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第226話 学ぶは、誇れる明日のため


 ユースティティア王国の首都レア・シルフィーアは、二方をくの字に折れ曲がった険しい山脈に、一方を地平線の彼方へと続く海に、そして残る一方を平野の森に囲われている。

 豊かな自然の障壁に阻まれた平野の一部を切り拓いて発展してきたこの街は、その名の通り平時においては国家の核としての役割を果たす重要な地域である。それ故に、大量の国家予算が日々投じられている――それはなにも、軍事の面に限ったことではない。

 王のお膝下であるレア・シルフィーアでは、貴族や官僚の限られた世界にだけでなく、一般市民の日常にもそれなりの在り方というものが求められる。他を疎かにして一部だけを着飾るくらいなら、誰であろうと容易い。

 だが、そのような鍍金の為政者はやがて当然のように没落するものだと、過去という最上の教科書の正しい読み方を知っていたユースティティア王家は、上に立つ者としての心構えを子々孫々現代に至るまで厳しく継承していた。

 そのような訳で、王都の市民は他の街と比べて、様々な面で厚遇されていると言えよう。


 例えば、公共面。

 レア・シルフィーアの四か所に設置された大浴場は一度に二百人を収容できる規模となっており、一日の仕事を終えた人々の慰労と衛生管理を兼ねている。また、肉体労働者の比較的多い区画に設立された大施癒院では、他の街であれば諦める他ない大怪我だろうと優れた医療魔法の使い手によって問題なく完治に至ることが出来る。

 例えば、景観面。

 赤煉瓦が隙間なく敷き詰められた通りはそれだけで見事なものだが、そこに加えて路脇には芸術的なガラスの街灯がきっちりと一定の間隔で並んでおり、夜でさえ昼と見紛わんばかりの明かりが街の全体を覆う。その隙間を縫うように張り巡らされた水路は美しく透き通っており、小舟で散歩すれば普段と違った視点からの景色を楽しめる。

 そして、それらの価値を理解出来るだけの文化的な素養を育むための施設もまた、用意されている。


 王都の中枢に聳え立つ巨大な王城を取り囲む貴族らの区画と、市民の区画のちょうど境界あたりに存在する、地上は四階、地下は二階に及ぶ石造りの施設――国の歴史において編纂された知恵の全てが蒐集されていると謳われる、大図書館がその具体例の一つだ。

 その一角、入り口近くに用意されている入門者向けの娯楽本設置区画からは遠く離れた、よほどのもの好きでさえも中々訪れないような陰気臭い場所――歴史書などが収蔵された地下書庫の隅っこで、ラストはひっそりと本の頁を捲っていた。


「……ふぅ、こんなものかな」


 読み終えた本を丁重に閉じて、長時間の座位で凝り固まった身体をほぐす。

 魔力操作の応用で血流の循環を促進させながら、ついで、ほぅと息を一つ吐きながら軽く背もたれに上半身を預ける。

 長時間の読書で草臥れた目を瞬かせ、机に置いてあった携帯用の角灯(ランタン)をちらりと見ると、油が切れかかっていることに気づいた。


「補充しなきゃ。ならいったん地上に戻らないと……片付けようか」


 図書館内で独り言を漏らすのは行儀がよろしくない行為だが、周囲には彼を除いて誰もいない。

 それでも、彼が離席している間に誰かが来る可能性がないとは言えない。

 その時に散らかしたままでは迷惑になるからと、ラストは傍らに積んでいた重厚な表紙の本を抱え込んで立ち上がった。

 彼の腕の隙間から覗く濃緑地の背表紙には、『ユースティティア王国史』との題目が刻まれている。


「それにしても、【人魔大戦(デストラクト)】の後も結構定期的に戦争が起きてたなんて驚いたな。確かに今だって皇国との戦争の真っ最中だって言うし、まったく、止めて欲しいよ。戦争が起こらなかったら、その分覚えることも少なくて済むのに――なんてね」


