第195話 令嬢としての切り札
あっけなく人質の問題を乗り越えられてしまい、アヴァルは魔剣を乱暴に地面に叩きつけた。
「――っ! ――、――っ!」
物言わぬ剣に怒りをぶつける、癇癪を起こした子供のような父の様子をオーレリーは黙って眺めていた。
あれが家族の前であろうとひたすらに金のことばかり考え、どこまでも揺るぎなく自分の欲望を貫こうとしていた父の末路か。そう思うと、彼女は憐れみを覚えずにはいられなかった。
誰も彼もを見下す尊大な態度の根拠を崩されてみれば、中から現れたのは仮にも一つの都市を担う主であるとは思えない情けない姿。
その、無意味に誰彼構わず吠えかかる子犬のようだったアヴァルが不意に歪んだ笑顔でオーレリーを見た。
「――だ、だが! そうだ! 奴らはともかく、貴様自身は無事ではいられまい! 我が氷の半分が防がれようと、残り半分は貴様へ降り注ぐ! あれだけの範囲の魔法を絶え間なく発動させていれば、相応の集中力をそちらに割かねばならんはずだ! その頭で、自分の分の氷まで避け続けていられるわけがない!」
彼は希望を込めて、夜空に滞留している氷の残弾に熱い視線を注ぐ。
既に数発がオーレリーから外れて周囲に落下してしまっているが、まだまだ魔剣の作り出した氷塊は七十ほど残っていた。
それだけあれば、思考に余裕がないであろうオーレリーを今度こそ仕留められるはずだ――そうであれと、彼はありったけの熱意を込めて娘の置かれた状況を悲観的な偏見で以て解説する。
「助かりたくば、その魔法を解いて自らの回避に全力を注ぐ他ない! さあオーレリーよ、貴様はどちらを取るのだ!? 自分の命か、そこらの口先だけの他人の命か……言ってみるが良い!」
「愚問ですわね。そんなもの、誰かの命を取るに決まっているでしょう。そもそも先ほども似たようなことを言いませんでしたか、私? こんな命を一つ捨てただけで誰かを救えるのなら、喜んで投げ出しますわ」
「――な」
即答。
彼女は何一つ迷う素振りを見せず、自分の命を捨て去る方を選んだ。
アヴァルは知らなかった――この世で何よりも尊く感じられるはずの己の生命というものに、娘が風吹けば散って消えていく塵ほどの価値すらも見出していないことを。
他人の人格を軽んじ、金になるか否かの価値しか見出していなかった彼は、家族の内に秘めた人間性さえも把握することが出来ていなかったのだ――。
唖然とする彼をよそに、オーレリーは更なる驚きの行動に出た。
「それに、もしもの話にどのような意義があるのでしょうか。――消えなさい、【風鳳強化】」
彼女の展開していた魔法陣の一つが、身体に薄く纏わりついていた魔力の燐光と共に消え失せる。
身体に施していた強化さえも解いてしまったオーレリー。
――その頭上に狙いを定めていた氷塊が、動き出す予兆を見せる。
「は! そうか、自死を選ぶか! 馬鹿め、貴様が息絶えれば私が魔剣を打ち止めると思っているのか!? そんなわけがなかろう、せっかくだ! ついでに何人かあの世へ送ってくれる!」
茶々を入れるアヴァルを無視して、彼女はゆるりと歩き始めた。
指定された標的へ向けて、一つの氷が急発進される。命中すれば、オーレリーの身体は熟れて地面にぶつかったざくろのようになってしまうに違いない。
危機迫る状況とは逆に、彼女は観客の視点からはどこか散歩しているかのようにも見える速さで、前に十歩ほど進んだところで足を止める。
――それと同時に、落下した大氷柱が先ほど彼女が立っていた所に着弾した。
はたして、オーレリーの身体には傷一つ見られない。
「……なんだと? いや、偶然に違いないっ、ただ運悪く外れただけだ――!」
叫ぶアヴァルの目前で、オーレリーは静かに傘先で地面を軽く叩いていた。
とん、とん、とん――とん。
何度か打って、終えるや否や彼女は再び歩き出し――また、少し遅れて彼女の足跡が残る場所に魔剣の氷が落下する。
「二度続けてだと!? ――ええい、三度目の正直だ! 狙い自体は間違っていない、止まっている時をうまく狙えれば当たるだろうが! 当たれ、当たらんかっ!」
アヴァルの切実な祈りとは裏腹に、彼女はただ悠然と自分だけの時を刻む。
数度地面を小突いて、小さく頷くと同時に歩き出す。
それに待ってくれと叫ぶかのように、氷が遅れて彼女のいた地点へと飛来する。
だが、当たらない。
その光景を見て、ラストは確信した。
「これは、勝負あったね。もう、魔剣の攻撃じゃオーレリーさんを捉えられない」
そう――魔剣アル・グレイシアの攻撃は一見派手派手しく煌びやかで目を奪われるものだが、その挙動はあくまでも常識的な魔法の範疇に収まっている。
オーレリーの説明した通り、魔道具から出力される魔法陣は常に不変不動だ。
