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第198話 世を鏖す星が輝いて


「なにをしているのですか!? この期に及んで何の魔法を――いえ、そもそも魔力欠乏の症状が出ているのに、どこから魔力を抽出して――ともかく、止めるのですお父様! 決着ならばもうついたと認めたのではなかったのですか!」


 赤く暗い光を放ちながら、心臓のように脈を打つ奇々怪々な魔法陣。

 仰向けにひっくり返されたアヴァルは胸の上にそれを輝かせながら、歪んだ薄笑いを浮かべている。

 閉じられていた瞼が細く開いて、オーレリーを見た。ただし、その焦点は合っておらず、左右の瞳がそれぞれ異なる場所を捉えていた。

 明らかに正気ではない様子の父に言うことを聞かせるべく、彼女はその肩を掴んでがくがくと揺らしながら迫った。


「止めなさいと言っているのが聞こえないのですか! 聞くのです、聞きなさい!」

「……っ、はははっ……こうなれば、もはや全てが終わりだ……全て、全て滅んでしまうが良いっ……」

「なにを仰っているのですかアヴァル・ヴェルジネア! なにをしているのか、答えなさい!」

「終わりだ……終わりだ……。私も、貴様らも、この街も、(みな)(みな)(みな)……滅んで砕けて、地の底に沈むのだ……ごぽぉっ!」


 虚ろな瞳で不吉な言葉を呟くアヴァル――その口から、血の塊が零れる。

 尋常ではない量の喀血が、地面に落ちてびしゃりと弾けた。

 しかも、アヴァルの急変はそれだけには留まらなかった。


「――ぐっ、ぐがぁあアあァァぁああアぁァァああァあっ!」

「なっ、これは――!?」

「あがっ、ひぎっ……あぐぅっ! ぐぅォォぉおおおぉぉォっ、おおおおおォォォああああっ!」


 喉の奥から血の泡がとめどめなく吐き出され、飛散する。

 断末魔にも似た甲高い絶叫が、歓喜に満たされていた世界を引き裂いた。

 アヴァルの放ったおどろおどろしい咆哮は、ラストとオーレリーのみならず民衆の耳にも届く。

 いったい何事かと振り向いた彼らは、更なるアヴァルの変貌に目を剥くことになった。


「――なんだありゃあ? あンの野郎、口から血を吹いて……髪が、急に白くなってやがる……?」

「しかも、なんだか老けてってない? 皺が増えて、皮膚が弛んでって……負けた衝撃がそんなにも大きかったってこと?」

「わけが分からないよ、さっきまで私たちの税金を吸い取ってあれだけ元気だったのが、まるで死人みたいに……なにが起きてるの?」


 オーレリーの制止も間に合わず、アヴァルの身体は見る見るうちに死に体へと変じていく。

 白く染まった髪が規則性なく抜け落ち始め、肌は艶が消えて粘土を塗りたくったような色になり、頬がげっそりとこけ、虚空を見つめた目は徐々に白濁し始める。

 その顔は苦悶の色に満ちているようでありながら、ひくひくと薄気味悪い笑みを浮かべていて、なんとも悍ましい。

 ――原因は疑う余地もない。

 彼の首にかけられた謎の魔道具をひとまず外そうとオーレリーが手を伸ばしたところで、新たな発見の声が民衆の内から上がる。


「――見ろ、空だ! 屋敷の空に、でっけぇ魔法が浮かんでるぞ!」


 叫んだ誰かの声に、誰もが揃って空を見上げた。

 ――そこには、ヴェルジネア邸の敷地を丸ごと覆うほどの巨大な魔法陣が展開されていた。

 白み始めた空の下、読み解くのが億劫になるほどの情報が収められた魔力光の円環が輝いている。

 その光はアヴァルの魔道具から構築されたものと同じく緋色に染まっており、関連性があることは間違いない。


「……あれは、確か……なるほど、そういうことか」


 その魔法の正体を、ラストは記憶の底からすくい出した。

 連鎖的に、アヴァルの身体を蝕む魔法についても彼は確信を得た。


「この二つの連携魔法、まさか現代になって見ることになるなんて思わなかったよ。なるほど、この地域の特徴から考えてみれば有り得ない話じゃないけれど、こんな隠し玉をよく今の今まで大事に保存してたね。驚いたよ」

「知っているのですか、ラスト君!?」


 近くにいたオーレリーが反応して、意味深に頷く彼に説明を求めた。

 彼女ならず民衆までもがこの不穏な輝きを受けて耳を傾ける中、ラストはアヴァルの発動した二種類の魔法について口にした。


「まず、そこで彼の上に浮かんでいる魔法陣は【生魂奉呪(サクリフィセ)】。発動者の魔力のみならず、その魂まで喰らい尽くして強大な力を引き出す魔法なんだ。魔力の根源である魂そのものを炉にくべて、莫大な魔力を生み出す……禁呪と呼ばれる類の、大戦時の外法さ」


