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第206話 番号少女らの今後へ向けて


 街行く人々の雰囲気は、ラストがこの街を訪れた時と比べて大きく変化していた。

 彼らは足元を見て俯くばかりでなく、晴れ晴れとした空の下で前を向いて歩いている。今のヴェルジネアは過去の栄光が垣間見えるばかりの陰気臭い街ではなく、歴史と未来の調和がとれた美しい展望を見せていた。


「……きっと、これがオーレリーさんの守ろうとしていた、この街の本当の姿なんだろうね」


 この素晴らしき景色は、是非とも取り戻した本人である彼女にも見てもらいたいとラストは思う。

 人々の笑顔が溢れる、心の豊かな街――そして、それを悠然と見渡す彼女の横顔を想像して。

 それらが揃った光景を目に収めた時こそが、きっとヴェルジネアの一番美しい風景となるに違いない。


「おう、頑張れよ騎士ラストー!」

「アルセーナ、オーレリー様にもよろしくねっー!」


 覚悟を新たにしたラストは人々の応援やオーレリーの身を案じる声に手を振って応えながら、自身の歩いていた大通りから派生する一つの狭い路地へと身体を滑り込ませた。

 放置された木箱や吊るされた洗濯物が行く手の光を遮る日陰の道を、彼は記憶の通りにするすると進んでいく。

 五分も経たないうちに彼は目的地へと辿り着いて、そこを覆う鉄門を潜り抜ける。


「やあ、皆。元気だったかい?」

「――あっ、兄ちゃんだ! おーい皆、ラストの兄ちゃんが来たぜー!」


 ラストの姿に気づいた少年の声を皮切りに、次々と前庭や奥の建物や聞き慣れた騒がしい声がわらわらと近づいてくる。

 鐘の失われた廃教会――そこを家代わりにして暮らしている、オーレリーの庇護する大事な孤児たちだ。

 瞬く間に自分を取り囲んだ彼らに腰や腕を掴まれたりしながら、ラストはうんうんと頷く。


「どうやら質問は無意味だったかな? この様子じゃ問題らしい問題もなかったみたいだし、ちょっと皆落ち着こう。ほら、まだ仕事が残ってるんじゃないのかな。それが終わった後にならいくらでもお話してあげるから、いったんそっちを終わらせてこようね。今日はお土産も持ってきてるから、それが欲しい人は一生懸命お仕事を頑張ろう。どうかな?」


 ラストが片手に抱えていた小包を見て、子供たちは期待に目を輝かせながら「はーい!」と大合唱して再びそれぞれの持ち場に戻っていった。

 今日も元気に働いている彼らの背中を満足げに見送ってから、ラストはここに来た本当の用事を果たすために、とある探し人の居場所を尋ねるために傍で雑草をむしっていた少年アズロに声をかけた。


「と、ごめん。昨日新しく連れてきた女の子たちの中の、キャトルさんってどこにいるか知ってるかい?」

「キャトル……ああ、あの赤髪の姉ちゃんだろ? だったら厨房で昼飯の支度をしてたと思うぜ?」

「へえ、ご飯の準備か。だったらちょうど良かった、ありがとうアズロ君」


 すぐに答えてくれた青髪の少年の頭を軽く撫でて、ラストは教会内の厨房に向かった。

 元は礼拝堂だった大空間を抜けると、左の方には神父や修道女のために用意された生活空間が広がっている。その一部が、炊き出しなどを見据えた大きめの調理場として作られている。

 彼がそろりそろりと気配を消しながら近寄っていくと、見慣れた桃色の髪がぴょんぴょんと動いているのが見えた。

 その隣には赤い髪の、子供と呼ぶには背の高すぎる女性が立っている。


「すっごーい、お姉さんって皮剥きが上手なんだね。こんなに薄く剥けるなんて、向こう側が透けて見えちゃうよ!」

小刀(これ)の使い方は、嫌と言うほど身に染みついていますから。私より、ローザさんの方が……凄いかと。昨日の炒め物、お肉が絶妙な柔らかさで美味しかったです」

「えへへー、だってもう二年も頑張ってるんだもんね! お姉さんだって頑張れば美味しくできるようになるよ! 大丈夫、私が教えてあげるね!」

「そう、ですか。では頑張って覚えてみます」

「――失礼するよ、二人とも、ちょっと時間を貰っても良いかな?」

「――何者ですか」


 ローザの横にいた(キャトル)と呼ばれていた女性が、突然口を挟みながら出現した謎の気配へと向けて振り返りざまに包丁を構えた。

 そして、立っていたのがラストであることに気づいて、彼女は慌てて構えを解いた。


「……申し訳ありません、ラスト様。恩人の貴方様に刃を向けてしまうなどあってはならぬこと。謹んでお詫び申し上げます」

「いいよ、驚かせるような真似をした僕も悪かったし。えっと、それでローザちゃん。少しキャトルさんを借りたいんだけど、準備の方は大丈夫かな?」

「良いよー。もう後は煮込むだけだから。なんのお話? 実は私も、お姉ちゃんのことについてちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

