってもいいかしら?」

「良いよ。僕はラスト・ドロップス。気軽にラストって呼んでもらって構わないよ」

「ラスト……? ええ、ラストね……」


 その名前を何度か確かめて、少女は頷く。


「分かったわ、それならラスト君って呼ばせてもらうわ。私はロザリア・テスタアズラよ。ロザリアでもローザでもなんでも構わないけれど、下の名前は止めてちょうだい」

「……? ――うん。それなら、ローザさんで良いかな?」


 テスタアズラ。それは、ヴェルジネア家にあった貴族の家系図鑑には載っていなかった家名だ。

 となれば彼のドロップスと同じく、血の系譜には関わりのない別の意味を秘めているのだろうか。

 苦い表情を浮かべるローザはどうやらその名を気に入っていないようだが、今の段階でそこまで踏み込むのは憚られて、ラストは無難に呼称を確かめるにとどめた。


「ええ、それで良いわ。またねラスト君、貴方のことを学院で待ってるわ」

「うん、さようなら。また今度」


 最後に丁重に腰を折って、鞄を大事そうに抱えたローザは去っていった。

 それから間もなくやってきた見廻りの人員に軽く事情聴取を受け、簡素な魔法封じである詠唱封じの轡を嵌められた男性が両肩を担がれて運ばれていくのを見送って、ラストもまた宿への道に引き返すのだった。


「さて、夜が更ける前に今日の復習だ。合格しなきゃならない理由も増えたことだし、ね」


 ここまでお読み下さった読者の皆様、まことにありがとうございます。

 もしこの続きを読みたいと思ってくださったなら、ブクマへの登録や感想、評価などをいただければ幸いです。

 どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。

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