第211話 取引を経て
「なっ――なにを! そのような、突拍子もない話を突然持ち出すなど……貴様はなにを考えている!? 陛下に限ってそのようなことがあろうはずもないっ。いくら切羽詰まったとはいえ、言うに事を欠いて適当な妄言を吐くとはっ、さすがにそればかりは見逃せぬ!」
監査団の中で一番年齢の低い、二十代後半ほどの男性が机を叩くと同時に立ち上がった。
その衝撃で資料の山の一つが崩れたのも意に介さず、彼はラストを指さして非難した。
「根拠もなしに陛下を侮辱するような発言は誰であろうと許されない! ユリウス卿、この者に縄を打つべきです!」
だが、ラストはなんの根拠なしに先の発言を口にしたわけではなかった。
彼は咄嗟に思い出した、ブレイブスの氏を持っていた頃の記憶をより深く掘り起こしていく。
――時刻は夜で、それは広く複雑な構造をしていた王城の内部で迷っていた時のことだった。夜会に誘われて親と一緒に訪れたのだが、そこで見知らぬ大人たちが次から次へと話しかけてくるのに疲れて、抜け出してしまおうと考えて。開けた場所へ向かおうとしていた際に道が分からなくなって、そこで偶然誰かと話している陛下の声が聞こえて――そこで、彼は国王専属のとある密偵部隊の存在について耳にしたのだった。
その名は、確か――。
「――【王の愛猫】。ここにおられる方々であれば、その名をご存じの方が一人くらいはいらっしゃるはずだ。なにせ貴方たちは王の信任が厚いであろうお方たちですから。その存在について耳にしたことがないわけがない。違いますか、ユリウス様?」
「レグ・イノミ……? なんだそれは、そのようなもの聞いたこともないぞ! 適当なことを言うなっ、そうでしょう!?」
ラストと若き監査団員の事実を問う視線を向けられて、ユリウスは嘆息するように呟いた。
「……その若さで、よく頭が回ると思っていれば。まさかその名まで知っているとはな。どうやら君はただ早熟なだけの子供ではないようだ」
彼の態度は明確に、ラストの口にした者たちの存在を示唆するものだった。
驚きを露わにする団員をよそに、ラストは全員でその正体についての認識を共通のものとするために、簡単な説明を付け加えた。
「名を変え姿を変え、王国全土に隙間なく散らばり、国王へと各地の状況を報告する密偵達。異変や反逆の気配があればそれを陛下へと伝え、先手を打って対策を練る時間を確保するための工作員としての役割も持つ彼らは、その性質上厳重に情報を秘匿されているものの、決して存在しないわけではない――そう、このヴェルジネアにだっているはずだ」
「まさか……いや、確かにそのような者たちがいれば便利なのは間違いないが……事実、なのですか? ですが私はそのような話をこれまで一度も聞いたことがない。彼がそれなりにあり得そうなものを適当にでっちあげたという、虚偽の存在では……」
確かめるように問い直した団員に、ユリウスは今度こそ断言する。
「……否、事実だ。実のところ、我らの閲覧する資料にも稀にその者たちから送られてきたものが入っている。情報部に所属して十五年以上の者か、もしくは自力でその事実に辿り着きそうな者にのみ教えられる存在故に、若き君が知らぬのも無理はない。すまんな、混乱させてしまった」
「あ、いえ……その、それが事実であると知れたのなら、私からこれ以上何かを言うことはありません。騒いでしまい、申し訳ありませんでした……」
どこか気恥ずかしそうにしながら座り直し、ごそごそと姿勢を整え直した彼にユリウスは微笑まし気な視線を向けた――彼がそれを知った時も、今の若者と同じような反応を取ったのだろうか。
しかし、その時間も一瞬のことだった。
ユリウスはこれまでの幼子に向けるようなものとは違い、鷹のように研ぎ澄ませた鋭い目を以てラストを見据える。
「だが、その存在を彼のように逆算して予測することは出来ても、名称までは知ろうと思ったところで知ることのできるものではない。――騎士ラスト、君はいったい何者かね」
ここに来て新たに浮上した、辺境の一騎士が国家の機密について知り得ているという疑問。
それを問い質すすべく、ユリウスは目前の小さな身体を持つ少年へと表情を消した顔で重圧をかける。
