第218話 輝かしさの裏で
つつがなくとは言えないまでも、オーレリーの領主就任の儀式は無事に終了した。彼女は最終的に領主となることを受け入れ、それによって都市ヴェルジネアは歓喜に湧いていた。
そして、数日後。
輝かしい希望の裏側で、もう一つの王命もまた忘れ去られることなく執行されようとしていた。
――都市の外門を潜り、馬車でおよそ半日程度かけてたどり着くことのできる森の中にて。
ある程度開けた獣道の一角で、ラストとオーレリーは大声で不満を垂れ流す彼らに向き合っていた。
「ふざけるなよオーレリー! こんなので生きていけるわけがないだろうが!」
「そうよ、私たちから手足を奪っておいて――なにさまのつもり!? 家族に対してこんな酷い仕打ちをするなんて、私は貴女を生んだ母親なのよ!?」
「……これでもだいぶ配慮させていただいたのですよ、お兄様、それにお母様。ユリウス卿曰く、本来ならば服さえ着せずに素っ裸で野外に放り出すとのことです。それがたとえ、真冬であろうとも」
それに比べれば、かなり温情がかけられている――そう教えたオーレリーの冷たい目線に、騒いでいたセルウスとパルマはうっと怯む素振りを見せた。
身につけていた贅沢品を剥ぎ取られ、貧相な麻布の貫頭衣だけを着せられた彼らは、その尊大な態度も少しばかり大人しくなっていた。
それでも睨みつける姿勢だけは崩さない彼らに、オーレリーはここへ来て最初に説明したことをもう一度繰り返す。
「良いですか、もう一度説明いたします。……こちらに置いた小さな袋の中身が二日分の着替えで、横の大きい方が一週間分の水と食料になります。それだけあれば、当面の寝床を設えるまでの間は足りるでしょう。後はご自分たちで何とかなさってください。それが、貴方たちに与えられた罰なのですから」
「罰ってなによ!? 私達はただ、当たり前のことをしていただけなのよ!?」
自分たちがこのような状況に至った理由をまるで理解していないと白状するパルマをよそに、リクオラが護衛として立っているラストに問いかける。
「ああ、やかましい。それで、ラストと言ったか? その中には食料が入っているといったが、酒は当然あるのだろうな?」
「いいや、お酒は生活必需品じゃないから入れてないよ。水がなかったら人は死ぬけれど、酒がないくらいじゃ死なないからね」
「そんな馬鹿な! それではこれからどうやって生きて行けばいいんだ!?」
「飲んだくれてないで、普通の食事をとって暮らすしかないと思うよ」
これまたまったく懲りていないといった様子の長男を放置して、ラストは注意深くオーレリーと馬車を守る位置に立つ。
――そう、今日はオーレリーを除くヴェルジネア一家を追放せよとの王命を実行に移す日だった。
地下の牢屋から出してある程度体力を回復させていた彼らを、外の様子を確認できない特注の馬車――窓を板で塞ぎ、その上から黒い布をかけ、更に鉄鎖で三重巻きにするという徹底された移動牢獄――を用いて運び、街から離れた何処とも知れない場所へ放置する。
周囲は木々に囲まれており、現在位置からは街も村も姿を確認することができない。
歩いて脱出することが厳しいのは明白であり、そうなれば次に思いつくのは乗ってきた馬車を奪う方法だ。それを未然に防ぐために、ラストは彼らを警戒していた。
「――うえっ!? なんですかこれは、小麦の味しかしないじゃない! 食べられたものじゃないわ!」
声を上げたグレイセスへと目を寄せると、彼女はさっそく食料の一部をつまみ食いしていた。
袋一杯に詰められた茶色の固形物を一口齧って、あまりに舌に合わなかったからか、ぺっぺっと地面に吐き出している。
「お姉さま、さっそく食糧を無駄になさるなんて……それは小麦を焼き固めた携行食糧で、きちんとした食べ物ですわ。安全な生活圏を確保するためにはここから移動しなければなりませんし、それを考慮して、味は二の次で持ち運びしやすいものを詰めさせていただいたのですわ」
「馬鹿じゃないの!? 私はこんなの要らないわ!」
「別に、それはお姉さまの自由ですが。それなら早い内に、ご自身の舌に合う食材を探しませんとね。幸いにもこの近辺は自然の恵みも豊富ですから、果物も成っているかもしれませんよ?」
「私にとって来いというの!? 私は栄えあるヴェルジネア家の娘、グレイセス・ヴェルジネアなのよ! そんな下男みたいなことをするわけないでしょう!」
「ではそのまま餓死するだけですが。ここには貴女の命令を無条件で聞くような人間はいないのですから」