 その文句は口調こそ冗談のように軽かったが、同時にラストの本心が僅かに滲み出ていた。

 王国の正と負の歴史を渾沌と詰め込まれて重みを増した本に苦笑を溢しながら、最後に灯りを持って、それらの収められていた棚へと薄暗い館内の通路を向かう。

 彼が今攻略している本棚は、読書用に誂えられた席から三つ通路を挟んだ位置に立っている。

 その場所に集められた本々は、優に彼の背丈の三倍を超える高さの本棚をみっちりと埋め尽くしている。

 辿り着いた目前の壮観な光景を成しているものは、全てがこのユースティティア王国の歴史に関する書籍だ。


「これでようやく四分の三。なんとかして、試験までにはもう一巡したいな」 


 試験――それは、エクシード英雄学院に入学するためのものだ。

 王都に到着した直後、今度は問題なく門を潜ることが出来た――若い彼が騎士の名を冠していることに対して、門番が大層不思議がった挙句、警邏本部に問い合わせるという珍事が起きたことを除いて――ラストは、真っ先に英雄学院の入学試験の申し込みを済ませていた。

 受験資格である魔力の有無についてはその場で手早く計測を済ませており、今は学校側の試験準備が整うまでの待機期間だ。

 もちろんその間をだらだらと無意味に過ごすつもりはなく、ラストは試験に挑むにあたって不足しているであろう知識を突貫で埋めるべく、このような調子で連日図書館に篭っていたのだった。

 用の済んだ本を戻して、その隣に入っていた本を何冊か取り出しながら彼は気合を入れ直す。


「もう一息、頑張ろう」


 入学試験は大まかに二段階、筆記試験と実技試験に分かれている。

 自身にとって鬼門となるのは、第一の関門である筆記試験に違いないと彼は捉えていた。

 深淵樹海(アビッサル)に存在するエスの屋敷では、基礎となる汎用的な知識――語学に算術、魔法理論などはきっちり修めることが出来たものの、その反面、どうしても学ぶことの出来ないものもあった。

 その筆頭が、ラストが今大急ぎで勉強している【人魔大戦(デストラクト)】後の人界の歴史だ。

 外界との交流を完全に絶っていたエスの下にそれらの知識が入ってくるはずもない。故に仕方がないと言えばそれまでなのだが、英雄学院の入学試験となればもちろん、【英雄(ブレイブス)】が魔王に勝利して以降の歴史知識も大いに重要視されることは想像に難くない。

 故にラストは、幼少期にはさわりの部分しか教わらなかった英雄と王国の歴史について再度一から学び直していたのだった。


「喉、乾いたな……っていうか、今は何時なんだろう? なんだかお腹も空いてきた気がするけど、うーん。戻るついでに何か食べてこようかな。この辺りでどこかおすすめのお店とかあったら、教えてもらっても? ――ライランズさん」


 ふと、それまで独り言だったラストの声が誰かを意識したものに変化する。

 答えたのは、灯りを持って近づいてきていた女性だった。

 彼女はこの図書館に勤めている司書の一人だ。


「別に構いませんが、こんな時間に子供一人で外食しようだなんて感心しませんね。それよりも無難にお宿のお食事で我慢した方が賢明かと。子供はもうお家に帰る時間なんですから。つまり今は夜、もうとっくに閉館のお時間なんですよ、ラスト君」

