第201話 終章は次の序章へと
「これをご覧ください! これらこそが私の真に探し求めていたもの! 貴方がたを苦しめ、苛め抜いた領主がこれまでに積みに積み重ねてきた悪行の記録――彼の為した唾棄すべき非道の数々が、この中に記されているのです!」
小箱から取り出した書類の束を纏めて掲げたオーレリーに、お祭り気分に浸っていた民衆の目が一気に集まった。
しかし、それがどうしたのかと彼らは首を傾げる。ヴェルジネア家の凋落という信じられない光景を目の当たりにした彼らは、それで全てが片付いたものだと信じ切っていたのだった。
善が悪を断ち、それで万事解決となる――現実はそう単純な話ではないということを、彼らは興奮のあまり一時的に忘れてしまっていた。
「ええっと……済まねえ、嬢ちゃん。それがなんだってんだ?」
「これがあるからこそ、彼らを権力の座から追い落とすことが出来るのですわ。本来のあるべき姿を忘れた貴族の堕落ぶりを示す、絶好の証拠。これを国王陛下のお膝下へと提出すれば、彼らはたちまち身分を剥奪されることでしょう。貴族でなくなれば、領主でいることも不可能になる――それでようやく、この街は元の姿を取り戻せる、というわけなのです」
「――なるほど! とにかくそいつがあれば、奴らを街にいられなくさせられるってことなんだな!」
「ええ。彼らは然るべき報いを受けさせられ、街からは悪影響が一掃されて。それで、かつてと同じ幸福が皆様方の下に再び戻ることでしょう」
今の民衆にとって、小難しい話など聞いていられるものではなかった。
彼らの大半はただ、オーレリーの最後に告げた単純で分かりやすい結論だけを聞き取っていた。
――そう。なにはともあれ、これで本来あるべき生活に戻れるのだと。
いつの間にか追加されていく重税に怯えることなく、無茶苦茶な道理を押し付けられて家族の中を引き裂かれることもなく。明日の希望を信じて働くことの出来る日々がやってくるのだと、待ち焦がれた当然の日常を好きに思い描いて笑い合う。
その光景を黙って見ていたラストは、内心冷めた目をオーレリーに向けていた――よくもまあ、うまく誤魔化したものだ。
然るべき報いが与えられる……なるほど、間違ってはいない。
ただし、その中身をこの場の彼らは想像だにしていない。していれば、呑気に笑っていられるはずもない。民衆は字面だけを見て満足しているに過ぎないのだ。
国王の名の下において罰せられるヴェルジネア家という括りの中には、街の光たるアルセーナもまた含まれるのだという事実に。
彼らは、気づいていない。
「……」
とはいえ、ラストはまだ水を差すつもりはなかった。
オーレリーの見ている手前で不穏な気配を出しては、先んじて余計な手を打たれるかもしれない。
せっかく後のことを任せるとの言質まで取れたのだ。
もう少しの辛抱するだけで良い、全ては彼女が気を抜いて休みに入ってからだ。
暗殺者の如く、裏切りの刃を悟らせないように胸の奥底に忍ばせたまま、ラストはオーレリーを後方から見守る。
「とはいえ、一連の手続きが全て終わるまでには、どうしても時間を要してしまいます。誠に申し訳ありませんが、皆様におかれましては、どうかもう少しだけお待ちくださるようお願いいたします。――必ず、必ず私たちの愛したヴェルジネアはまた戻ってきますから。偉大なる陛下からの沙汰が下るまで、どうか焦ることなくお待ちください!」
そう訴えて、オーレリーはしずしずと頭を下げた。
身分の違う相手に対しても腰を低くするという、アヴァルらとは異なる姿勢を見せられた民衆は、責めることなく彼女に暖かい声をかける。
「構わねえさ、これまで散々我慢したんだからな! あともうちょっとくらい、なんてことないぜ!」
「ええ、ええ! 私達はちゃんと待つわ! それくらい出来るもの、そこの領主様とは違ってね!」
