第192話 決着は揺るぎなく……?
アルセーナの不敵な誘いは、アヴァルの腸に煮え滾る怒りをもう何度目になるか分からない噴火へと導いた。
「――どこまでも私を愚弄するか! この期に及んでなにが円舞曲だ、これ以上貴様らに付き合うなど反吐が出る、虫唾が走る……ああ、居ても立っても居られぬ! そこまで死を望むというなら、付き従う者と諸共にあの世へ送ってやろう! 踊りたければ地獄で好きなだけ舞踏会を開いているが良い!」
彼女の差し出した招待状を斬って捨てるように、アヴァルは魔剣を突きつける。
どれほどアルセーナが不屈の精神で以て立ち上がろうと、民衆が彼女に煽られつけあがろうと。依然として、力の有利は己にこそありと彼は信じて疑わない。
なにせ、先の激突を経ても彼の刃は一切折れ曲がることなく、曇りの一つすら見せない。その揺るぎない存在は、彼女がいくら足掻き、妄言を吐こうとも、変わらず在り続ける――まさに貴族に相応しい、歴然とした力の象徴。
それが手の中にあるが故に、彼は自分はまだ最終的に勝利を手にする者なのだという確信を抱いていられた――そのアヴァルの力とやらを与えたのが誰なのかを知ることもなく。
製作者の真実を教えてやれば、アヴァルの尊大な自信は簡単に崩れてしまうことだろう。
だが、ラストはその必要性を感じなかった。
「いいえ。ここで踊るのは私と貴方だけですわ。これ以上誰かを巻き込ませるものですか。貴方の下衆な行動に街の人々を連れ添わせるのを目にするのは、もうたくさんです。そのような許し難き罪は、決してこれ以上為させませんわ!」
向けられた雪銀剣の切っ先を意に介さず、オーレリーは悠然と歩を進める。
「やかましい! それを決めるのはお前ではない、この私だ! ――炎よ、我が敵を蹴散らせ! 大罪企てし咎人よ――」
アヴァルの照準が、娘とその背後に控える無数の民衆へと向けて定められる。
腐蝕した金属に浮いた緑青錆のような魔力が、魔法陣を描き出す。
既に脳の絶頂気分は途切れており、彼はまた深層意識から魔法陣の設計図を詠唱で引き出さなければならなかった――それを彼女は見過ごさない。
風纏うオーレリーの靴が、軽やかに舞う。
「させませんと言ったでしょう?」
「くぉっ!?」
至近距離で振り抜かれた傘を、アヴァルは咄嗟に魔剣で迎えうつ。
鍔迫り合いの距離で微笑むオーレリーの圧力に、アヴァルは詠唱の中断を余儀なくさせられてしまう。構築を中断させられた魔法陣が、効果を発動することなく霞と溶けた――それだけではない。
強化魔法なしのアヴァルの腕力が、風鳳強化を発動させている彼女に叶うはずがない。
甲高い音を立て、彼の頼りの魔剣は簡単に遠くへと吹き飛ばされてしまった。
剣を握っていた右の手首は痺れるばかりか、曲がるはずのない角度までに曲がっている。激痛を訴える場所をもう片方の手で抑えながら、アヴァルはくぐもった声で己が娘の冷徹に見える微笑に文句を言った。
「――卑怯なっ……」
「卑怯? それは何を指して仰っているのでしょうか」
「無粋な暴力で、それもたかが傘一本で我が崇高なる魔法の邪魔をしおって……!」
「いえ、魔法を発動前に潰すのは特段後ろめたいことでもなんでもありませんし、教本にも記載されている定石なのですけれど……」
「そればかりか、我が魔剣を奪うとは……! かの真の力を以てすれば、貴様のような小物など今頃立っていられるはずがないのだっ! それを勝手に斬りかかってきて、それで勝ったつもりか!」
「……はあ」
喚くアヴァルの言葉の真意を読み解くのに、彼女は少しばかりの時間を要した。
――つまるところ、彼はきちんと力を発揮できていればオーレリーなど簡単に倒せるのだ、と言いたいらしい。
父の真意を察したオーレリーは心の底から呆れたように首を振って、傘の先端をつつっ……と彼の顎下に這わせる。
「なにを勘違いしているのですか、アヴァル様――いえ、もう誤魔化しても無駄なようですし、お父様とお呼びしても良いでしょう。ここは教師が学生のためにと準備してくれるような、互いに十全に用意を整えられる決闘の場などではないのですよ? ここまでは偶然にも、それが出来るような状況に絶えず置かれ続けていられたというだけのお話なのですわ。むしろ、これが当然なのです」
くいっとアヴァルの顎を持ち上げれば、どこまでも傲慢な緑瞳の放つ澱んだ光が視界に飛び込んでくる。
それに真っ向から対峙しながら、オーレリーはもはや決まったに等しいこの場の結論を示す権利を行使した。
「なんでもかんでも貴方にとって都合の良いように進む、そのような幻想から覚める時が今訪れたのです。後は夢のツケを清算するだけ――お覚悟なさいませ、我が愛しのお父様」
彼女の冷たい覚悟が金属の柄を通して伝わったのか、アヴァルは隙間から血を流すほどに歯を食いしばる。
立て続けに、魔剣という自信の拠り所を手放してしまったことで、急に先ほど抱いた錯覚が彼の内側に怒濤の如く蘇ってきた――この娘は私を殺すつもりなのではないか?
まさにこの情景は、生殺与奪の権利を一方的に握られているに等しい。これまでは自分が握っていたものが、今は相手に委ねられてしまっている。
それを粛々と受け入れることなど、もちろん出来るはずもない――彼がこれまで数えきれないほどに虐げてきた、街の人々と同じように。
「――待てアルセーナっ、ではないオーレリー! 貴様、本当にこの私を、親を手にかけると言うのか!? それが何を意味するのか分かっているのか!?」
彼女の抱く想いを知らないアヴァルは、それで彼女が止まると思っている。
――そのようなことが、あろうはずもなかった。
「ふふっ、お間違いなきように。私は別にお父様や家族を殺しなど致しませんわ。ただ、皆様の背負う積年の罪を全て、王権と言う名の日の下に晒すだけ――そこから先は私の役目ではごさいません」
淡々とこれから起こることを告げたオーレリーに、彼は顔を赤から青へと染め上げる。
「なっ、まさか貴様っ、私達を国家裁判にかけるつもりか! しかも全ての罪を明らかにしてだとっ……そのようなことをすれば、お前もただでは済むまい! 分かっているのか!?」
「分からずしてこのようなことが出来ましょうか?」
この場で父が取り急ぎ思いつくような懐柔の囁きなど、彼女はとうの昔に断っている。
否。
それは確かに彼女が自分の意思で断ったものだが、決断させたのは他ならぬ家族の行動だ。
アヴァルらはオーレリーの前で振る舞ってきた自分たちの過去の愚かさによって、とっくに逃げ道を全て塞いでしまっていたのだった。
「私は全て承知の上で、この街に文字通り身を捧げるつもりでおります。お父様におかれましては、どうぞご心配なく。皆で冥府へと参りましょう?」
信頼を寄せるラストの説得でも揺るがなかった彼女の覚悟が、今更揺るぐことは――。
「……ですが、そうですわね。少しだけ、私にも思う所がないわけではないのです」
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