それはすなわち、氷塊の生成規模や射出速度、そして描く軌道及び発射順序は何回魔剣を振ろうと変わらないということでもある。
彼女はこの一晩の中で幾度となく魔剣から放たれた魔氷の嵐に晒され、その中を潜り抜けてきた。
その経験の蓄積によって、彼女はおおよそどのように動けば迫りくる氷の連撃から逃れられるのか、見切っていたに違いない。
だからこそ、彼女は父に最後の機会を与えることが出来た。脅威を前に自らの護りを解くことが出来た――自分が決して傷つかないという自信があったから。
「馬鹿なっ――馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁっ!? このようなことがあってたまるか、あるはずなものか!」
「あるのですよ。いかに強力な力と言えど、タネが割れてしまえば対処が出来てしまうもの」
後ろへ七歩――七秒経って、今度は左へ九歩。
三秒待って……右斜め前へ十歩かつ左へ六歩、十二秒……次は左斜め後方へ――。
頭の中で定型化された回避の道筋を辿りながら、彼女は正真正銘の本気を出し切ったであろう父親へ語り掛ける。
「――さて、お父様に本気を出していただいたのですから、ここは私も本気を以て答えなければ礼を失することになるのでしょうね」
「っ、炎よ――ぐぁっ!?」
アヴァルは咄嗟に火炎瀑滝を発動しようとするが、がくりと膝をついてしまう。魔力の欠乏による倦怠感が、彼を襲っていた。
なにせ、魔剣を発動する前にもアヴァルはラストに向けて攻撃魔法を放とうとしていたのだ。未遂に終わり、魔法陣の構築も中途な状態で終わってしまったとはいえ、それだけでもある程度の魔力を消費していた。
そこに加えて今の行動が彼の中に残っていた小さじ三杯分ほどの魔力を外界へと放出してしまい、彼は途端に汗を流しながら息を荒げてしまう。
「はぁっ、はぁっ……何をしているっ! 動け、動かんかっ……!」
いくら膝を殴りつけても、彼の脚は言うことを聞かない。
もはやアヴァルには、魔剣の描く氷世界の中で小鳥のように舞うオーレリーの行動を成すがままに見送ることしか出来なくて。
「本来ならば、【繚月狂化】が怪盗アルセーナとしての最大打点だったのですが。どこかの誰かさんのせいで正体も明るみに出てしまいましたし――」
未練がましく視線を寄こした彼女に、ラストは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。
ただしその顔には一切の反省の色が見えなくて、オーレリーは一瞬だけ強く彼を睨んでから、顔をアヴァルへと戻す。
「――ですからここは私、オーレリー・ヴェルジネアとしての本気を見せて差し上げますわ」
アルセーナとしての切り札と、オーレリーとしての切り札が異なる。
それはつまり、怪盗と言う一つの仮面を内包するオーレリーには、先の月女神の暴威より格上の手札が眠っているということを意味していた。
「なんっ……だとぉ……っ!」
アヴァルの持つ最大打点――炎と風と氷の複合魔法と相殺し合うほどの威力を持ち、直感に死を叫ばせた、それ以上の火力が牙を剥こうといている。
その事実を直視することが出来なくて、彼は思わず貴族の誇りを投げ出すかのように目を瞑ってしまった。
だが、耳を塞ぐことが出来ない。両耳を塞ぐには魔剣から手を離さなければならないが、そうしてしまえば今度こそ自分は敗北を受け入れなければならなくなってしまう。
魔力もない、回復薬の残量もない。魔剣を魔剣として振るうことなどとうに出来ないのだが、その現実を理性が拒否して、アヴァルは必死に雪銀剣の柄にしがみつく。
その鼓膜を、オーレリーの流麗な独唱が打つ。
「――女神よ、我が声に耳を傾けたまえ。汝は穢れ知らぬ処女を守護せし永華の天女なり」
――街を見守る女神よ、我が覚悟を特と御覧じろ。
「五濁の栄華、七罪万盛此処に極まれり。されど我は其を憂い、其に怒り、其を雪がん」
――如何なる巨悪が街を覆おうとも、私は決して折れることなく立ち向かおう。
「願わくば、我が手に御身の一端を。掲ぐは巨悪断つ風剣、崇むるは正義諮る月秤」
――暴力は、誰かを傷つけるのは嫌いだ。だけど、それに拘って誰かが傷つくのを見過ごすのは、もっと嫌だ。
「黒雲を薙ぎ、星無き夜を照らせ。人の希いし神威が、果てなき闇夜の果てを拓く――」
――故に、ここに誓おう。
我が身はたとえ果てようと、人々の光として最後まで街の未来を切り開かんと――!
「――【女神祈樂・花鳥風月】」
オーレリーの街を想うその意志が、ここに一つの形を成す――。
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