「えっ、すみません、もうそんな時間だったんですか?」

「ええ、本当です。分かったらちゃっちゃと撤収しちゃってくださいな。でないと明日の朝まで地下に閉じ込められちゃいますよ?」


 呆れたような声で笑いながら退館を促すライランズに、ラストが一見真剣そうな顔を作った。


「別に一晩くらいここで過ごしたって良いんですけどね……それだけ勉強する時間が確保できるってことですから」

「君が良くても私が駄目なんです。そんなことがバレたらお給料が減らされちゃいますから。ただでさえこの仕事は薄給なんですからね? ほらほら、帰りますよ」

「分かってます、冗談ですよ」


 背中を押され、ラストは名残惜しそうに手に取ったばかりの本を戻した。

 図書館で司書に逆らうほど愚かなことはないと、彼は元の場所に置いていた荷物を片付け、彼女に案内されるがままに地上へ戻る。

 外へ出れば、空は既に宵闇に呑まれていた。

 その下では、美しい彫刻の施された街燈が空の星々と対比を描くように爛々と輝いている。


「それで、いよいよ三日後に迫っているんでしたっけ。試験の勝算、どのくらいあるか参考までにお聞きしても?」

「勝算、ですか?」


 ライランズは、ラストは近日中に英雄学院への入学試験を受けることを知っている。

 滅多に現れない地下書庫への来訪者、しかもそこに連日篭っていたラストは、途中で司書たちにその目的について尋ねられる機会があった。もしかしたら、希少な図書の盗掘が狙いなのではないか――そのような疑いを持った彼らに、ラストは自身の学ばんとする目的について懇切丁寧に話していたのだった。

 なお、彼は相手方の働きが図書館に勤める者としての役割であることを十分に理解していたし、後に彼らから正式な謝罪を受け取ったこともあって、さほど気にしてはいない。


「はい、やっぱり気になっちゃいますよ。ここ一週間、ずっと地下に篭もりっきりで勉強してた少年が受かるか落ちるか……一生懸命頑張っている子がいると応援したくなっちゃうのって、ほら。人の性みたいなものでしょう?」

「あはは、ありがとうございます。そう言ってもらえたら、頑張ってる甲斐がありますよ。それで、合格の確率ですか……そうですね」


 ラストはおもむろに、顎に手を添える。

 正直なところ、入学する前の段階でそこまで厳しい内容が出題されることはないというのが彼の見立てだ。試験の目的はあくまでも、これから学び成長する者について測ることだ。重視されるのは現在の実力よりもむしろ、入学後に問題行動を起こさないかなどといった生徒としての適性だろう。

 そして彼には、まさか自身が退学となるような騒ぎを起こす問題児となる心当たりは毛先ほどもなかった。


「受かるか落ちないかだけで考えれば、心配していただかなくても大丈夫です。これだけ勉強して不合格になるなんて、それこそよっぽど見当違いの範囲をやっていたとかくらいでしょうが、さすがにそんなことはないと思いますから」

「おっ、言いますね」


 試験内容についても、例え予想を外れた問題が出題されたとしても、対応できるだけの下地を積み上げたという自負がラストにはある。歴史関係からの出題を丸ごと落としたとしても、それ以外で必要な点数を稼げば良い。

 そもそも今のラストで実力不足と判断されるのなら、英雄学院に入学を許される人間が本当に存在するのかすら怪しくなる。


「問題なのは、どれくらいの点数を取れるか。どうせなら、出来るだけ良い点を……それこそ、歴代で一位の成績を搔っ攫うくらいはやりたいです」

「うっわー、聞きましたか奥さん。これぞ余裕綽々って感じがプンプン致しますわ」

「誰ですか、奥さんって……」

「言葉の綾ですよ、気にしないでください。でもまあ、あれだけ真剣に勉強してましたもんねー……嫌味に聞こえそうで聞こえないんだから、大したものですよ」


 たまにラストの様子を窺うために地下を訪れていたライランズは、うんうんと頷く。

 開館から閉館の間際まで居座る少年のことは、それほど経たない内に職員の間で話題になるものだった。

 実は人目につかないのを良いことに一日中眠りこけていたりするのではないか――そのような失礼なことを考えてながら様子を見に行ってみれば、どの時間帯であろうと山のような書籍と格闘するラストの姿があった。何度か不意打ち気味に尋ねてみても、それは変わらなかった。

 だからこそ彼女は、ラストの傲慢にも見える態度をすんなりと受け入れていた。


「私なら主席合格でもドベで滑り込んでも、受かれば同じだって思っちゃいますけど」

「それも答えの一つだとは思います。でも、僕が目指すのはあくまでも【英雄】の座ただ一つですから。学院の中で一番になれないようじゃ、英雄なんて夢のまた夢です」


 もし在学中に頭角を表せなくとも、他に成り上がる手段がないわけではない。

 だが、英雄学院は市民から注目と指示を集めるのに非常に適した場所だ。

 そこで失敗すれば、その分だけ無駄に時間がかかってしまう。

 今もなお、世界では虐げられている人々がいる――ヴェルジネアでその事実を目の当たりにしたラストは、同じように魔族世界で奮闘しているであろうエスを待たせたくなかった。