「それなら後で聞くよ。こっちは別に大した話じゃないから、気にしないで。ありがとう、それじゃあちょっと離れたところに行こうか。良いかな、キャトルさん?」

「はい、分かりました」


 厨房を出て一度礼拝堂まで戻り、逆の方に備え付けられていた空間へと向かう。

 そこは狭い個室のような造りになっており、一般には懺悔室と呼ばれる場所だ。

 ラストはその中で向かい合って座ろうと腰を下ろしたのだが、キャトルは何故か中々座ろうとする気配を見せない。


「えっと、座って欲しいんだけど……」

「よろしいのですか? 私如きが貴方様と同じ目の高さに合わせるなど、許されることではないと存じますが」

「君は別に、如きとか自称しなきゃならない立場じゃないよ。僕も君も同じ、どこにでもいるような一介の人間さ。良いからほら、座って座って」

「……はい」


 あまり変わらない無表情に困惑の気配を僅かに浮かべつつ、キャトルがゆっくりとラストの対面の椅子に座る。

 ――さすがに一日やそこらでは、元の主から教え込まれた習慣は抜けないか。

 キャトルは彼がセルウスの下から強引に引き離した少女たちの一人だ。

 座ろうとする際にも恐る恐るといった様子を隠しきれていないことから、どれだけセルウスが彼女らに執拗に痛めつけたのかは容易く想像がついた。

 今は地下牢の中で四肢を拘束し、猿轡を嵌められている彼にひっそりと心の下で憤りを向けながら、ラストはなるべく彼女に安心感と親しみを持ってもらえるような声色で話しかけた。


「さて、君たちがここに来ておおよそ一日が立つけれど。どうかな、ここの生活には馴染めそうかな。たった一日程度じゃ判断も難しいと思うけれど、直感的に答えてくれるだけでいいから」

「はい。……申し訳ありません、分かりません」


 無機質にラストを見つめながら、少しばかり言葉を詰まらせて、キャトルは続ける。


「……嫌、ではないかと。ここは鞭を打たれることも、蝋を垂らされることもありません。いきなり苦痛を与えられることがない、というのは私たちにとって幸福な環境なのだと思われます。……ですが、これが良いことなのか、私は測りかねています」

「というと?」

「子供たちは、優しいです。ここのことを何も知らない私たちを色々と気にかけてくれて、美味しい食事を与えてくれる。――彼らと触れ合うたびに、この辺りがじんわりと熱くなるのです」


 そう、簡素な服の膨らんだ部分を上から抑えながら、彼女は悩まし気にちょっとばかり眉を八の字に曲げた。


「この感覚が、よく分からないのです。ぽかぽかとして、じんわりと広がって……。セルウス様の――」

「彼に様はいらないよ。彼はもう君たちのご主人様じゃないからね。僕についても、様は付けないで欲しいな」

「……はい。セルウス・ヴェルジネアの下に居た時には感じることの無かった、このむず痒くなるような感覚が、どのような類のものなのか。良いものなのか、はたまた悪いものなのかが分からなくて……判断がつけられないのです。彼らと一緒にいることを、この身体がどう思っているのか……」

「……なるほどね」


 少なくとも、それは悪い反応ではないとラストは知っていた。

 恐らくは彼がエスに拾われた当初と同じように、人肌の温もりの大切さを強く実感しているのだ。その、セルウスによって奪われた人の優しさというものに久方ぶりに触れることになって、彼女たちは混乱しているようだ。