それでも、ラストは怯むことなく彼の目を正面から堂々と見つめ返す。
「僕が何者であろうと良いでしょう。今問題となっているのは、オーレリーさんの今後だ。王の耳にはこの街の現状についても届いていたはず。それでも改善の策が施されなかった……これを民衆が知ればどうなるでしょうね。今度こそ、ヴェルジネアの民と王との信頼は修復できない亀裂が入る。そうでしょう?」
「……君は、陛下を脅迫するつもりか?」
「いいえ、そのような大それたことを行うつもりはありません。それに、恐らく真実は密偵組織における何らかの機能障害によって御耳に届いていなかった、というのが真実なのかと思われます。なにしろ陛下は公明正大なお方ですから。それでも、この事実としては陛下が民の悲鳴を無視していたとも捉えられかねない。これを防ぐためには、陛下としても動かないままではいられないはずです。陛下が動く理由はここにできた、ならば後はその書状を送付することを貴方がたに認めていただくだけです」
ラストが彼らに例示した噂話は、完全な真実とは異なっている。
しかし、噂と言うものは人々の間で広まるにつれて尾ひれがついていき、少しずつ変化していくものだ。
民衆の光であるオーレリーを見捨てた国家ならば、実は市民そのものを見捨てていたとしても不思議ではない――そのような最悪の派生に至る可能性も、有り得ないわけではない。
国王としては、そのような状況に至ることは防がなければならない。王が民を守らないとの噂が広まれば、最悪国家の崩壊にすら繋がりかねないのだから。
先ほどまでは主の無実を訴える無邪気な子供に見えていたラストがそのような恐ろしい提案を繰り出してきたという事実に、ユリウスたちは雰囲気を険しくしながら、どのような対応を取るべきか迷いを見せる。
そこへラストはもう一つ、今度は彼らに向けての一手を打つことにした。
「皆様は結論を変えるつもりはない、と仰いました。では、そうですね。こういったものはいかがでしょうか?」
彼は懐から取り出した五枚の封書を扇のように広げ、寸分違わず彼らの目の前に飛ばした。
暗に中を読むことを求められた彼らは、怪訝な顔をしながらも封を破いて――そこに書かれていた内容に、慌てて顔色を変えた。
「騎士ラスト、これはどこから――っ!」
「アヴァル・ヴェルジネアの悪事を精査する中で浮かんだ、それに関わった者たちについての証拠を僕たちは握っています。そして、そこに書かれている名前に皆さんはお心当たりがあるようですね。……皆さんがもしも陛下への上訴を認めてくださらないのであれば、それらの原本を貴方がたの敵対派閥へと送らせていただきましょうか」
「……これは。あの、愚か者めっ……」
憎々しげに呻く声が、多数聞こえる。
彼ら自身は確かに、陛下の信任を得るくらいには潔白な身なのだろう。だが、自身がそうだからと言って、家族や縁の近い者までもそうであるという保証はない。
そして、血の繋がった者の不正や醜聞は、その周りの者の評判すら落としてしまう。
せっかく王からの信用を得られた彼らも、苦労して手に入れた今の対場は失いたくないに違いない。
「……正気か貴様?」
「正気ですよ。皆さんの自負や誇りのために彼女の命が軽視されようとしているのだとしたら、僕だって相応の行動を起こす覚悟があります。……もし彼女が他の家族と同じような、救いのないだらしない人間であれば、僕はこんなことはしない。だけど、オーレリーさんはそんな人じゃない。彼女はこの街の未来を……人々の希望を担うに足るお方だ。それを知って尚、たかだか保身なんかを図ろうとするのなら、僕は貴方がたの未来も無理やり同じ運命の皿に乗せさせてもらおう。さあ――どうされますか。この取引に乗りますか、それとも乗りませんか」
相手の弱みを握って主張を押し通すというのは、ラストにとって心苦しさが伴うものだ。
しかし彼らはなにが正しいのか、なにが間違っているのかを理解しておきながら、それでもなお面子を保ちたいとの理由で前例を踏襲しようとしている。
――そんな低俗な言い分で、オーレリーの命が踏み躙られてなるものか。
本来ならば彼ら一人一人を時間をかけて説得するのが最善だが、今はとにかく時間がない。彼女が目覚めるより先に全てを終わらせてしまうために、彼はあまり勧められない方法を取ることに躊躇いを覚えなかった。
