第221話 朝焼けに始まりを見ながら
その後、ラストは結局、内心に抱いたしこりを解消することが出来なかった。
しかし、その複雑な思いが顔に出たままの状態で出迎えた彼に対して、帰ってきたオーレリーは普段と何ら変わらない声と調子で話しかけてきた。
そのような状況で改めて話を蒸し返すのも憚られて、ラストは本当に彼女が許してくれたのか確信が持てないまま、ずるずるといつものような態度でオーレリーに接さざるを得ないのだった。
――それから翌日以降も、何も変わることがないままに時が過ぎ去っていった。
ラストは彼女の選んだ未来のヴェルジネアを担う人材に対して、仕事の引継ぎを順調に行って。
その間に、これまで世話になった街の人たちに別れの挨拶を済ませて。
徐々に生まれ始めた手の空いている時間に、彼女の祖父が遺した蔵書を読み耽ったりもして。
そこで発見した意外な事実を心に秘めておこうなどと思いながら――。
どうしてかオーレリーとだけは、お別れのことをそれ以上、話題にすることが出来なくて。
「おかしいな……なんで彼女とうまく話せないんだろう?」
他の大勢とは一度顔を合わせて盛大な送別会なんかをしてもらったものの、彼女とだけは、突然の暴露とは違う、きちんとした別れの挨拶を交わすことができないままに。
ラストはやがて、旅立つその日を迎えた。
■■■
「――いい天気、だね。出立するにはちょうどいい、絶好の旅立ち日和だ」
早朝、日の出よりも早い時間帯。
ラストは朝一番にヴェルジネアの門を潜って、街の外に広がる雄大な自然の前に身を晒していた。
すっと伸びる緑色の大地の奥からは、薄紫色の空がこちら側へ手を伸ばし始めている。
消え行こうとする星々の余韻をなんとなしに眺めていると、一日の始まりを告げる涼し気な朝風が頬を梳きぬけていく。
――なにかを始めるのにはこれ以上ないと言っていいほどの、清々しい朝だ。
「んしょっ、と」
背負った鞄を、気合を入れるついでに収まりの良い位置に整える。
この街に置いていく物と、新たに持っていく物。いくらか中身を入れ替えた結果、ちょっとだけ重くなった荷物がずしりと全身に圧し掛かる。
その心地よい重みを確かめながら、ラストはこれまたヴェルジネアで一新した自分の姿を見下ろした。
着慣れた一張羅である純白のローブの下に覗くのは、かっちりとした騎士の礼服だ。
きつく襟の詰められた戦闘衣装は細身に仕立て上げられており、正面に並んだ七つの金ボタンがくすむことなく存在を主張している。
――【英雄】として人心を惹きつけようとするのなら、社交界で顔を広める機会も訪れる。
その際に恥ずかしくないようにと、オーレリーから授けられた一張羅だ。
長旅には適していないのだが、最後に顔を合わせる時の礼儀としてはちょうど良いだろう。
「――すみません、遅れてしまいました。もしかして、長く待たせてしまいましたか?」
ラストがなんとなく、手持無沙汰の中でここに来るまでに服についてしまっていた埃を払い落としたりしていると、オーレリーが門の奥から姿を現わす。
「いや、僕もさっき来たところだよ。おはよう、オーレリーさん」
「おはようございます、ラスト君。あら、その服……着てくださっていたのですね」
オーレリーはラストの服装を見て、少しだけ目を見開く。
その下には、化粧で隠されているが少しばかり隈が浮かんでいた――そういえばここ数日の間、夜中にこそこそと隠し部屋で何かしていたようだが、なんだったのだろうと考える。
これまた覗くなと言われて、先の罪悪感が響いて、確認できなかったのだ。
だが、覗くなとは知られたくないということなのだろうと思って、ラストは自分の方からそれを指摘しようとはせず、素直に会話の流れに乗ることにした。
「せっかくの贈り物だからね。こういう時にこそ袖を通すものなんだろう?」
「ええ、よくお似合いですわ。ラスト君の雰囲気にぴったりで、柔らかい風貌と引き締まった精悍さをいっそう強調していて……いつにも増して格好よく見えます。私も、贈らせていただいた甲斐がありました」
「うん。これからも大事に使わせてもらうよ。この服に見合うだけの人間になれるように、なにがあろうと勇往邁進の心意気で頑張っていくさ。――ところで、君が見送りに来てくれただけでも十分に嬉しいんだけど。他の皆は来てくれないのかな?」
そう言えばと、ラストはオーレリーの後ろを見やる。
門の内側、ヴェルジネアの街並みはまだ鶏の鳴いていない時間帯と言うこともあってか、人の活動する気配が見られない。
静まり返った通りの向こうから誰かが来る、と言うこともない。
彼は一応、シュルマや孤児院の子供たちと言った、特に関わりを深く持った人々には出立の時間を伝えていたつもりだったのだが、まさか誰も来ないとは思っていなかった。
「自分から来て欲しいなんて、押しつけがましいことを思ってたわけじゃないけど。ただ、意外だね。ここの人たちは皆、一度お別れを言えばそれっきりって感じじゃなかったと思うけど……どうかしたのかな?」
「どうもしていませんよ? ――ただ、私の方からちょっとだけお願いはしましたが」
「えっ?」
思わぬオーレリーの一言に、ラストはきょとんとした。
「最後くらいは、二人きりにさせてほしい……と。そうしたら皆さん、快く承諾してくださったのです。何故かシュルマさんやマイさんからは優しい目を向けられましたが……こほん。そういうわけで、今日のお見送りは私一人だけなのですよ。期待を裏切ってしまって、申し訳ありません」
「いや、それならそれで別に良いんだけど……」
そう言えば、とラストは先日のヴェルジネア邸中庭でのお別れ会を思い出す。
オーレリーを除く誰もが彼の思っていたよりも強めの勢いで別れを惜しんだりしてきたことを不思議に思っていたのだが、そこには彼女の言った裏事情が影響していたのだろう。ラストからしてみれば最後に別れの挨拶を交わすのは後日のことだったのだが、彼らにとってはあの日こそが別れを告げる日だったのだから。
「でも、どうしてわざわざそんなことを?」
小首をかしげ、問う。
これまでの間にも、例えば仕事をしていた時などのように、何度も二人っきりになった時間はあったというのに。
あえてオーレリーがこの場においてお互いのみの時間を設けた理由が、ラストには掴めなかった。
「……どうして、なのでしょうね」
透き通った濃橙の髪が、ゆらゆらと揺れる。
「――正直に言わせていただくと、大した理由はなくて。ただ……これで最後なのかと。いえ、もう二度と会えないと決まったわけではないのですが。しばらく顔を見られなくなってしまうのだと思うと、最後にほんのちょっとだけ……貴方を一人占めする時間が欲しいと思ってしまいまして」
冷たい朝焼けの中に、彼女の口元から漏れ出た白い吐息が溶けていく。
「他の誰かを気にかけたりすることなく。私が私として、ラスト君と向き合ってみたかった……。あの日、貴方からお別れのことを言い出された時に、そう思ってしまったのです」
これまでと異なる未知の感情によって不安げに揺らめく二つの翡翠が、ラストの視線と合った。
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