第190話 暴露
心に直接響くような落ち着いた声に、民衆は駆け出しかけた足を止めて声の発生源――屋敷の屋上を見やる。
「どうか目を凝らしてくれないか。皆さんの大事な姫君は無事だ、だから無暗に命を投げ打つような真似はしないでくれ」
屋上の一角。縛り上げられたグレイセスとリクオラがびったんびったんと陸に揚げられた魚のように跳ね続けているのとはまた別の場所に、その声の主は立っていた。
声変わり前の、若々しくも凛とした声を放った青年――ラストだ。
「貴方たちは、せっかくここまで彼女が苦労して繋いできた命なんだ。ここで自分のためにと言われて皆さんに死なれたら、彼女はたいそう悲しむと思うんだ。だから、怒りに魂を燃やすのはもう少しだけ待ってほしい」
「……誰だよ、あいつ?」
その腕には、確かに深緑のドレスを纏った人影が抱きかかえられていた。
だが、それが生意気にもお姫様抱っこと呼ばれるものだったからか――他の人よりもちょっとばかり強く不審に思った一人の男性が、正体に首を傾げる。
ラストが生活していたのはあくまでも広大なヴェルジネアの一部地域に過ぎず、彼の顔を知らない住民も多かった。
疑問の声を上げる彼らに、一応はラストの人となりを知っている者たちが説明を試みる。
「ラスト君じゃないの。知らない? あの馬鹿領主の選んだ暴力騎士たちを片っ端から倒して、再起不能にさせた……」
「あー、そういえばそんな話を聞いたことがあるような、ないような気がするな。ってことは、あいつはアルセーナの味方ってことで良い、んだよな?」
「たぶんな。……でも、あのオーレリーちゃんの騎士でもあるんだ。あの子自身は一応親切な娘だと分かっちゃいるんだが、それでもあの男の一族だぜ? 本当に味方って決めつけて良いもんだか……」
「騎士だぁ? ってことは敵じゃねえか。んなもん信用できるか!」
「大丈夫よ! 私だって友達だって、あれの配下に襲われかけた時助けてもらったもん! きっと今だって、怪盗ちゃんを助けに来てくれたに決まってるわ!」
彼を知る者と知らない者では、残念なことに抱く印象に差異が生まれてしまったようだ。
ラストを敵と見做すべきか、味方と見做すべきか。
論戦が市民の間で繰り広げられようとする中、同じく屋上を見上げたアヴァルがわなわなと肩を震わせながら大声で怒鳴る。
「――貴様っ、ラスティア! この期に及んで現れるなど、どこまでもふざけたことを――いったい今までどこで道草を食っていた! お前は私の配下として、怪盗の拿捕に全力を尽くすと言っただろう!」
その言葉を聞いた市民の中に渦巻く不信感が一瞬膨れ上がるが、ラストはそれを一笑に付した。
「ははっ、御冗談を。僕にはそんな約束をしたつもりなんてありませんよ、アヴァル様。……貴方が何を仰っているのか、僕にはさっぱり分からない。この身は徹頭徹尾、彼女の味方だ。そちらみたいな、誰かを貶めることにしか全力を注げない者の味方だと思われてたなんて、心外だな」
「なっ――!?」
アヴァルは愕然としながら、彼と結んだ契約をふいにしたラストを血走った眼で睨みつける。
「というか、いい加減覚えて欲しいな。僕の名前はラスト・ドロップス。そこまで覚えにくいものでもないと思うんだけど」
「貴様の名前なぞどうでも良いわ! それよりも、貴様は最初から私に協力するつもりはなかったのか! なめた真似を――裏切った騎士がどのような罪に値するか、分かってのことだろうな!」
「僕は貴方の騎士じゃないし、裏切るもなにもないと思うけどね。一方的に勘違いした責任を僕に押し付けないでくれないか?」
自分の手で半ば脅迫に近い形を取りながら、アヴァルに協力体制を取ろうと持ち掛けた者の台詞ではない。
とはいえあの時の彼は普段通りに誓約書を書かせもせず、命大事にと脱兎のように屋敷へと戻って――逃げ出していったのだ。
口約束だけを証拠として主張したところで、誰もそれを信じようとは思わなかった。当の本人に対する信頼度が元より地面を貫いて星核に達し、逆に抜けていくほど低かったのが猶更拍車をかけていた。
人々は彼よりもラストへと期待を寄せ、アヴァルには冷めた目を向けるようになる。
まるで針の筵にでもなったかのような状態に痺れを切らし、彼はこれまでと同じように、己の威で以て誰が正当なこの場の支配者を知らしめようとした。
「勘違いだと!? この愚か者が――貴様のその減らず口も閉ざしてくれる! 我が力の前に跪け! ――【火炎瀑滝】ッ! 【枯風乱嵐】ッ! そして嘶け、雪銀剣ッ!」
「【鋳魂魔弾】」
パキィィィンッ……硬質ガラスの砕けるような音が響く。
これまでに放出された魔法の余剰な副産物として場に滞留していた濃厚な魔力もあって、その音は魔法使いではない民衆も耳にすることが出来た。
――薄ぼんやりとアヴァルの背後に形成された百余の魔法陣が、刹那の内に破壊された姿をも、彼らは目にした。
「なっ……なにが、どうなって……?」
これだけの距離が開いて、なおかつ両手が塞がっているとなれば、先日のような無様を晒すはずもない。
そのようなアヴァルの目論見は、容易く打ち砕かれた。
「僕に魔法は効かないよ」
「何を言っている! この力は貴様らに敗れるような力ではない! ――【火炎瀑滝】ッ! 【枯風乱嵐】ッ!」
再度記憶野から魔法陣を出力するアヴァルだが、結果は変わらなかった。
ただしその代わりに、彼は魔法陣が砕ける寸前、その一部を貫くように宙を奔る光の軌跡を捉えることに成功した。
「なんだ――今のは?」
