第197話 もう一つの魔道具
オーレリーが盛大に打ち上げた花火、その意味を理解する者が段々と増えていくことに比例して爆発的な歓声が広がっていき、やがてヴェルジネアの街そのものを震わせた。
「やったぜ――そら見たことか、怪盗淑女がアヴァルの野郎を討ち果たしたぞ!」
「アルセーナ様が、いいえオーレリーちゃんがこの街を救ったのよ!」
「これで俺たちはもう、あんな理不尽な税金や暴力なんかに悩まされずに済むんだ――!」
アルセーナ万歳、オーレリー万歳と、この場に揃った人々は老若男女を問わず意気揚々と叫ぶ。
たった今、まさにこの時、自分たちを虐げてきた悪辣な政治は終わりを告げたのだ。
その、街を語る上でこれからは欠かせなくなるであろう、歴史的な快挙の一頁を目の当たりにしたという無邪気な興奮から彼らは逃れられないでいた――なにせ、それを抑圧する人間は地べたに這い蹲ったまま、ぴくりとも動きやしないのだから!
「お疲れさま、オーレリーさん」
「ラスト君……」
屋上から一連の流れを見守っていたラストがひらりとオーレリーの隣に降り立って、声をかける。
音一つ立てることなく着地した少年に、彼女はその名を呼ぶと同時に少しばかり身体を預けた。
目に見える傷は癒されたとはいえ、精神の疲労はそう簡単に拭えるものではない。
結果としては五体満足で生き残れたとは言え、下手を打てば死へと繋がる綱渡りを続けてきたことによる緊張は、確かに彼女の心を大きく疲弊させていた。
委ねられたその身体を優しく抱き支えながら、ラストは今後の指標について問うた。
「それで、ここからどうするつもりなんだい」
「どうする、とは? ……すみません、疲れでうまく頭が回らなくて」
「彼と彼の家族……君からしたら、君もかな? まあ、この辺りの枠組みに対しての君と僕の見解には差がある所だけれど、それは一度置いておくとして。ようやく街で行われてきた悪事の証拠を掴むことが出来るようになったんだ。その証拠の取り扱いと、彼らの今後の処遇について、もう一度具体的な手順を確認しておきたいと思ってね」
残念なことに、政治体制と言うものは民衆が叫んでいるように、簡単に変えられるものではない。
出来が悪かったからと次に頭を挿げ替える、などと当事者自身の判断だけで決められるものではない。
このヴェルジネアは独立都市などではなく、ユースティティア王国に属している。
街を支配する貴族は主たる国王の裁量によって統治権を委譲されている、という理屈が支配の根底に働いているのだ。それを揺るがせば、今度は国そのものが黙ってはいない。
ラストはその事を、一度デーツィロスでオーレリーに確かめている。
「……ひとまず、父の懐から皇国との内通文書を拝借して……それを王都の方に送付することになるでしょうね。単なる疑いあり、では一種の冗談で済まされる可能性がありますから。まずは決定的な爆弾を用いて、官僚の方々に直に目で見て判断する必要ありと考えていただかなければなりません」
「それで?」
「彼らを出迎えるまでに、改めて示すべき残りの罪状を揃えておいて……ああ、関係のある取引先の帳簿も抑えておいた方が良いのでしょうね。彼らも父が敗北したとなると、我先にと証拠を処分、し始めるでしょうし……」
ふらり、とオーレリーが後ろに倒れ込むようによろめいた。
その背中に腕を差し込み、腰を支えて、ラストはゆっくりと彼女を地面に横たえる。
「すみません……なんだか、急に眠たくなってしまって」
「仕方ないさ。あの花の蜜は魂にも大きな負荷をかける劇薬だから。身体はともかく、他人の魂の治療までは僕には早すぎる。無理せず、休もう? なに、君の家族は心配しなくても僕が責任を持って捕まえておくからさ。他のことも、早い内に手を打たなきゃならないことがあるなら教えておいてくれればやっておいてあげるよ」
「ありがとうございます……。ですが、そうなんでもかんでも貴方に委ねるのは、安心出来ないのですが……」
彼女はこれだけ親切にされても、あくまでもラストと目指す所が異なっていることについては忘れていない。
――ふと油断した瞬間に、全てを彼の都合の良いように持っていかれてしまうのではないか。その疑念は、常に頭の片隅に渦巻いている。
その不安を和らげるように、ラストは懐から取り出した水筒の栓を開けて彼女の口元に近づけてやった。
こくっ、こくっ……と冷たい雫が彼女の喉を伝う。ここで毒を盛るような醜悪な性格でないことは、オーレリーは承知していた。