なにを言っても聞く耳を持つ気配のない姉を放っておいて、オーレリーは最後に父の姿を確認する。
「……」
すっかり変わり果ててしまったアヴァルはもはや廃人同然の状態であり、何一つ言葉を発さない。
生き残るためには何らかの行動を起こさなければならない状況に置かれても、ぼんやりと虚ろな目で空を見上げながら適当な場所に座り込んでいる。
魂を消費する禁呪を使用し、奇跡的に生き残ることが叶ったとはいえ、もはや彼は完全に白痴の状態だ。能動的に動く気配がなく、馬車に乗りこませる時も散々喚いた他の家族とは違って、なんら反抗する素振りを見せなかった。
かろうじて食事や排泄くらいは可能だが、あの様子ではある程度の介護が必要となるだろう。
――いっそ死刑になった方が、アヴァルにとっては楽だったのかもしれない。
「……こちらの方が、よっぽど辛い刑罰なのですね」
「なにも考える必要がなくて、命を支払うだけで済む。それか、これまでの自分自身を見つめ直して、過ちを心の底から認めて反省する。どちらを厳しいと捉えるかは人それぞれだけど、彼らについては君の言う通りだろうね」
「ええ、本当に……」
このまま彼らが態度を改めないのなら、それこそ首を落とされるよりも悲惨な死を迎えることになるに違いない。
獣に生きたまま食い殺されるか、飢え抜いた上に餓死するか、雑菌に侵されて病死するか。
それらが自分の身に降り注ぐ可能性を本当に理解できているのか、怪しいものだとラストは思う。
同じことを思ったのか、オーレリーは彼らに家族として最後の情けをかけるべく、再度彼らに念を押す。
「ともかく! それらが尽きるまでになんとかして生活の拠点くらいは作らないと、後悔するのは貴方たちなのですよ。水源を探して雨露を凌ぐ場所を確保する……王都の育成機関に通われていたお兄様たちならば、最低限くらいの心得は授業で教わっているはずです!」
「知るかそんなこと! 設営など付き人の役目だろうが!」
「授業? なんだいそれは、酒を飲むより価値のあることなのかい?」
返されたのは、二人が思っていたよりも情けない言葉だった。
これまでに教わった知識をやりくりすれば何とかなる――その予想を前提から覆されては、どうしようもない。
「……不真面目にもほどがありますわよ、お二人とも。いったい学校をどのような場所だと心得ていたのですか」
「ええい、ちくちくとやかましい! このっ、風よ! ――我が尊き命を拝し、殉じよ!」
妹に見下されるような目を向けられて、耐えかねたセルウスが魔法の詠唱を始める。
だが、長々とした呪文を唱える彼に対して、ラストたちは手出しをしようとはしなかった。
「――【枯風乱嵐】!」
魔法名の宣言――しかし、なにも起こらない。
「お忘れになったのですか? 皆様には魔法の封印が施されているのです」
「そう言えばっ……ええい、さっさと外せ!」
セルウスは指を突き出して命令口調で告げるが、ラストにはそれに従う理由がない。
代わりにオーレリーが、この期に及んで反省のはの字も見せない次兄に冷然とした声色で言い放つ。
「お断りします。どうやら学校で学ばれたのは暴力で無理に人を従えることだったようですが、今後そのようなことは二度とできません。自らの身体を使ってなんとかなさってくださいな」
「くっ、この不孝者め! 自分は自由だからと、好き勝手に偉そうに――」
「お兄様だって、これまで好き勝手になされてきたでしょう。それが巡り巡って今の状況になっただけのことですわ。自由とは責任が伴うものなのですから、自分の自由を尊重して欲しいのなら、他者の自由も同じように尊重しなければならなかったのです……いずれにせよ、街や村に入れない以上、このような場所でなんとか暮らしていくしかありません。運が良ければ心優しい通行人がやってくるかもしれませんが、それまでは自分たちで耐え凌ぐしかないのです。いい加減理解してください」
それは、オーレリーから彼らに与えられた最後の慈悲だった。
――彼らは人の生活圏に入ることは禁じられたが、人と関わることまでを禁じられたわけではない。
誰かと取引をすれば、自分たちでは賄えないものすらも手に入るようになる。
そうして命を繋いでいくことも不可能ではないのだと、彼女は暗に示唆したのだった。
ここまでの恩恵を受けて、それでもなお一つの後悔も抱かないようであれば、誰であろうと手の施しようがない。
話を切り上げるように、オーレリーは踵を返して馬車の方へ戻ろうとする。