「皆様、ありがとうございます。貴方がたが暖かい声援を続けてくださったおかげで、私はこれまで折れることなくやってこられたのです。本当に、皆様には感謝してもしたりません。どうか、これからもこの街のことをよろしくお願いいたします」
それを受けて、彼らの歓声は更に高まりを増していく。
盛り下がることを知らぬと言わんばかりに彼女の表と裏の名を呼び続ける民衆の声に応えて、彼女は最後にいつもの挨拶で幕を引いた。
「――それでは、ごきげんよう! またお会いする日まで、どうか皆様お元気で!」
被っていた帽子を取り、空いた左手でスカートの裾を摘まみ、オーレリーはもう一度頭を垂れる。
そこに人々が改めて割れんばかりの喝采を響かせて、ようやく怪盗の活躍は完全に幕を引いたのだった。
「……ふぅ、どっと疲れが来てしまいました」
くったりとしたオーレリーの身体に、ラストはすぐに手を差し伸べた。
もはや、彼女の為すことはほとんど終わってしまったも同然だった。最も重要な仕事を成し遂げた以上、彼女の計画の上では、後はおおよそ国の判断に身を委ねるだけでことが自動的に済んでしまう。
だからこそ、ここまで無理を通し続けてきた精神から箍が外れてしまったのだろう。
「それでは、ラスト君。この後のことはお願いしますね」
「うん。お休みなさい、オーレリーさん。今夜の君は本当によく頑張った。良い夢をね」
「そうですね。これが最後に見る夢なのでしょうから……精々、良い夢を見させていただくといたしましょう……」
オーレリーは一瞬だけ遠い目をして、かくりと瞼を落としてしまった。
その瞳の先に見た良い夢の内容をラストが問う暇もなく、彼女の魂は安定した眠りの状態に落ちていく。
すやすやと可愛らしい寝息を立てて眠るオーレリーの様子をしばし観察して、起き上がる気配がないことを確認し――ラストは小さく頷いた。
「好きなだけ、良い夢を見ていていいんだよ。……その間に、全部終わってるから」
ラストは小さな魔法陣を編んで、抱きかかえた彼女の身体を覆う。
【風花凪園】。それも即興の改変で効果範囲を縮小し、オーレリーだけに声が届かないように調整する。元よりこの魔法は結界の内側と外側の音の伝達を阻害するものだ。内側のやり取りが外に聞こえないように、外側のやり取りもまた内側には届かない。
これでオーレリーには、今からラストが行うやり取りを聞かれずに済む。
「――待ってくれないかな、皆」
興奮をそのままに、人々は待っているであろう家族や友人に今夜の出来事を余すことなく伝えようと帰宅の準備を整えていた。
そこへ向けてかけられたラストの呼びかけに、彼らは顔を顰めながらも振り向いた。
どちらかといえば町に来たばかりの、実質的にはよそ者と言っていいラストだが、彼もまた今宵の立役者の一人に違いなかった。
アルセーナの正体であったオーレリーに騎士と呼ばれ、星を斬り伏せてみせた彼のことを放っておく人間は決していないわけではなかったけれども、ごく少数に留まった。
どうしたのかと困惑しながらも振り返ってくれた彼らを軽く一望して、ラストは彼らに語り掛ける。
「せっかくの良い気分を台無しにしてしまうようで申し訳ないけれど、僕から一つ、君たちに聞きたいことがあるんだ。……ねえ、ヴェルジネアの皆。最後の最後まで彼女におんぶにだっこで、君たちは本当に良かったのかな――?」
確かに、オーレリーによる人々のための戦いは今日で終わりを告げた。
だが、それは同時に次の戦いの序章でもある。
ここからは先は、ラストによる彼女のための戦いが幕を開けるのだ。
ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。
もしこの続きを読みたいと応援して下さるのでしたら、ブックマーク登録や感想、評価などをいただければなによりの励みとなります。
どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。