「さあ? 何の利益もないのに手の内をそう簡単に明かす必要はないからね。ただ、結果だけ教えるなら、僕はそちらの魔法を発動前に全て潰すことが出来るってことだ。分かったのなら、少し静かにしていてくれないかな?」
「なっ……な、なっ……そのような、馬鹿げたことが出来るものか! そんな技など、聞いたことがない!」
「耳に入れたことがなくても存在するものなんて、この世にどれだけだってあり得るよ。ちっぽけな世界で支配欲を満たして満足しているから、想定外のことに対して文句しか言えない……もう良いかな?」
この世界における一つの摂理――強大な魔法を従える者こそが正義という風潮を絶対視していたアヴァルは、その魂をラストに貫かれたような気分だった。
――強さとは支配の象徴であり、彼我の位階を決定づける最重要な要素だ。魔法とはその強さの代表的なものであり、他の強さの証を鎧袖一触にしてしまうことが出来る存在である。
その、彼にとっての当然の常識がまたもや粉砕されてしまったという事実を、心が否応なしに受け入れてしまった。アヴァルは百面相を浮かべながら、顎から垂れた脂汗で革靴を濡らした。
それっきり黙りこくってしまった彼を放って、ラストは腕の中に抱いていたアルセーナを軽く揺すって起こした。
「――おはよう。そろそろ夢の世界から出てきてくれないかな。夜はまだ終わってないよ、ご主人様?」
「……んぅ……ラスト、君……?」
もぞもぞと身体を動かしながら、気を失っていた彼女が目を開く。
焦点を結んでいなかった二つの美しい瞳が、やがて自身を覗き込む赤い双眼を捉えて――見開かれる。
「ラスト君!? どうして貴方が――あ、いえそう言えば最初からいましたけれど、なにをしているのですか!?」
「一応、そのまま吹き飛ばされてたら柵の上で串刺しになってたところだったんだけどね」
「あっ、それはありがとうございます……って、そうではなくてですね! もし状況が変わっていないのだとしたら、私と貴方の関係性が疑われることに――せっかく隠し通してきた、私とアルセーナのことが……!」
せっかく民衆の敵と民衆の味方、二つの顔を使い分けてきた意味がなくなってしまう――それを恐れて取り急ぎラストから離れようとするが、
「安心して、もう遅いから」
「――はい?」
彼女がたっぷり数秒絶句した後、二人の沈黙は第三者の手によって崩壊させられる。
「なに!? 貴様のご主人様っ、主人だと――待て、まさかそのような……っ! あってはならないことがあってたまるものか!」
「この声は……まさかっ」
慌てて聞き慣れた声の方向を確かめると、そこには目を剥くアヴァルの姿があった。
「――貴様っ! いやお前っ、お前は……なぜお前がそこにいる、オーレリーィィィッ!」
人差し指を突き出して天高く叫ぶ父に、彼女はやはりと顔を俯かせた。
せっかく長年に渡って隠し通してきた怪盗淑女の正体がこのような形で明かされてしまったことに、彼女はため息の一つも吐きたくなった。
――まさか、これこそが彼の狙いだったのだろうか。
未だに見えないラストの思惑にうまく乗せられてしまったのかと疑りながら、それでも彼女はまだ諦めきれずに誤魔化そうと試みる。
「オーレリー嬢、ですか? いったいなんのことでしょう。私と彼女の間にはなんの関係もありませんが……きっとこちらのラスト君も、なにか勘違いされているのでは?」
「嘘をつくな! よく聞けばその声も、まさにお前のものではないか! 騙しきれると思うな! ただ部屋に引き篭もっているかと思えば、こっそりと変装して出回っていたとは――それも、家に仇を成すコソ泥としてだと!? どれだけ親を馬鹿にすれば気が済むのだ!」
だが、アヴァルはラストの言葉を完全に真実と決め込んでいる様子で、彼女の言葉に聞く耳を持たない。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる父親の怒り様が、彼女にとっては不思議でなかった。
どうして毛嫌いする相手のことを、そう容易く信用できるのか。
まるで何物をも誤魔化せない、決定的な証拠があるとでも言いたげな――。
「嘘だろ? 怪盗淑女がヴェルジネアの次女だって……いや、でも確かに……?」
「そういや嬢ちゃんはよく月の憂雫を換金しに来てくれてたし……」
「あの娘だけは私たちに優しくしてくれたものね……兄とか姉の乱暴も止めてくれたりしたもんね……」
それどころか、前列にいる観客もまたアヴァルと同様にラストの妄想であるはずの言葉を素直に受容していく。
その信じられない光景に彼女は困惑の表情を可愛らしく浮かべて、ラストはそれに構うことなく今の姿の彼女を気遣うようにゆっくりと側に立たせた。
「あわわっ、ちょっとラスト君!?」
彼女の抗議を無視して、ラストはふらつくその身体を支える。
「ほら、しゃんと立って」
――ラストの影になって、一部の者にしか見えていなかった怪盗淑女の全容が衆目の全てに晒される。
淡い月の光が、風にたなびく少女の特徴を際立たせる。
街の刻んだ時の移ろいを丸ごと溶かしこんだかのような、深い琥珀色の髪。
叡智と誠実を象徴する、雄大な自然の如き翡翠色の瞳。
それはまごうことなき、街の支配者たるヴェルジネア一族の血を引く証拠であった。
ここまで読んで下さり、まことにありがとうございます。
もしこの続きを読みたいと応援して下さるのでしたら、ブックマーク登録や感想、評価などをいただければなによりの励みとなります。
どうか今後とも、ラストたちの活躍を見届けていただければ幸いです。




