第193話 理想か己か、父は嗤い問うて
オーレリーが、さながら死刑宣告のようにアヴァルの首元へと突きつけていた傘の石突きを下ろす。
憤怒と怪訝をまだらに織り込んだ顔を見せる父をよそに、彼女はその先端で少し離れた場所に転がっていた白銀の魔剣アル・グレイシアを指し示した。
「両親を絞首台に吊るそうとする親不孝な娘のことを、まがりなりにも心配してくださったのです。故に私からも相応のお礼を送らせていたしましょう――拾いなさい、アヴァル・ヴェルジネア」
「……なにがしたい? 慈悲でも見せて、民衆の人気取りか?」
「人気なんて、むしろ私には最も似つかわしくないものですわ。……貴方は言いましたね、本領を発揮すれば勝てると。でしたら試す機会をさし上げますわ。そちらの魔剣をお取りになって、貴方の持てる力の限りを尽くして私を攻撃してみせなさい」
その言葉を捉えた民衆は、当然のように騒ぎ出す。
「な――なにを言ってるんだアルセーナ!? いや、オーレリー……様か?」
「ええい、んなのどっちでも良いだろうが! それより、まさかここまで来てそいつに勝ちを譲るつもりかよ! その剣がやべえのは分かってんだろ!?」
「敵に塩を送るなんて、確かに立派だけど……どうして今そんなことをするの!?」
彼らもまた、戦いに先立って行われた騎士たちへの脅迫めいた演説とこれまでのアルセーナとアヴァルの戦いを見て、魔剣の脅威を十分に知っていた。
だからこそ、それをあえて与えようという驚愕の行動に出たオーレリーに真意を問わざるを得なかった。
だが、彼女はそれに構うことなく、アヴァルを視線でせっつく。
彼もまた娘の意図を理解出来ずに暫し立ち竦んでいたが、それでもとうとう、背中を丸めながらひょこひょこと歩き出した。
背後からの不意打ちを仕掛けられやしないかとしょっちゅうオーレリーの方を振り返るが、彼女は一向にそのような素振りを見せない。なんなら、ほんの僅かに傾いた帽子の角度を呑気に整えていた。
その、本来は自分が手にしているべき勝者の余裕に彼は爪を手の平に食い込ませる――だが、あの白き剣を手にすれば盤面は一瞬にして自分のものになる。
もう少しの我慢だと彼は己に言い聞かせて、残り五歩。
四歩――三歩。
二歩。
一歩。
落ちていた魔剣の柄を握りしめた瞬間、彼の怯え混じりの表情が裏返る。
「――ふ、ふっははははっ、ふははははは――ごほっげほっ! ……ふぅーっ、ははははははぁっ! やはり貴様はどこまでも愚かな小娘だ! せっかくの私を討ち取れる好機を自ら捨て去るとは、私の娘とは到底思えないような愚行! しかし今更後悔したとてもう遅い、この力が戻った今っ! もはやお前には私に敵う機会など永遠に巡ってこない!」
天を見上げるほどに胸を反らし、高笑いした挙句喉を詰まらせる。
いっそ喜劇役者にでもなったかと思うほどの馬鹿馬鹿しい笑いっぷりを見せ、アヴァルは本来の調子を取り戻した。
一方、オーレリーは変わらぬ冷徹な響きで催促する。
「御託は結構。空も白んできましたので、本気とやらがあるのでしたらさっさと見せてくださいまし。ここまでお膳立てされておいて実はなにも出来ません、などとは仰らないでしょうね?」
「ふん、そう焦らずとも今見せてくれるわ――! 我が命に応えろ、永氷の魔剣よ!」
アヴァルが掲げた魔剣の先から、たった一晩で呆れるほどに目にした魔法陣が星のように空を埋めていく。
徐々に夜明けを迎え始めている空からは、本物の星がうっすらと消えかかっている。
その代替品として、夜は決して明けぬとでも言いたげにアヴァルの描く輝きがオーレリーの、人々の頭上に瞬く。
徐々に顔を出す氷塊がひしめき合いながら光を反射して彼らに挨拶するが――彼女は焦る様子もなく、魔剣の発動を見守っている。
「……なにしてんだよ、おい!」
「危ねえぞ!? 分かってるのかアルセーナ!」
「死ぬつもり!? 駄目よそんなの、お願いだから動いて――!」
我慢の出来なかった観衆が忠告するも、オーレリーは未だ動かない。
そして十秒も経たないうちに全ての氷が顕現し終えた頃、真の勝利を確信したアヴァルが一際強く剣を握りしめた。
冷え込んだ世界の中でただ一人、彼は高慢にその頬を吊り上げて――。
「悠久の氷水晶どもよ! 圧し殺せ!」
剣が振り切られ、氷の魔弾が射出される。
一弾目、二弾目――間隔を開けることなく落下する氷塊を見て、彼女はようやく回避の兆しを見せる。
「たわけめ、避ければ誰が死ぬと思う――貴様の大切な民衆だ! 奴らの味方だなどと抜かすのなら、甘んじてその身で死を受け入れろ!」
それを縫い留めようとする、意地の悪い声がオーレリーへと飛ばされる。
彼は魔剣の攻撃範囲のおよそ半分に、屋敷の周囲に詰め掛けていた民衆を収めていた。
自身の安全を優先すれば民衆が犠牲となり、彼らの前に障壁を張ろうとすれば今度は自分の防御が手薄になってしまう。
ここまで散々自分の身を犠牲にしてきたオーレリーだからこそ、人々が傷つくような選択肢は選ばない。選べるはずが、ない。
精々理想を貫き通して屍を晒すが良いと、形容しがたき悪人面で以てアヴァルは彼女に敗北を認めることを迫る。
「――ええ、お姉さまの親であらせられる貴方なら、きっとそうすると信じていましたわ」
それを聞いた彼女がなおも帽子の下で微笑みをたたえようなどとは、彼は想像出来なかった。
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