 【生魂奉呪(サクリフィセ)】――それは、ラストがエスから譲り受けた禁呪に関する本の中に記載されていた魔法の一つだ。

 魂を無理やり圧搾して生命力を髄の髄まで抽出し、使用者に莫大な魔力を一時的に与えるという禁じられた魔法。 

 とはいえ、それ単体では脅威足り得ない。

 魔力そのものを操る技術を持つラストのような人種は少数派であり、殆んどの場合、生み出された魔力はまた別種の魔法に使用される。

 そしてその魔法は大概、術者の本来の力量では行使し得ない凶悪なものであることが多い。


「己の魂を喰らわせて、魔力を得る……なんという恐ろしい魔法を……!」


 戦慄するオーレリーだが、彼女は少しばかり勘違いをしていた。

 【生魂奉呪(サクリフィセ)】の対象はなにも術者本人とは限らない。むしろ、奴隷や囚人のような社会から弾かれた人間を生贄に捧げることが基本なのだが――それをこの場で伝える意味は何もない。

 余計な知識はそっと胸の内に秘めたままにして、ラストは今度は上空の魔法陣について語る。


「それで、あれが【輝星鏖世(ルインステラ)】……宇宙から近場の質量体を呼び寄せて墜落させ、周囲一帯を草の根一つ残さず滅する魔法だよ。あの段階だと、もう――あった。目の良い人なら見えるんじゃないかな? 西の空から一つ、こっちに向けて光が落ちてきてるのが」


 うっすらと白み始めた空の彼方に、一際大きな光の玉が浮かんでいるのが見える。

 現状では他の星よりも僅かに大きい程度だが、それでもこれまでのヴェルジネアの空にはなかったものだ。人々に混乱をもたらすには、十分に異常な現象だった。

 後ろで民衆が騒ぎ出すのをよそに、彼は修業時代の一頁を思い出す。

 ――ラストの読んだ禁呪の本には、この【生魂奉呪(サクリフィセ)】と【輝星鏖世(ルインステラ)】の組み合わせについても一例として載せられていた。

 かつての【人魔大戦(デストラクシオ)】において、豊かな土壌を有した領地を人間側に占領されることを見過ごせなかった魔族の一人が生み出した連携魔法。そう、苦労して整備した大地がみすみす敵の手に墜ちるのを見届けるくらいならば、全て跡形もなく滅ぼしてしまえば良かった。

 僅かな時を経て、それは学習した人間側までもが行使するようになった。結果として一時期、人と魔族の戦線において不毛の大地がそこかしこに量産されることになったといういわくつきだ。


「まったく、こんな大戦期の骨董魔道具をどこから集めてきたのかな。いや、それどころか実際に使ってしまうなんて、それだけ負けを認めたくなかったってことなんだろうね。いやはや、凄い執念だ。使い道さえ間違ってなければ、尊敬されるべき覚悟だと僕は思うよ」

「なにを呑気に――ラスト君、貴方は魔法を破壊できるのでしょう!? だったら一刻も早くこの魔法を止めてください!」


 一難去って一難、それも街へ向けられた流星などという大きな難事に相対してもなお様子を変えることのないラストに、オーレリーが父の身体を投げ捨てて詰め寄った。

 だが、彼は首を横に振って要請を断った。


「それは受け入れられないな。発動を中止させたいのなら、もう遅すぎる」

「何故ですか!? 魔法陣を破壊すれば、魔法は発動しないのではないのですか!?」

「正確には、魔法によって発動している現象が中途な状態で消滅するということになるんだけどね。あの隕石はもう、とっくにこの星の重力の影響下にあるんだ。今から御父上の魔法を解いたところで、落下するという結果は変わらないよ。――むしろ、そちらの方が困ったことになる」


 現在の落石――否、落星の軌道は、アヴァルの【輝星鏖世(ルインステラ)】によって軌道を逐一ヴェルジネアへ向けて調整されている状態だ。

 それを下手に解除したとなれば、どこに墜ちるかが分からなくなってしまう。

 空気抵抗などの本来ならば些細な不確定要素も、街一つ分を破壊しうる隕石の持つ質量にかかるものとなれば、大きく結果を動かしてしまうものになる。


「この街から外すことだけを考えたら、それでも良いかもしれないけれど。でもその場合、運が悪ければ他の無関係な町や村が犠牲になることもある。――もしそうなったとして、君はそれを許せるのかな。ヴェルジネアに住まう人々の命だけが助かれば良いと、本当にそう思う?」