 一刻も早くこの人間という種族の中でのし上がるためには、余計な時間をかけるつもりはない。

 強い意志を込めて宣言したラストに、ライランズは羨ましそうな目を向けた。


「へーえ。そこまできっぱり言えるって、中々できないですよ。すごいですね、ラスト君は。それだけ未来のことをきちんと考えてるってことなんでしょうし……。私が君みたく若かった頃は好きに本読んでただけですし、それも相まってうまく司書になれたけど、それって結局、ただ適当になれるものを選んだってだけだから。困難な道程を自分から選べて頑張れるなんて、本当に凄いと思うよ。それこそ物語の英雄様みたいね」

「ライランズさんもまだお若いと思いますが。目指したいものがあるなら、目指してみてもまだ間に合うんじゃないですか?」


 容姿から推し量るに、彼女はまだ二十代の前半だろう。

 今後の人生を決定づけるまでには、まだまだ早い時期だ。

 何かになろうと真剣に願うのなら、今からだろうと狙える年齢に違いない。

 だが、彼女は小さく笑いながら首を横に振った。


「あはは、ありがとうございます。良いんですよ、こっちは特にやりたいことがあるもんじゃないですし。このまま本に囲まれてゆっくり暮らしてくって、それだけでも十分素敵でしょう? これで私は満足してるし、今更無理なんてしたくですよ……っと、だいぶ引き留めちゃいましたね。あまり遅くなっちゃうと上の人に怒られちゃう。鍵閉めて、片付けて、明かり消してっと……急がなきゃ。ごめんねラスト君、また明日のご来館を心よりお待ちしておりますよー!」

「はい、また明日。さようなら、ライランズさん」

「ばいばーい! それじゃーねー!」


 わたわたと忙しく駆け出した彼女が図書館内に消えていくのを見送って、ラストは自らの宿へ向けて歩き出した。

 身体が覚えているのか、この街の空気は彼の身体によく馴染む。

 しっかりと舗装された道を一歩一歩踏みしめながら、ラストは冷たくなった空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

 吐き出した熱量が、世界に溶けていく。

 レア・シルフィーアと一体化したような、不思議な感覚が彼の身体を包み込む。

 ついに戻ってきたのだ――この王都へと踏み入れてから、もう何度目になるか分からない感慨深い想いを抱く。

 自分一人では、決してここまで舞い戻ることは出来なかった。

 エスメラルダ、レイ、オーレリー……様々な人々との奇跡の出会いを経て、彼は今この場所を歩いている。

 ――ここまで背中を押してくれた彼らのためにも、絶対に【英雄】になってみせる。

 いつかまた、彼らと再会するために。

 その時に、誇れる自分でいられるように。


「僕も、もっともっと頑張らなきゃ……よし」


 帰って夕食を腹に収めてから、就寝の前にもう一度書き取った知識を見直すとしよう。

 既に八割方は覚えた自信があるが、挑むならやはり十全の用意を整えておきたい。

 そう意気込んで、ラストは気持ち早めに赤煉瓦の道を踏みしめる。

 ――その時、この一見平和そうな街に似つかわしくない声が幽かに響いた。


「きゃっ! ……このっ、泥棒ね! 返しなさい!」


 悲鳴、続いて責めるような、若い女性の声。

 入試の勉強も確かに大事だが、すぐ傍で行われた犯罪を放っておくわけには行かない。

 どうせすぐに警邏がやってくるだろうが、何事も早期に解決できるに越したことはない。


「――しっ!」


 声が発せられた場所は、建物をいくつか挟んだ別の通りだ。

 魔力の残光を薄く脚にたなびかせ、駆け出したラストはその方角へと向けて迷いなく建物の外壁へと足をかけた。


 ここまでお読み下さった読者の皆様、まことにありがとうございます。

 もしこの続きを読みたいと思ってくださったなら、ブクマへの登録や感想、評価などをいただければ幸いです。

 どうか今後とも、ラストとその仲間たちの活躍をよろしくお願いいたします。

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