「まあまあ。そこは勘違いしないで欲しいな。僕と君の違いはあくまでもオーレリーと言う個人の命を救うか救わないかだけで、それ以外はなにも変わらない。街のために何かを成したいってのは、同じ気持ちだよ」
乾いた心が潤っていくような感覚に息を落ち着かせて、彼女は小さく頷いた。
「……そうですね。どうせ貴方がどうしようと、国もわざわざ私如きの命を見逃して禍根を残しかねない、面倒な手続きはしたくないでしょうから。分かりました、ここは一旦お任せします。他の具体的な計画は、祖父の地下書庫に広げたままになっていますから、そちらを参考に……」
「分かったよ。任せておいて。きちんと目を通しておく」
「……場所や行き方について、問わないのですね」
「知ってるから。君のお爺様の書斎の、入って右から二つ目の本棚の下に隠してある鍵を取って、その隣にある本棚の、上から四段目左際の五冊の本に擬態させた鍵穴に差し込めば良いんだよね」
アヴァルから得られた許可に基づいて屋敷の内部を調査していた折に、きちんとそれぞれの隠し部屋の開き方についてもラストは入手していたのだった。
「……まったく、どこまでも信じられないお方なのですね、貴方は」
怪盗の正体を信じられない方法で突き止めてしまった経験から、オーレリーはすんなりと秘密の部屋の入り方について明かされても驚くどころか、素直に受け入れてしまっていた。
くすり、と彼女本来の笑みをこぼしてから、オーレリーは再び顔を引き締める。
「ですが、眠ってしまう前に最後に一つだけ、私自身の手でやらせてほしいのです。父から不正の証拠を奪い取る……それだけは、なんとしてでもこの手で……」
「分かったよ。それじゃあ連れて行こう」
願いを聞き届けたラストが、彼女の身体を抱いて歩き出す。
その抱え方はもちろん、お姫様抱っこだった。
「なっ、なななっ……どうしてこれを選ぶのですっ!? そうではなくて、肩を貸していただけたらと言うつもりでしたのにっ……」
「無茶言わないでよ。もう君の戦いは終わったんだからさ。落ち着いて騎士の腕に身を任せていたらいいのさ」
「だから、貴方は騎士から解任したとっ……!」
顔を真っ赤にして騒ぐオーレリーに、ラストはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「へえ、そうなんだ。王都に送った任命状の写しは君の部屋で額縁に収められてるのを見たけど、解任状までは見なかったんだけどな」
そうぬけぬけとこぼして見せた彼に、オーレリーは愕然とする。
「まさか、薄々と先の話しぶりから察していましたが……! 貴方、侵入方法を把握するだけでは飽き足らず、もう既に私の部屋に無断で入っていたのですねっ……! 乙女の領域を勝手に荒らすなんて、この鬼畜騎士っ」
「おっと、つい余計な口が」
何も反省していないといった体のラストを、彼女はぽかぽかと叩く。
しかし、疲れのためかその腕には大して力が籠っておらず、ラストからしてみれば猫にじゃれつかれているようなものだった。
「……覚えておきなさい、後でその生意気な頬を引っ叩いて差し上げますからっ……」
「覚えておくよ。御父上の魔剣は痛くもかゆくもなかったけれど、君の平手打ちは相応堪えそうだ。覚悟しておかないとね……でも、そんなことよりももう君の御父上の近くだよ。足の方から下ろすから、気を付けてね」
「ええ……っと」
おぼつかない足をラストの腕を掴んで支えながら、オーレリーは静かにアヴァルの側に膝をついた。
前のめりに倒れた彼女の父の胸の下へ、そっと手を差し込んで引っくり返す。
「……失礼しますわ、お父様」
ラストの言い分によれば、その胸に不正の証拠が収められた魔道具が隠されている。
ここに及んでラストがなにも言わないと言うことは、あえて別の場所に隠しているということもないのだろう。
彼の言葉を信じて、オーレリーは慎重にボタンを外して父の胸元を開いた。
――そこには、確かに鍵穴のついた古びた胸飾りが細い金の鎖に繋がれる形で隠されていた。
だが、姿を隠していた魔道具はそれだけではなかった。
「――これはっ!?」
連なるように繋がれていた、もう一つの魔道具。
それが密かに、赤く不気味に輝く魔法陣を起動させていた――それはまるで、アヴァルの生命そのものを吸い尽くすかのように。
運命の一夜は未だ、完全に明けてはいない。
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どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。