 ――と、それを口にして教えることは簡単だ。

 だが、どうせなら。

 その感情が示すものについても、彼女たちには子供たちとの生活の中で自分で見つけ出してほしいとラストは思った。

 自分たちが失くしていた大切なものについては、誰かに知識として与えられるよりも、体感しながら覚え直していく方が良いのではないか。

 そちらの方が、彼女たちのためになる――ふとそのように考えたラストは、あえて答えを直接告げることを控えることにした。


「えっと、確認させてもらうけれど。君たちはその感情について遠ざけたいとか、嫌だとかは考えてないんじゃないかな」

「はい。私たちはこの私たちに起きている変化について知りたいのです。それを知ることが先ほどの質問の対する答えをはっきりと出すことに繋がるかと思われますが、いかがでしょうか」

「……いや、うん。もう答えは十分だよ」


 少なくとも、この変化は彼女らに取って良いことだ。

 人と人との繋がりを再度学習しつつあるのなら、ラストがその大切さを人一倍知っているこの孤児院に彼女たちを預けた甲斐があるというものだった。

 きっとこのまま過ごしていけば、彼女たちは自然と元の生活に戻っていけることだろう。

 そう確信して、彼は慣れない感情に不安がる彼女らの背中をちょっとだけ押そうと囁いた。


「知りたいってことは、君たちはそれを前向きに……好意的に捉えてるってことさ。その正体については、焦らずじっくりと探っていこう。ここの子たちは、その答えを知ってる。彼らと一緒に過ごしていけば、自ずと君たちも答えが分かると思うよ。今起きている胸の高鳴りが、どういうものなのか」

「……分かりました。ラスト様……いえ、ラスト……さん? の考えられていることはいまいち掴みかねますが、そう仰るのでしたら、今しばらくこちらに置かせていただいて、学んでいきたいと思います。……ここなら覚えが遅いと言われて懲罰を受けるようなこともないと思いますから」

「ああ、もちろんだよ。安心してくれ。ゆっくりと、少しずつ変わっていけばいいんだ。他にも、名前についても新しいものが欲しいなら考えてみてもいいんじゃないかな? ……と、そうだった。彼と君たちのことについて、一応伝えておこうか」


 ラストは懐から取り出した一枚の紙を広げて、キャトルへと差し出した。

 そこに記されているのは、例の晩にラストがセルウスと無理やり契約した、彼女らの所有権の委譲についての文言だ。


「君たちの社会的な立ち位置についてだけど、ちゃんとセルウス氏との関係は切ってある。建前上は僕のものになってるけど、別に変な命令を出したりはしないから深く気にしないで。その内適当な機会を見計らって有耶無耶にするつもりだから、君たちはもう実質自由だと考えてもらって大丈夫だよ」

「……そこまでしてくださるとは」


 説明を受けたキャトルはすくりと立ち上がって、そのまま急にラストへと深々と頭を下げた。


「えっと、キャトルさん?」

「ラスト様。重ね重ね私たちのことをこうも深く案じてくださった御恩は、この矮小な身では返しきれるものではありません。貴方様がいらっしゃらなければ、私達は一生あの男の下で使い潰されていました」

「いや、そこまで真剣に考えてもらわなくてもいいんだけど……僕は僕のしたいことをやっただけだからさ」


 頬をかきながら、ラストは首を振った。

 彼は別に、彼女らからの恩返しを期待して助けたわけではない。

 ただ目の前で行われる非道が見過ごせなかった――それだけに過ぎない。その単純な理由について深々と頭を下げてもらうつもりは、毛頭なかった。

 それでも、キャトルは姿勢を変えようとはしなかった。


「いえ。そのおかげで私たちは救われたのです。永遠に変わらないと諦めていた運命を覆してくださった貴方様に、皆を代表して改めてお礼を申し上げさせていただきます。――この度は、誠にありがとうございました」

「……そう面と向かって言われると恥ずかしいな。それと、様はいらないって」


 顔を上げたキャトルに再度そう告げると、彼女はなぜかむっとした様子を見せた。


「いいえ、つけないわけには参りません。貴方様は私たちの人生を救ってくださったのですから、それに見合うだけの敬称は絶対に必要です」

「……絶対に、かな?」

「はい。それとも、無理やりご命令なされますか? 以前のご主人のように」


 それを言われると、彼としてはなにも言えなくなってしまう。


「……分かったよ、降参だ。君たちの向けてくれた尊敬に恥じないよう、これからも頑張るよ」


 そう諸手を上げて降参の素振りを見せたラストは、正面のキャトルの頬がほんのちょっぴり上がっているように見えて、自然とそれに倣って苦笑を溢すのだった。

 ――なんだ、意外と早く彼らの影響を受けているところもあるじゃないか。


 ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。

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 どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。

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