「――お答えください、監査団の皆様」
ぎちりと空気を張り詰めさせながら、ラストは力を込めた声で問うた。
その赤い眼光が、薄暗くなった部屋の中で彼らの魂を矢のように射抜く。
「……私は彼の取引に乗ろうと思う」
最初に決断を下したのは、団長であるユリウスだった。
言葉を発すると同時に椅子に深く沈み込んだ彼に、他の団員から非難の声が飛ぶ。
「なっ……このような脅しに屈するおつもりですか!?」
「我が身惜しさに法を貫こうとした挙句に失脚の可能性を上げるのは本末転倒だ。……それに、彼は何も自分の主張を私たちに無理強いしようとしているわけではない。我々が正しい判断を下したとは明言できない話を、上に持っていってより正当な判断を下してもらいたいと願っているだけだ。もとより非があるのはこちら側であるのを思い出したらどうかね?」
ユリウスはラストにどこか眩しいものを見るような目を向けながら、皮肉気に灰色の口髭を力なく歪めた。
「それにしても、不思議なものだ。我々が為そうとしていたことが、直ちに自分の身に返ってくるとはな。せっかく掴み取った今の立場を、自分がしたことでもない誰かの罪によって下ろされると考えれば? ……奇しくも、先ほど考えさせられたことが現実となったというわけだ。ははっ、確かにこれはかなり悔しいものだ。我々はこのようなことを、平然と彼の主人に押し付けようとしていたのだな」
彼に続いて、段々とラストを取り囲む周囲の机から賛成の声が上がり始める。
ユリウスを非難した年下の監査委員は同僚が答えを変えていく中、最後まで歯を食いしばりながら自身の立場と誇りについて天秤にかけ続けていた。
だが、周りからの無言の圧力、もしくは同情に押されてか、やがて彼もまた力なく肩を落としながら頷いた。
「……私、も……賛成いたします」
「よろしい。これで全員の一致により、この一件については陛下の判断を仰ぐものとする。騎士ラストは一両日中に、王都へ送る資料を纏めるように」
「はい。皆様のご厚意に感謝いたします。……そして、皆様に心労をかけたことについては誠に申し訳ありませんでした」
「まったくだ。資料を読んでいる間は自分の一族の名前が出てこないことを喜ばしく考えていたが、まさかこのようなどんでん返しが待ち受けていたとはな。いや、悪いのはこれをやらかした身内なのだが……いやはや、家族のことになるとつい気が緩んでしまっていたようだ」
「仕事となれば厳しくいられても、親戚のこととなると中々そうも行かないのが人の性というもの。それを改めて思い知らされましたな……さて、疲れた疲れた。今日はもう休むといたしましょう」
口々にそう言いながら去っていく監査団の面々を見送って、最後にユリウスとラストが残った。
「……それにしても、君の主としてはこれは良いのかね? 悪事を追及する機会がいくつか失われたことになるが」
「構わないでしょう。この数日で判断させていただいた限り、皆様はこれらを隠蔽するのではなく、なんらかの対策を取られるような性格をしておられますので。最終的に社会的に是となるのであれば、オーレリー様もお許しくださるかと」
「ふっ、我々が君を見ていたように、そちらも我々を見定めていたのか。……本当に強かな騎士だ。先も触れたが、君のような男がどのように育つのか、興味が湧いてきたよ。――ところでその言葉遣いだが、思えば王都の上級階級のものだ。訛りがなく、その流暢な由緒正しき発音からして、君は我らと同じ王都の出身、それも同じく貴族の血を引いているものと見たがどうだろうか?」
ひっそりと問い掛けたユリウスに、ラストはにこやかに答えた。
「いいえ。僕はいたって普通の、名もない辺境出身の男の子ですよ。……ただ、大事な人を守るために頑張ってるだけのね」
ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。
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どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。