「行きましょう、ラスト君。このままいつまでも文句を聞き続けるのは、彼らにとっても時間の無駄です。日の落ちない内にせめて寝床くらいは確保していただかないと、翌日以降が更に酷いことになってしまいますから。――さようなら、皆様」
「うん。御者さん、馬を元来た方へお願いします。オーレリーさん、君が先に乗って……」
「――待て、オーレリーィィィッ!」
その背中に、セルウスが襲い掛かろうと走り出す。
それをラストが見逃すはずもない。
突き出された腕を取って足を払い、勢いをそのままに彼の身体を地面へと叩きつけた。
「がはっ!」
肺から空気を搾りだされたセルウスを上から押さえつけながら、ラストは御者に指示を出す。
「出してください、全力で構いません。僕は後で追いつきますから」
「分かりました。失礼します、オーレリー様。多少跳ねるかもしれませんが、どうかご容赦を!」
馬車の前に座る従者が鞭を振るうと、馬は鼻息を荒くして勢いよく走り出す。
がたがたと大きな音を立てながら、馬車は颯爽とこの場から離れていく。
「待てっ、待ってくれ!」
「待ちなさい、オーレリー!」
リクオラとパルマも急ぎ追いかけようとするが、鍛錬を怠った人間が強化魔法なしに馬に追いつけるはずもなかった。
見る見るうちに馬車の影は遠ざかり、木陰の向こうへと消えていく。
「――そろそろ良いかな。それじゃあ、どうかお元気で」
それから少しして、ラストはセルウスの拘束を外して馬車を追いかけ始めた。
森の中の道は必ずしも真っ直ぐに出来ているものではなく、地形を考慮した上で曲がりくねって作られている。
それに対して森の行軍に慣れている彼は直進することを選び、馬車の速度と自分の位置を計算しながら木々の枝の上を駆け抜ける。
数分も経たないうちに、オーレリーの乗る馬車へと追いついた。
ラストは枝の反発力を利用して大きく跳び、走行中の馬車の屋根に降り立った。そこから逆懸垂の要領で、開いていた窓から身体を滑り込ませる。
「お待たせ」
「きゃっ!? ……失礼しました。あの、どうして普通に入ろうとしないのですか?」
「一々馬車を止めるのも面倒だろう? だったらこっちの方が早いかなって」
「私としてはいい迷惑なのですが。まあ、良いでしょう。――もう速度を普通に戻していいですよ。ラスト君も戻ってきましたから」
「は? いつの間に……本当ですね。いったいどうやって……はい、分かりました」
御者席の後ろについた小窓からラストの姿を認めた男性は仰天の表情を浮かべてから、ゆっくりと手綱を引いて速度を普通のものに戻す。
落ち着いた速さになった馬車の中で、オーレリーの顔が窓の外へと向けられる。
その視線が向かう先は、先ほど今生の別れを済ませたばかりの家族がいる方向だ。
「……やっぱり、気になるかな?」
「ええ、もちろん。だって、今回の一件で縁は断たれたとはいっても、家族ですもの。心を入れ替えて健やかな暮らしを送って欲しいと願うのは、いけないことではないでしょう?」
「そうだね。もう関わりを持つことはないだろうけど……罪を償ってくれるのを祈るくらいは、してあげても誰も文句を言わないさ」
「はい……」
それっきりオーレリーはしばらくの間、窓の外を見つめるばかりで、街に戻るまで何も話そうとはしなかった。
ただ、きちんと閉め直された窓のガラスに映った彼女の顔は――それを詳しく読み解く前に、ラストはなんとなく逆の方向へ目を逸らした。
今くらいは一人で静かに、遠く離れることになってしまった家族を想うその気持ちを邪魔したくなくて。
「縁が切れても、家族……か」
その言葉に、ラストはエスではなく、随分と久々に今も王都にいるであろう産みの両親へと思いを馳せた。
これから先、新たな【英雄】として台頭する上で彼らに関わないなどという未来はありえない。
復讐する考えなどはないが、いずれ現在の【英雄】たるライズから彼がその座をもらい受けるためには、表舞台で剣と魔法を交えなければならないのだから。
――さて、自分を捨てた後の父と母は元気でやっているのだろうか?
森を越えて、ヴェルジネアを越えたその先にある次の目的地を見据えながら、ラストは馬車の揺れに身を任せるのだった。
ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。
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どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。