「それは――」


 己のこれまで守ろうとしてきたものと、見ず知らずのものを天秤にかけたとすれば、迷いを見せてしまうのも無理はないとラストは思う。

 しかし、オーレリーが逡巡したのは一瞬だった。


「――もちろん駄目に決まっているでしょう!」


 期待通りの言葉に、ラストは顔を綻ばせた。

 たとえ一時の主従関係とはいえ、彼は適当な人間を主として掲げたつもりはない。

 顔も名前さえも知らない相手だろうと、手を差し伸べる――それが、彼の認めたオーレリー・ヴェルジネアと言う人間なのだ。


「その通り。自分たちが助かるために誰かを犠牲にすることを良しとするなら、それこそ君の嫌悪したご家族と同じだ。誰かに悲劇を押し付けて自分だけがのうのうと過ごすなんて、君らしくない。そこに立ち塞がるものがあるなら、悉く切り抜けて未来を手にする――それも、なるべく華麗に美しく。それが、君の描いた理想像(アルセーナ)だ」

「私はそこまで高尚な人間ではないのですが……いえ、その話もまた後で。――ですが、さすがにこれだけのものとなると規模が違いすぎますわ。人災ならば同じく人の手で収められたとしても、あれはほとんど天災に等しい攻撃です。逃げるだけならともかく、乗り切ることが出来るとは思えません……それに、私にはもう魔力もほとんど残っていませんし」


 啖呵を切った姿から一転して、オーレリーは弱々しい顔を見せる。

 ――その似合わない顔を切り替えるように、ラストは彼女の両頬を掴んでぐいっと持ち上げた。


にゃ()っ、にゃ()にをひゅ()るのへふは(ですか)!?」

「らしくないよ、オーレリーさん。敵わないからって、それが諦める理由になるのかい?」

「……え?」

「怪盗としての君は孤独だったかもしれない。でも、ここにいる君は独りじゃないんだ。無理そうなら、素直に誰かに頼っても良いんじゃないかな。ほら、少なくともここには一人、君の理想を一緒に信じる人間がいるんだよ?」


 変わらない態度で――不敵に笑うラストの示す意味に、オーレリーはようやく気が付いた。


「……まさか、ラスト君。貴方なら、あの流れ星を破壊することが出来るとでも? いえ、申し訳ないのですが、いくらなんでもその魔力量では……なんだったら、今の私の方がまだ魔力は多いような……」

「うーん。そこを突かれると反論のしようがないし、何とか出来るってことを証明できるだけの証拠も持ち合わせちゃいないけど。――でも、信じてくれないかな?」


 確かにラストの魔力量は両親に捨てられた時と比べて飛躍的に成長している。

 それでも、並みの魔法使いから見れば五十歩百歩で、蟻が羽蟻に進化した程度にしか見えない。

 ――だが、その小さき蟻の時でさえ、彼はかつての魔王軍幹部を打倒してみせた。


「これまでに君の目標は聞いてきたけれど、僕の目標について話したことは多分なかったよね。……オーレリーさん。僕は、【英雄】を目指してるんだ」

「【英雄】、ですか……?」

「うん。【英雄】に……これまでの誰もを越える偉大な英雄になって、魔族と人間の争いに終わりをもたらす。人も魔も、誰もが笑って肩を組んで過ごせる世界を作りたい。だから、あんな星一つ程度になんて負けるつもりはないさ」


 ――例え星が堕ちて来ようとも、その程度を正面切って叩き伏せられないで、かの黄昏の魔王の隣に並び立てるものか。


「僕に任せて、オーレリーさん。君の夢は僕の夢でもある。そして君の輝く姿も、僕の夢だ。何一つ取り逃がしたりはしないさ――どうかな」

「……分かりました」


 ――この街の未来を誰かの手に委ねるというのは、彼女にとって初めての感触だった。

 本来担うべき家族になど任せてはおけず、力のない民は蹂躙されながら嵐が過ぎ去るのを待つ他ない。

 故にこそオーレリーは全てを自分一人の手で成し遂げようと、自分を厳しく律しながら歩んでいたのだが――どうしてだろうか。

 自分を見つめる赤き瞳を覗いていると、その緊張が何故か緩んでしまう。

 その瞳の中に輝く、確固たる未来への道標。それを見ている内に、彼に寄りかかっても……甘えても良いかもしれないと思ってしまう。

 父の澱んだ赤き魔法陣とは違う、希望に燃えるその光は。

 遍く障害を全て打ち払うほどの、目に見えない意志の力を宿しているように見えて――自分にはどうしようもない絶望も、振り払ってしまえるのだろう。


「お願いします、ラスト君……いえ。我が第一の騎士、ラスト」

「うん」

「この一時だけ、私の夢を貴方に託します。――あの空の彼方より飛来したる邪魔者を打ち砕き、この街を……私の愛するヴェルジネアを、守ってください!」

「任されたよ」


 オーレリーを地面に座らせて、ラストは久々に腰の【銀樹剣】ミスリルテを引き抜いた。

 右手に真銀(ミスリル)の輝きを携え、左手に魔力の燐光を輝かせ、呼吸を整える。


「さあ、しっかりと目に焼き付けてくれ。――オーレリー・ヴェルジネアの騎士が、この世の未来を切り開くさまを!」


 ――その切っ先に、パチリと白き輝光が弾けた。


 ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。

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 どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。

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